4日目? 飛ぶ記憶/二回目の読み聞かせ
眩暈と共に、締め付けられるような頭痛に襲われ、僕はその痛みの先を反射的に指で押した。
甲高く、楽器のように響くガラスの反響音。
少し前から聞こえていた『あの音』だ。
最初は耳鳴りのようなものだと思っていたが、勘違いじゃない。今、この瞬間確実に鳴った
ものだ。
目を開けると、セッカが驚いたような表情をしていた。
恐らく誰がどう見ても、『驚いた』という表現をするであろう目の開き方で、僕を見ていた。
彼女は、知っているのか?
この音の正体を、この音の存在を。
僕は、隣にいるセッカさんに伝えようと口を動かし──パキ
「 」
……声が、出なかった。
「……そっか。もうなんだ」
いや、違う。自分の声が認識できないのだ。
僕には、自分の声が聞こえなかった。
だが、彼女は反応して僕の声に反応し、僕を視てきた。
彼女の名前を発するために、喉を震わせ、音を発する行為は正常に機能しているのだ。
なら、別の手段で話すことにしよう。
──セッカさん。聞こえますか。
彼女は、ゆっくりと頷いた。
僕の心理は聞こえているようで何よりだ。
──ピシ
「 ?」
ただ、今度は音が認識できなくなった。
い・お・え・う……「聞こえる?」か。
はぁ……頭が痛いなぁ……今日は天気がいいのに。
「 」
今、そこを考えるの?って感じの顔をされてしまった。
──パキン
ただ、そんな彼女の呆れ顔にも、安堵するようにも見える表情が、暗転する前に見える最後
の視界だった。
「……ぇ。ねぇ、大丈夫」
ぎりぎりと、脳を麻縄で締め付けるかのような苦痛の中、見える景色と音は、先ほどとは大きく異なっていた。
代わりに映ったのは、散らかされた玩具と絵本に、異様に暗い室内。
「……生きてる?」
そして、歯の隙間を通り抜ける鋭い息を吸ったフィリア様の深刻な表情と、一言がそこにあった。
「割れそうです」
痛む頭を抑えながら、僕はなんとかお嬢様に返答をしたが……まだ彼女の表情は変わることなく、むしろ涙を流してもおかしくない程に目が潤んでいた。
何というか……感情がおかしくなりそうだ。
例えるなら、喜怒哀楽をスムージーにして、困惑の果実を乗せて飲み込んでいるような感覚だろうか。
僕に対する心配の気遣いやら、頭の痛みのストレスやら、泣きそうな顔やら何やらが一気に押し寄せているのだ。
これが意識を失った直後十数秒は脳が処理に追いつかないに決まっている。
……こういう時は、深呼吸だ。
僕は残る息を吐いた後、脳で六を、後に十二を数えた。
お嬢様のベッドに腰かけたまま口に、肺に、腹部に、脳に酸素を伝え、その半分の速度で全身の緊張ごと抜き取ると、自然と僕の心拍の速度は普段のものになっていた。
……頭はまだ締め付けられているが、これは仕方がない。
「外は雨ですかね」
「……わからない。外、ずっと見てないから」
なんとなく呟いた一言だったが、フィリア様は少し寂しそうに顔を伏せてしまった。
失言だったなぁ。
彼女にとって、外の世界は絵本以外で見るのはずっと昔のはずだから。
「……気にしないで」
しかもお嬢様に追加のお気遣いまで頂いてしまった。気まずい土産物だ。
「覚えてる?」
ある程度頭痛も和らいで来た頃、フィリア様はまた、僕に話しかけてきた。
「……?」
いつの話をしているのだろうか。少なくとも僕が働いていた数日間の記憶の中に思い出になるようなことはして……いや、割としているか。押し倒したり……泣いたり……
そんなことを考えている間も、ただ彼女はじっと僕の方を見つめていた。
……どきどきする。
普段は暗く、仕事をしない照明は、今日に限って部屋を良く照らしているせいで、彼女の可憐な僕を見つめる顔を必要以上に映しているからだ。
なぞりたくなるウェーブがかった青髪、不安そうにも、誘うようにも見える表情は、茶化したがりな僕の感情を落ち着かせ、不純にも清純にも感じられる真っ直ぐな感情へと否が応でも変貌させてしまうものだ。
──パキ
何より、この瞳だ。
吸い込まれるかのような紅の瞳は、何かを期待するように、求めるように煽ってくるのだ。
「何をですか?」
一つ問題があるなら、彼女の瞳が求めるその答えに応えることが出来ないことだが。
そのまま、照明の火が失われるように、普段通りの深紅の暗さへと戻っていった。
悪手と知りながら聞いてみたが、人形を抱えた彼女は、少しの間僕の方をじっと見続けるだけになってしまった。
「……そっか、仕方ないよね」
ごめんなさい、と言って振り返り彼女の抱く力が強くなった。
ツギハギで、今にも壊れてしまいそうな熊の人形。
「……大事な人形なんですね」
それを見て、なんとなくまた漏れた一言が彼女の締め付ける力を緩めた。
「お姉様が……昔くれたから」
「それは、大切にしないとですね」
「……うん」
顔は見えなかったが、お嬢様がまた笑顔を見せたような気がした。
「そうだ、雨が降っているかも気になりますし、外、見に行きませんか?ちょっとくらいなら許してもらえますよ」
「……そう、やってみたら」
「意外ですね、『……無理だよ』とか言うと思ったんですが」
「外、見るくらいなら、お姉様は許してくれるから」
「これまた意外です。てっきり部屋から出られないのかと」
「……私も連れて行くの?」
「じゃないと『行きませんか?』なんて言い方しませんから」
そう言って、僕は笑顔
「後でね、それよりも……」
僕の隣へと座り、一つの本を手渡した。
そういえば、明日から読み聞かせしろとルッカ様に言われていたな。
僕は、渡された絵本を手にとり内容をぱらぱらと読み進めると……
「どうしたの」
違和感を覚えた。
そうか……ズレてるんだ。
僕は三日記憶を失っているはずなのに、彼女が渡した絵本は、前に読んだ本の続きだと思われる内容だった。
「早く。読んで」
「……はい、すぐに」
彼女は、期待するように僕の引っ張りやすい袖を引っ張って催促した。
まぁ、この違和感に時間をかけても何か現状が変わるわけでもない。
僕は、少しざらついた本のページを開きタイトルを
──パキ
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