23.没落令嬢、投獄される
時は2日ほど遡る。
シャルフにされた口づけの意味を二つ考え、エルザは一人で百面相をしていた。
一つ、あれは嫉妬だった。契約妃とはいえなんやかんやエルザに愛情が湧いてきたシャルフは、エルザがフィンと仲良くしていると勘違いして面白くなく、ゆえに大変不機嫌で、最後に口づけをかまして出て行った。あの子供っぽい王子なら有り得なくない。
もう一つ、あれはまさに策略であった。シャルフの契約妃でありながら軽率に他の男と仲良くするべきでないと説教されたとおり、誰かがエルザに疑いを抱いている。計画が台無しになるのを防ぐため、シャルフはエルザの部屋を監視している貴族に見せつけるために口づけをかましていった。場所はちょうどソファの上、以前シャルフが死角だと言った場所からギリギリ外れるところだからそれも有り得る。というか本物の婚約者がいるのだからこちらのほうが断然可能性は高い。
前者を考えて頬を染め、かと思えば後者を考えて落ち込む。クローネは、最初は微笑ましくその様子を見守っていたが、丸一日も経てば遂に口を出したくなってしまった。
「……エルザ様、シャルフ様に第二妃にしていただくよう頼んでみては?」
「何を言い出すのクローネ!」
どこから反論すればいいのか分からないと言わんばかりの叫び声に、クローネは珍しくしかめ面をした。
「だって……お好きなようですし」
「それだけ!?」
「それだけで充分じゃありませんか。好き、だから妃になる、なんて簡単なお話でしょう」
簡単すぎて逆に意味が分からない。しかし世間に疎いクローネは本心からそう言っているのだろう。
「シャルフ様も
「いえ違うのよクローネ、一昨日のあれはあの腹黒王子の策略よ。あの王子の妃の座を虎視眈々と狙うどこかの貴族に見せつけるための、策略」
口ではそう言っているものの、否定してほしい心が丸見えだ。しかしクローネはあえて察していないふりをして「それはそうでしょうけれど」と意地悪をする。途端にエルザの顔から頬の緩みが消えるのだから面白い。
「でもフィン様によれば、シャルフ様が次の王に決まっているようなもので、王となれば妃を多く抱えるものでしょう? 第二妃に立候補すればシャルフ様も助かるのでは」
「そんな子を産む羊じゃないんだから。クローネだってフィン様の二番目の妃なんて言われたらイヤでしょう」
「フィン様に娶ってもらえるならなんでもいいです」
「この話終わりね」
本望なりとでも聞こえそうな顔をするクローネを無視し、エルザは用意しておいたお菓子を確認する。今日はビアンカと約束しているお茶会の日だった。
「……私の話は措いておくとして。クローネがフィン様を気に入ったなら、宮殿に出入りできる仕事のほうがいいかしら」
「契約が終わった後のお話ですか? 私はそのほうが嬉しいですけれど、別にお会いできなくても構いませんよ」
「いいの?」
びっくりして振り返ったエルザに、クローネは座ったソファで足を揺らしながら「ええ、まったく」と事もなげに頷いた。
「もちろんフィン様のことはとっても好きですけれど、エルザ様がシャルフ様に
「……どうとなるわけでもないのは私も同じだけどね」
クローネがどこまで本気でシャルフとの婚姻を勧めているのかは知らないが、エルザはベルンシュタインの血を引く異端の“魔女”。エルザの母がそうだったようにこっそりとどこかの伯爵の妾になるならまだしも、よりによってアダマスの祝福を受ける王子と婚姻などできるはずもない。
シャルフが王位を継がず、公爵の地位に甘んずるなら。それならまだ愛人になるくらいの望みはあるかもしれない。しかし、シャルフは最も王位に近い王子で、しかも致命的な難点“ぼんくら”は演技。シャルフが公爵になることは望めない。
「私、シャルフ様がきっといい王になると思ってるから。変な我儘を言って邪魔したくないわ」
眉を八の字にしたクローネに「そんな顔しないでよ」と苦笑いして籠を持つ。
