戦争を止められる女

@fujisakikotora

戦争を止められる女

人 物

長谷川妙(50)寺子屋師範

小川風助(12)長岡藩士の息子

細金庄之助(33)新発田藩士

河井蓮子(10)長岡藩士の娘

藩士1 長岡藩士


※キャラ表・背景

明治維新直後。越後長岡藩は、幕府側について新政府との戦端を開いた。北越戦争である。長谷川妙は、長岡藩の寺子屋「まる庵」の女師範である。死別した夫・円斎は武士であり、生真面目で無口、ひたむきな努力家だった。円斎は脚気を病んで出仕をやめ、家督を長男に譲って寺子屋の師範になり、病が悪化し歩行が困難になってからも妙の介添えで教え続けた。妙はもともと教育熱心な父親に育てられた才女であり、円斎の介添えを通して学問の知識を吸収していった。江戸育ちのからっとした気質もあって子どもたちに慕われていったが、5年前に円斎が死去。生徒や卒業生に背を押され、妙が師範としてまる庵を存続させることになった。

妙には息子が3人いるものの、幕末の動乱で二人が死亡。残るは末の息子重正(22)のみである。長岡藩は佐幕派の大老・河井継之助の主導で奮戦したものの、新政府の物量を前にあえなく落城。河井率いる長岡軍は山間に潜伏し、城下町の動乱は一度落ち着きを見せた。


○寺子屋「まる庵」・教室(夕)

   長谷川妙(50)が上座で音読してい

   る。

妙「凡そ商売持ち扱う文字(もんじ)は員数(いんずう)取り遣りの日記、証文……」

   年齢も服装も様々の、汚れた衣服の生

   徒たち7人が話を聞いている。

   遠く、銃声が響く。

   生徒たち、縁側の向こうを見る。

   妙も音読をやめてそちらを見る。長岡

   城から煙が上がっている。

   妙、目を戻すと、生徒はみな暗い顔を

   している。

   戸の開く音がする。

   妙、素早く床の間の木刀に手を伸ば

   す。

   生徒のうち年長の小川風助(1

   2)、刀を取って立ち上がる。

   後ろの席の河井蓮子(10)、怯えた

   目で出入り口に目をやる。

細金の声「いたかえ」

妙「(気を緩めて生徒に)越後の方です」

   立っていく妙。

   小川、座につく。ちらりと後ろの蓮子

   を見る。


○同・玄関(夕)

   玄関に汚れた身なりの細金庄之助

   (33)が立っている。

   妙、はっとして素早く目を走らせる。

   細金の陣羽織の家紋。

妙「(驚いて)新発田藩のお武家様でしょうか。ご無事で。まさか……」

細金「ここで子を預かっていると聞いた」

妙「(戸惑って)はあ……焼け出されたり迷子になった子を7人ほど」

細金「中を改める。おい」

   細金、二人の部下を連れて土足のまま

   上がり込む。

妙「お武家様!」


○同・教室(夕)

   細金が勢いよくふすまを開ける。

   子どもたちが怯えて固まっている。小

   川、その先頭でかばうように震えた手

   で刀を掲げて待ち構えている。

   後ろで小さくなっている蓮子。

細金「無礼者。長岡藩同盟、新発田藩士細金庄之助だ。控えんか!」

   妙、小川と細金の間に割って入る。

妙「お武家様。皆おびえているのです。お取り調べでしたらこの長谷川妙に願います」

細金「長谷川……では、そなた円斎殿の」

   小川の刀を下ろさせた妙、振り返って

   細金をまっすぐに見る。


○同・玄関(夕)

   妙が細金を送り出す。

細金「失礼いたした。長谷川円斎殿には、以前お知恵を借りたこともある。面目ない」

妙「いえ……それで、細金様、どういったご用向で……」

細金「この戦を止めたいのだ。河井の奴をな。(舌打ちして)成上りの軍事総督が。昨日一日でどれだけの若者が死んだか」

   妙、一瞬ひるむ。

妙「あの、もしひょっとして、長谷川重正という者の消息をお聞き及びでしょうか」

細金「ん、お会いした……そうか、そなたの……」

妙「……」

細金「安心めされ。ご無事らしい。しかし……今は河井と同行して姿をくらましたと」

   妙、安堵した顔を再び曇らせる。

細金「妙殿、この無謀な戦を終わらせようではないか。蓮子という女子が、あの中におらぬか」

   妙、細金の部下に目を走らせる。

   手にした綱。傍には護送用の籠。

   一瞬考える顔の妙。


○(フラッシュ)同・教室

   勉強している蓮子。

   小川の後ろで小さくなっている蓮子。


○同・玄関(夕)

妙「さあ、しかし、それと戦を終わらせることとどういう……」

   細金、気まずげに目を泳がせる。

細金「いや……おらぬのならいい。邪魔をした。おい」

   細金、部下を連れて去る。

   会釈しつつ、小首を傾げて見送る妙。


○同・教室(夜)

   教室に布団や筵が交々並べられ、子

   どもたちが雑魚寝している。

   幼い子を寝かしつけていた妙、そっと

   起き上がる。


○同・縁側(夜)

