4日目夜 「どうして『普通』でいられるの?」
「……」
「今日は、趣向を変えてハーブティーにしてみたけど……カモミールは苦手?」
「いえ、紅茶に不服はありませんけど……」
毎晩ティータイムのお誘いをするのは、もはやデートになるのでは?
喉奥までひっかかった言葉を紅茶と共に飲み込みながら、僕はルッカ様が用意した椅子に座った。
「今日はそこまで喉が渇いていたの?」
「えぇ……少し疲れることが多かったので」
「……そうでしょうね。あなた、やけにぼーっとしていたもの」
「……」
少しいただけないわ。そういわんばかりに手のひらを空に向ける彼女は、妙に余裕そうだ。
体感数時間前の彼女と同じ人とは思えない反応だ。
……音も鳴っていないから、まだこの日は一日目……いや、『四日目』としておこう。
最も信頼できる時間が僕にとって正確に認識できないなら、いつかも分からない夢を見た時を基準にした方が分かりやすい。
「……不思議ね」
「何がですか?」
「いつもなら、その良く回る頭で私を納得させる弁論を展開させるというのに、舌どころか口一つも動かさないじゃない。」
「そこまでおしゃべりなつもりはありませんが」
「そう?五万字くらい喋っている印象だったけれど」
「妙に具体的な数字ですね」
「そんなもんでしょ。それで?何を悩んでいるの?」
「……悩みを話すべきか悩んでいます」
「へぇ。それは深刻ね」
「そこまで深刻に見えますか?」
「えぇ。薄氷を見つめているみたい」
「なら、もう少しだけ考えてを整理させてください」
「えぇ。時間は、たっぷりとあるもの」
「……そうですね」
……よかった。この日は確実に『四日目』だ。
僕がそんな表情をしているなら、もう少し共感の言葉を彼女の皮肉交じりの口でかけるのだから。
ただ……問題があるとするなら、これが分かった所で、『僕が体験している状況を彼女が信じることができるのか』ということだ。
『記憶と現実時間の混濁』。ルッカ様が伝えたこの情報が事実だとするなら、少なくとも今の時系列は、自分に起こっている状況を認識していない状態。つまり今日が『四日目』であり、異変の始まりのタイミングということになる。
……無理だな。
逆の立場で考えた場合、「ちょっとぼーっとする時間が増えて始めている執事」が苛まれている問題なんてものはせいぜい「寝不足」や「集中力の欠如」程度の処理だ。
水を作ったり、気象をある程度変化させたりするようなことは、魔力と準備さえあれば容易だが、常識的に考えて、『時計の針が不規則に変化する』ようなことなんてどうやって信じてもらえば──
「迷っているわね」
声が、真上から飛んできた。
いつの間にか彼女は、横向きに座る僕の正面に立っていたようだ。
普段は撫でやすいくらいにある頭の位置関係が逆転しており、この角度で見る彼女の姿はまさに、『屋敷の主』といった佇まいだ。
「ふふっ……見惚れ人を間違えているんじゃないの?」
琥珀の眼で、にやりと笑いながら、僕に視線を合わせた。
はぁ……言われなくても分かっていますよ。
「進まなくなった時、あなた方を見ろ。ですよね」
「いい眼ね。震えも無くなっているじゃない」
心底嬉しそうに、ルッカ様は手を伸ばすと……
「んぅ……」
まるで、子供を褒めるように、優しく頭を撫でた。
……僕の身体はここまで張りつめていたんだな。
「ふーん。そうだったの」
状況を説明した後に見せた彼女の反応は非常に淡泊だった。
「軽いですね」
「軽い、ね。まぁ、『辞めた人達』も同じ症状を訴えていたもの」
いつもの事だが、僕は考えすぎるせいで、状況を複雑にしすぎてしまっていたようだ。
よくよく考えれば、僕以外にもフィリア様の事をお世話していた人間が複数いるのなら、僕と同じような症状訴える人がいるのは当然の事だ。
まぁ、そんな単純な話ではないのだろう。
「ただ……」
何かを考えるように、彼女は伸ばした人差し指を顎の下に乗せていた。
「ただ?」
「『いつ気が付いたか』、には興味があるわ」
「いつ……ですか」
「そ。いつ、気が付いたか。遅かれ早かれ、あの子と付き合っていく以上どうしても起こってしまう事象だけど、思ったよりこの現象が起こるのが早かったから、少し気になったの」
「早いんですね」
「えぇ。よっぽど気に入られているんでしょうね」
紅茶を飲みながら、彼女は誇らしげに右の掌を軽く上に向けた。
私の見る目は間違いなかった、とでも言いたげな態度だ。
「それで?時間を教えて貰ってもいい?もちろん時系列がずれてしまっている以上、正確な時間が測れるわけでは無いから──」
「九時間四十八分前」
「……なんて?」
「書庫の整理で六時間二分、読み聞かせで一時間三十七分、料理を出して、ルッカ様に合うまでの時間が二時間と、九分で、九時間四十八分前に分かりました」
「……少し待ってて」
彼女はポケットから紙を取り出し、そこから手帳とペンを取り出した後、「続けて」と情報提供を促した。
僕は、できる限りの情報(料理は除く)を提供すると、彼女は驚いたような表情で僕を見てきた。
「……今までいろんな情報を元従者達から貰っていたけど……ここまで正確に情報を提供してくれたのはあなたが初めてね」
「へぇ……よっぽど能天気な元旅人ばかり来ていたんですね」
「あなたを基準にすると、これ以降の従者は雇えなさそうね」
「まさか。僕よりすごい人は沢山いますよ」
「謙虚ね。嫌いではないけれど」
「相談してくれありがとう。あなたも仕事が慣れてきたみたいだし、毎晩あなたに会うのは……今日までにさせてもらうわ」
資料を取り終わったのだろうか、書き記した手帳を魔法陣にしまい、部屋からようと、席を立った。
僕より少し年下くらいの見た目、というと実感しにくいが、学校に通うような年齢でここまでの仕事ができる彼女の方が、僕よりよっぽどできる人間だ。
「そうですか、無くなったら無くなったで、寂しくなりますね」
「ふふっ、時間があれば呼びなさい。いつでも最高の茶葉を用意しておくわ」
「あはは、期待しています」
にこやかな会話を交わしながら、情報をまとめた彼女を……
いや、まだ報告するべきことがあるか。
「あ、すみません」
「ん?どうしたの」
「一つ伝え忘れていたことが」
「どうしたの?」
「今日含めて三日間だけは、ここに来てもらってもいいですか?」
「いいけれど……どうして?」
「今日から『三日間』だけ、完全にランダムで時系列が動くみたいなので、一定の時間で来てもらえた方が……ルッカさん?」
何の気無しに言った一言だった。
「……みっ……か……?」
それが、彼女の目を見開かせ、動揺を大きく与えたのだ。
「……あなた。あの子に、どんな──パキ
あの音が鳴った。
『切り替わり』の時間だ。
彼女が僕に何かを伝えようとしている。必死で、明らかに語気を強めた態度で、口を動かしていた。
僕は最悪のタイミングで、最も重要な情報を聞き逃したことを理解するのに.
そう時間はかからなかった。
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