「そのためにも、ちゃんと仕事はしないとね。ビアンカに修道士のことを訊いて事件の首謀者を突き止めましょ」
そうして銀朱の宮殿に向かい、ビアンカの部屋に迎え入れられたエルザは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてしまった。
「あらごきげんよう、レディ・エルザ」
先客としてアレクシア第五王子妃がいたからだ。
「……ごきげんよう、レディ・アレクシア」
「あらやだ、そんな顔しないでよ。武闘大会ではごめんなさいね、ずっと気になってたのよ」
申し訳なさそうに眉尻を下げられても、爛々と輝く目を見ていると到底言葉どおりに受け入れることはできなかった。エルザは顔を引きつらせながら「こちら、こそ、むきになってしまってごめんなさいね……?」となんとか謝罪する。
「エルザ、騙し討ちしたみたいになってごめんなさい。昨日アレクシア様とお会いしたときに今日のお話になって、私も二人が仲直りできたほうがいいかと思って」
「気にしないで、ビアンカ。私も同じことは思ってたから」
シャルフの口づけのことばかり気になって喧嘩したことなんて忘れていた、とは言えなかった。
対するアレクシアは上機嫌で「この間のことは水に流しましょ。アルノルト様が優勝のお祝いに新しい紅茶をくださったのよ」と高級そうな茶葉を侍女に手渡す。お陰でエルザの手作りお菓子の行き場がなくなりそうになったが、目敏く見つけたビアンカが「この間持ってきてくれたものね! あれおいしかったのよ!」と受け取ってくれた。
「あらレディ・エルザ、貴女の手作りなの?」
「え、ええ……」
貧乏暮らしをしていたエルザにお菓子を買うという発想はなかった。しかも手作りといったって母から教わった余り物で作れるお手軽焼き菓子だ。初めてシャルフが訪ねてきたときも出したが、今になって思えばよくこんな貧乏くさいものをあの王子が口にしたと思う。
アレクシアは「ふーん」と訝し気にじろじろと籠を手に取り覗き込む。
「あまり見ないお菓子ね。他国から伝わったものかしら」
「あ、そうだったような気も、しますねー……母から教わったのでちょっと覚えていないのですが……」
「はいはい、紅茶を淹れ直したわよ。冷めないうちにいただきましょ」
空気の停滞を察してか、ビアンカが颯爽と割り込んでくれた。
「そういえば、シュヴァッヘ殿下のご様子はどうなの? 武闘大会にもいらっしゃってなかったけれど」
「相変わらずよろしくないみたいだけれど、少し持ち直したらしいわ。正教会から精鋭の修道士が呼ばれているんだもの、当然よね」
「修道士が病を治せるの?」
エルザはびっくり目を見開いたが「白魔術はそうよ。知らないの?」とアレクシアは小馬鹿にした顔を向けた。そんなことがあるだろうか……とクローネに目配せすると、首を横に振って返される。おそらく否定だが、こんなところで反論するわけにもいかない。
「……でも、まあ、治ってきているのならよかったかしら……。レディ・ヴィルヘルミナも心配していらっしゃったし……」
「あの子はもともと心配性だしね。お茶会のたびにシュヴァッヘ殿下の体調を口にしてるわよ。ま、王子妃の私達にできる噂話なんてそれくらいっていうのはあるんだけどね」
当初の懸念に反し、アレクシアのいるお茶会は空気が悪くなることもなく、そうしてただ穏やかに時間が過ぎた。ただ問題は、アレクシアの前で修道士の目撃情報など訊けないこと。
アレクシアが席を外してくれればいいが、そうだとしてもアレクシアが引き連れてきた侍女はそのまま待機するだろう。そうなるとビアンカには日を改めて訊ねるしかないか……。
「そういえば、シャルフ殿下はいまグラオ地方に行っていらっしゃるんだってね」
「え、ええ。そうね、そういえばレディ・アレクシア、貴女の御父上の提言があったと伺ったわ」
機を窺うあまり少し動揺してしまいながら頷く。アレクシアは「ええ。アルノルト様が制圧した後処理なんですって」と頬に手を添えながら小首を傾げた。
