34.没落令嬢、女神に驚く


 ぽかんと呆気に取られたのはエルザだけではなかった。参列した王族貴族官僚、すべての者が言葉を失い、式典の喧噪は思わぬ客の登場により息を潜めてしまった。


「ご苦労、ラルフ」


 その中に、シャルフの声が響き渡る。


「……これはどういうことか。説明しろ、シャルフ」

「お騒がせして申し訳ありません、陛下」


 欠片も申し訳なさそうに思っていなさそうに、シャルフは輝く笑みを王に向けた。


「ここ最近宮殿で起こった騒動について責任を問うべき者が明らかになりました。私からのご挨拶の前にその話をしましょう」


 その横に、ずるずると美人が男を引き摺ってくる。よほど酷い目に遭わされたのか、男は半泣きだった。

 エルザはおそるおそる“ラルフ”と呼ばれた美人を見上げた。一言目に「美しい」と感想が漏れてしまいそうなほど、本当に美しい人だった。女神を見たことはないが、きっと誰もが憧れる女神はこんな姿をしているのだろうと思ってしまうほどの美しさ。白銀の髪、睫毛、瞳、すべてが水晶のような輝きを放っている。

 だが、騎士だ。黒に近い赤色の軍服を身に纏い、その腰に剣を佩く、美しい騎士。すらりとした長身に、軍服の上からでも分かる均整のとれた体つきの――。


「……男性?」


 それを見ていたエルザは思わず口にしてた。気付いた“ラルフ”は白銀の目でエルザを射抜き、牙を剥くような笑い方をする。


「俺が女に見えたら、アンタの首を飛ばしてるぞ」

「ラルフ、エルザと話すのは後だ。さて、さきほどの話が聞こえたか、アメティスト軍務卿補佐」


 ラルフが引き摺ってきた男の襟首を掴み(男は「ヒッ」と悲鳴を上げた)、シャルフはゆっくりと壇上を降りる。誰もが道を避けたその先にいるのは、ヴィクトールだ。


「……何のことですかな、シャルフ殿下」

「惚けるならそれで構わないんだが、娘のことといい、もう少し下も見てやったほうがいい」


 まるで物でも扱うように、シャルフが男を放り投げる。足下に転がった男に、ヴィクトールは虫けらでも見るような目を向けた。その目は幾分冷静さを張り付けた後にシャルフに戻り「はて……」とまさしく惚けてみせる。


「この者が私の部下だとでも仰るつもりですか」

「物分かりが悪いわりに話は早いな、アメティスト軍務卿補佐。アメティスト領の兵だ」

「濡れ衣ですな」

「私はまだ何も言っていないが?」


 揺るがない勝利を得ているシャルフは嘲弄ちょうろうを向ける。口を滑らせたヴィクトールは一度黙るが、もう遅い。


「あの馬車が何の馬車か、見当はつくか」

「……大方、シャルフ殿下の婚約者様が乗っておられた馬車でしょう。婚約者様は賊に襲われ亡くなったそうですが」

「乗っていたのはアイツだ。ラルフ・ズィルバーグランツ」


 その名のとおり白銀の髪を揺らし、呼ばれたラルフが鼻を鳴らして応える。


「数年前、北方侵略で死に絶えたズィルバーグランツ家の生き残りの三男。もちろん、私の婚約者ではない」


 エルザもその家の名を聞いたことがあった。クリスタル家と並ぶ辺境伯で、最東端の領地を任されていた。戦争あるところにズィルバーグランツ家ありと言われるほど凄腕の騎士を輩出する家だが、常に戦に身を投じ続けるため、何度もお家断絶の危機に瀕してきた。そして数年前、遂に一族が絶えたとまで言われていたが。


「彼の素性は措くとして、今回、私がエルザを契約妃に迎えた理由はふたつある。ひとつは遠方から来る婚約者の身代わりという建前、もうひとつはいい機会なので膿を出しておきたいという本音だな」

「……どういう意味か分かりませんな」

「これはすまない、日頃フィンとばかり話しているものでね、一を聞いて十を理解してくれぬ者との会話に慣れていないんだ」


 ぼんくら演技をやめたシャルフは嫌味に容赦がない。


「私は遠方から婚約者を呼び寄せるということにしていたが、実際に王都に向かっていたのはあのラルフでね。わざわざ馬車に王家の紋を彫り、道中は存分に狙われてくれと伝えておいた。その結果がアメティスト領の兵だ」


 装備を見ればアメティスト領の兵であることは一目瞭然。周囲の貴族達もヴィクトールの仕業と疑わぬ目を向け始め、ヴィクトールは「見覚えがありませんな!」と声を荒げる。


「大方、私に罪を擦り付けるために我が領の兵から装備を奪ったのでしょう! 小賢しい賊がいるものだ」

「なるほどなァ、となると随分頑張り屋な賊だったんだな」


 低くてよく通る声が馬車まで闊歩する。馬車周辺に取り残されていた衛兵達がサッと退く向こう側で、もう一度扉が開き――バラバラッと装飾品が零れ落ちる。アメティスト領兵の軍服に身についている装飾品だ。


「シャルフ殿下のご命令は賊に襲われること、返り討ちにして捕縛すること、賊の身形に共通点があればそれをもぎ取ってこいとのことだった。連中、揃いも揃って紋章入りの留め具をつけてたが、これ、アメティスト家の紋章だろ?」


