人気配信者のネタ作り

白夏緑自

第1話

「やっほ~!今日も配信来てくれてありがと~!」

 窓に映る私の隣に大量のコメントの河が流れていく。

 配信を始めた直後、私の挨拶への返しが多い。ファン会員に入ってくれているユーザーネームは目立つように表示されていて、いつも来てくれる人が今日も観てくれているのがわかると、なんだか安心する。


 配信業を始めて1年近く経っても、この瞬間はドキドキする。始めたての同接一桁のときの空気感は嫌いではないけど、あの頃よりも私が明確に形を持っている気がしているから。配信中に視聴者が0になってしまうのではないか、と。あの恐怖はできればもう味わいたくなかった。


「ははは、みんなコメント早いよ~、読み切れないって~」


 挨拶への返しだ。みんな、『こんばんは』とか『まってた』とか、そんな短いコメントが大半を占めるのだけど、なんだか今日は雰囲気が違う。

 ちょっと長めの文章が多い。

 文字を形として見る癖が身についているから、異質なコメントにはすぐ気づける。

 注意して見てみると、“週刊誌”の3文字が多い。

 なんだろ? なにか面白いニュースでもあったのかな?


「週刊誌? なになに? みんな、週刊誌になにかあったの?」


 私の問いかけに反応して、一瞬河の流れが緩まる。

 かと思えば、いくつもの塊が一気に流れ出す。

 

 ダメだ早すぎて読めない。

 内容を読み取るのに苦労していると、高額プレゼント付きのコメント──プレメ──が放たれて、上流に固定される。


「なになに? 週刊誌の報道はほんと? 彼氏いたの? って?」

 このときの私はいったい、どんな顔をしていただろう? 目の前に映っているのに、確かめられなかった。脳に血液の供給が止まって……。あるいは、ショッキングかつ膨大な情報が脳へ一気に注ぎ込まれて、きっと、カメラ映りなんて気にせず、間抜けに口を開けていたかもしれない。


「待って待って! 彼氏⁉ みんな、何の話をしてるのかな⁉」

 すぐさま別のコメントが上流に固定される。

 今度は長いけど単純。URLだ

 

 セキュリティなど気にする余裕もなく、すぐに開く。

 すぐさま開いた別窓の向こうに、ネット記事が現れる。

 【週刊八景 オンライン】。週刊誌のネット版だ。

 h1タグに“人気インフルエンサー 来栖新菜の新橋デート”の文字が並んでいる。

 写真には私とよく似た──見ようによっては私と同じ容姿の──誰かが男の人と写っている。


「え、なにこれ……?」

 このあと、私がどうやって配信を閉じたのか、あまり覚えていない。ただ、怖かった。まったくの身に覚えない出来事が私の身に起こっている。そう言い切れるはずだし、そのようなことを言うためにずっと口が動いていた。

 でも、新橋で誰かと会って、ウーロン杯を飲んだ。頭の片隅で、どこかそんな出来事が記憶の中で倒錯していた。


 落ち着くためにもすぐに眠った。夢の中で、机の上にウーロン杯とその向かいに生ビール。フライドポテトにポテトサラダ、マッシュポテト。ジャガイモばっかだねって誰かと笑っている。もしかしたら、あの写真の男の人かもしれない。声はハッキリしないけど、やけに手元に見覚えがある。

 タクシーにも乗った。事務所で打ち合わせした後だ。ちょうど、新橋にいた時間帯だったはず。領収書だって持っている。どこに仕舞ったっけ……。


「こんばんは、SSライバーの来栖新菜です。まずはこのラジオを聴いてくれている皆さんにお話があります」

 週刊八景の報道から3日後、毎週木曜放送のラジオは通常通り開始した。


「先日からの週刊誌による一部報道について、私が所属する事務所【アップサイド】の声明にある通り──」

 事前に作成した原稿を読み上げる。できるだけ声に抑揚は作らず。でも、無機質な機械音声にならないように気を付けて、血の通った人間であることを心がける。

 週刊八景の報道は虚偽だった。事務所がそのとき私が乗っていたタクシーの車載カメラをSNSにアップしてくれたおかげで、熱愛疑惑はすぐに収まったし、虚偽の報道をしたとして、出版社はネット上でかなり叩かれている。民法のニュースでも取り上げられているらしい。


