八「生徒会の選挙」

        八


 辻沢総合病院入院棟、とある病室の前に私は来ている。扉の前にいる母に軽く挨拶をしてから、私は病室に入っていく。


「……おばあちゃん、来たよ」


 私は声を掛けながら、ゆっくりと寝ている祖母へと近づいた。さっき、担当医と両親の会話を聞いた。多分、今日が峠だそうだ。動揺はない。今年一年間、ずっと覚悟をしてきたし、いっぱい泣いたから。


 私は祖母の近くの椅子に座ると、ポケットから封筒を取り出した。古い封筒で、今にも崩れてしまいそうなその封筒は、私にはとても愛おしく思える。封筒を開け、中身を取り出す。


「おばあちゃん。約束を、果たしに来たよ」


 私は泣くのを堪えながら、静かに、祖父からの手紙を読んだ。









 十一月某日。生徒会室の窓から冬に変わりつつある寒空を見上げていると、あの数ヶ月が思い出のように蘇る。金木一郎の本当の想いを探し、『遺書』を見つけた俺達の推理ゲームは終わった。個人的には、良い結果に落ち着けたと思っている。だが同時にまだ終わってないこともある。

 ふと、生徒会室内に目を向けると、未だ修羅場は続いていた。


「ちょっと! まだこんだけしか書けてないの!? 今日本番だよ!」


 殆ど悲鳴のように金木が叫ぶ。随分と素を隠さなくなったものだ。今ではすっかり一年生徒会のまとめ役になっている。嵐士はヘラヘラとしたまま答えていた。


「いやー、全然思いつかなくてさー」

「昨日も一昨日もそう聞いたんだけど?」


 生徒会選挙本番の今日にもなって、未だ演説用の原稿が完成していない嵐士は、朝から金木によって強制的に演説用原稿を書かされていた。数日前までは先輩達も面倒を見てくれていたが、自分達の原稿の暗記もあり、何より嵐士が一向に終わりそうにないので見放されてしまったのだ。嵐士よ、これから一年間先輩達に見放されたまま過ごすつもりか?


 あの日から、選挙活動は順調に行われた。金木は持ち前の優秀さと快活さで、生徒からの評判はうなぎ登り。原稿も今から数週間前には既に完成していたそうだ。内容は確か……、ああ、学校の美化意識がどうとか言っていた気がする。


 金木一郎の想いを未来へ繋いだ大樹は、台風などで倒れてはまずいと言うことで、戻ってきた保田に切られてしまった。大樹も、役目を果たしたかのように簡単に切れたそうだ。金木も、もうここにあっては邪魔になると、了承したから俺から言うことはない。

 そしてそれと同時に学校の美化意識の低さを目の当たりにしたそうな。まあ俺も覚えがある程度で、実習室裏は相当汚かったが。とどのつまり、金木はあれ以降積極的に学校内の掃除を先生達に訴えている。なので生徒会選挙はそれを最大限にアピールする為に都合がいいのだろう。


 そして今も尚、悲鳴を上げながら原稿を書いている嵐士はというと、あれ以降ずっとこの調子である。元より運動以外はそこまで興味を示さない男なので、朝の挨拶運動やその他の選挙活動も時折サボっていた。挨拶をしている俺達に堂々と挨拶を返してきた時は、流石の生徒会長も度肝を抜かれていた。当然、金木に怒られていたが。


 とうとう生徒会選挙本番間近、という所でやっと原稿の内容が決まったみたいで、確か……イベントを盛り上げるとか言ってたか。

 まあそれでも生徒からの評判は高い。元から誰彼構わず声を掛けたり、助太刀する男なので、多少サボった所で大勢に影響はない。信任投票の過半数はしっかり取れるだろう。


 俺はというと、原稿自体は既に出来ている。内容は当たり障りのないように、生徒達の要望に耳を傾けるとかなんとか書いた。生徒会長には褒められたが、嵐士には見抜かれて笑われたのがつい最近のこと。今は出来るだけ暗記で読めと、姉からの命があるので頑張って覚えている所だ。まったく、俺が期限を守って原稿を書いただけ充分だろう。何故まだ頑張らせるんだ。


 俺は手元の原稿に目を向けながら、二人を見つめた。微笑みを引きつらせて原稿用紙に向かう嵐士、それをどこから持ってきたのかハリセンを持って後ろで腕を組む金木。大変だな。だが自業自得だぞ、嵐士。


 そこから十数分程経った時、漸く原稿を書き終えた嵐士の報告をしに金木は職員室に向かった。今書き終えたということは、嵐士はこれから三十分で原稿を覚えなければいけない事になる。ざまあないな。

