『夢』の結末

「妹の未来を『能力』で知ってから三週間経って、私はようやく決意をすることが出来たの。妹を守るっていう選択をする決意をね」

「……」

「あら、今回は一言分の感想をくれないのね」

「楽しみでしたか?」

「ちょっとだけ、ね」

「正直言って……直感的に言葉を選ぶには、複雑極まっていますから」

「どうして?」

「そりゃあ……『今』こそこうやって紅茶片手に談笑していますが、『当時』の心情は、一言で表すこと自体が失礼になりますから」

「……まぁ、そうでしょうね。正直言ってあまり記憶はないけれど」

「そんなこと言ったら、僕だってあの『夢』が現実だと思えないですから」

「ふふ、でしょうね」

 もはや、隠すつもりもないようだ。と言うより、正直に情報を伝える相手に舌戦を仕掛けている僕がおかしいのだが。


「私は、自分の母親を殺すために、食堂からナイフを取って、刺し殺そうとしたの。研究対象とはいえ、あくまで家族関係自体は形式上とっていたから、自分の料理を作ってみたい、という噓を付いて、取ることは簡単だった」

 物騒な思い出を語りながらも、彼女の震えは止まっていない。

 本当に……怖かったのだろう。そう考えていると、彼女は、紅茶を一口飲み、一息ついて

「一つ問題を挙げるなら……私が、人を殺したことが無かったこと、くらいね」

 いつもの口調に戻して、そう言った。


「首元、心臓、いや、腹部でもいい。いつものように、申し訳程度の挨拶をして、『母親』から最も近い場所に来た瞬間に手元にある刃物を全力でぶつける。これだけの行為をする手段を、頭で理解しても、それを行動に移す心が、意思が、私には持てなかったの」

「……」

「ねぇ、もし『挨拶をした人間』が『刃物を持ってそれを頭の上』で止めたら、あなたはどうする?」

「殺します」

「……そうね、止めるわ。『普通』」

「そうですね。止めますよね、『普通』」

 本当に予想していないところで傷ついてしまった。

「あっち側の動きは早かったわ。人が失望する瞬間というのは、あそこまで恐ろしいのね。目つきは変わらないのに、明らかに眼の光が、目の奥が凍っていたのだから」

 今度は、全身をびくりと震わせて、当時の感覚を思い出していた。

「ただ……もっと恐ろしかったのは、その後かも」

「その後?」

「ぎこちなく、振り下ろしたナイフを腕ごと止めた『母親』は、逃げようともがく私を見て、考えていたの。そして、しばらくした後眼の色が変わった。『あの女』は、凍らせた眼を輝かせ、私をまた見つめ直していたわ。『最高の結果を残した実験体』としてね」

「……」

「私は、始めて母に感謝されたわ。『遂に完成した』『やっとあの子たちの面倒を見なくて済む』なんてね。『あの女』は、私が行動を起こす理由を理解したうえで、私を泳がせていたわけね」

 我ながら愚かだ、とでも言いたげにため息を彼女はついた。


「それと同時に理解したの。私は勘違いをしていたって」

「勘違い……ですか?」

「そ。私が見た夢は『妹が殺される夢』じゃない。『私が殺された後の妹』の夢だってことに」

「……?」

「だって、そうでしょう?今までぞんざいに扱われていた妹が、突然優しくされていたら、私は違和感に気がつくに決まっている」

「でしょうね。妹を大切に思っているなら当然です」

「でも、あの『夢』の中で私は現れなかった。何より、私が『あの女』に睨まれた、その瞬間に、またあの『未来』を見たの。妹のことを考えすぎた結果、私は私自身のことをまったく気にしていなかったというわけ」

