31.没落令嬢、休息をとる

 式典の日の朝、エルザは元居た部屋のソファでぼけっと紅茶を飲んでいた。


「……クローネ、これはどういうことかしら」

「シャルフ殿下のお陰で冤罪が晴れたんじゃありませんか」

「……それはそうだけど、そうじゃなくて」


 ビアンカ第二王子妃毒殺未遂、シャルフ第四王子惑乱、これはいずれも冤罪と判明した。ただ、シャルフが本物の婚約者のために軍を派遣していたことは確からしく、エルザが契約妃に過ぎないことも明らかになってしまった。

 もちろん、それはシャルフ自身の提案――宮殿ではフィンの策ということになっているが――であったため、当然咎められるものではない。ただ、バレてしまってはもう意味がないので、エルザが第四王子妃の座に戻されることはなかった。しかし契約は契約であったということで、エルザは今日まで元の部屋を使うことを許されることになった。


「私ってあくまで本物の婚約者様の身代わりじゃない? もうシャルフ様にとっては用済みじゃないかしら」

「そおですねえ」

「なによ、せめて普通に頷きなさいよ」


 含みのある返事をするクローネに、エルザは顔をしかめる。


「もちろん、陛下に黒魔術をかけたのが誰かは明らかになってないわよ。だからまだ宮殿にいることができるのはありがたいけど、そうじゃなくて――」


 話の途中で扉がノックされ、エルザが慌てて姿勢を伸ばして返事をすると、そのシャルフが入ってきた。上着のボタンを外して襟元を寛げながら「クソ修道士の連中どもめ」なんて悪態をつく。そして、まだぼけっとしているエルザに気付くとすぐに紅茶にも視線を落とした。


「……飲む?」

「いただこう」


 入れたばかりでよかった、と温かい紅茶をカップに注ぐエルザの隣で頬杖をついていたシャルフは、思い出したように辺りを見回した。


「……クローネはいるのか」

「はい、ここに」

「向かい側に座ってるわ」

「……まさかいつもそこに座っていたのか」

「はい、殿下のお顔を見る特等席ですよ」

「貴方の顔を眺めていたかったそうよ。クローネはきれいなものが好きだから、人間の顔しかりね」


 クローネは“エルザを見るシャルフの顔”という意味で言ったのだが、エルザには通じなかったらしい。しかしエルザの誤訳を介してシャルフには伝わり、シャルフはしばらく考え込んだ。


「……悪いが少し席を外せるか」

「え、なんでよ。クローネがいてできない話なんてしないでちょうだい」

「いいえエルザ様、構いませんよ。それでしたら私、フィン様のお部屋をおたずねしますね!」


 嬉しそう通り越してなにかを企むような笑みを浮かべたクローネが立ち上がる。クローネが構わないならいいのだが……とエルザが窓を開けると「では殿下、がんばってくださいませ!」とクローネはそのままぴょいっと飛び降りた。


「がんばってくださいませ、だって。陛下がお休みになられてから執務室に籠りきりだったものね、お疲れ様」


 シャルフが主教に会ったその日のうちに、王の黒魔術は解かれていた。ただ、長く黒魔術にかかっていた後遺症で完全に回復するには時間がかかると言われ、ここ数日間は精鋭の修道士達が集まって必死に王に白魔術をかけている。

 それはそれとして、王の今までの仕事に王自身の意志が介在していなかったことが明らかになったせいで、およそ半年分の記録を引っ繰り返して内容を精査することになった。さらに王は床に臥せっているため、その代理で仕事をする者が必要。当然王子達がその役目に当たるわけだが、皆さして仕事ができず、逆にシャルフはぼんくら演技をしていてはいつまでも仕事が減らないと素で山積みの仕事を処理し、そのうちにぼんくらでないことが各所に知れ渡ってしまった。

 結果、かえって仕事が増えてしまい、ここ数日間のシャルフは多忙に多忙を極め、エルザが寝る頃になって紅茶を飲みにきて執務室に戻る、そんな生活を繰り返していた。今だって朝から一仕事終えてやってきたのだろう。


「……で、クローネは。窓から飛んで行ったのか」

「いえ、飛び降りたのよ」

「……そうか。クローネは自分では窓を開けられないのか?」

「クローネ自身が琥珀石を身に着けていないと色々制限があるのよ、説明するとややこしいんだけどね。それより、クローネを外して話したいことってなに?」

「……とりあえず、君の契約の終了についてだ」


 それはクローネがいてもよかったのではないか、とエルザは首を傾げたが、シャルフは知らん顔して続ける。


「先日話したとおり、私の本来の婚約者は無事王都に入っている。式典の開幕と同時に宮殿に入る予定だ。ご苦労だった」

「……それはなによりです」


 ほんの少し、エルザの胸が痛んだ。シャルフはまだ本物の婚約者の生存を周囲に伏せている。そのため王都に着いても宮殿内に入ってもらうことはできないのだそうだ。


「少し前に君は契約妃であると皆の知るところとなったが、報酬を日割りするつもりはない。その代わり式典までは出てくれ」

「……いいけど、本物の婚約者様がいい顔をしないんじゃない?」


 自分が座る席に別の女が座っているなんて。シャルフへの恋心より婚約者への配慮が勝ってしかめ面をしてしまったが、シャルフは「気にすることはない」と流す。きっとこの王子は女心が分からないに違いない。


「それから――……ああ、この話が先だったな。ビアンカ第二王子妃はほとんど快復しているそうだ。式典にも出席する」

「あら、それはよかったわ!」


 宮殿で唯一仲良くなった王子妃ともいうべきビアンカの快復は何より喜ばしい報せだ。顔を輝かせたエルザだったが、考えるところがあってすぐに顔を曇らせる。


「でも……結局陛下の黒魔術を隠蔽した修道士は見つかっていないのよね。ビアンカも顔までは見てないらしいし、ビアンカが言うほど小柄な修道士なんていないらしいし……」

「ああ。お陰で今日の修道士連中はうるさいなんてものじゃなかったぞ、神聖なるアダマス教徒の我々が陛下に黒魔術などかけるものかとな」


 部屋に入ってきたときの最初の愚痴はそういうことだったらしい。エルザには、シャルフが本性も隠さず苛立たし気に尋問まがいの質問をする様子が目に浮かんだ。


「ただ、庭園で一人の修道士の遺体が見つかってな」

「……もしかして、昨日少し外が騒がしかったのってそのせい?」

「ああ。司教の座にあった者の一人だし、陛下に黒魔術をかけることができてもおかしくないだろうということで、その修道士が黒幕であったということで事件処理が進みそうだ。ビアンカの目撃情報は気が動転したゆえの見間違いじゃないかとね。釈然としない」


 エルザも、苦々し気に紅茶を啜るシャルフと同意見だった。王に黒魔術がかけられているとバレてしまった以上、下手人を早々に始末してトカゲのしっぽ切りをしたと考えれば辻褄は合う。辻褄は合うが……証拠がない。まさしく死人に口なし状態になっているのだ。


「……正直、本当の黒幕が遺体をこしらえたとしか思えないタイミングよね」

「ああ。だが、証拠がなくてね。オットー兄上とハンナ義姉上あねうえの件は手詰まりだ」


 はあ、と深い溜息を吐きながら、シャルフはソファの背にもたれかかった。

 エルザ自身も同じように溜息を吐きたい気持ちだった。ハンナの汚名を晴らしたかったが、今日で契約も終わり宮殿を出なければならない。もうそのチャンスは巡ってこないだろう。

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