37.没落令嬢、加護を使う

 ヴィルヘルミナの言葉を合図に、夕暮れ時の庭園に火の玉が飛んだ。それを辛うじて避けるふりをしながら、エルザはじりじりとヴィルヘルミナ達から離れる。


「そういえば、白水の宮殿で火の玉を見たって話があったわね。貴女の仕業?」

「いいえ、あれはアメティスト元軍務卿補佐の仕業だったそうですわ。オットー第一王子の死について嗅ぎ回り、首謀者を失脚させる狙いがあったようです」

「どこまでも権力にがめつい方だったのね。じゃあレディ・アレクシアが私にその話をしたのは第四王子妃を事故で亡き者にでもしようとしたせいかしら?」

「そうだと思います、白水の宮殿には盗賊が出入りしていましたから。でも、アメティスト元軍務卿補佐はヤーデ家に気付く前に亡くなってしまいましたね。シャルフ殿下には感謝しなくてはなりません」


 話ぶりから分かっていたことだが、やはりヴィルヘルミナの目的はヤーデ家の地位にあるのだろう。本来、ヴィルヘルミナがオットー第一王子と婚姻することでその地位を盤石にすることを企図していたが、ハンナの出現でその計画が破綻し、オリヴァー第二王子は無視してシュヴァッヘ第三王子と婚姻することにした、と。しかし黒魔術をかけてしまったことが災いし、シュヴァッヘ第三王子は衰弱する一方、婚姻していても王妃になる可能性は低くなってきた。だから次は、第四王子のシャルフ。


「特に、お噂とは違ってシャルフ殿下はぼんくらではないようですし、嫁ぐのにふさわしい方です。あまりに優秀ですとかえってヤーデ家が口を出しにくいですが、それは後になって考えれば済むことですね」

「シャルフ様にも黒魔術をかけるの? 言っとくけど、もとからかかってるんじゃないかってくらい腹黒王子よ」

「エルザ様、少しは庇ってあげてください」

「それより、こんな騒ぎを起こしてどうやって誤魔化すつもり?」

「どうもなにも、レディ・エルザはベルンシュタインの魔女ですよ?」


 エルザの髪色は徐々にダークブラウンに戻りつつあったが、この場を生き延びるには加護に頼らざるを得ない。そうなれば駆け付けた者は皆エルザがベルンシュタインの血を引くことを認識する。

 それを承知のヴィルヘルミナは、穏やかな微笑みを絶やさず続ける。


「アダマス教はベルンシュタインの魔女が生きていることを許しません。そんなエルザ様を始末するのに、他に何の大義名分が必要でしょう?」

「噂に聞くとおりの過激派ね。王家に祝福を与えたかなんだか知らないけれど、狡い手を使ってアウレウス教を追いやった連中が大きな顔をするじゃないの」

「嫌ですわ、レディ・エルザ、狡いだなんて」


 エルザがじりじり後退することに気付いていたらしく、ヴィルヘルミナの指示でエルザの後方に火の玉が飛ぶ。ボッという音と共に空気を大きく揺らし、炎がエルザの背後に壁を作った。


「アウレウス教筆頭のベルンシュタインは、その加護を用いて王に弓引いたのですよ? その王をたすけたアダマス教の何が狡猾だというのでしょう」

「アダマス教がそうなるように仕組んだことじゃない」

「ベルンシュタインの魔女は歴史を改変なさるのですか? 恐ろしいですね、だから滅びてしまうのです」


 背後の熱がじりじりと首を焼く。額からは汗が零れ、目に入るのを防ぐためにエルザは一度瞬きした。


「……クローネ、どうしましょう。まずは火を消すことからかしら」

「宮殿内ならいくら燃えてもアダマス教の信徒が頑張るんじゃないですか? それよりエルザ様、私、ヴィルヘルミナ様が不愉快でなりません」


 むう、とクローネは余裕そうに頬を膨らませる。ヴィルヘルミナにクローネが見えていたら挑発だと思われただろう。


「ご自身の地位のことしか考えていないなんて、在りし日のアダマス教の主教と同じです。あんなお家を生かしておいては早晩国が滅びます」

「クローネも大概好戦的よね。でもベルンシュタインの加護で人を殺したくはないわ。捕らえてシャルフ様に引き渡したいわね、そうすれば夏の事件の真相を暴いたってことで恩を売れるでしょうし」