「ごめんなさいね、本当はそんなことを兄であるシャルフ殿下にさせるのはおかしいのだけれど」
「あ、やっぱりそれはそうよね」
「でもアルノルト様はリラ地方に行っていらっしゃるし。後処理くらいならシャルフ様でもできるんじゃないかとお父様は考えたみたいで」
また喧嘩を売りにきたのか、はたまた何も考えていないのか。この場を設けてくれたビアンカに申し訳なく、エルザは溜息を吐きながら「そうですか」と短く頷くに留めた。
それを見ていたアレクシアの目が怪しく細められた。
「……あまり関心がない?」
「え? いえ、そういうわけではありませんけど……」
「あのね、レディ・エルザ。これは噂で聞いたことなのだけれど」
ぱらりと、アレクシアが洋扇を開く。さきほど自慢していたが、その洋扇は東国からの輸入品をドレスに合わせてデザインし直した一点ものでお気に入りだそうだ。
「シャルフ殿下って、夜に貴女の部屋を訪ねることはないそうね。貴女を訪ねるのは昼食時かその後ばかり」
「……それがなにか?」
本気で訝しんだが、しらばっくれているように見えたらしい。アレクシアの目はさらに細められる。
「いえ、何というわけでもないのだけれど。シャルフ殿下って貴女に骨抜きなんでしょう? それなのに夜は別というのは不思議なお話ねと思っただけよ」
どうやら、エルザの素性を怪しんでいるらしい。
ただ、エルザが契約妃であることの確証は抱けるはずがない。抱けるとすればシャルフとエルザが話しているのを盗み聞きした場合だが、その点はシャルフが細心の注意を払っている。
エルザは「殿下はお優しいから」と堂々と肩を竦めた。
「まだ王子妃に過ぎないからと大事にしてくださっているの。それだけよ」
「あらそう?」
「そうよアレクシア、何を言い出すの」ビアンカは笑いながら「衛兵達が話してるの、聞いてない? シャルフ様ったら、武闘大会を抜け出してまでエルザ様と逢引してたのよ。見ているほうが恥ずかしいほどの熱愛っぷりだったって」
「そうそう、それが気になって」
まさしく聞かされて恥ずかしくなってしまったが、アレクシアが妙な食いつきを見せたことでその熱は一瞬で引く。
「そんなにエルザ様のことを愛していらっしゃるなら、夜も訪ねるのが自然じゃないってお話よ」
「だからアレクシア、それは――」
「あと、これは父上が小耳に挟んだのだけれど。先日、リラ地方へ内密に軍隊が派遣されたらしいわ。もちろん、アルノルト様の軍とは別に」
リラ地方への内密の派遣? エルザは一瞬眉を顰めたが、すぐに続く話を予想した。
「なんでも、シャルフ殿下の婚約者の護衛だそうよ。リラ地方の東方に厄介な盗賊が根城を作っていて、それに遭うと危険だからとシャルフ殿下が内密に指示されたみたい。……ねえ、レディ・エルザ?」
表情が変わってしまったのだろう、アレクシアが洋扇の向こう側で勝ち誇ったように笑った。
「貴女、本当にシャルフ殿下の妃なのかしら?」
次の瞬間、ビアンカが倒れ、侍女達から悲鳴が上がった。ハッとエルザが顔を向けると、床に転がったビアンカが喉を押さえ苦しそうに呻いていた。
「ビアンカ!? どうしたの――」
駆け寄って来た侍女達が口々にビアンカの名を呼ぶ。その中でアレクシアがわざとらしく震えあがる。
「お菓子よ! ビアンカ様は、あのお菓子を口に含んだ瞬間に苦しそうにお倒れになって――!」
その指差す先には、食べかけの焼き菓子が転がっている――エルザの手作り菓子だ。
嵌められた。そう気が付いたときにはもう遅い。悲鳴を聞いて駆け付けた衛兵達に、アレクシアが叫ぶ。
「ビアンカ様が毒を飲んで倒れてしまったわ! レディ・エルザのお菓子を食べた瞬間よ! すぐにレディ・エルザを捕縛して!」
瞬く間にエルザは押さえつけられ、そのまま離宮の地下牢に繋がれることとなった。
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