38.没落令嬢、汚名を雪ぐ
さて、と次は修道士達に向き直る。こっちは一人一人吹っ飛ばしては
「……エルザ様、大丈夫ですか?」
ただ、問題は体力。エルザは無意識のうちに木に手を伸ばし、体を支えていた。
「……大丈夫。もう使いたくないけれど」
焼けた首筋がひりついている。その痛みに耐えるためにぎゅっと強く目を瞑った。血筋がバレないようほとんど使わずに生きてきたせいで、いざ使う場面では大技を乱発せねばならずそれに体が追い付かないというのはなんとも皮肉だ。
どうしたものか――と逡巡しているうちに、弱くなった雨音に混ざって蹄の音がし始めた。二頭いる……と振り向いた先から、金と銀の頭髪が突進する勢いでエルザの隣に駆け付けた。
「無事か、エルザ」
「シャルフ様……」
その姿を認めた瞬間、ズシリと体に疲労がのしかかってくる。安堵で緊張の糸が切れてしまったかのようだ。その場で崩れ落ちてしまわないよう、エルザはそっと木に肩を預けた。
「オイオイ、これはどういうことだ?」
ぐるりと周囲を見渡したラルフは、この区域の異変に気が付く。草木は焼け焦げ、地面には泥水が流れるほどの大雨の痕跡がある。ヴィルヘルミナ第三王子妃は泥の中に転がっているし、修道士は上手く扱えもしない剣を抜いているし……。
「半信半疑だったが、その琥珀色の髪……アンタは本当にベルンシュタインの一族か」
そして、例によってエルザの髪はオレンジ色だ。半信半疑、ということはエルザの素性は聞いたに違いない。
「……ええ。末裔と聞いているわ」
「なんだ、お仲間じゃあないか」
生き残り同士仲良くしよう、そうとでもいうような口ぶりにほんの少し面食らう。
シャルフはそのエルザの反応に若干の危機感を覚えつつ、こちらに剣を向けた修道士を無造作に払い除けた。
「私に何の真似だ」
鞘に殴り飛ばされた修道士はドテッと泥の中に滑るが、気持ちが悪いほどにすぐに起き上がって再び剣を構える。
「……いや、黒魔術か? どういうことだ?」
「……ヴィルヘルミナの仕業よ」
「第三王子妃だと?」
「……詳しい説明は後。多分、修道士達にかけられているのは『レディ・エルザを殺す』っていう至極シンプルな黒魔術よ。その目的を達する以外何もできない――邪魔をする者は同じく殺そうとするし、喋ることもない……殺人人形みたいなものね」
「アンタ随分冷静だな」
ゲラゲラとお腹でも抱えそうな勢いでラルフは笑った。白銀の美髪は雨に濡れると一層美しく見える。
「しかし『レディ・エルザを殺す』か。止めるにはどうすればいい、全員殺せ――とは、殿下は言わないんだろう」
「当たり前だ、正教会の修道士を始末するのは具合が悪い。全員生かして捕らえろ、お前ならできるだろう」
「本当に人使いが荒い。が、仰せのままに、殿下」
馬から降りたラルフの剣技は、その美貌と相俟って舞のように鮮やかだった。一振りごとに2、3人を薙ぎ倒し、しかし命令のとおり殺さず、一人一人を丁寧に寝かせるように泥へと沈める。エルザのような剣の素人でも明白な、相当の実力者だ。本人が自負するとおり、“祝福”のあるシャルフよりさらに凄腕の剣士なのかもしれない。
歌劇でも見せられているような気持ちになって見入っていると、頭から重たい上着が乱暴にかけられた。式典用の、王族の軍服だ。
「シャルフ様、私がこれを羽織るわけには……」
「だからといって風邪を引くわけにもいかないだろう。それにもうすぐ人が集まってくる、髪を見られないほうがいい」
エルザのびしょぬれの髪を掬い上げ、シャルフはしかめっ面をしてみせる。シャルフ達も濡れてはいるが、いわば雨乞いの真下にいたエルザほどではない。
「あの大雨も雷鳴も、“加護”か?」
「……ええ。ベルンシュタインの“加護”は自然と共に生きる力だから。修道士達の放火を惠の雨に鎮火してもらったわ……」
