33.没落令嬢、式典に出る

 春の式典は、毎年花の咲く時期に行われる。今年もすっかり陽気な日が差すようになり、色鮮やかな花が美しく咲いた庭園では、外務卿や軍務卿などなどの官僚の重鎮達を始めとした貴族が集まって酒を楽しみながら花を愛でていた。

 シャルフは武闘大会では座ることのなかった第四王子の席に着き、その隣に無理矢理エルザを座らせた。


「……いい加減に機嫌を直したらどうだ」


 が、引き摺って連れてこられたエルザはあまりにも不機嫌だった。その周囲には華々しい装飾とは真逆の苦々しい空気が漏れ漂っている。


「シャルフ様がいますぐ私を返してくれましたら機嫌を直します」

「だから式典が終わるまでだと言っているだろう。もともと婚約者が来るまで・・・・妃を務めるのが契約だったはずだが、それを守らないのか」

「…………」


 真面目なエルザは黙り込む。確かにそうだし、なんなら体を許さざるを得ないことまで覚悟もしていたのだから、口づけをされたからって怒るべきではない。しかも原因がエルザの恋心にあるのだからなおさらだ。


「……せめて五百歩くらい離れていたいわね」

「王子への畏敬の念を顕しているにしても遠い距離だな」

「アンタなんか恨むことはあっても敬うことはないわよ」

「エルザ様、またそうやって憎まれ口ばっかり」


 そうして呆れ声をかけるクローネはちゃっかりフィンの隣に立っている。シャルフの側近のため、フィンは庭園側ではなく王族側の席にいるのだ。


「お帰りになる前に少しは素直になっていたほうがいいですよ?」

「クローネ、余計なことを言わないで」

「何の話をしている」

「何も。フィン様、何も言わないで結構です」

「エルザ、ごきげんよう!」


 その殺伐とした空気の中に、ビアンカの明るい声が舞い込んだ。さすがのエルザもビアンカ相手にまで不機嫌な顔はせず、一瞬戸惑いながら「ご、ごきげんよう!」と慌てて返事をして立ち上がった。


「もう調子はいいの?」

「ばっちり。そちらのフィン様が解毒薬を持っていてくださったお陰とうかがっているわ。ありがとう!」

「いえ別に」


 どうやらフィンは別の王子妃にも随分無愛想らしい。

 しかしビアンカが気にした素振りはなく「ていうか私のせいで大変だったみたいね、ごめんね?」と肩を竦める。


「全然、ビアンカのせいなんかじゃないわよ。そうなるように仕組んだ人がいたというだけだから」

「ああ、レディ・アレクシアね。びっくりしちゃうわよね、他の王子妃に毒を盛るなんて」


 まるで他人事だし、その口からは悪口も出てこない。さっぱりした性格通り越してできた人だな……とエルザは感心してしまう。


「でもそういえば、エルザも契約妃だったのね。一気に2人も王子妃が減るなんて寂しいし、よりによってその1人がエルザだっていうのが残念よ。ここだけの話、ヴィルヘルミナと喋ってもあまり盛り上がらないのよ。彼女、ヤーデ伯爵家のご令嬢だからね」


 かと思いきや愚痴を零され、エルザは苦笑いで返すしかなかった。


「でも大丈夫、シャルフ様はどうせすぐ新しい妃を迎えるわ」

「ここ数日でシャルフ様の人気は爆上がりだものね。本物の王子妃はどんな方になるのかしら」


 ぼんくらが演技だと判明した結果、シャルフは残る4人の王子で最有力候補となった。もともとは傀儡政権にして牛耳ろうと目論まれていたに過ぎなかったが、いまや正当な人気を博すようになっている。ここ最近のシャルフの多忙さは各方面から寄越される釣書きのせいでもあった。

 ビアンカはそんなシャルフを一瞥して――「……でも」と声を潜めた。


「エルザ、貴女がそのまま王子妃をやればいいんじゃないの? シャルフ様とエルザ、あんなに仲睦まじいし」

「別に! まったく! 何にも仲睦まじくないわよ!」


 お茶会でも話題になった、例の口づけのことを言われているに違いない。大声で刺々しく否定するエルザの後ろで、シャルフが少し不機嫌そうに頬杖をつく。ビアンカはそれに気づいてしまい「ははーん……」と一人で納得した。