 残った嵐士はヘナヘナと机に伏しながら、俺に言った。


「なにはともあれ終わって良かったぜ〜」

「終わってないだろ。寧ろ本番はこれからだぞ」

「ん? ああそうじゃなくて。金木のおじいちゃんの話だよ」


 ああ、その事か。


「あれから少し経つが、もう遠い昔のように感じるな」

「そうだなー」


 そう言って、嵐士は伏していた身体を上げ、俺を見つめる。いつも通りのニヤついた笑顔で。


「なんだよ」

「いやあ? 俺の言ったとおりになったなってさー」


 言った通り? 何かコイツに言われてただろうか。俺の不思議そうな顔を見て、嵐士は首を横に倒す。


「あり? 覚えてない? 言ったじゃん、俺は春馬を信じてるって」


 ああ。そういえば言われたな。嵐士の泣き顔ですっかり忘れてた。


「あったな、そんな事も」

「おいおーい。親友の言葉くらい覚えておけよー」


 茶化すように嵐士は机を叩く。俺はそれを見て、フッと笑った。それを見て嵐も同様に、ニヤリと笑う。

 ふと思い出したかのように、嵐士が俺に訊いてきた。


「結局さ、なんで金木のおじいちゃんは『青春ノ地』を辻工全体にしたんだ?」

「これはあくまで俺の予想だが、金木一郎は戦争経験者だ。きっと、何人もの仲間や人の死を経験していた。戦争が終わっても、その心の傷や疲れは、癒やされることはそうないだろう。だからこそ、勉強ないし部活、趣味や色恋沙汰など、色んな事に振り回される生徒達を見て、羨ましかったんだと思う。そして、一緒に関わっていく中で、『恋文』にあった通り、『青春を取り戻す事が出来た』のだろう」

「なるほどなー。それで全部含めて『辻工そのものが青春ノ地』ってことね」


 俺の予想に納得したのか、嵐士はしきりに頷いてる。ふと、嵐士は俺に言った。


「そういや青春繋がりでさ、この前テレビで見たんだけど、青春の味って、何味だと思う?」

「は?」

「いやだから、青春の味だよ」


 こいつは何を言っているんだ。呆れた顔で嵐士を見つめていると、嵐士はムッとして睨んできた。


「あー、馬鹿にしてんだろ。ホントにテレビで言ってたんだよ。人によって違く感じる青春の味ってさ」


 別に嘘だと思ってる訳じゃない。くだらないことを聞くなと見つめたつもりだったが、伝わらなかったか。まあ良い。どうせ今は暇だ。付き合ってやる。


「……お前は何味だと思うんだよ」


 俺の回答に、嵐士は喜々として答える。


「俺か? 俺はなー……、甘い、かな」


 甘い、か。甘酸っぱいではなくて? まあ時間つぶしの適当な会話だ。別に何でも良い。


「春馬は? 春馬はどう思う?」


 身を乗り出してそう訊いてくる嵐士に、俺は少し考えてから答えた。


「そうだな……。前なら苦い、もしくは酸っぱいと思ってた。ただ今は、まあ、塩っぽい、かな」

「何だそれ、スナック菓子かよ」


 ほっとけ。個人の感覚なんだから良いだろうが。

 俺が手を振って黙るように嵐士に見せていた時、丁度、生徒会室の扉が開いた。

 扉の前で金木が俺達に言う。


「ほら準備して。そろそろ本番よ」


 金木の号令に、俺は原稿を手に取ると、ゆっくりと生徒会室を後にした。








 生徒会選挙の為に、体育館には全校生徒が集まり、いつ終わるのかと声を漏らしていた。


 まあ俺も中学の時はそうだった。なんでこんな興味もない事に付き合わなければいけないのだ、と。でも今はこちら側にいるので、少しだけ我慢してくれと願うばかりだ。

 それから数分間、生徒達が雑談を交わしながら待った後、校長の話が始まった。我らが辻工の校長は何だか分からんがとんでもなく話が短い。漫画やドラマじゃ校長の長話は最早伝統芸となっているが、うちは違う。大変助かります。そしてそのおかげもあって、実は朝会やこういった集まりのとき、校長の話は殆どの生徒が聞いているとか。これも一つの作戦なのかもな。


 そんな校長の話も終わり、いよいよ生徒会選挙本番。先鋒は当然、生徒会長立候補である米田だ。そして縦石や谷根などの先輩達が続いてく。先輩達は順番にステージ上でそれぞれの目標や、公約を並べている。嵐士は先輩達の様子をステージ脇から、まるでスポーツ観戦のように楽しみながら見つめていた。