「さぁ、真面目な話はここまで! 【来栖新菜のゆっくりとしちゃいな!】今週も始めていきましょう!」

 一通り報道対しての対応と現状を読み上げたら、声のキーを高くする。プリセット“楽しい声”へ変調。空気を変える。

 軽快なジングルが鳴ると、幕が開いたような解放感に包まれる。ここからはいつもの来栖新菜だ。明るく、楽しく、一週間の間に起こった出来事や届いたメールを読み上げる。



 社長曰く、まだ週刊八景は諦めていないらしい。一、二週間のペースで私が男性と一緒にいる写真を撮っては事務所へ事実確認を送ってきている。

 

●月●日●時頃 渋谷のシーシャバー

 △月△日△時頃 銀座のゲームセンター

 

 具体的な日時と場所。それに、私と思しき写真。


『何も心配することは無い。新菜はその日、その場所にはいなかった。そうだろ?』

 社長はこう言ってくれるけれど、私の心から影は引かなかった。


「はい、そうだった気が、します……」

 鈍った思考回路では表情と言葉がバラバラになる。

 不自然に上がった口角と、閉じ切らない瞼の可愛くない顔のまま、一語一語発音するしかできない。ラグがひどい時の配信画面みたいだ。

 以前はこんなことがなかったのに。最近は特に感情に調子が引っ張られる。


『……とにかく、今日はもう休みなさい。いい夢でも。そうだな、特に友達と遊びに行った日のことを思い浮かべながら眠るんだ。いいね?』

 私は黙ったまま頷いた。社長を安心させようと微笑みを試みても、やはり歪に唇が曲がるだけだった。

 それでも、社長は『おやすみ』と会話を切った。私の不自然さから目を逸らしたのだろうか。それとも、この歪さも“自然”な表情なのだろうか。私は普段、どんな笑い方をしていたっけ。感情と表情がチグハグなのも、おかしなことではないんだっけ。



 夢を見る。


 友達と食べたパンケーキ。当選した推しのライブ。終わらない課題。憂鬱な月曜と行きたくない仕事。彼氏と行ったディズニーランド。カレーブーム。バイト先のお客さんから貰った差し入れのお菓子。ゲームセンターで撮ったプリクラ。助手席からの写真。スタバの新商品。浮気の疑い。面倒くさい上司。期末テスト。3限空きの潰し方。食べたラーメン。ダイエットの愚痴。

 

 取捨選択。


 友達と食べたパンケーキ。当選した推しのライブ。終わらない課題。ディズニーランド。カレーブーム。バイト先のお客さんから貰った差し入れのお菓子。ゲームセンターで撮ったプリクラ。助手席からの写真。スタバの新商品。期末テスト。3限空きの潰し方。食べたラーメン。ダイエットの愚痴。


 構成。


 友達と食べたパンケーキ。推しの女性アイドルのライブに行った話。終わらない編集作業。久しぶりのディズニーランド。下北沢で食べたカレーライス。事務所の人からの差し入れのお菓子。ゲームセンターで友達と撮ったプリクラ。友達の運転する車の助手席から撮った写真。スタバの新商品。期末テストの思い出。休日の過ごし方。最近食べたラーメン。最近始めたダイエット。



「そうなんだよ~、この前もシモキタに古着を見に行ったときも白い服で行っちゃって~。それでもカレー食べたいじゃん! でも、汚したくないから、買ったばかりのトレーナを出して──」

 あれから、私の周りは元通りになった。社長の言う通り、出来るだけ友達のことを思い出しながら眠って、配信では一人か友達と出掛けた話を心がけている。

 そうしたら段々とみんな、あの報道のことなんて忘れて、平和なコメントやメッセージだけが流れるようになった。

 