「不相応な身分でもあるし、式典が終わるまでに私は宮殿を出るわ。またどこかでお会いしましょう、ビアンカ第二王子妃様」

「ビアンカのままでいいわよ。でも、そうねえ。エルザはあまり一夫多妻に馴染まないのね」

「ええ、無理ね。だから第二夫人をもらう余裕のない子爵あたりにもらってほしいわ」


 ぴしゃりと言い放つエルザの背後のシャルフの様子を、ビアンカはそっと観察する。その不機嫌そうな横顔は変わらなかった。


「まあ気持ちは分かるわよ、私も同じだもの。だからオリヴァー様には公爵になっても第二夫人を取ったら毎日蹴るわよって言ってるの」


 そんなビアンカの後ろから、体を支えられたシュヴァッヘ第二王子とヴィルヘルミナがやってきた。

 久方ぶりに見るシュヴァッヘ第三王子は顔面蒼白ともいうべきだった。美しい金髪も碧眼もシャルフと同じものだが、シュヴァッヘ第三王子の場合は色素の薄さが顔色の悪さを引き立てている。どこか中世的な顔立ちも相俟って、今にも倒れそうな弱々しさがあった。伸ばしっぱなしの髪もいかにも病人らしい。

 そんなシュヴァッヘ第二王子は半分目を閉じており、隣のヴィルヘルミナが申し訳なさそうに目礼した。


「ご無沙汰しております、お二方……」

「シュヴァッヘ殿下、式典にいらっしゃって大丈夫なんですか?」


 到底体調は良く見えない、とエルザは眉を顰めたが、ヴィルヘルミナは「春の式典くらい出なければとお聞きにならず」と肩を竦めた。


「それよりエルザ様、本当なのですか? エルザ様がその……契約妃であるというのは」

「本当です、ヴィルヘルミナ第三王子妃様。本日中、いえ数時間後にはお暇させていただきます」

「そうですか……」


 ヴィルヘルミナは何か言いたげにシャルフを見たが、シャルフが挨拶を寄越す素振りもないせいか何も言わなかった。


「……私はエルザ様にいてほしかったのですが、残念です」

「大人気じゃないの、エルザ」

「そう言っていただけて光栄です。でも私は王子妃に相応しい身分でもありませんし、このお話はどうにも進みようがありませんね」


 シャルフへの恋心より怒りや苛立ちが勝っているし、身分と血筋の問題もあるし、それは自棄でもなんでもなかった。


「……そうですか。ではエルザ様、私はシュヴァッヘ様のお隣へ。ごきげんよう」


 ぺこり……とヴィルヘルミナがゆっくり頭を下げたのを合図にしたように、エルザ達も各王子の隣に戻る。

 そうしてみると、アルノルト第五王子の隣だけぽっかりと空席になっているのがなんとも不憫だった。しかもその原因が他の王子妃に毒を盛ったこと……。横顔だけ見ても必死に虚勢を張っているのが丸わかりだ。


「……貴方が式典まで私にいてほしいって言った理由が分かったわ。確かに隣に妃がいないのは体裁が悪いわね」

「分かったら契約だのなんだの騒がずに大人しく隣に座っていろ」

「事実だもの。早く来てくださらないかしらね、待ち人が」

「俺だって待ちわびているとも」


 2人の空気は最悪だった。クローネは呆れ果てて「これじゃ最初の頃より酷いですよ」と呟くが、エルザもフィンも返事をしなかった。

 その春の式典に主教が現れ、次いで王と王妃達も現れ、王が花々が咲き誇る春を称える挨拶をする。その顔色は良くはなかったが、確かに黒魔術は解けていた。

 それを見届けたエルザはほっと胸を撫で下ろす。自分が来たせめてもの甲斐があるというものだ。そうして視線を移した先にはヴィクトールを見つける。ヴィクトールは軍務卿に次ぐ重鎮、式典に参加できるのはそのとおりだが……。


