3日目昼 氷雨と烟月(えんげつ)

「うううぅぅ……あぁぁぁ……」

 ルッカ様に怒られてから二日経った頃。

「それでー?思いついたの?」

「全くですうぅぅぁあ」

「図書室では静かに、だよー」

 僕は未だにフィリア様との接し方に関して悩み続けていた。

 勿論、闇雲に方法を悩み続けた訳ではない。一応、昨日に関しては、いろいろな手を尽くしてフィリア様に話しかけてみた……

 

 が、失敗だらけだった。

 自分の思いつく限り、頑張って気を引くような自発的行動は行ったつもりなのだが……

 基本的に無視されるか、「五月蠅い」の一言による一撃が彼女の基本攻撃だということが判明し、僕の心はボロボロになった。

 それが、昨日の収穫だ。

「人に興味を持たれるって難しいんだなぁ……」

「あははっ。そんなに気にしなくてもいいよー。ここでフィルちゃんの執事してた人はみんなこうなってたし」

 机にうつ伏せになったまま、顔だけ上げると、氷雨さんはにこにこと可愛がるように僕を観ていた。相変わらず綺麗な顔にふわふわしたとした物言いで、バリスタみたいな言葉を撃ってくる。

 何なんですか、その「あー、あるあるー」みたいなさ、風物詩みたいな顔さぁ。

「……それ、僕が失敗する道筋辿ってることになるじゃないですか」

「え、うん」

 風物詩だった。

「……そんなに?」

「しかも、いつか記憶から消え去るレベル」

「そんなにですか?!」

 しかも、アウト寄りのアウトだった。

 脱力感がより強くなってきた……このままだとルッカ様の言う通りの状態だ。

 せっかく『平穏な生活』の欠片を手に入れた感覚があったのに、これじゃあまた不安定な旅の生活に逆戻り……いや、そもそも元の生活に戻れるのか?

「無理ですよ……この屋敷の外に出されたら、どうやって生きればいいんですか?」

「あははー、だろうねー。この屋敷の快適さを知ったらもう抜け出せないもん」

 その理由の八割を占める魔法使いが、僕をつまみにコーヒーを美味しそうに飲んでいた。

 今日のコーヒーは一流貴族でも飲む機会が少ない高級品……らしい。銘柄や品種を言われてもピンとは来なかったが、「分かる人には分かる」ものだそうだ。

 まぁ……確かにいい香りかもしれない。

 本日は快晴、天窓から吹き込む春風と、本特有の優しい香りに混じるこの匂いは、考え事に丁度いい。

 これが、彼女の開発した魔術『転移魔法陣』から取り出したものでなければだが。

「今日はコーヒー飲まないの?キミの分も一応用意はできるけど……」

「……流石に盗品を飲む気には」

「気にしなくていいよ、これに入れた時点で『私のもの』なんだし」

 まぁ……こういうことだ。

 『転移魔法陣』。本来は盗難対策として魔法陣一つ一つにロックが掛かっており、空の

 魔法陣に何か物を入れる際は何も起こらないが、入れたものを取り出すときにだけ、『何か特殊な手段』を用いて取り出す必要がある。

 昔、彼女の論文を流し見で読んだ時、専門用語だらけで、原理も理論もほとんど理解できなかったが、端的に言えば物を取り出す際、登録していない人物の魔力以外では『解錠』することが出来ないようなのだ。