「でも、あなたは生きていますよ」

「えぇ……それが、私の間違いの始まりだもの。ね」


「間違い?」

 僕は、紅茶を飲みながら、彼女の話を聞こうとしたが、飲むことができなかった。

 いつの間にか、カップ半分まで入っていた紅茶を飲み干していたからだ。

「そう。私はもう一つだけ勘違いをしていたの。私が持っている『能力』の本質に」

 先ほどよりも距離が近くなった彼女は、くすりと笑って、答えを出した。

「当時の私が認識していた、私が持つ『能力』は、『運命を観測することが出来る』という感じだったの。勿論、『今の』私は、もうちょっとだけ何でもできるけれどね」

「他人の過去を見たり、見せたりとかですか?」

「さあ?それ以外もあるかもしれないし、ないかもしれない」

「そこは、伏せるんですね」

「こんな『能力』、どこまでできるか知ったら、何されるか分からないもの」

「確かに」

「それで、どこがおかしかったと思う?会話しながらでも考えていたでしょう?」

「はい。自分で解決しようとするあまり、『フィリア様』の介入を全く考慮していない事、ですよね」


「……我ながら馬鹿だとは思うわ。私は、あの子を助けるなんて言う思考に囚われすぎて、最も大切な人間を三週間も見ていなかった。だから、あの子は『壊れた』の」

 一瞬彼女は、川のように流れ続ける言葉をせき止めた。

 その一瞬の躊躇の後、鋭く息を吸って、また、話し始めた。

「……逃げ出そうとする私の腕を折らんばかりに、強く握られた時だったわ」

「……」

「硝子の割れる音が聞こえたの」


「もちろん実際に……というのは、あなたが一番知っているものね」

「嫌と言うほど」

「私は、結局何も変えることができなかった。変えようとした妹の『運命』は、あの子自身が自分で変えたのよ。『あの女』を『壊して』ね」

 めでたしめでたし、とはならなかったのだろう。ルッカは今にも泣きそうになっていた。

「びくりと跳ねた後、目の前の女性が手を離した。離れたかしら。まぁ、どっちでもいいけど。『あの女』は、全く動かなくなっていた」

「……」

「私は、すぐには状況が理解することが出来なかったわ。当時は硝子なんて割ったことが無かったから、ただただ不快な耳鳴りが急に襲い掛かって、心臓が跳ねるみたいな衝撃を受けた。そんな感じの認識だったわね」

「……その後は?」

「……申し訳ないけれど、ほとん記憶にないの。私が覚えているのは、紅いペンキをかけられた感覚と、高揚感で瞬きを忘れた妹が、目を大きく広げて、嬉しそうに私に何かを伝え続けている光景だけ」

「……お代わり、頂いても?」

 僕は、三杯目の紅茶をいただくために、カップを差し出した。

 対面の少女はゆっくりと、椅子を擦る音すら消して立ち上がり、ポットの紅茶を注いだ。

 ただ、液体の音だけが沈黙を破っていた。


「……あら、飲まないの?」

「いいえ、残り少しの話を聞いてから、頂こうかと」

「そうね。一口分残すのも、勿体ないものね」

 ルッカは自分のカップにも同様に紅茶を淹れ、物語の結末をゆっくりと話した。

「妹が必死に話している裏で、私は別の物を見ていた。この先にあった、『物語』をね」

 紅茶の出は少なくなっていき、最後の一滴が注がれた。どうやら、もう一杯は頼むことができなさそうだ。

「正確に言うのなら、『物語たち』と言うのかしら。その先に見えたのは『平穏な日常』だった。妹と、フィリアと一緒に本を読み、ディナーを味わい、談笑する。そんなごく普通の生活に溢れたものの裏で、あの子の目の前で、隠された『それ』を見てしまったの」

「それは?」

「それは……『あの子が私を殺す夢』。きっかけや、道筋は分からない。でも、どこか選択を間違えた時に、いつか起こるかもしれない硝子の音が、私の貰った幸せな物語に紛れていた。これが私の『間違い』よ」

「……フィリア様の目の前で」

「一瞬だけだったんでしょうね。でも、その一瞬だけで、私は怖くなってしまった。有り得ないと否定しきれなかった。それが、『今』の現状よ」

 


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