「恩を売りたいだけですかあ?」

「こんなときに余計なことを言わないで」

「独り言とは余裕ですね、レディ・エルザ?」


 頬に手を添えたヴィルヘルミナの表情は、この間までであればただ不安がっているように見えただろう。


「いくら加護があるとはいえ、この人数です。おひとりではどうにもなりませんよ」

「あら、知らないの? アダマス教の連中が使う魔術って、アウレウス教のいいとこどりなのよ?」


 もともと、魔術というのはアウレウス教の専売特許だった。それをアダマス教が横取りして我が物顔で用いるようになっただけだ。それでもって、アウレウス教の扱う魔術はベルンシュタイン家の“加護”を扱いやすいように転用したもの。いわば“加護”を制御して使っているのであって、その力は“加護”に格段に劣る。


「そのアダマス教の信者達が、本家本元のベルンシュタインに敵うわけないでしょ」


 余裕そうに構えていたヴィルヘルミナに向け、エルザは得意気に笑みを作ってみせた。


火の精ヴォルカネルフ、まずは火を落としましょう」

「なっ……」


 修道士達が放とうとしていた火の玉は、次々とその場で墜落する。当然足下の草木が燃え始め、さすがのヴィルヘルミナの顔にも狼狽が浮かんだ。


「何をしているのです! 相手は一人――いえ先に火を消さなければ!」

風の精シュツルメルフェン、ほどほどに燃やしてちょうだい」

「きゃあッ」


 風に揺られた火が大きく燃え上がり、悲鳴が上がる。エルザの首筋はまだじりじりと熱を帯び始めていた。


「水の白魔術を扱えるものはいないのですか! 早く消すのです、これ以上燃え広がる前に!」

「……火の精ヴォルカネルフ、私の後ろの火を鎮めてくれないかしら。水の精クヴェリーフェンも、お願い」


 エルザの背中で火が徐々に弱まると同時に、少し離れた噴水の水が激しく吹き上がって雨を降らせる。ジュウウ、と鎮火される音が静かに響き、草が燃える匂いの代わりに土の匂いがし始めた。


「それから雷の精ブリツェルフも来て」


 晴天にもかかわらず、雷雨の準備運動がゴロゴロと響き始める。ヴィルヘルミナ達が慌てて視線を遣った空には、有り得ない速さで曇天が流れてきていた。誰が見ても、もうすぐ雷雨だと確信する空模様だ。


「一体、これは、何ですか、レディ・エルザ――いえ、ベルンシュタインの、魔女」


 一語一語言い聞かせるような口ぶりと、怯えの混ざった愕然とした表情。クローネはその顔を見たことがある――生前、ベルンシュタインの力を知った人々が同じ顔を向けた。


「何? ベルンシュタインの力も知らないで魔女と呼んでいたの?」


 首の中で神経が焼ける感覚がする。痛みにも似たその感覚は、加護を使えば使うほど強くなる。エルザの髪は既に毛先まで琥珀色に染まっていた。


「フライハイト・ベルンシュタインに与えられた加護は自然と共に生きる力よ。木々を風で吹き飛ばすも人々を水で押し流すも自由自在」


 その代わり、加護を使えば使うほど、神経は研ぎ澄まされる。しばらく使っていなかったせいで少し鈍っていたが、勘が戻ってきた。


「雷だってそう。その気になれば貴女の家に落とせるわよ、ヴィルヘルミナ・ヤーデ」


 バリバリバリッと雷鳴が轟き、ヴィルヘルミナが頭を庇いながら悲鳴を上げるのを合図にしたように、土砂降りとなる。咲き誇る花を照らしていた空は、鉛のような曇天に覆われ、その分厚い雲がバケツを引っ繰り返したような大雨を降らせ始めた。嵐の夜のように、盛りの花は容赦なく散らされていく。