 カンッとラルフが放った留め具に刻まれた花の紋に、ヴィクトールはその顔を怒りで赤く染め始めた。その紋の刻まれた留め具が、馬車から数十個零れているのだ。ラルフを襲った誰も彼もがその留め具をつけていたことを示すように。


「……謀反ですかな」

「苦しい言い訳はよせ、アメティスト軍務卿補佐。私をぼんくらだと油断したお前の策はあまりに穴だらけだ」

「シャルフ殿下、式典中に失礼いたします!」


 ヴィクトールが言い逃れを続けようとしたところに、新たな声が舞い込む。今度は王国軍で、駆け足でシャルフのもとへ馳せ参じた。


「リラ地方の賊ですが、さきほどすべて地下牢への移送を終えました。ご報告まで」

「ご苦労様」

「……リラ地方の賊、ですか?」

「耳ざとくて大変結構。……さきほどラルフが言ったとおり、ラルフを襲った賊は全て捕らえておいた。いま地下牢に送られたようだが、揃いも揃ってお前の部下だ、アメティスト軍務卿補佐」

「シャルフ殿下は人使いが荒いよなあ」


 戻ってきたラルフは第四王子の椅子――エルザの隣に乱暴に腰かける。びっくりしてエルザが少し跳び上がったのにも構わず、その女神は美しく微笑んだ。


「賊が襲ってくるなんて戦だぜ、戦。それを死人に口なしにされちゃ困るから殺すなって言うんだ。お陰で苦労した、到着が式典に間に合わないかと思ったぜ」

「相変わらずいい仕事ぶりだったが、それはそれとして俺の椅子に勝手に座るな。……さて、アメティスト軍務卿補佐、他に言い訳はあるか?」


 ヴィクトールは苛立ち交じりの表情で唇を噛むばかりで、だんまりを決め込んでいた。じとりと足下の部下を見下ろし、ついでシャルフを睨み、それでも口を開くことはない。


「……ついでに申し上げよう。レディ・アレクシアをお前の邸に送った際、私の部下が妙な話をしていた。レディ・アレクシアではないお前の娘が、もうすぐ第四王子妃になれると張り切っていたそうだ。はて、私は私に弓引く者の――逆賊の娘を娶る予定はないのだが」


 すっとぼけた口上に、話を聞いていた貴族の中から忍び笑いが漏れた。それを皮切りに、庭園にはクスクスと笑い声が響き始める。

 アルノルト第五王子がアメティスト家の令嬢を勧めていたように、ヴィクトールは第四王子にも自らの娘を宛がいたかった。だからエルザは邪魔であったし、本物の婚約者が別にいると判明した後はそれを害そうとした。

 なんて身勝手で、なんて単純。しかし、シャルフがぼんくらでなく、王が傀儡のままであれば明るみになることはなかっただろう。その意味で、もちろん誤算はあった。

 ヴィクトールの額を、じっとりと汗が流れる。もう言い訳も思いつかないのだろう。


「さてアメティスト軍務卿補佐、これが総括だ」


 賊の投獄を知らせた兵から書簡を受け取り、開く。数日前の聖堂と同じような光景がそこに広がった。


「アレクシアが新たに自白した、お前には第二王子妃殺人未遂への関与も認められる。あわせて第四王子妃への傷害、不敬および殺人未遂、ならびに司教の殺人およびその遺体遺棄……最後に素晴らしい功績を積み上げたな、アメティスト軍務卿補佐」


 春の式典という華々しい場で皮肉まじりに罪を暴かれ、家族を捕らえられ、周囲の貴族の嘲笑の的にされる。軍務卿補佐という地位にまで上り詰めた男に、それはあまりに酷い罰だった。


「私は忠告したぞ、アメティスト軍務卿補佐。アレクシアの捕縛を機に、大人しく家族と隠居してはどうかとな」


 それを無視するから恥をかくのだ――エルザにはそう聞こえた。まるで自分がヴィクトールになったような気がしてしまい、ゴクリ、と喉を鳴らしてしまう。いつの間にかエルザまで緊張で手を握りしめていた。


「私からの話は以上だ。アメティスト軍務卿補佐を連れて行け。構いませんね、陛下」

「……ああ」


 書簡を兵に押し付け、シャルフはアメティスト軍務卿補佐に背を向ける。


「アメティスト元軍務卿補佐、剣を」

「……シャルフ殿下が切れ者というのは、なんとも誤算でしたな」


 ヴィクトールは苦々し気に吐き出しながら鞘を手に取ろうとして――そのまま柄に手をかけた。


「しかし、殿下の剣の腕が軍務卿補佐を務めたこの私に――!」


 その手が剣と鞘を分かつより早く、その首と胴体が分かたれる。

 ゴロッと転がる首と、おびただしい血と、主を失い落ちる剣と体。軍務関係の貴族らは顔をしかめるに留めたが、内政関係の貴族らは呻き声や悲鳴を上げて顔を背けた。

 剣から返り血を払うシャルフを眺めながら、ラルフが「アメイジング」と呟きながら軽く口笛を吹く。


「俺を口説いたときから変わらない。冷たく美しい剣技だ、シャルフ殿下」

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