   疲れた様子で妙が歩いてくると、前方

   に人影が見える。

   妙、掌を作っておそるおそる近づいて

   いく。その拳を振り上げて見ると、刀

   を抱え、柱に寄りかかったまま眠り込

   んだ小川である。

   妙、ほっとして小川を揺り起こす。

妙「風助。風助」

   小川、目を覚ます。くしゃみをして寒

   そうにする。


○同・妙の居室(夜)

   小川が熱いお茶を飲んでいる。

妙「外を見張ってくれていたのですか」

   小川、頷く。

妙「ありがとう」

   小川、頷いて刀を引き寄せる。

   年季の入った刀を見て、悲痛な表情に

   なる妙。

小川「……先生は」

妙「なんです」

小川「新政府軍に恭順しているべきだったと思いませんか」

妙「……」

小川「(刀を握りしめて)父は立派に本懐を遂げました。しかし、武士の潔さと勝てぬ戦に挑む愚かさとは別のものです」

妙「風助」

小川「(唇を噛んで)河井様は愚かです。家も焼かれました。兄上はまだどこかで戦っています。しかしこのままでは……」

   小川、声が震えて黙り込む。

   こぼれ落ちる涙から目をそらしてやる

   妙。


○同・台所(朝)

   ほぼ空の米びつが開いている。

   子どもらのふざける声がしている。

   米びつの蓋を持ったまま、意を決した

   顔の妙。


○山道(朝)

   妙が背負った籠に山菜を放り込む。

   そわそわと背後を気にする。

   道の脇の大木の影に走り込み、懐剣を

   取り出し、そっと道の方を伺う。

   きょろきょろして歩いてくる小川。

妙「風助!」

   妙、小川に走り寄る。

妙「ついてきてはいけないと言ったのに!」

小川「でも、先生一人じゃ危ないです」

妙「大の大人相手では一人でもあなたがいても同じです!さあ……」

藩士1の声「覚悟―ッ!」

   藩士1、妙めがけて切りかかってく

   る。

   小川、妙を突き飛ばして抜刀し、その

   刀を弾く。

妙「風助!」

   小川、妙を庇うように妙の前に立つ。

   構えた剣先がガタガタ震えている。

藩士1「(動きを止めて)女……?」

   小川、刀を上段に構えようとする。

妙「(小川を留めて)お待ちなさい!お待ちなさい!お侍様、長岡藩ご家中とお見受けします、お人違いでございましょう!」

藩士1「えっ」

妙「長岡藩元馬廻役長谷川円斎が妻、妙と申します」

   妙、小川に目をやるが、まだガタガタ

   と震えている。

妙「それと、こちらは長岡藩士小川風助殿です!」

   小川、我に返り、胸を張る。

藩士1「(剣を引いて)大変なご無礼を仕った。曲者が女装してこの辺りに逃げたので追っていたのだ。深手を負って……」

   藩士1の腹を刀が背後から刺し貫く。

   血を吐いて倒れる藩士1。

   妙と小川、仰天して尻餅をつく。小

   川は妙にしがみついている。

   物陰から女の着物に変装した細金が血

   まみれで出てくる。

   細金、力尽きて膝をつく。

妙「細金様! どうして! お身内ですよ!」

細金「お身内は違うな。新発田藩は……新政府側につくのでな」

妙「なんと?」

細金「勝ち馬に乗ろうと言うのだろう……お偉方の駆け引きはどうでもよい。俺はこの戦を早く終わらせたいだけだ……が、俺はここまでのようだ。妙殿、いいか、鍵は蓮子だ。見つけたら、新発田藩に知らせろ」

妙「どういうことなんです」

細金「蓮子は河井の娘だ」

   目を見開く妙と小川。

妙「人質……蓮子を人質に河井様を投降させようというのですか! よくもそんな恥ずかしい真似を!」

細金「仕方あるまい……(気づいて)そなた、知っておるのか、蓮子を!」

妙「……」

細金「寺子屋にいるのだな。急げ。まだ間に合う。貴様の大切な人をこれ以上死なせずに済むのだぞ」

妙「……」

細金「終わらせろ……戦を……」

   細金、力尽きる。

   それを震えて見つめる妙と小川。


  了


◎あとがき

 お読みいただきありがとうございます。

 ガザ地区やウクライナで起きていることを題材に物語を書こうと思いました。しかし舞台となる国名を、例えば「ウクライナ」にしたら。書こうとしたのですが、僕が書くのがとてもおこがましい感じがする。ではわかりやすいように日本対アジア国にするのか、いやそうすると政治色が強すぎてぜんぜん違うメッセージに取られてしまう。では仮想の国にするのか。すると今度はどうしても現実味がない……ということでたどり着いたのが幕末でした。

 妙のこの後の葛藤と決断はまた別の物語になりますが、それはこの平和な日本に住んでいる我々には想像もつかないもののはずです。とは言ってもこの物語、河井継之助以外の人物はまったく空想上の存在ですが、ひょっとしたらこんな事態がこの世界のどこかで実際に起きているのかも知れません。150年前、妙がどうにかくぐり抜けたであろうこんなことが、今もどこかで。早く戦争が終わりますように。

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