「こんなの……こんなの、おかしいでしょう。人智を越えています。こんなふうに……天候を思いのままに操ることができるはずありません」

「操ることができるから、アダマス教はベルンシュタイン家を放逐したんでしょう!」


 雨の中でも聞こえるように声を張り上げ、手近な木に雷を落とす。ドオンッと地響きを立てて被雷した大木が炭と化し、近くにいた修道士達が悲鳴と共に後退する。


「……陛下に黒魔術をかけたことを、それを目撃したオットー第一王子とハンナお姉様を弑逆事件の首謀者に仕立て上げたことを、そしてクリスタル一族を処刑したことを、法務卿に自白しなさい、ヴィルヘルミナ。そうすれば命まではとらないわ」

「……命までは、ですか?」


 びしょぬれのドレスの袖を捲りあげながらエルザを見返すその顔は、そんな上から目線で何を馬鹿なことをと言いたげだ。


「立場を弁えてください、レディ・エルザ。ヤーデ家はアダマス教の敬虔な信徒なのですよ。ベルンシュタインの魔女がなんて口のきき方をするのです」

「この期に及んでまだそんなことを言うの? ……地の精エーアテルフ、ごめんなさいね」

「ッ!」


 ヴィルヘルミナを守るように囲んでいた修道士が呻き声と共に次々と地面に倒れる。見えないなにかに足を貫かれたように、膝から崩れ落ちるように、ぐしゃり、どしゃりと、ぬかるんだ泥の中にその体が沈んでいく。


「今度は……何ですか、毒……?」

「ヴィルヘルミナ、貴方知ってる? 砂粒ひとつで人は殺せるらしいわ」


 地面の中に紛れている粒を放つ、その速度と的を選べば、それだけで弾丸に匹敵する。もちろん修道士達を殺しはしないが、今この場で立っていられないように応用するのは容易いという話だ。

 チリチリと、エルザの首筋には焼けるような痛みが走る。神経は極限まで研ぎ澄まされていた。

 その代わり、疲労も押し寄せ始めていた。肩で息をしているのを必死に隠そうとしたが、ヴィルヘルミナは気付いただろうか。


「どれだけ精鋭の修道士を集めようが無駄よ、ベルンシュタインの血に敵うわけがない。今ここで私に降伏し、罪を認めると誓いなさい。そうでなければ、ヤーデ家を燃やすわ」

「……甘いですね、レディ・エルザ」


 ……撤退しきっていなかった修道士達にもう一度黒魔術がかかった。雨靄の中で目を凝らせば、修道士達が剣に手をかけたところだった。


「ベルンシュタインの魔女、さすがにその力がここまでだとは思っていませんでしたが、忘れていました。魔女狩りの際、ベルンシュタインの魔女達は皆剣で切り伏せられたのですよね? 魔女は物理攻撃に対抗する術を持ちませんから」


 弱点に気付かれた。じり、とエルザは今度こそ本気で後ずさりした。


「レディ・エルザ、貴女はさっきから私達の足止めをしてばかりですし、殺す勇気はないのでしょう? 甘いですよ」


 バシャバシャッ、と修道士達が剣を手に駆ける音が、雨の中に響く。修道士は剣の扱いに長けていないといってもエルザよりマシだ。


「……確かに甘かったわ」


 それでも、人は常に自然の掌状しょうじょう。力を振り絞り、エルザはもう一度呟く。


風の精シュツルメルフェン、吹っ飛ばして」


 ひゅお、とヴィルヘルミナの体が宙を舞った。


「え?」


 突然浮遊感に襲われた以外、何が起こっているか分からない。そんな反応をしたヴィルヘルミナは、そのまま、ドン、と見ない手に突き飛ばされたように、吹っ飛んだ。

 大木に叩きつけられ背中を強打したヴィルヘルミナは、そのまま重力に従って泥の中に落ちる。深窓の令嬢に相応しく手入れされた顔と体は無情にも泥まみれとなった。


「……死んでないわよね」

「分かりません。でも、死んではいけないのでしょうか?」

「クローネって時々怖いわよね。……死んじゃったら、お姉様の汚名を雪げないでしょ」


 これで、今度こそ自分は役割を終えた。小ぶりになってきた雨の中、びっしょり濡れた前髪を乱暴に掻き揚げ、エルザは安堵の息を吐き出した。

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