35.没落令嬢、死体を知る

 アメティスト軍務卿補佐の処断により春の式典は中止となった。兵達が事後処理を始め、王達は宮殿へ帰り、貴族達も庭園を離れ始める。シャルフは事後処理をする兵達に指示を出し始め、エルザはラルフとフィンと共に取り残された。


「……あの、ラルフ・ズィルバーグランツ様?」

「いかにも、俺がラルフ・ズィルバーグランツだが」


 得意気に口角を吊り上げるラルフに、エルザは少しドキドキしてしまった。シャルフをとんでもない美貌の主だと思っていたが、ラルフはその比ではない。隣で眺めていると卒倒してしまいそうな美しさがあり、現にフィンの横のクローネも「なんて美しいんでしょう……」なんて感嘆している。


「……その、シャルフ様の……婚約者、ではないのでしょうか……?」

「俺様があの俺様殿下の婚約者!」


 声を上げて笑う大きな口にさえ鼓動が高まるのを感じる。お陰で“俺様”がシャルフを“俺様”呼ばわりすることに違和感を覚えることができなかった。


「冗談はよしてくれ、そんなものになった覚えはない。ただ、そうだな、アイツに忠誠を誓わされたという意味では婚約者かもしれん。死ぬ以外にたもとを分かつことがないからな」

「……じゃあやっぱり、シャルフ様に婚約者がいるというのは嘘……?」


 うかがうようにフィンを見ると「ええ、まあ」と事もなげに頷く。


「先程仰っていたとおり、第四王子妃の座を不当に狙う輩を見つけるための嘘でございました。敵を騙すにはまず味方からというのが殿下の口癖でして、エルザ殿にも事情を説明するわけにはいかず」


 シャルフとの関係に一筋の光明が見えた、と少し身を乗り出してしまったエルザだったが「つまり殿下には意中の女性はいらっしゃいません」最後の一言に撃沈された。そう上手くはいかないものだ。


「……そうですか」


 それはそれとして、シャルフが婚約者を呼び寄せながらエルザに手を出しているわけではないことは分かった。エルザからの罵倒に曖昧な返答しかしなかったのも、ラルフの存在を最後まで漏らさないためだったと考えると謝罪すべきかもしれない。

 ……じゃあエルザに口づけした意味も変わってくるのだろうか? そう考えようとしたときに「そういうアンタは?」名乗っていなかったことを思い出す。


「あ、申し遅れました。エルザと申します」

「……なるほど? 金で雇われたのか?」


 おもむろに、その指がぐいとエルザの顎を持ち上げる。見た目に反し、その手は剣を振るう男のものでしかなかった。


「……そうです」

「物好きだな、命を放り出すようなものだ」

「事情がありまして。しかし、ラルフ様が式典に到着するまでとうかがっておりましたので、これにて失礼しようと思っております――」


 ハンナの汚名は雪げずじまいとなるが致し方ない――溜息を吐きながらそんなことを考えていたところで、不意に、シャルフが読み上げたヴィクトールの罪状を思い出す。


「……司教の遺体」

「ん? ――おっと」


 突如、ラルフの前髪を断ち切るかのごとく剣が椅子に突き刺さり、エルザは仰天しラルフは少し頭を逸らした。

 エルザの顎を捕らえていたラルフの手は、大股で歩み寄って来たシャルフに掴まれる。


「俺の椅子で何をしている」

「アンタこそ何してんのよ! 怪我したらどうすんの!?」

「大丈夫だエル、いくら“征服されざる者”とはいえ、ズィルバーグランツ家の名にかけて俺が殿下の剣に劣ることはない」


 問題はそこではないと言いたかったが、シャルフが「なぜお前が俺の妃を愛称で呼んでいる」と呻るのを聞くとそういう問題もあると気付き、さらに妃ではなく契約妃だと訂正する必要まで生じてしまい、どこから何を指摘すればいいのか分からなくなってしまった。


「シャルフ殿下、アンタはまだ事後処理の最中だろう。アメティスト元軍務卿補佐の首をいつまでも転がしておくな、目障りだ」

「死体を拾い上げるのは俺の仕事じゃない」

「あ、そうよ、死体といえば」


 そんなことより何より、引っかかっていたことを思い出した。


「シャルフ様、アメティスト軍務卿補佐が司教を殺したって言ってたけど……」

「ああ、昨日見つかったと話していた修道士の遺体のことだが」

「……その司教って、かなり年嵩の方? 頭はもう禿げ上がって……」

「そうだな。何か心当たりでも?」


 エルザの頭には、獄中にやってきた老修道士のことが浮かぶ。


「……違うわ」

「何がだ」

「……その人の魔術の痕跡は、紫陽花色じゃなかった」


 シャルフが眉を吊り上げ、ラルフがぱちりとその美しい睫毛を上下させる。エルザは2人に構わず考え込んで――はたと気が付いて、振り向く。他の王子達は皆宮殿に戻っていた。


「……どうした、エルザ――」

「殿下、私の契約ってこれでおしまいよね! お世話になりました、さようなら! クローネ、帰るわよ!」

「え、エルザ様、そんなに慌てて――ああもうっ、失礼しますね、フィン様!」


 唖然としたシャルフを取り残し、エルザはクローネと共に庭園の中へと走っていく。その様子をラルフは少し驚きながら見守っていた。


「……クローネというのは誰だ?」

「フィンから聞いてくれ。俺はエルザを――」

「殿下は仕事をしてください。兵が指示を待っております」


 カチカチとフィンが金環を外す音が静かに響く。無情な、しかし反論できない側近の諫言に、既に一歩踏み出していたシャルフの足はそのまま止まらざるを得なかった。

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