第5話 花言葉1「優しさ」



その時、店長室のドアが叩かれ声がした。


『店長、蓮条院様がお越しになりました』

「おぉ、もうそんな時間か! すぐにお通しして」

「……」


(れんじょういん?)


店長はその名前を訊いた途端慌ただしく部屋を右往左往し出した。


「あの」


完全にスルーされてしまっている感じになった私はどうしたものかと店長に声をかけるけれど、真面に目も合わさずに一方的に捲し立てた。


「あぁ、悪いが今は君に構っている暇はないんだよ。また後日改めて連絡をするから今日は帰ってもらえるかな」

「っ!」


この流れは不味いと思った。


(このまま帰ったらきっと電話一本で異動の話はなかったことにされる!)


本能的にそう思った私は店長に食い下がった。


「あの、お時間が空くまで待っていますから話の続きをさせてください」

「いや、もう話すことはないよ。間違いだったってことで終わった話だ」

「はぁ?!」


忙しさから出た言葉なのか、店長のその言葉に私は完全に堪忍袋の緒が切れた。


「帰りません!」

「はぁ? 何を言っているんだ、君は」

「そちらの不手際で迷惑をかけられたのは私ですよ?! 『間違っていたから帰れ』なんて勝手な言い分、酷過ぎます!」


気が付けば腹の底から声を出して店長に噛みついていた。


「ちょ……君、落ち着きなさい。そんな大声で叫ばなくても」

「こっちは死活問題なんですよ! 働かなくっちゃ生活出来ないんです! その辺のことをどう考えているんですか!」

「あのねぇ、だから間違ったのは支店長のミスであって本店側にはなんの落ち度も」

「なかったと?」


いきなり店長とは違う声が室内に響いた。


「れ、蓮条院様!」


声の主の名前を店長は慌てた様子で呼んだ。店長の視線の先を辿ると其処にはひとりの男性が立っていた。


「随分と騒がしいですね。これは一体なんの騒ぎですか」


紡がれたのは深く低い声色。背が高く細身の体型は何処からどう見ても高そうなスーツに包まれている。


端正な顔立ちに漆黒を思わせる濡れた瞳は全てを見通すかのように力強い。


(何……この人)


其処にいるだけで空間が真空状態になるような息苦しさを感じた。




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