24.没落令嬢、処刑を待つ

 暗い石畳に座り込み、エルザは凍える手を吐息で温めた。隣のクローネが心配そうに眉を八の字にする。


「エルザ様……大丈夫ですか? もう丸一日経ちますが……」

「大丈夫よ。なんのつもりか知らないけれど、最低限の食事は運ばれてくるしね」


 抵抗する間もなく投獄されたエルザに突き付けられた罪状はもちろん、ビアンカ第二王子妃毒殺未遂。お茶会の場では王子妃とは思えぬほど乱暴に捉えられ、弁明の隙も与えられないまま口に布を突っ込まれて問答無用で地下牢送り。

 脳裏には、洋扇で隠しきれない笑みを浮かべていたアレクシアが浮かぶ。今になって思えば、あの衛兵達もアレクシアの息がかかった者達だったのだろう。


「それより、ビアンカは大丈夫かしら……苦しそうにもがいていらっしゃったから、きっと即死するようなものじゃないのよね。うまく薬が手に入ればいいけれど……」

「エルザ様、今はご自身の心配をなさったほうがよろしいのでは」

「私は平気よ、息も食事もできるもの。ちょっと寒いけど、あの家で過ごす冬のようなものだわ」


 とはいえ武器でも隠し持っていられては困るとドレスを剥がれてしまい、薄っぺらいワンピース一枚になってしまったのでさすがに寒い。肩を抱いても手だってひんやり冷えてしまっていて暖の取りようがない。火でも起こしたいところだが、見張りの巡回がくると困る。


「ビアンカに盛られた薬って私の食事に入っていたものと同じかしら? 同じならフィン様が解毒剤を持っているはずだけれど、フィン様にお伝えしたほうが――」

「エルザ様、足音です」


 慌てて口を閉じ、しおらしく見えるよう隅に体を寄せる。松明の明かりと共に現れた足音の主の一人は年嵩の修道士で、もう一人は暗がりでも分かるほど立派な軍服に身を包んでいた。


「お初お目にかかります。軍務卿補佐のヴィクトール・アメティストと申します」

「……初めまして」


 これがアレクシアの父親か、とエルザはじろじろとヴィクトールを眺めた。顔も体も大きく、どこか粗暴さを感じる男だ。貴族というより叩き上げの武官で、アメティスト家が台頭してきたのはあくまで近年の話だと思い出させる。可憐なアレクシアとは鋭い目くらいしか似ていないから、妻はよっぽど美人なのだろう。

 ふむ、とヴィクトールは顎髭をさわりながらエルザを見下ろす。


「今はまだ第四王子妃と呼ばせていただきましょう、エルザ第四王子妃。ビアンカ第二王子妃を毒殺しようとした件につき、何か釈明することは?」

「なぜ軍務卿補佐が宮殿内の事件の調査をしているのですか?」

「質問に答えてください、エルザ第四王子妃」


 そうは言われても、エルザに言わせれば仕組んだのはアレクシアだ。その父親がやってきて所管してもいないのにエルザを尋問するなんて馬鹿げている。現にエルザがビアンカを毒殺したと決めつけ、動機や手口を訊ねているような口ぶりだ。


「……ビアンカ様のご様子はいかがですか?」

「一命をとりとめました」

「それはよかったです」


 ビアンカが殺されそうになった理由は分からないが、せめて命があってよかった。ほっと安堵の息を吐くと「残念でしたな」と乾いた厚い唇が歪む。


「トイビス草から作られる毒は入手も製造も簡単で、宮殿内でのかんぼうによく用いられてきました。ゆえに解毒薬は常備してあるのです」

「私なら入手製造が簡単でなおかつ即効性の猛毒を選び確実に仕留めますけれどね。本気でこれなら軽慮浅謀としか言いようがないのですが」


 この暗さであっても、ヴィクトールが目尻を動かしたのを見逃すはずがなかった。当然といえば当然だが、父親のヴィクトールも噛んでいたことらしい。


「軽慮といえば、レディ・アレクシアは大変ご聡明でいらっしゃいますね。ビアンカ様が倒れた瞬間、ビアンカ様が毒を盛られたこともその原因が菓子にあることも一瞬で見抜かれましたよ」


 その皮肉が伝わらなかったのか、それとも修道士の手前隠したかったのか。ヴィクトールは「あれには王子妃としてふさわしい教育をしておりますからね」と髭を撫でるだけだった。