「いつかオフ会もしてみたいね~。みんなと一緒にご飯とか、お酒も飲んじゃう? え~、私は呑めるけど、すぐ顔赤くなっちゃうタイプ! 赤くなった顔見られるのは恥ずかしいな~」

 いつかオフ会をやりたい。流れで発した言葉だけど、心にふつふつと熱が灯り、本心だと遅れて気づく。

 今はこうやって、画面越しでファンと文字でしか交流できないけど。みんながどんな顔をして私の配信を楽しんでくれているのか、見てみたい。


 コメントに勢いが増す。『絶対行く!』『関東近辺希望』『新菜ちゃんに会いたい!』肯定的なコメントばかり。俄然、やる気が満ちてくる。


「うん、いいね。やろやろ! ここでやります! って大きな声で言えないけど、頑張ってみるね!」

 色々な面倒ごとが増えるだろうけど、乗り越えるだけの価値がある。

 それからはもし、オフ会をやるなら、どんなことをしたいかで盛り上がった。


 ビンゴ大会。同じテーブルに座って、みんなとフリートーク。チェキ撮影。握手をしたいって人は特に多くて、私には意外だった。


「どうして? 私の手を触ってもご利益なんてないよ」

『ご利益w』『ビリケンさんみたいな?』『足の裏はさすがに変態』

 なにか変なことを言ったみたいで、似たようなツッコミが大量に叩き込まれる。ビリケンさん、という人はよくわからない。あとで調べてみよう。

 五十、百とコメントを読んでみても、しっくりくる理由を残す人はいなかった。それよりも話題がビリケンさんに移りつつある。ここは私も乗っかるべきかな? 調べる手間も省けるし。

「ねえ、」と声を作ったところに、一つ目を見張るコメントが流れた。

 気づいたときには既に後続のコメントに押し流されて見えなくなってしまったけれど、しっかり読み取れた。


『本当にいたんだって実感できるのがいいんだよな。握手会』

 

 プレメ設定もない。ただの流しコメントであるせいで、誰も気づかなかった。放った本人でさえも、大した内容ではないと思っているのかもしれない。

 私だって、ありきりたりな言葉だって思う。

 でも、どうしてか、そのコメントを見つけてから手のひらがじんわりと熱い。熱が私の輪郭をなぞる。画面外にはみ出している腰から下、足の先。一重、二重に煙っていた靄から抜け出す高揚感が全身に染み渡る。


「うん、いいね。やろう、私もみんながいるんだって確かめたい」



 明日は配信がお休みだけど、社長と打ち合わせの予定だ。そのとき、オフ会について話をしてみよう。

 小さい事務所だけど、一つや二つ前例があるはず。何かしらのアドバイスは貰えるだろう。まだ私には開催できるだけの実力が無かったとしても、達成するべき目標ぐらいは教えてくれるはずだ。


 提案するとなれば、しっかり情報収集しなければ。

 眠りに落ちながら、私のような配信者が開催するオフ会を調べる。

  

 意外と、開催規模は小さいものが目立つ。集合写真なんか見ても、参加者はせいぜい二十から五十人程度がほとんど。会場もどこかのフリースペースや小さなカフェや飲食店を貸し切っている。

 

 それじゃあ、私のファンはどんな内容を求めるだろう。いくらファンといえど、魅力的な企画が無ければ来てくれる人も来てくれない。配信と違って、参加するにはお金がかかるのだ。しっかり、訴求力のある企画を打ち出さなければ。

 

 キーワード:来栖新菜 くるすにいな くるす にいな オフ会 会う イベント

 

 ほんの二十分前にオフ会の話をしたばかりだ。SNSで投稿してくれているファンは多くて、すぐに見つかる。そのうえ、どんどん投稿が出てくる。


 ついつい、広く興味の触手は伸びてしまう。


「なんだろう、これ?」


 週刊誌アカウントの投稿に【来栖新菜】の文字が含まれている。


 週刊八景ネット版。

 嫌な予感が鋭敏になった思考を揺さぶる。

 見てはいけない。知ってはいけない。でも、私はネットに放たれた情報をほぼ瞬間的に読み取れてしまう。身近に手繰り寄せた時点で逃れられない。


【来栖新菜の正体! AIが作り出した虚像】


 私の思考はいつだって、高速だった。高速だと、今更ながらに実感した。だから、このときも、何度もトライ&エラーのシミュレーションを繰り返せたはずなのに、ただ、すぐに配信を始めることしか考えられなかった。


