「クラッカーでも、一ついかが?」
「『此処は、とある森の中。牧歌的な村の中に潜む、木々に隠された一つの屋敷があった』」
「『その屋敷は、広大で絢爛なものであるにも関わらず、たった一人の青い髪を持つ女性が暮らす為に造られたものだった』」
「『数度の冬が過ぎ、女性は、二人の少女を抱えていた。一人は、琥珀の眼を持ち』、もう一人は、まるで烈火を思わせるような輝く緋色の瞳を持つ絶世の……」
「あ、ストップ。ストップで」
僕は手を立てて、話を止めた。
「何?」
「いや、どう考えても片方の描写表現が長すぎますよ」
「何を言っているの?今からこの美少女の容姿を脚の先から髪の艶、果てはうなじに隠れたあの子の黒子まで余すことなく」
「飲み干しちゃいます。最後のは物凄い気になりますが、一杯どころか樽を飲み干す羽目になりますから」
「……はぁ。だから、『語り手』は苦手なのよ」
「……やっぱり普通に話すわ。今は校閲してくれる司書もいないし」
「そうしていただけると嬉しいです」
「……氷雨や、あなたのようにはいかないわね」
ルッカはため息をついた後、演技ぶった声を戻すための咳払いをして、僕の方を再度見つめた。
「まぁ……私たち姉妹は、物心ついた時からこの屋敷で暮らしていたの。私たちと……母の三人でね」
「父親は?」
「知らないわ。少なくとも、私が記憶している限りは」
「曖昧な言い方ですね」
「人生に関わらない人間の認識なんてこんなものよ。ただ……私の母を一言で表すなら、『狂人』という言葉が一番似合うと思うわ」
「『狂人』。ですか」
僕は、紅茶を一口飲みながら、彼女の呼称を反芻した。
「そ。『狂人』。目的を達成するためなら、手段も、方法も選ばない、そんな人間に見えたわ、丁度、眼の前の旅人みたいに」
「……」
「ふふ。別に罵倒したいわけではないわ。だって、『あの女』と、『月詠夢』では決定的に違うところがあるんだもの」
「どの部分が、ですか?」
僕は、質問をした。それを聞いて彼女は、自身の胸に手を当てて答えた。
「それは……愛情よ」
「愛情?」
「そ。と言っても、別に生物学的な繫殖本能に基づいたものではない、抽象的なものよ。誰かに笑顔になってほしい。手助けになってほしい。そして、誰かの生きがいになりたい。そんな誰かのことを救いたいという感情。言葉として表現するなら『博愛』や『思いやり』といった感情かしら」
「……そうでしょうか?」
僕は、『わるいこ』だ。一人の女の子を助けるために、盲目的に進んだ結果、大多数の人間を殺したのだ。
「あくまで客観的に見れば、ね。結果的には自分の手で、あの女の子と同じ年頃の人を殺したけど、あなたはとても優しい人間に見えたわ」
「……?」
「理解していないの?本当に……盲目ね」
呆れたように、愉快そうに、彼女は言った。
「あなたは、『子供しか残っていない村』から、逃げ出すことだってできたのに、それをしなかったじゃない。一人だけ連れて無視することが出来たのに。十八回も、苦しむ必要は無かったのに」
だが、その言葉はどこか、称えているようにも聞こえた。
「はぁ……あなたや、氷雨みたいな親だったら、どれだけ楽だったでしょうね。まぁ選べないものをどうすることは出来ないけれど」
……確実に僕達よりいい親になれそうなメイド長がいるが、気にすることなく僕は聞き続けることにした。
「とりあえず、話から逸れすぎたわね。とにかく、あの女は本当に酷い奴だったわ。姉である私のことを『運命の子』だか、なんだか言って優遇しておいて、妹には『失敗作』なんて言い方で無視をしたり、酷い時は数日閉じ込めたりもしていたわね」
「それだけ聞くとルッカさんだけに偏愛を抱いていたように聞こえますが」
「ええ。愛されていたわ。『私の能力』を、『道具』としてね」
「……魔術師の鑑ですね」
「でしょう?何度信じても、何度抱きしめても、『あの女』は私の事を邪険にしていた。そうね……例えるなら、実験中に無駄な動きをするマウスみたいな感じに、ね」
自嘲気味に、彼女はため息をつきながらクラッカーを見つめた後、ぽりぽりと食べた。
この食べ方ならせっかくのドレスを汚してしまいそうなものだが、彼女はクラッカーの欠片を零すことなく食べており、むしろ上品ささえ感じさせた。
せっかくなのでこちらも食べてみる。塩気がちょうどよく、紅茶にも合う代物だ。
「美味しいでしょう?」
「はい。ちょっと端辺りが苦いですが、それもアクセントですね」
「ふふ、そうね……このくらいの焼き加減が、口直しに丁度いいのよ」
「確かに。ただ、もう少し早く出会いたかったですね。何処の店のものですか?」
「強いて言うなら……ここ?」
そう言って彼女は、少しだけ張った自分の胸を指差した。
…………
「……何?急に執事っぽい顔して」
「えへへ、どんな顔ですか?それ」
「それよ、それ。成長をしみじみと実感するような顔。まだ、働いて二週間も経ってないのに」
「……ちゃんと、お姉様も年頃の女の子なんだなって」
くすりと笑うルッカを見て、僕は頬杖をつきながら、もう一口クラッカーを食べてみる。
「あら、態度がなっていないですわ」
今度のクラッカーは、なんだか甘みを感じられた気がした。
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