「それで、ビアンカ王子妃を殺害しようとした理由を答える気はございませんか」

「私は何もしておりません」

「答える気はないようですね。さて、話は変わりますが」


 相手にする気も起きず溜息を吐いたが「貴女にはシャルフ殿下に黒魔術をかけた疑いがかかっております」これまた身に覚えのない容疑には眉を顰めてしまった。


「……なぜ私がシャルフ様に黒魔術を? というか何の魔術を?」

「惚けないでいただきたい。そうですね?」

「ええ、間違いありません」


 エルザの代わりに修道士が静かに頷く。その声は肌と同じくらいしわくちゃだったが、その頭髪よりしっかりしていた。その服の飾りを観察していたエルザは、その老修道士が司教補佐だと気が付く。


「エルザ第四王子妃には魔術の素養があります……思い返せば、エルザ第四王子妃がアンムート宮殿に現れた日からシャルフ殿下は少し妙なご様子でした。おそらく宮殿の外で魔術をかけられてしまったのでしょう」


 次いで、その老修道士がボソボソと何かを呟き――パンッとエルザの体の前で何かが弾かれた。動物の腸が破裂するような妙な音で、エルザは何が起こったか分からなかったが、老修道士は「なんということか!」と恐れおののく。


「“真実口授”が効かないとは、なんと恐ろしい。彼女自身は異様な霊気にも包まれております。ロード・アメティスト、あまりお近づきにならないほうがよろしいかと」

「構わぬ、魔術耐性はあるのでな」


 なまじベルンシュタインの血を引いているゆえにそれがインチキなのかどうか分からず、エルザは少し反応に困った。ヴィクトールがエルザを警戒しないということは言いがかりのような気もするが、魔術耐性の自信からくる妙なプライドともとれる。

 それはさておき、どうやらさきほどの破裂音は心理操作系の魔術を弾いた音だったらしい。魔術などかけられたことがなかったから分からなかったが、どうやらこの老修道士は格下のようだ。


「エルザ第四王子妃、貴女は黒魔術でシャルフ殿下を誘惑し、第四王子妃の座に収まった。シャルフ殿下には妃がおりませんからな、これ幸いと思ったのでしょうが」


 そんなことができるならしているが……。状況も忘れて呆れてしまった。誰が好きで片想いなどするものか。というか、あの本性を知ってしまった今となっては、どんな魔術を用いようが誘惑は不可能に思える。


「シャルフ殿下には心に決めた方がおり、王都へと呼びよせている最中でした。貴女はそれに気づき、自らの立場を脅かされることを危惧して賊を差し向けたのでしょう」

「……賊?」

「シャルフ殿下の婚約者を乗せた馬車が賊に襲われたと早馬がありました。貴女の仕業ですね」


 いや黒魔術を使えるなら刺客なんて足が付きそうなものは使わずまさしく魔術で仕留めてみせるが――なんてヴィクトールの幼稚な言いがかりに反論する気は起きなかった。“呼び寄せている最中”――ぶる、と背筋が震える。

 シャルフの婚約者が、襲われた。外遊中に一目惚れしたという、本当に大事な婚約者が。


「シャルフ様の婚約者は? ご無事なのですか?」

「シャルフ殿下の賢明な取り計らいにより我が軍から人員を割いておりましたが――さぞ嬉しいでしょうな、あと一歩間に合わず、我が軍が到着した際には従者や馬の死体のほか、婚約者様のお召し物がズタズタに引き裂かれ落ちていたとのこと。……そして賊の根城には乱暴された女性の遺体があったそうです」


 嘆かわしいことです――薄ら笑いでの口上に、嫌悪と寒気で背筋が震え、冷たい石畳の上で拳を握りしめる。本物の婚約者がいるといつ気付いたか知らないが、この男の謀略に違いない。もしかしたら、軍教補佐の地位を利用してシャルフが護衛を指示したのを聞きつけ、それより先に刺客を放ったのではなかろうか。

 ビアンカに毒を盛ったことといい、なぜそう簡単に他人を蹂躙し、その命を奪えるのだろう。その他人が誰かにとってかけがえのない大事な人だと分からないのか、分かっているからこそそんなことをするのか。握りしめた手のひらに爪が食い込んだ。


「……下衆ね。その煌びやかな服じゃ隠しきれない下劣さが滲み出てるわよ」

「そっくりそのまま返しましょう、エルザ第四王子妃。いくら着飾り第四王子妃を気取ったところで、他人の心を魔術で操ろうという卑劣さが今の状況を招いたのです」


 さて、とヴィクトールは腕を組んでみせた。


「素直に自白し謝罪すれば恩赦もあったでしょうが、その様子では最後まで言い訳に終始するつもりでしょう。これ以上の遣り取りは無駄のようですな」

「問答無用で地下牢に繋いで弁解を言い訳呼ばわりして、“遣り取りは無駄”? 軍務卿補佐ともあろう方が幼児のような理屈を口にするのね」

「さきほどに引き続き不敬ですが、見逃してあげましょう。エルザ第四王子妃、貴女は第二王子妃殺害未遂と第四王子惑乱わくらんの罪により処刑されることが決定いたしました。……この決定は覆ることはございません」


