30.没落令嬢、罪を免れる

 その3人で、聖堂を出たときだった。


「シャルフ殿下、お待ちください」


 聖堂の入口を包囲するアメティスト領の兵に、エルザとクローネは息を呑む。

 当然、中心で馬に乗っているのはヴィクトール・アメティスト軍務卿補佐だ。


「何の真似でしょう、アメティスト軍務卿補佐。敷地内に領兵を入れるのは原則として禁じられているはずですが」

「ええ、そのとおりです。しかし、陛下の許可がある場合はその限りではありません」


 もったいぶりながら、ヴィクトールは書簡を開いて見せつける。王の署名入りのエルザ投獄および処刑の令状だ。


「昨晩は我が兵が止めるのも顧みずレディ・エルザを庇ったそうですな。いい加減に目をお覚ましください、殿下」

「ふっ」


 突然、シャルフが鼻で笑った。アマーデウス主教もヴィクトールも驚いて見つめる先で「ああ、いや、すまない」と口元を押さえる。

 これは、素が出ている。エルザは先日王の間に忍び込んだときのことを思い出す――「そろそろぼんくら演技をやめる必要が出てきたかもしれないな」とは、ここで、らしい。


「あまりにも行き当たりばったりな愚策に、笑いを禁じえなかった。年配者に失礼を働き申し訳ない、ヴィクトール軍務卿補佐」

「……シャルフ殿下?」


 本当にご乱心ですか、と言いたげな髭面を前に、シャルフは本性を露わにした笑みを浮かべる。


「ヴィクトール軍務卿補佐、まず教えてさしあげるが、そちらの令状は無効だ。アマーデウス主教によれば陛下は遅くとも昨日の時点で正常な状態にないゆえ、その署名はすべて効力が認められない」

「……それは本当ですかな、アマーデウス主教」


 やはり、嫌な王子だ。昨晩は正式な令状を持ってこいと煽っておき、いざ持ってきたら無効だと跳ねのける。

 しかも、この場でそう言うということは、アマーデウス主教に問うていると同義――お前が黒か白かは知らないが、シャルフとヴィクトールどちらにつくかこの場で選べ、と。


「……シャルフ殿下のおっしゃるとおりです、ヴィクトール軍務卿補佐」


 そしておそらく、ここでシャルフにつかない者はいない。


「……そうですか。それは、失礼いたしました、エルザ元第四王子妃殿」


 そうなれば、まずエルザの処刑はなかったことになる。


「しかし、エルザ元第四王子妃にはビアンカ第二王子妃毒殺の嫌疑がかけられており――」

「殿下、お待たせいたしました」


 次に、アメティスト領の兵が集結する中を「通していただけますか」とどこかすっとぼけた声が割って入る。間抜けすぎてつい道を開けてしまった兵達の間からはフィンが現れ、「すべて滞りなく終了いたしました」と書簡を渡す。


「ああ、ありがとう。さてアメティスト軍務卿補佐、さきほどお前の娘であるアレクシア元第五王子をビアンカ第二王子毒殺未遂の罪で捕縛した」

「は?」


 今度はシャルフが書簡を見せつける番だ。シャルフの署名入りの令状だった。


「さきほど言ったとおり、陛下は体調が優れない。そのため第四王子である私が代理で署名した」

「何を根拠に……」

「ビアンカ第二王子妃の侍女8人が『アレクシア第五王子妃はビアンカ第二王子妃が倒れた瞬間に原因が菓子に仕込まれた毒であると特定した』と証言した。さらに、私の妃の身の回りを世話をさせていた侍女が自白した、アレクシア第五王子妃に命令され毒を調合していたとね」

「……ロミーのことですか?」


 エルザがそっとフィンに尋ねると「そうですね」と頷く。


かたくなに口を割らなかったという話はしたと思いますが、あれはアレクシア第五王子妃に情報が漏れていないと思わせ、泳がせるためにそういうことになっておりました。実際は、毒を入れたのはエルザ殿の食事だったものの結果的にそれを口に含んだのがシャルフ殿下だと知らせると勝手に喋り始めました。王子の毒殺は一族を処刑されてもおかしくありませんから」


 もしかしてシャルフが毒を含んだのはそれを見越してのこともあったのだろうか。有り得なくはない、と考え込むエルザの前では、シャルフが「これが何を意味するか分かるな?」と仕返しのようにもったいつける。


「ビアンカ第二王子妃が倒れた原因が毒だなどと言えるのはそれを仕込んだ者だけだ。毒が入っていた菓子についてもそうだな。レディ・アレクシアはそんなことは言っていないと否定したが、侍女8人が一斉に聞き間違えることなど有り得ない。侍女ロミーの自白は、まあダメ押しだな。ゆえにレディ・アレクシアからは第五王子妃の身分を剥奪した。さて――」

「……まさか、私が娘に指示したなどと言うのではないでしょうな」


 そうに決まっていると言いたいところだが、ヴィクトールは苦々し気に唇を歪めた。


「娘の罪状については、後程詳しくお聞きしましょう。しかし私は、一切関知しておりません。娘が独断でやったことです」

「呆れた……自分の娘一人に罪をかぶせようっていうの?」


 アレクシア第五王子妃がビアンカやエルザを害して得る利益などたかが知れているのだ、父親が仕組んだことに間違いないのに、往生際の悪い。台詞以上に軽蔑した眼差しを投げるエルザの前で、しかしシャルフは飄々と「ああいや、そう言うつもりはない」と頷く。


「アメティスト軍務卿補佐、お前がアレクシア元第五王子妃にくだらん指示をしたなどという話は聞いていない」

「そうでしょうとも」

「ゆえに、私はお前を咎めるつもりはない」

「は」


 素っ頓狂な声を上げたくなったのはエルザもだった。アレクシアがヴィクトールのことを吐いていないから証拠はないとしても、裏で糸を引いているのがヴィクトールであることは間違いないのだ。そのヴィクトールを処罰せずに済ませようというのか。


「シャルフ様――」

「ただ、王子妃であった娘が罪人となっては居心地も悪いだろう。幸いにも、ビアンカ第二王子妃は回復傾向にあり、非常に寛大な心でレディ・アレクシアの処刑までは望まないとのことであった。そこで、どうだろう、アメティスト領のある南の地域は一足早く花の時期を迎えているだろうし、家族でしばらくゆっくり過ごしては?」


 つまり、軍務卿補佐の地位を辞任してはどうか、と勧めているのだ。もちろんシャルフが優しいことは知っているし、処刑すべきだとまではエルザも言わないが、いくらなんでも処分があますぎるとしか思えない。

 困惑した目でシャルフを見つめるも、シャルフは怪しい笑みを浮かべるだけでそれ以上の処分は告げなかった。ヴィクトールも訝しんでいるのだろう、言葉の裏を読もうとでもするようにじっとシャルフを見つめていた。


「……愚女ぐじょにつきましては、処分を再考していただいて構いません。私は軍務卿補佐として、なすべきことをするのみです」

「……そうか」


 シャルフの笑みは、ひんやりと深くなる。


「忠告はしたぞ、ヴィクトール軍務卿補佐」

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