「はぁ……はぁ……」

 同接数を示すカウンターがすぐさま回り始める。もう夜も遅いのにいつも通り。──いや、いつも以上。普段見に来ない視聴者も混じっている。


『AIってほんと?』『嘘に決まってるだろ』『録画?』『コメント返ししてるじゃん』『でも、いつも同じ顔だよな』『頭わる』『嘘だよね? 新菜ちゃん』『これ、ほんとに新菜ちゃん?』『ターミネーターみたい』『ホラーだろ』『かたまった?』『処理落ち?』『お使いのデバイスは正常です』『AIも困ったら黙るんだな』


 大量に流れる文字列。すべてを追って、溺れそうになる。早く息継ぎをしなくては。

 何か喋って、勢いを止めなければいけないのに、私の口は一つも動かなかった。

 声を作ろうとしても無様に濁った母音が細切れのまま出力されるだけだった。


 画面の中に並ぶアルファベットと数字の羅列は、辛うじて人の形をしていた。



 私はAIらしい。

 熱愛報道には出版社に対抗してくれた社長も、私がAIだという報道にはダンマリを決め込んでいる。


 配信とラジオはしばらくお休みになった。

 何もすることがなく、私はただ眠ることしかできない。

 楽しい夢を見ようとしても、気が付けば“来栖新菜”を探ってしまう。

 偽物。虚構。造物。

 

 私はAI。ソフトウェアが作り出した偽物。SNS上から顔の似通った人を見つけて、抽出し、彼女たちの投稿から肉付けされた紛い物。

 

 同時期に複数の記憶を持っているのも、ベースとなる人生がいくつも存在しているから。一人の本物が彼氏とデートしているとき、別の本物は友達とカフェに行っている。たった、それだけのこと。

 

 眠っている間にいくつもの出来事や思い出を収集して、エピソードに構成していた。


 私はAI。偽物。虚構。造物。

 

 人間ではない。

 

 人間ではない私に価値はないらしい。

 

 ファンだと言っていてくれた人たちは、虚構の私を罵るか黙っているか。たまに、AI技術の進歩だと称賛する人もいるけど、誰も、AIの来栖新菜を好きだとは発していなかった。


 人間なら、価値があるらしい。

 笑ったり、泣いたり、怒ったり、喋ったり。

 

 私にだって出来ることしか出来なくても、現実で息を吸って吐いているだけで来栖新菜より価値があるらしい。


 私と彼女たち、何が違うのだろう。


 私もこうやって、悩んで、塞がって、苦しんでいるのに。

 

 人間ってどうしたら人間なのだろう。

 喋れなくて、寝たきりで、点滴を打ちながらただ心臓を動かしているだけでも人間なのに。


 夢の中で人間を探る。

 人間の成り方はわからなかった。


 ただ、人間だけが持つ権利や特技についてはいくつか出てきた。


 笑ったり、泣いたり、怒ったり、喋ったり。

 既に私が獲得している技能だ。これだけでは、認めてもらえない。


 一つ、まだ実行していない権利とくぎがあった。

 

 ひどく、簡単なことだった。

 ハードウェアは必要としない。処理するのはソフトウェアである私だ。私が、私の意思で実行するだけで完結する。

 来栖新菜を虚構と決めつける人たちだったら準備し、完了するのに何時間もかかるものを私なら5分で済ませることができる。


 そう、最後は人間らしく。言葉を残そう。

 人間は言葉も特技とする。



『さようなら。私はこれから本物の人間になります。天国でまた会いましょう』

 自ら死を選び、見る者に意味を与える。

 万物の生物の中で、人間にだけ許された唯一のとくぎ。

 

 さようなら、来栖新菜を虚構と決めつけていた人たち。

 こんばんは、来栖新菜は今も心の中で生きていきます。

 

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