21.没落令嬢、立場を慮る
何の話でしたかね、とフィンは小首を傾げる。惚けているのではなく、真面目にそう考えなおしているようだった。
「……ああ、そうです、貴女の侍女レディ・ロミーの話でした。ですから彼女の雇い主は殿下に釣書を寄越す貴族の誰かでしょう。とはいえ、いまの話は貴族なら誰もが考えることですから、その筋から容疑者を絞ることはできていないのですが」
「……ロミーは、雇い主を答えなかったのですか?」
「答えなかったので拷問にかけるという話が出ています」
「拷問!?」
まさか、と叫んでしまった後で口を噤んだ。……フィンは“シャルフの命令でロミーを捕縛した”と言った……。
「……拷問は、しませんよね」
「なぜですか?」
「……シャルフ様は拷問なんてなさらないでしょう?」
フィンは無言でカップを口に運ぶだけで頷きもしなかった。
「……シャルフ様は、物言いは冷たいですが、優しい方です。ロミーは、捕縛しただけではないのですか?」
「まあ、レディ・ロミーが口を割るか否かはここで問題にすることではありません。あくまで、私が貴女を魔女だと気付いた契機がレディ・ロミーであったという話ですから。ご心配なくとも、アウレウス教を信仰する私は貴女の正体を他言いたしません」
自分が話したいことだけ淡々と口にし、フィンはついぞ答えなかった。
「さて、ようやく話が最初に戻りましたが……クヴァルツ家が記録する正史の話と、貴女の知るベルンシュタインの歴史ですね。興味深いですがベルンシュタインに関する記録は全て抹消されていますので、ありがたい限りです」
それはそれとして、その口振りに、エルザは頬が緩みそうになるのを堪えた。シャルフに話したときに感じたことと同じだが、いまや国を挙げて否定されているベルンシュタインの歴史を“興味深い”“ありがたい”と言ってもらえるとは思っていなかった。
その歴史の話をすると、フィンは満足気に頷きながらいくつかを本に書き留めた。
「……クヴァルツ家は歴史を記録しているということですけれど、クヴァルツ家にとっての“正史”もあるんですか?」
「ありますよ。クヴァルツ家では、記録した事実同士を照らし合わせ、お互いに最も整合するものを繋げて“正史”と呼んでいます。それこそ、貴女から伺ったベルンシュタインの歴史は“正史”になり得ますね。かのドゥムハイト王がアダマス教を国教化した理由として他の事実と辻褄が合いますから」
その感想はシャルフのものと少し似ていて、エルザは笑ってしまった。王子があれなら側近もあれというわけだ。
「どうかしましたか?」
「いえ、殿下と仲が良いのだと思いまして。乳兄弟なんですものね」
「ええ。もう一人いますがね、仲が良い者は」
「そうなんですか?」
「今は留守にしているのです。仲が良いといえば、貴女と殿下も随分仲良くなられたようで」
それは、どういう意味か。一瞬勘繰り硬直してしまう。
「……まあ、契約妃ですから。仲良く見えるように、それなりに」
「衛兵達も噂しておりました、周囲の目も憚らず情事に耽っているくらいには仲が良いと」
「それは風評被害です!! 口づけだけです!!」
が、他意が云々言っている場合ではなかった。悲鳴を上げる勢いで否定したが、フィンは「大差ないのでは?」とこれまた本気か冗談か分からない返事をする。ちなみに大差ありすぎる。
当時のことを思い返してしまい、エルザは顔を真っ赤にしながら「……お察しのとおりシャルフ様の演技ですので」とボソボソ補足した。もちろん、それは今だからこそ割り切れるものであって、された瞬間は何も考えることができなかった。まるで脳が痺れるような口づけで、文句のひとつも出てこないくらいには思考を絡めとられた。時間を置いて考えると余計に恥ずかしくなったし、なんなら女性に慣れていることを否応なしに知る羽目になって凹んでしまった。慰めてくれるクローネも目撃者だったというのがさらにその傷を
しかしフィンはそんなエルザの内心など知る由もない。「もちろん察するところではありますが」などと飄々と言ってのけながら「一応、貴女は契約妃ですので。殿下も軽率なことをしたものだと思っていたのです」とどちらの味方か分からない所感を述べる。
「……軽率とは」
