3日目昼 包む雨
はぁ……「はぁ……」一つ溜息。
せっかく戻った体勢も、うつ伏せにまた逆戻りだ。
約四十時間分の思考の疲れがどっと来ていてもう立ち上がる気にもならない。座ってるけど。
徒労というものは、何回くらっても気分が沈んでいくものだ。
「……」
「……」
あれ?なんかすごく静かだ。(図書館です)
さっきまでの氷雨さんが、「図書室では静かに」という張り紙に喧嘩を売るレベルで、悩んでる僕に対して一方的に話しかけていたから、今回も何か話してくると思ったのだが……
……顔を伏せたまま、ほんの少しだけ前を見てみる。
「……じーっ」
「……」
すっごい見てる。ただただ僕の方を見ている。これはどういう感情なんですか?
探求心とか、心配そうとかそういうのすら見受けられないような、呆けているような表情で僕の方を見ているだけだ。
こういうところはセッカさんと似ている。いや、『
……こうやって見ていると、氷雨さんも美人だな。
いや、話している時は、少し幼めな顔なのも要因だが、ほんわかとして掴みどころのない雰囲気があるからそう見えないだけで、読書の姿とかは、何故か付けている丸眼鏡も相まって知的な部分もある。
この人、むちゃくちゃ視力いいんだけどな……
大人の雰囲気、というのが的確なのだろう。顔が整っているのはこの屋敷の女性の前提なので省くが、彼女の持つ青い、蒼い空のような、海のような瞳と手入れされたブロンドカラーの長髪は、包容力を感じさせる。
なんだっけ……旅先でこういう雰囲気の表現として的確なスラングがあったような……
「……ぁ」
やば、気づかれた。
氷雨さん、優しい笑顔で手を振らないでください。
死人が出ます。
正直、フィリア様に出会っていなければ、僕は心惹かれていたかもしれない。
弄ばれているようで悔しいが、これが事実だ。
とりあえず、今更過ぎるのだが、顔を完全に伏せて何もなかったことにしておこう。
「ふふ……かわいいなぁ」
あー、きこえませーん。ぼくはなにもみてませーん。
こういう時は別の事を考えよう。
お嬢様の髪は甘くていい香りお嬢様の手は細いけどきめ細やかで柔らかいお嬢様の眼は不快だけど引き込まれる火傷しそうなほど紅いお嬢様のー……
うん。落ち着いた。
はぁ……この屋敷に入ってから、僕の感情はあまりに多動的だ。
どうしたんだろう。僕。
今、すごい幸せだ。
だって、人と話すことが出来るのだから。
一人だったのに、いろんな声に囲まれてる。
ただ……漠然と生きていただけの僕には勿体ないよ。
でも……あの子は。フィリア様はつまらなさそうだ……
この日常を……『 』に……なんで……
「ぅぅう……んぅう……」
……?
そうか。うつ伏せになった拍子に寝てしまっていたのか。
まぁ、仕方がない。二日間眠っていなければ、ふとした瞬間に寝るのも普通のことだ。
ただ、僕は机の上で突っ伏して寝ていた気がするが、体勢は横向きで、ベッドの上で寝ている感触がある。
氷雨さん。わざわざ僕を転移してくれたのか。
……まるで、本で読んだような展開。友人、先輩的な気づかいだ。
実はこういうものにほんの少し憧れていたので、人生の小目標を達成できたような満足感まで感じられ……
「んー?起きたー?」
……ん?ちょっと待て。声?
耳に入ってきた情報を脳が認識したその瞬間、寝ぼけ眼(まだ目は開けてないが)だった僕の意識が一気に覚醒するとともに、僕の触覚が、今の状況を克明に描き出した。
僕が頭をのせている「それ」は枕ではないということを。
氷雨さん、割とロマンティックな本が好きなんだな……
僕はゆっくり息を整えて目を開く。
「おかげさまで、ぐっすりでした」
「そっかー。うれしいなー」
氷雨さんの笑顔は、視線を動かすことでようやく見ることが出来た。
「それで、前にいた執事たちにもこんな感じの事をしてたんですか?
おそらく、人生で一割以下の人間しか味わえないであろう感覚を堪能しながら、ふと浮かんだ言葉を投げかけてみた。
「まさかー。たまーに、ゆきにやるくらいだよ。私、そんな安売りする人に見える?」
これは、ゆきはちょっと嫌がるんだけどね。と言いながら、軽く頭を撫でられた。
ちょっと火力が高いな……流石にドキドキする。
セッカさん以外だと誰も受けたことのない待遇か……優越感にも浸れるな。
「それにさ、キミって顔立ちは女の子っぽくて可愛いからさ、あんまりこれをやっても抵抗感ないんだよね」
「僕のことペット扱いしてません?」
「ううんー。可愛がってるだけ」
やっぱり愛玩対象(ペット)じゃないか。
「で、感触はどう?ゆきには『顔が見えない以外……完璧』ってよく言われるけど、キミの意見は?」
「概ね同じですね。ただ……意外と締まってるんだなって。研究職の方だからもう少し柔らかいのかと思ってたので」
「……二日間の努力が無かったから、キミの寝床は永久に床になってたかもねー」
声のトーンそのままなのは止めてください。むちゃくちゃ怖いです。
「それは……悪夢が見れそうですね……」
「……これでも運動が趣味だし、魔術師は戦闘訓練もするからね。それと……流石にフィルちゃんには……こんなことしてないよね」
「流石に弁えてます。ドン引きしないで下さい。おねがい」
「ごめんねー。一瞬怖くなっちゃって。こっちも冗談だよー」
冗談にしては、声に殺意すら籠ってましたよ?
「ただ……締まってるって言ってくれたのは助かるかも」
「どうしてですか?」
「いや……この屋敷の子たちってさ……びっくりするくらい可愛い子だらけだし……ちょっと油断すると釣り合わなくなるんじゃって心配で……」
うん。すっごくわかる。特にあの姉妹は顔面だけで一つの国を滅ぼせる。
「……やっぱり僕も、美容とかに気を付けた方がいいですかね」
「え?」
「え?」
少しずれて氷雨さんの顔を確認してみる。
「……ここにも無自覚ちゃんがいた……」
呆れたように頭を抱えていた。
僕も向こう側に判定されたようだ。
「そういえば。これ、いつまで続くんですか」
くせ毛を氷雨さんにクルクルと回されながら、僕は答えた。
普段、無意識的にしている癖を他人にされるのは、変な気分だ。
「んー……私が満足するまでーかなぁ」
「そろそろ、お嬢様のティータイムの時間が近づいてると思うのですが」
「そうでもないと思うよー」
のほほんとした言い方だ。
だが、彼女の言う通りで、時間を懐中時計で確認しても、そこまでの時間が経っていなかった。時間と言うものは不思議だ。さっきまでうんうんと悩んでいた時間の方が、体感的にはあっという間だというのに。
「そうですね……なら、僕もくつろがせてもらいます」
こういうのを据え膳と言うのだろうか。寝ることが好きな僕にとっては断る必要性もないので、軽く寝返りを打ち、できる限り周りを暗くしてまた眠ることに……
「……あれ?」
「んー?どうしたの」
あ、待った。言ったらダメな──
「氷雨さんの匂い、変わりました?」
「……」
沈黙は一瞬だった。
その後、僕は一瞬で床に打ち付けられたことは言うまでもないことだろう。
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