Life 1『月と紅茶と幸福を』

０日目 猫人（ねこびと）

「無駄な仕事増えなくて……済みました」

　屋敷に入ると、扉の影の声の主の姿を見ることができた。

　どうやらこの屋敷のメイドらしい。メイド服はだぼっとした灰色の上着のパーカーで大部分が隠れているが、ジッパーが開いていることで見える前部分とフリルのついた膝下ほどのスカート部分だけは見えていた。

　ただ……それよりも注目すべき箇所に視線が向いていた。

　灰色の髪の少女の頭に付く猫の耳と、後ろでぴょこぴょこと動く尻尾だ。

「『猫人（ねこびと）』が従者なのは……違和感が……ありますか？」

　少女はその可憐な整った顔で、無表情こそ変えないが、尻尾を軽く膨らませ、見覚えのある目つきで僕を睨んだ。だが、別に威圧感は無い。彼女の青い瞳には、まるで月を眺めている時のような安らぎを覚えるからだ。

　そういえば、『獣人（けものびと）』は犬人であれば犬の姿に、鴉人であれば鴉のように、動物の姿へと変化する魔術を持っているのだったか。

　なら、彼女が猫の姿で案内していたならば、僕の話が通じたのには納得がいく。

「いえ別に。むしろここまで道案内までしてくれたことを考えると真面目なんだなって思うくらいですけど」

「別に……お嬢様の命令なので」

　少女は面倒そうに伸びをすると

「私は、この屋敷のメイド長である『セッカ』です。お嬢様は貴方を客人として……おもてなしするそうなので、お部屋の方にご案内します」

　それだけ言って無言で歩いて行った。

　これでよくクビにならないな……

　それにしても……『獣人（けものびと）』の中でも気まぐれで奔放な気質の多い『猫人（ねこびと）』を働かせるなんて、この屋敷の主人はとんでもない手腕を持っているものだ。

「……自由を重んじるって……言ってくれる？」

　口にいつの間に出していただろうか、少女は振り向いて尻尾を揺らす。

　日はすでに落ちていたが、彼女からは日向の草原のような、暖かい香りがした。

　……態度が少し気になったが、彼女の案内は丁寧で、屋敷の内装を堪能しながらゆっくりと客室に向かうことができた。

「それではこちらのお部屋で……お待ちください。こちらの準備が出来次第、お嬢様が貴方とお話したいそうなので、それまでは就寝なさらないようにお願い……します」

　と、言うとパーカーのポケットから持ち手が猫の耳の形状をした鈴を取り出し、

「なにか用事があったらこれを鳴らして……ください」

　ぺこり。と礼をして部屋を出た。

　客観的に部屋を見るならば、家具はベッド、タンス、テーブルにソファだけの簡素なものではある。ただ、こんな森の奥であるにも関わらず掃除を怠っていないというのが分かる清潔感のある部屋だった。

「いい部屋だなぁ……」

　僕は溢れる高揚感を抑えられるわけがなかった。

　そりゃあ当然だ。普段は野宿で、最悪岩をも使う日常の枕に比べれば、この部屋は至高の楽園に等しい。

　意識を集中しなければ、こんなのベッドにダイブで即就寝だ。

　ただ、その行為すら、一種の芸術の領域ともいえるほど整えられたベッドによって躊躇ってしまう。おそらくこれもメイド長の彼女がベッドメイクしたものであろう。

　ここまで清潔を保つ寝具を突発的な欲求で汚すことは流石に申し訳ないので、とりあえず腰の剣を外してソファに座るが、これも適度な柔らかさで緊張を自然と緩めるものだった。