 この『特殊な手段』こそが、この魔法陣が世界の輸送手段の九割以上を占める理由だが……

「ホント……なんで原則本人しか取り出せないはずの魔法陣から物を取り出せるんですか……」

 なんと開発者本人は、その手段を無視して、自由に物品を取り出せるのだ。

 いや、できるのだ。じゃねーよ。圧倒的な安全性が評価されているから使われているのに開発者本人が信頼性ガン無視して無法行為やってるじゃねーか。

「んー。自分の部屋から物を取り出すのは当たり前のことだから……みたいな?」

「なるほど。これ、禁止すべきですね」

「だねー」

「でも、納得はできますね。つまり、氷雨さん的には『自分が開発したものだしー。勝手に入れたものなんだから勝手に使ってもいいよねー』ってことですよね」

「うんうん。それにしても、喋り方真似するの上手だねー」

「どういたしまして。僕、法律はあんまり知らないですけど、この行動がなんらかの法に触れているという確信は持てますよ」

 ちなみに、『転移魔法陣』が刻印された紙を破壊すると、収納したものは二度と取り出せなくなるので、基本的には『器物損壊罪』よりも重い刑罰となっているし、転移する物体によっては死刑や国外追放などもある。(どこかで来訪した国では『転移物損壊罪』だった)

「そうだねー」

「そうだねー、ですまないでしょ。流石に指で解錠するモーション一つでできる行動にしては被る罪が多すぎません?」

「そういえばさ、キミが行く予定だった国は、国家公認の魔術師(研究者)になるためには法律が必修科目なんだよー」

「なるほど、弁護士代はいらなさそうですね」

「私はそもそも裁けた時期もあったけどね」

「終わってますね、その国」


 七度の溜息と、四度の声にならない、押しつぶすような呻く音を発した頃、それまで無言で本を読んでいた氷雨さんが、また話しかけてきた。

「それだけ悩んでも出ないなら、もうだめだよ」

 ……彼女の言い分はもっともだ。

「それでも、何とか捻りださないといけないことなんですよ」

「そんなにしてまで悩むことなの?」

「え?」

「あー、気が付いてないんだ」

 そう言うと、氷雨さんは、かちりと鍵を開け、空中に現れた手鏡を僕に手渡した。

 映る僕を見てみると、隈ができており、右髪の癖毛も普段より跳ねていた。

「ね?自分が思っているより悩んでいたでしょ?」

「なるほど……そりゃあフィリア様が大丈夫?って聞くわけだ」

 人生でここまで思い悩んだことが無かったから、ここまで感情が見た目に現れるなんてことは考えもつかなかった。

「ふふー。その理由がキミに一途に想われてるからだとは思ってないだろうけどねー」

「……?ちょっと語弊がありません?その言い方」

「えー、全くないよ。だって、フィルの事が好きだからここまで考えてあげてるんでしょ」

 はぁ……この人はいつも突然僕に動揺を誘うのが上手だ。

 だがそのくらいで驚くことは無い。

「……否定はしません。でも、あくまで僕は執事の責務として割りきってぐぅっ」

 痛い……立ち上がろうとしたら机に手をぶつけてしまった。

 あー……堪えている。頑張って笑いを堪えてくれている。

 正直思いっきり笑ってくれた方がまだ助かったが、余計に顔が熱くなってきた。

「……ふぅ。わ、私としてはちょっと不健全な位がいいと思うけどなー」

 ここで遂に氷雨さんは耐えられなくなり、顔を伏せてぷるぷると震え始めた。追い打ちである。

 できるなら、少し前の時間に戻って動揺し始めの僕をぶん殴りたいところだ。


「それにしても若いねー。お姉さん、ちょっと羨ましいよ」

「そんなこと、言う年じゃないように見えますよ」

「えへへー、この屋敷だと最年長さんだからね」

「なら、若者は無理をしてでも苦労を買いますよ」

「だからこそ、私は無理は止める立場なの。唸るだけで浮かぶなら、この世のあらゆる問題は解決しているはずだから。そもそも、キミの方こそ見た目より年を取ってるように見える気がするけどね」