 特に驚くでもなくじっと見つめ返していたのが気に食わなかったのだろう、ヴィクトールは少し声を荒げた。


「私自身は卑劣な貴女を許すつもりはございませんが、アダマスの信徒としてそこまで無情なことは申し上げません。処刑されるまでに少しでも自らを悔い改めることを祈っております」


 偉そうな説教の後、ヴィクトールは大きな足音を立てながら立ち去る。老修道士は、エルザに化け物でも見るような目を向けて足早にその後を追っていった。



「……あの修道士、私が何なのか分かってるのかしら」

「どうなんでしょう。もしかしたらシャルフ殿下が本当に惑わされていると信じているのかもしれませんよ、でもご自身には見抜けないし魔術も効かないのでとんでもない高度な黒魔術使いだと思っているとか」

「なるほど、それは光栄ね」


 投げやりに答えながら、エルザはもう一度座り直す。何度も座り直さないと、冷えたお尻がこのまま凍り付いてしまいそうだ。


「……シャルフ様の婚約者様は、亡くなってしまったのね」

「……またご自身以外の心配ですか?」

「でも心配でしょう。あの腹黒王子が一目惚れするって、よっぽど好きだった方なのよ」


 婚約者に対する同情心もなくはなかったが、それよりもシャルフの心配をしてしまっていることには気付いていた。身勝手で冷たいとは分かっているが、クローネにはつい本音を零してしまう。


契約妃わたしまで用意して道中の安全を確保したのに、ここまできて、乱暴されたうえで殺されていたなんて。そんなの、耐えられないでしょう」


 既に王のように偉そうな威厳を放つあの王子は、遠いグラオ地方から帰ってその報せを聞いてどう思うだろう。物心ついたときにはぼんくらのふりをし、おそらくフィン以外にはその本心を見せたことがない。王都に向かっていた婚約者は、そんな徹底した演技の裏にある孤独を埋めてくれる存在だったはずなのに。


「……大事な人を喪う哀しみは、いやというほど分かるもの」


 家族がある日一斉に殺され、最愛の姉は骨すら残らなかった。あのときの胸が潰れてしまいそうな哀しみを、シャルフに知ってほしくなかった。


「……きっと、あのアメティスト軍務補佐の仕業ですよね。第四王子妃の座を狙っていたのもそうだったんじゃないでしょうか」

「可能性は高いわ。アルノルト第五王子もアメティスト家にはまだいい娘がいるなんて話していたし、第五王子だけじゃ飽き足らず第四王子の妃の座も自分の娘で固めたいと思ったんでしょ。……他人の命を奪ってまで地位や名声が欲しいのかしら。くだらないわね」


 ぐす、とエルザは鼻を啜る。寒さのせいなのか、はたまたシャルフの悲しみを想像してしまったせいなのか分からなかった。


「……シャルフ様はいつお戻りになるんでしょう。お戻りになられたら誤解も解けると思いますが」

「無駄よ、私が黒魔術でシャルフ様を誘惑したことになってるんだから。シャルフ様が何を言おうが、魔術が解けてないって嘆かれるだけよ」


 もしかしたら誰にも解けない魔術だから未来永劫ご乱心、と王位継承権を奪う算段かもしれない、そうすればアルノルト第五王子が次期王に定まる。


「ははあ、なるほど……。そうなりますとどうしましょう。牢を壊して逃げましょうか?」


 さらりと暴力的な提案をしたクローネに笑ってしまいながら「やめときましょ、魔女ってバレたら大騒ぎだもの」と却下する。


「もちろん、最後はそうやって逃げることになるだろうけれど、処刑のときでいいんじゃないかしら」

「どうしてですか?」

「だって、まだハンナお姉様の汚名を雪いでないもの」


 ビアンカが生きているのであれば、シャルフはくだんの修道士を特定し、それと繋がる(おそらく)貴族を弾劾だんがいすることはできるだろう。逃げ出すのはそれを見届けた後だ。

 それを見届けた後――シャルフには気付かれないうちに逃げ出そう。シャルフがどう動こうが、エルザの冤罪が晴れるとは限らない。であれば、シャルフは騙されたままということにしたほうがいい。王になりたいシャルフの足を引っ張るわけにはいかないから。


「逃げようとしたら魔女だってバレちゃうからね、宮殿にいられなくなるのは避けたいわ。あの様子だともう食事はないでしょうけれど、水があれば人間なんとかなるものよ」


 あとは、ハンナに汚名を着せ、あまつさえ処刑した首謀者への復讐方法を考えるだけだ。余裕たっぷりに言いながら涙が滲んだが、その涙の理由は分からなかった。

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