5日目? 平穏と

 バキ──


 っが……」

 次の『切り替わり』は、身体の倒れる衝撃と、喉の圧迫感から始まった。

 急激な痛みを感じた僕は、軽く呼吸がみだれる。

 何が起こったんだ?

 僕が『心(声)』を発した時、吐息が当たらんばかりの距離で、静かで、淡泊な声が耳へと届いた。

「その反応をするって……ことは、お嬢様の言うことは正しかったんだね」

「けほ。挨拶にしては……熱烈ですね。セッカさん」

 右膝の軽い接触感覚。左足の下腹部の痛み。腹部の圧迫感……

 そして……僕を明確に窒息させるための小さく、可愛らしい手から発される圧迫感……


 なるほど。『四日目の昼』の体験は、このタイミングだったのか。

「……覚えないといけないことがまた……増えたんだね」

 心底嫌そうな顔で、眼の前の猫人は僕を睨んだ。

 ただ、腕の力を強めるのは勘弁してもらいたのだが。


 至近距離から見えるセッカの瞳孔は、人の物と言うよりは、猫に近いものになっている。

 ……怒っている時の猫の瞳のように大きく丸いものとなっているのは、決して部屋が暗いことだけが理由では無いようだ。

「……僕、そんなに怒らせるような事をしましたか?」

「さぁ……今のあなたはやってないと思うよ」

 ……そういえば、同じ説明を何回もしているんだったか。

「……八回」

「あんまりツイていないんですね、セッカさん」

 ぎりり……

「あぐぅぁ」

 喉奥に残された空気の塊が押し出された。

「絞めるよ」

「きゅ……お。い……痛いです。絞めた後に、かは。言わないでください」

「少し待ってて。やり返す理由を……思い出したから」

 彼女がそう言って、絞める力を強めた時。ラムネのように爽やかな冷たさを感じさせる自分の身体から、手指の生温かさを感じた気がした。


 彼女が一滴の汗を流した時、圧迫感は急激に収まった。

「ありがとう……もう……満足したから……」

 軽く息を切らすセッカさんを見ながら、僕は、いつもよりも深めの呼吸をゆっくりと行った。

 空気に含まれる酸素を、できる限り吸収できるように取り込み血液に循環させ、吐き出した後、また同じように吸いなおすことを数回。

 眠気に近くもあり、遠くも感じる暗闇の靄は少しずつ晴れていき、セッカの姿がはっきりと見えるようになった。

 彼女はまだ、肩をほんの少し上下させながら、いつも通り何を考えているかわからない無表情で僕方を見ていた。

 ……乱れた上着のパーカーの隙間から、無防備なうなじを僕に見せつけながら。

「もう一回……絞められたいの?」

「まさか。別に僕は首を絞められるのも、絞めるのも趣味ではないですから」

「その割には……抵抗もしなかった……けど?」

「まぁ、二日前……?に、セッカさんの主に同じようなことをしましたからね。お互い様です」

「……お互い様?」

「逆の立場の時、セッカさんがしないとは限らないでしょう?」

「……だから、お嬢様にこんな奴つまみ出せって……言ったのに」

 息も整い始めたようで、彼女はいつも通り辛辣な言葉を僕に浴びせかけてきた。

 ……この雰囲気が一番しっくりくるな。

「……やっぱりツクヨムは変態だよ」


 お互いの息が整ったのを認識した後。僕はセッカに対して……

「質問したいんでしょ。早く……して」

 では、質問させていただきますよ、セッカチさん。

僕にはまだ、色々と分からないことが……

「……あれ?」

「……」

 下から覗き込むように、考え込む僕のことをセッカさんは見てきた。

 こくりと、彼女は首を傾げる。

 その後、彼女は察したように少しだけ、口角を上げたような気がした。

心が読める彼女なら、僕が陥っている状況をもう理解しているのだろう。

「……ないんでしょ」

 彼女の言葉に、僕は黙って頷いた。

「はい。よくよく考えたら……セッカさんにする質問が無いんですよ」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る