「年齢なんて飾りですよ」

「その通り。結局、体が育っていても、子供みたいな人間なんていくらでもいるからねー」

「いい言葉ですね」

 ふと、時計を見る。

 なるほど、ここに来てから一時間程悩んでいたのか。

 体勢を整えために伸びをすると丁度僕が寝そべっていた場所の隣に、冷水の入ったガラスのコップが置いてある。

 ふと前を見ると、氷雨さんが羽のような柔らかい笑顔で僕をみていた。コーヒーが気分じゃないからとは言ったが、ここまでしてくれる彼女は僕よりも気遣いの上手い人だ。

 僕は若干の敗北感とともに、結露し始めた液体を流し込むと、気分も頭の重みも流されるような気がしてきた。


 気分治しの本を一冊読み終わった後(好きな作家の寓話集。何度読んでも面白い)もう一度、姿勢を正して考えていると、ふと、氷雨さんが思い出したように話しかけてきた。

「……そういえば、昨日からフィルちゃんに興味を持ってもらうためのことはしたーって言ってけど、どんなことをやったの?」

「……そういうのには口出ししないのでは?」

 必要最低限の業務を終えた後、すぐに図書室に来た理由は、氷雨さんにアドバイスをもらうつもりだったからだ。

 肝心の氷雨さん自身は「自分は中立だから」と言って、具体的なアドバイスを出すことを否定していたが、

「まぁ、興味が出たからね」

 こんな感じで、彼女はフィリア様よりも積極的に関わってくれる。

 こうなると助言をもらえるが、これはあくまで自分が興味を持ったからであり、「司書ではなく、氷雨空という魔術師として」話を聞いてくれるらしい。

 進むのが怖くなったら、私達を見て。

 ルッカ様のこの言葉のおかげでこの発想に至れてよかった。

 それでも、この段階に至るまでの時間はかかりすぎだとは思うが。

 いや、そんなに無個性か?僕。

「まぁ……旅人らしいことですよ」

「とゆーことは……旅のエピソードかぁ。まさに普通、無難だね」

 なるほどね、といった顔だ。

「普通ですみませんね」

 頭を冷やした後なら、フィリア様が興味を持たない理由もわかる。

 この屋敷は、昔から旅人を攫って執事として働かせているような場所だ。

 すごく不服だが、仮に、もし仮にお嬢様の専属の従者になれるほどの人間が、同じ様にルッカ様に「フィリア様への興味を誘いなさい」と言われたら何をするだろうか。

 そう、自分の旅の記憶を語ることだ。

 ……この世界は、余程の理由が無い限り、必ずどこかの国や地域に定住するものだ。

 いや、この世界に限定することではない。

 人間に限らず、思考する生き物は、産まれた時点でその地に対して何かしらの執着心を持つものなのだ。その感情の要因が、幸福だろうと怨嗟あろうと関係は無い。

 生を受けたその瞬間、生涯思考の奥底に刻みこまれる最も深い疵(きず)。

 それが『故郷』という言葉だ。

「勝手に話しかける自分語りほど、つまらない物語は無いってやつか……」

「んー?何か言った?」

「いや、新たな学びを得ただけです」

「反芻は大事だもんね」

「あはは。その言葉、すごく魔術師らしいって感じましたよ」


「で?なんのエピソードを語ったの?教えておしえてー」

 そんな机を軽く乗り出すほど興味があるのか。

 お嬢様に聞かせるならともかく……うーん。

 ちらっと見てみる。

 うわ、興味深々な目だ。机に体重を載せて僕の方をまっすぐ見ている。

 しかもなんだこの目は。確かに目をきらきらさせて見るという表現があるが、氷雨さんの場合は物理的に浮かび上がってるし、星の形は魔法陣で使う六芒星なのか。

「はぁ……特別ですよ。旅の話題に最初に話すやつだけです」

「ふん」

「……相槌ですか?それ」

「ふんふん」

「……これは僕がまだフィリアお嬢様くらいの背だったときの話です」

「ふんふんふん」

「当時旅に同行していた師匠と、とある内戦状態にあった国で……」

「ふ、いや、待って。ストップ」

「え?まだ触りの部分ですけど」

「いや、初手からインパクト強くない?ジャンルが想像できない」

「何でもないくすっと笑える話ですよ」

「うわ、答えが世界の反対くらい遠い」

 




「……といった話です。ね?なんてことない話でしょう?」

 話を聞き終わると、氷雨さんはコーヒーを一口で飲み切って一言。

「重くない?」

「やっぱり旅の思い出を語るのは、興味を誘えないですね」

「それ以前の問題だけどねー」

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