その髪を、ゆっくりとシャルフの手から抜き取る。まるで毛先まで神経が通っているかのように、シャルフに触れられたところが熱を帯びている気がした。
「……ヴィルヘルミナ様が陛下に黒魔術をかけ、オットー第一王子とハンナお姉様に汚名を着せて処断させたそうよ。……今の彼女は気絶しているだけだから、捕縛して再度自供させて。……そのときは白魔術で黒魔術を防御してからにしたほうがいいわ、彼女、相当強い魔力があるみたいだから……」
「陛下に黒魔術をかけたということはそうだろうな、用心しよう。……それより、早くここを離れたほうがいい。そろそろ兵達も駆けつけるはずだ」
「あ……そうね、それはちょっとマズイわ……」
そうだ、一刻も早くここを去らなければ。それは分かっているけれど、足が重たい。地面の泥水をそのまま吸ってしまったかのように、重たくて動かない。
「クローネもいるのか?」
「おりますとも」
「宮殿を出るに越したことはないが、この恰好ではあの家は遠すぎる。俺の寝室なら人が出入りすることは――」
あ、これはもうだめだ。そう自覚するがはやいが、エルザは足から崩れ落ち――そうになったところを、シャルフに抱き留められた。
「エルザ?」
「エルザ様! 加護の反動ですか!?」
「エルザ、しっかりしろ。おい、どうした?」
「シャルフ殿下、エルザ様の琥珀の髪を隠して安全なところへお連れしてください! 加護を使うとただでさえ消耗が激しいのですから、早く!」
いまのクローネは首飾りをつけていない。シャルフには見えないし声も聞こえない。
だから私の首飾りを持ってきてから喋って――と口を開く前に、エルザは意識を失った。
その意識を取り戻したのは3日後で、そのときにはオットー第一王子処刑をめぐる事件の全容は暴かれていた。
ヴィルヘルミナ・ヤーデの罪状は、王に対する精神操作の黒魔術、オットー第一王子とハンナ第一王子妃に対する意図的な冤罪、オットー第一王子とハンナ第一王子妃それぞれの一族の不当な処刑、シュヴァッヘ第三王子に対する精神操作の黒魔術……と多岐に渡った。
ヴィルヘルミナ・ヤーデは、ヤーデ家繁栄のため正妃になることを目論んでいた。もとは第一王子との婚姻が進められていたため問題なかったが、ハンナの存在によりこれは破談となった。そこでシュヴァッヘ第三王子を黒魔術で惑乱して婚姻したが、シュヴァッヘ第三王子が予想外に衰弱してしまったので、王を操り生前に譲位させることにした。しかしこれがオットー第一王子とハンナ第一王子妃に見つかってしまい、彼らの処刑を大々的に行わざるを得なくなり、譲位の時機を逸してしまっていた。挙句、世論はアルノルト第五王子を担ぎあげるようになり、シュヴァッヘ第三王子を即位させる相応の建前を整える必要が生じた。その中途で、ヴィルヘルミナとは全く無関係にヴィクトール元軍務卿補佐とアレクシア第五王子妃が勝手に行動を起こし、ヴィルヘルミナの計画が引っ掻き回され……となっていたところで、エルザに見つかってしまった。
ヴィルヘルミナの処遇は、先例に基づけば処刑を免れないが、今現在は未だ審議中らしい。なお、ヤーデ伯は、今回の一件はヴィルヘルミナの独断であったとしつつ、その爵位号を返上して王に詫びた。
これらの事実は春の風より激しく王都を駆け巡った。民衆はヴィルヘルミナ元第三王子妃を「私利私欲のためにシュヴァッヘ殿下を惑わし、陛下にまで手をかけた魔女」と罵り、ヤーデ家に石を投げ、家畜の血を撒いて非難した。
そうして、オットー第一王子もハンナ第一王子妃は
エルザがベルンシュタインの血を引いているということは「エルザに罪を暴かれたヴィルヘルミナが咄嗟に吐いた嘘」ということになっていた。
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