 不意に、俺は金木と二人で待つことになった。特に意識せず、俺から話しかける。


「青春の味、ってなんだと思う」

「え?」


 俺の質問に不思議そうに見つめてくる。まあ急にこんな質問をした俺が悪いな。


「いや、さっき嵐士と生徒会室で待ってた時に、話してたんだ。青春の味は何味だろうなって」

「あー、なるほどね」


 そう言って、少しの沈黙の後、金木は答えた。


「私は、からい、かな」


 ほう。


「辛味って、実は味覚じゃないんだって。確かあれは痛覚で、からいっていう味覚は本当は存在しないの」


 そう言えばそんな話を聞いたことがあるな。ならそこまで分かっていて、何故、辛味を選んだんだ?


「でもね、人によってはちゃんと辛味はあるって言う人もいるの。青春ってさ、人によってつらかったり、苦しかったりするわよね。でもその反面、楽しかったり、嬉しかったりもする。だから、本当は味覚じゃない辛味みたいに、人によって、見方によって、味は変わるんじゃないかなーって、そう思ったのよ」


 なるほどな。金木らしい解答かもしれない。俺は思わずフッと笑った。

 金木は俺の顔に、少し照れるようにして言った。


「ちょっと、笑わないでよ。……園原は? なんて答えたの?」

「俺か? 俺は、塩っぽい、って答えた」

「塩っぽい? なんで?」

「元々は、苦いとか酸っぱいとか、あまり良いイメージは無かったんだよ。でも、この前の、金木の祖父母の時に思ったんだ。青春って意外と塩っぽいんだな、って」


 要領をえない俺の返答に、金木は首を傾げる。


「だから、何で塩っぽいのよ」


 俺は少し黙ってから、言った。


「涙って、塩味だろ」


 その時、ステージ脇が暗いせいで金木の顔はよく見えなかった。でも何となく、照れているような気がした。金木はすぐに俺から顔を背ける。


「ふーん。園原って性格悪いわよね」

「失敬な。俺ほどデキた人間はいないぞ」


 嘘よ、と言って、金木は更にそっぽを向いた。

 そこから軽く会話をして、嵐士の演説になった時、不意に金木が俺に言った。


「おばあちゃんの葬式。この前終わったわ」


 俺は顔の向きをステージに向けたまま、答える。


「そうか」


 淡白すぎただろうか。いや、多分平気だろう。こういうのは下手に反応するより、こっちの方が気を使わないものだ。

 金木は俺と同様、ステージに目を向けたまま、更に言った。


「おじいちゃんの手紙。ちゃんとおばあちゃんが生きてる内に伝えられたわ。まあ、もう耳も聞こえてなかったと思うから、意味があったかは分からないけど」


 そう言って、金木は乾いた笑いをしながら下を向く。俺は金木に言った。


「聞こえてたさ」

「え?」

「大丈夫。お前の祖母に、金木一郎の想いは届いた筈だ」


 そう言って、俺は金木を見る。またしても暗くて良く見えないが、多分、金木は笑っていたと思う。


「そうかな。うん、そうよね。そう思うことにするわ」


 そうだ。信じれば何でも叶う訳じゃないが、信じなければ何も叶わない。それは想いが届いたかどうかも一緒だろう。届いた筈だ。だって、金木一郎の想いはそれだけ大きかったのだから。


 俺達は周りに聞こえない程度の声で笑った。不意に、ステージ上の嵐士がこっちを見て、一緒に笑って見えたのは、多分気の所為だろう。

 笑って、少しの沈黙の後、金木が言った。


「今度、色々落ち着いたらで良いからさ。お墓参りに来てよ。四橋くんと一緒にね」

「ああ、是非行かせてもらう」

「で、話が変わるんだけど」


 何だ。さっきのしおらしい金木は何処へ行った? さっきと打って変わって金木は楽しそうに俺を見て笑う。


「さっきそこに座ってる生徒達のヒソヒソ話を聞いたんだけどさ。実は今、ある先生がちょーっと大変なんだって」


 なるほどな。もう次の言葉は何となく分かってきたぞ。俺は無意識に笑って、言った。


「それで、とどのつまりいつものアレだろう?」


 金木は笑いながら、俺の顔を見る。そして楽しそうな表情で、少し口元を緩めてみせた。


「そういうこと。ねえ園原、私とゲームしましょう?」










────第八話 完

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