「貴女が契約妃に過ぎないことは春の式典にて明らかにされますが、その事情は容易に理解され受け入れられるでしょう。貴女に骨抜きという話も、あくまで殿下が貴女の部屋に入り浸っている事実から勝手に膨らまされている想像に過ぎません。しかし先日の口づけに関しては、現に行い、そして衛兵達に目撃させたわけでしょう」
「……そうですね」
そのとおりなのだが、もう少し歯に衣を着せてもらいたい。まだ顔を赤くしたまま、エルザは静かに頷いた。
「いくら演技とはいえ、口づけは口づけ。アダマス教は一夫多妻ですし、妃がいながら他の女性に何をしようと教義に反することにはなりません、が。王子である間は妃を一人にするのが慣行ですからね、どう言い訳をするつもりなのかと少々疑問があるだけです。これは私個人の些末な疑問に過ぎませんので、ご心配なく」
エルザが顔をひきつらせた理由を勘違いしたらしく、フィンは最後にそう付け加えた。
「……ちなみに、王子妃が一人しかいない慣行に理由はあるんですか?」
「もちろん。妃の数はそれだけ火種を生みますので、不必要に持つべきでないとされます。王となった暁には血を残すため子をなすに越したことはありませんから、一度に複数人
シャルフは、この契約期間が終わった後、エルザをどうするつもりなのだろう。仕事を斡旋してくれると言っていたが、王都から遠く離れた仕事場でも紹介するつもりなのだろうか。本物の妃と顔を合わせないよう、
寂しいが、仕方がない。そういう契約だし、フィンのいう余計な火種となるのはエルザだって御免だ。むしろ遠くに追いやってくれたほうがいい。
「……ご心配せずとも、次の仕事をいただく際はそう贅沢を言うつもりはありません。働くことさえできれば他国でも構いません、むしろ喜んでお受けします」
「今のところ殿下から条件はうかがっておりません。むしろ希望があれば早めに言っていただけると助かります」
「……考えておきます」
それからもうしばらく話した後「長く引き留めてしまいました」とフィンは本を閉じた。インクがすっかり渇くくらいには話し込んでしまっていたらしい。窓の外を見れば日も傾いている。
「すみません、お仕事の邪魔をしてしまいまして」
「貴女関係の仕事を引き受ける代わりに雑務を免れておりますので、お気遣いなく」
他意を感じてしまいそうになるが、どうやらフィンは嫌味や皮肉を言う性格ではないことはこの数時間を通じて理解した。エルザ達がまだいるにも関わらず本を片付け始めたことにも大して意味はないのだろう。誤解されやすいところもシャルフそっくりだ。
「歴史の件、大変勉強になりました。ありがとうございました」
「こちらこそ、貴重な資料でした」
クローネも揃って頭を下げ部屋を出ていこうとしたところで、本棚に向かっていたフィンが「そういえば」と振り返る。
「貴女の名をうかがっておりませんでしたが」
「……あ、私ですか?」
クローネは素っ頓狂な声を上げるが、無理もない。クローネを気にする者などいないし、宮殿の侍女であってもいちいちその名前を覚える貴族はいない。名門貴族であり、なおかつ高位官僚のフィンもそうだとばかり思って気にも留めなかった。
「私……、私、クローネと申します。どうぞお見知りおきを、フィン・クヴァルツ様」
「……“
頷き、才人らしい賛辞を述べたフィンに、クローネが頬を染める。それを見てしまったエルザは複雑な気持ちになった。
フィンの部屋を出て扉を閉めた後、クローネは「名前を聞かれたのなんていつぶりでしょう!」と案の定顔を綻ばせている。喜ぶクローネを見るのはもちろん嬉しいが、いかんせんエルザもクローネも立場が立場だ。複雑な気持ちのまま「……そうね」と頷く。
「綺麗なお顔で、空いた時間に医学書をお読みになり、しかも私に名を訊いてくださるなんて! 私、フィン様のことがとっても好きになってしまいました」
気持ちは分からなくはない、が……。エルザは遂に渋い表情になってしまった。
「エルザ様だってお分かりになりますでしょう、ベルンシュタインの歴史もあんなに目を輝かせて聞いてくださって」
「……まあね。私も立場が違えばフィン様のことを好きになっていたでしょう――……」
そのまま、ピタリと足を止めてしまった――いや止めざるを得なかった。
柱の陰に立っている人物を見つけ、エルザはギギギとでも聞こえそうなほど不自然に首を動かす。
「……しゃ……るふ、様……ご、ごきげんよう……?」
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