「……アレクシアって今どうしてるの?」

「ビアンカが宥恕ゆうじょしてくださったお陰で自宅軟禁で済んでいる。それがどうかしたか」

「アメティスト軍務卿補佐、普通に式典にもいらっしゃるのねと思って」

「ああ」


 終始不機嫌そうだったシャルフが、そこでほんの少し口角を吊り上げる。


「まったく、面の皮の厚い男だな」


 急になにをそうご機嫌になったのか――エルザが訝しんでいると、王に次いでオリヴァー第二王子が挨拶をし始めた。しょぼしょぼしていてどうにも風格に欠けるのはさておき、どうやら王子も持ち回りで挨拶をするらしい。


「貴方も挨拶するの?」

「当然だな。ぼんくらの頃は逆に難しく、フィンと共にそれらしい台本を作ったものだ」

「フィン様の苦労がしのばれるわね」

「俺も苦労したという話だが」


 口を開けば喧嘩腰になる2人に遂にフィンまでもが呆れた目を向け始めたとき……敷地の入口のほうから何やら騒ぎ声が聞こえ始めた。


「……なにかしら」

「……お出ましかな」


 訝しむエルザとは裏腹に、シャルフは少し腰を上げる。騒ぎのほうからは「止まれ! 式典中だぞ!」と衛兵の声らしきものが聞こえてきた。

 その騒ぎが届き始め、庭園の貴族達も顔を向ける。エルザも何か何かと顔を向けそうになったが、シュヴァッヘ第三王子が椅子に座ったことでシャルフに挨拶が回って来、シャルフは立ち上がった。


「続きまして、シャルフ・ベンヤミン・ディアマントよりご挨拶申し上げます。……と言いたいところですが」


 言葉を切ったその瞬間に「止まれ!」と狙いすましたような叫び声がもう一度響き渡り、式典の参列者達はその視線も意識も一斉に侵入者に奪われる。門の方角からやってきたのは――馬車だった。しかもその外装は、まるで戦場でも駆けてきたかのように血や泥で薄汚く汚れている。

 門兵や他の衛兵達に叫ばれ続けているせいか、御者は怯えきっていた。しかし馬車に乗っている人物に脅されでもしたのか、いくら止められても馬車を進め、庭園の入口でようやく止まる。衛兵達に一斉に槍を向けられて初めて口を開いたものの「私は頼まれただけで」と怯えながら手を横に振るばかりだ。

 式典の最中、白昼堂々、馬車で宮殿の敷地内まで乗り込んできた。その異様な光景に貴族達の間に困惑が広がり始めたとき、誰かが「……王家の紋が入っていないか?」と気が付いた。


「……まさか、貴方の婚約者?」

「そのまさかだ」

「……そういうこと」


 この王子が一目惚れしたという婚約者を見たい気持ちはあったが、当然見たくない気持ちのほうが強かった。ここに座っていては自分が例の契約妃だとバレバレだ、と立ち上がると、腕を掴んで止められる。


「……ちょっと」

「まあ見ていけ。なかなか見もののはずだ」

「……よっぽど美人なのね」


 そこまでして引き留めるなんて、こっちの気も知らず悪趣味なことだ――。仕方なく、エルザも馬車に視線を向けた。

 参列者の緊張、そして衛兵達の警戒が頂点に達しようとする中、ガタリと静かに馬車の扉が開く。

 その客人は、長く美しい白銀の髪をしていた。腰まであろうかというその髪をぴんと後頭部で高く結び、同じ色の眉を凛々しく吊り上げており、水晶のようなグレイの瞳は迷うことなくシャルフを見つけ出す。その顔立ちはまるで女神のように美しかった。


「よお、シャルフ殿下。時間通りか?」


 その美人が馬車の中から何かを放り出し、衛兵達が「ひっ」と思わず後ずさる。地面には、グシャッと、音を立てて男が転がり落ちた。

 呻く男を踏みながら、 “婚約者”は鼻を鳴らす。


「アンタのいうとおり、を狙った賊は連れて帰った。主はヴィクトール・アメティストとのことだ」

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