5日目夜 空っぽのカップ

 ──バキ


 違います」

「えぇ、その通りよ」

 ……もはや変わる余韻すら与えてくれないのか。

 ルッカは、僕の自室で夜のティータイムを開いていた。

 今まで横になっていた体勢は、縦に……いや、ルッカ様とのお茶会中に立ち上がっているのか、僕は。

 漂う香りと、口の中の余韻から類推して、今日の紅茶はミルクティーか。甘い後味に紅茶の爽やかな感触が心地よい。

「ある意味『違う』状況ですね」

 とりあえず、僕は空の椅子に腰をかけた。ほのかに温かみがあるが、これは自分の体温であることは、馴染みある感触で理解できた。

「……『変わった』のね?」

「はい、今は何日目ですか?」

「二日目……いや、『私があなたの状況を知った翌日」っていう情報の方が整理しやすそう?」

「はい、助かります」

 なるほど、『五日目の夜』という表現が正しそうだ。

「冷静ね」

「え?そうですか、結構脳の処理が大変なので、混乱しているように見えると思いますが」

「妹とのコミュニケーションに難儀しているときの方が、よっぽど大変そうに見えたわ」

「それはそうですよ。僕は、コミュニケーションが苦手ですから」

「私たち姉妹を押し倒しておいて?」

「あれは……ちょっと情緒が『壊れてた』だけですよ」

「『壊れていた』ねぇ……」

 軽くため息をついた後、ルッカ様は一息に紅茶を飲み干していた。


「……お疲れですね」

「おかげさまでね」

 彼女は紅茶を注ぎ、再び紅茶を飲み、加えて欠伸までしていた。昨日はよく眠れなかったのだろうか。

 まぁ……こちらも同じようなものだが……身体は起きたてのように倦怠感に溢れているが、頭はある程度働いている。

 『記憶と現実時間の混濁』は、肉体にまで影響するのか……別に走ったりしないから問題はないが、違和感が激しい。

「……あなたは本当にすごいわね」

 僕が考え事を強いている間、彼女は、ただ僕を観察していた。

「何がですか?」

「強いて言うなら……『何もかも』かしら」

 僕は、彼女を見る。

 彼女もまた、テーブルを挟み、僕の目を既に、刺さるほど見ていた。

「『普通』こんな意味不明な状況になれば、よくてパニック状態、悪ければ精神を『壊す』人だっていたというのに」

 彼女は、席を立つ。

 僕に目を合わせたまま、フリルの付いたドレスをたなびかせ、優雅に、こつこつと一定のテンポを刻んでいた。

「あなたは一瞬の動揺を見せた後に、淡々と、まるでそれがなかったかのように問題を冷静に分析し、それが『普通』かのように対処している」

「……誰だってできることですよ」

「そうね、誰だってできることよ。机の上、頭の中、口の先、ならね。実行に移せるのはほんの一握り。でも、そんな一握りの中でも、あなたは群を抜いているの」

「……お褒めいただき、ありがとうございます」

「私が言っているのは事実。謙遜はしないタイプだから」

「……じゃあ、聞かせて下さい。どのあたりが『壊れて』いるのか」

 足音が止まった。

 僕は眼前に立つルッカ様を見上げた。

 分かっているくせに。そう言わんばかりに、不敵に笑みを零しながら……

「それは……『ここ』よ」

 眼前に広がる琥珀の瞳の持ち主は、僕の心臓の上を触った。

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