　ここまで仕事ができるならまぁ……あの勤務態度でも許されるわけだ。

　結局椅子の上で仮眠を取りながら体を休めていると、喉が少し乾き始めた。

　そうだ。水筒を洗うことを忘れていた。

　ポーチも外し、取り出すが、ここには手洗い場があるわけではないのか。

　どうやら早速、鈴の使いどころになりそうだ。

「失礼します。お客様との接見の準備が出来ましたのでご案内します」

　使いどころはお預けになった。まぁ……後で水筒を洗ってと伝えれば……

「それと……テーブルの水筒は後で洗っておきますね」

　使いどころはお亡くなりになった。

「鈴は回収させていただきますね」

　触るのすら許されないようだ。いや、回収の必要は無いでしょ。

「後半らへんは反応を楽しむためにやっていませんか？」

　椅子から立ち上がりながら、遺憾の意を示すと、

「いえ、そんなことは……ありませんよ」

　彼女は無表情のまま耳をピンと立てていた。耳と尻尾は正直だな、この子。

　ちょっとキレそう。遊び道具にされてるよね？僕。

「そんな怖い顔しないでください。ちょっと……反応が面白かったので」

「……やっぱり遊びじゃないですか」

　窓が迫っては横切り、迫っては横切りを繰り返す。

　少し前を歩く少女は足音を立てることなく優雅に先導していた。猫人にこの例えをするのはおかしいが、猫のように静かな歩き方だ。

　彼女は追いつかれては突き放しながら、廊下を進んでいく。僕の方が歩く速度が速いせいで、気持ち早足で歩いているようにも見えた。

『覗き見』を使うときの歩き方の癖が、悪い方に出てしまっているようだ。

「歩くペース、そちらに合わせますか？」

「いえ、問題……ありません」

　流石に申し訳なかったので提案してみるが、彼女には余計な気づかいだったようだ。

「そういえば……どうしてメイドさんは僕を案内しているんですか？」

　すると彼女は振り返り、軽く首を傾げた。

「どういう意味……ですか？」

「あなた以外の人の気配がないので」

「私以外の、メイドは存在しないからです……ご質問は……以上ですか？」

「……はい」

　彼女はそう言うと、直ぐに振り返って、僕の行く先を先導し直し始める。ここまで会話されないと、少し寂しいものだ。

「あ、そっちじゃない……ですよ」

　彼女は綺麗に掃除された廊下と反対の分かれ道を進んだので、僕は慌ててついていく。

　玄関周りや客室は掃除されていたのだが、魔力切れで動かないランプや、埃の被った窓枠や絨毯（じゅうたん）が目立ち始めていた。おそらく普段は使っていないスペースなのだろう。

　ただ、汚れた空間は意外とすぐに終わり、くしゃみが出てしまいそうな薄暗い空間は消え去った。

　……こんなに早く終わるなら回り道して掃除している場所から誘導すればいいのでは？

「……めんどくさいので」

「態度が客人に対するそれじゃないですよ」

「まぁ……あなたが変な人なので、面白い反応をくれるかな……と」

　何で出会って間もない人に変人扱いされるのか……僕は割と普通の人間だとおもうのだが。

　むっと来た。とりあえず、言い返すことはしてはおこう。

「ちょっとひどくないですか？僕は普通の旅人ですよ」

「普通の人間は……自分を『普通』なんて言わないと思う」

「なるほど。それもそうですね」

「あと……入るなって言われているところに入っている時点で……」

　彼女は急に足を止める。自分のミスに気が付いたのだろう。

「……なんでそれを知っているんですか？」

　僕は今まで一回も、ここに向かうまでの経緯を話していなかったはずだ。だが、彼女は知っているような口ぶりをした。

「……」

　彼女は少し黙った後、溜息をついて口を開く。

「こちらの扉の先にお嬢様がお待ちしており……ますので……失礼します」

　そのまま逃げるように扉の先へ向かった。というか逃げた。あの子は表情が希薄な癖に、噓は苦手らしい。

　それにしても、しつこいぐらいに忠告するとは思ってはいたが……やっぱり村の人たちとグルだったのか。まぁ……過ぎたことは仕方がない。口車に乗ったのは僕の方だ。

　息を一度吸ってから扉を見る。普通の客室とは違い、両開きの扉で、何処か高貴さを感じる。ここかおそらく応接室のような場所なのだろう。

　この扉を開けたら、屋敷の主人と出会い、会話を行うことが出来る。

　ただそれだけなのだが、ほんの少しだけ胸の中に残る緊張が腕を動かす行為を遮るストッパーとなっていた。

　扉に手をかけると、震える手が視界に映る。

　だが、緊張は好奇心によって侵食され、扉を開けるときには震えは無くなっていた。