0日目 ルッカ
僕の好奇心は、新しい景色とその先に座る存在を映し出した。
扉の先。部屋にはメイドの隣に、ドレスを着た紫髪の少女が居た。
「ふふっ。今日来たゲストはずいぶんと遅れた登場ね。これ以上焦らされていたなら、飽きが回っていたところよ」
その声は、幼い声だった。だが声は明朗で威厳もある。
少女が主と認識するまで少し驚いたが、声によって襟を正すことができたのも事実だった。
「それに入る前にノックもしないなんて、余程緊張していたの?それとも躊躇っていたの?」
「……両方。というのが正しいですかね。もし機嫌を損ねてしまわれたのでしたら……遅ればせながら謝ります」
雰囲気に圧されながらも、丁寧な受け答えを意識して、少女に話す。
僕の普段の話し方が、敬語っぽい感じでよかった。
「いえ、問題ないわ。むしろ半端な態度で来る方がこちらとしては困るもの」
そう言うと彼女は空席を見て
「立ち話は疲れるでしょう?」
と座ることを促された。
「では……失礼します」
椅子は少し背の高めで、クッションが付いていない緊張感のあるものだ。それに対し対面に座る
かちゃ。灰髪のメイドが二重円の魔法陣(同じ大きさの正三角形を二つ重ね合わせた六芒星と呼ばれる星の模様を円で囲んだものを基本形とする図形の総称。魔力を込める際に最も効率的な形と言われている)が描かれたソーサー、そしてカップを置く。
白を下地にし、金の装飾が施された
「すみません……僕はコーヒーが苦手なので何か別の飲み物を……」
「あら?あなたが旅した場所ではコーヒーを出すのが主流なの?それなら心配することはないわ。それよりも素晴らしい最高の逸品を用意してあるのだから」
そう言ったあと、
視界の右から、カップと同じ花柄の可憐なポットが、長く、良く手入れされた爪と手と共に映し出され、傾いていく。
その勾配が限界に達した時。カップの先から赤い、紅い半透明の液体が零れ落ち、正確にカップの内部へと落下する。
まさにその瞬間。未知の液体の飛沫と共に僕は強烈な刺激を受けた。
液体の落ちる衝撃。共に一定の音量を響かせるのと平行に漂う透き通る芳香。それらの感覚は、それだけで心を洗い流すかのような清々しい感覚へと包まれていった。
注がれるのが終わったのとほぼ同時だろうか。
僕は無意識的に持ち手を二つの指先でつまみあげて流し込み……
ほぅ……と空気をもらしてしまったのだ。
「ふふふっ。アハハハハ!今まで道端の雨水でも飲んでいたのかしら?そんなに紅茶を気に入っていただけるとは思っていなかったわ」
対面の少女は心底嬉しそうに、愉しそうに、からかうように笑っていた。
「ええ。今まで飲んだことのない素晴らしい味わいのあるお茶でしたよ」
「ふふふ……普通こんな状況でいきなり主人に呼ばれたら緊張してまともに行動する どころか飲み物すら飲めない人がほとんどなのに……ふふ……あなた本当にマイペースなのね」
まだ笑いのツボが残っているのか、彼女は堪えるように話し呼吸を整えると
「ただ……申し訳ないのだけれど、愉快な時間はこのくらいにしてもいい?」
彼女は神妙な面持ちで僕をまっすぐと見つめる。
「……」
彼女の顔つきはあどけなさの残る少女の可憐さを持ちながら、その立ち振る舞いをもって余りあるほどの美しさを秘めており、僕はただその表情に気圧されながら見惚れていた。
そのままゆっくりと立ち上がりドレスのスカートを持ち上げて
「改めて初めまして。私はこの屋敷の当主を勤めておりますルッカ・ファートム・アーウィングと申します。今日はこの屋敷に来ていただき誠にありがとうございます」
ルッカと名乗る少女は目を閉じて会釈した。
その一つ一つの所作はまさに貴族たる優雅な振る舞いで、絵画にも切り取れるほどのものだ。
そして、彼女は素肌を隠すように包まれた黒の手で「こちらもどうぞ」と前に差し出した。
しまった。見惚れているだけじゃだめだ。挨拶を返さなければ。
「こちらこそ初めまして。僕は……
どうやら今更緊張が僕に届いたようだ。
「ツクヨム?不思議な名前ね。でも何も分からない初々しい感じの挨拶、嫌いではないよ。まぁ、そこまで緊張する必要はないわ。当主と言っても形式上だし、今は落ちぶれて、優秀なメイド一人しか雇えないようなしがない屋敷だから」
そう謙遜すると(事実っぽいが)ルッカは、敢えてかは分からないが少しだけ座り方を崩すように促してくれた。
正直凄く助かる。珍妙な目で見られることはあってもここまで真面目な挨拶なんてやることなど滅多にないし、マナーなどほとんど知らないのだから。そもそもこういう堅苦しいことが苦手なのもあるが。
「まぁ社交辞令はこのくらいでいいでしょう。早速だけど端的に話させてもらうわ。『セッカ』にも言われたと思うのだけれど、あなた、どうしてこの森に入ろうとしたの?村の人たちから『この森は入ってはいけない』と、言われていたと思うのだけれど」
「それは……少し言いにくいというか……あれ、『セッカ』って誰ですか?」
「え、知らないの?」
「はい。まぁ誰かは一応分かりますが」
ルッカの傍に立つ少女を見る。ばつが悪そうに視線が逸れ、ルッカの方を向いた。
当然ルッカも僕と同じ視線を投げる。
「ゆき?お客様にはきちんと名前を教えなさいと言わなかった?」
「……聞かれなかったから答えなかっただけ。それにどうせ言っても……」
「いいから早く教えなさい。人付き合いが苦手なのは重々承知しているから申し訳ないとは思っているけど、怠ったことで恥をかくのは私なんだから」
「……っ!ごめんなさい。浅はかな判断でした」
特に後半の言葉が響いたのだろう。耳やしっぽを見なくとも表情だけでわかるほどに凹んで俯いていた。
「ごめんなさいね、身内話をしてしまって。彼女は『
「そこは気にしてないので大丈夫です。むしろ
「そう。それならよかったわ。これからも大丈夫そうで」
「ただ……彼女が人見知りなことを理解しているなら、別の従者を雇うべきなのでは?」
ミスった。
「いいのよ、すぐに人手は増えるから。それにしてもあなた……本人の前なのに直球で言ってくるのね……」
「あ。ごめんなさい、つい……」
何とか取り繕う言葉を考えようとしていたが、
「いいよ……陰で思われるより思ったことを最速で直接言ってくれる方が傷つかないから」
本人に気を使わせてしまった。
「さてと……本題に戻っても?」
気を取り直して……という感じにルッカは軽く咳払いすると、真剣な表情に戻りこういった。
「あなた、メイドには興味がある?」
「執事じゃないんですか?」
「執事に興味はある?」
「あります」
「そう、それならゆっくりと説明を……え?」
「だから、この屋敷、人手が足りないんですよね?ぶっちゃけ旅人なんてさっさと辞めたいんで働かせてくれませんか?」
「……?」
不意打ちのジャブを、ひとつなんとなく。
食らったルッカの年相応に呆けた可愛い顔への変化は、正直笑いをこらえるのに必死だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます