20.没落令嬢、才人と話す

 式典から数日後、エルザがクローネと共に書庫に顔を覗かせると、目当ての人物は2回目に会ったときと全く同じ場所に座って本を読んでいた。エルザが入ってきたことに気が付いても、相変わらずの無愛想な表情を向けるだけで挨拶もしなかった。


「ご無沙汰しております、フィン様」

「……こちらこそ」


 何か用ですか、と聞こえてきそうな言い方だった。隣に座ったが、邪魔だともなんだとも言わずに再び視線を本に落とす。


「……シャルフ様からお聞きしたのですが、フィン様のクヴァルツ家は独自に歴史を記録していらっしゃるんですよね」

「そうですね。それが何か」

「よかったら聞かせてもらいたいなと思いまして」

「歴史に興味が?」

「はい。でもお話できる時間は少ないので、できれば今のうちに聞かせていただきたく」


 おそらく、シャルフはハンナの事件の首謀者に見当をつけている。それにエルザもビアンカとお茶会の約束を取り付けた、王に魔術をかけた修道士の正体ももうすぐ判明する。その後は、シャルフのもとに無事本来の婚約者がやってくるに違いない。

 そうなると、エルザはもうお役御免だ。契約期間が満了し、この宮殿に用はなくなり、再びクローネと共に森の奥で暮らしていくだけとなり……やがてベルンシュタインの血と歴史は絶える。

 それは当然のことなのに、クリスタル家がある間は考えもしなかった。きっと心のどこかで、クリスタル家を出たとはいえどこかの子爵くらいとの縁談はもらえるかもしれない、そうして結婚して子をもうけて自分がまたベルンシュタインの歴史を物語りにしてこっそり伝えよう――そう思っていたのだろう。

 でも、現実はそうはいかない。エルザがベルンシュタインの血と歴史を継ぐ最後のひとりなのだ。

 だから、シャルフのいうとおりなのであれば、フィンに記録してもらおうと思った。

 フィンは「なぜ自分がわざわざ時間を割かねばならないのか」と言いたげに眉間にしわを寄せ、本のページを捲る。確かに、若手随一の官僚をとっ捕まえて「歴史教えて!」なんてまさしく本物の王子妃のような傲慢だ。

 ふむ、と反省したエルザは少し考え込む。才人相手にあれこれ策をろうしても無駄だ、敵うわけがない。


「私自身、一応、母から語り継がれてきた物語がありまして」


 フィンが顔を上げた。食いついた、とエルザは内心ガッツポーズする。


「しかし既に両親も兄姉も失くし、後世に伝える相手がおりません。よろしければぜひ歴史の一側面として残していただきたいと思いまして。いかがでしょう」

「私の部屋でよければ紅茶を用意しましょう」

「ありがとうございます!」


 フィンなりの歓迎の言葉だろう。エルザは今度はしっかり拳を握りしめてしまったが、フィンはやはり眉一つ動かさなかった。

 フィンの部屋は、左は本、右は草や鉱石とばっさり分けられた奇妙な部屋だった。前回訪ねたときは緊急事態でろくに認識できていなかったものの、改めて見ると日当たりの悪さも相俟って物置のようで、踏み入れる足を止めてしまいそうになる。しかもフィンは部屋に戻る途中でお湯を調達し、自ら紅茶を淹れ始めた。部屋にしても行動にしても、フィンの変人っぷりがよく分かる。


「どうぞ、おかけください。本は適当によけていただいて構いません」

「よけて……って」


 フィンは床に本を山積みにしているが、こんな高価なものをぞんざいに扱えるはずがない。おそるおそる持ち上げて本棚に片付けるか迷っていると「分からなくなるので、そのまま床に降ろしてください」とまで指示される。散らかった部屋だが、フィンなりにどこに何があるか把握しているらしい。


「……ところで、フィン様はシャルフ様から何か聞いていらっしゃいますか?」

「貴女のことであれば何も。以前『あの殿下のすることです、私は黙って見守らせていただきます』と申し上げたとおり、貴方と殿下の関係は私の関知するところではありませんので」


 確かにそんなことを言われた覚えはあるが、一言一句違わず復唱するフィンが少し怖かった。宮殿屈指の才人の名は伊達ではない。

 その才人は、どこまでシャルフの味方なのか。紅茶を注ぐ背中を見ながら、エルザは続ける言葉を一瞬躊躇った。


「……関知しないというのは、私がベルンシュタイン一族の血を引いていても、ですか?」


 フィンが振り向いた瞬間に心臓が跳ねた――が、その顔には恐れどころか驚きさえなかった。むしろどこか納得したように顎を引く、その態度に面食らった。


「ではやはり、貴女が噂の魔女ですか」

「……やはり、とは……」

「対価にベルンシュタインの話を聞かせていただこうと思っているんですがね」


 妙な返事だったが、考えてみれば、フィンはエルザが「母から聞いた物語がある」と言っただけで自室に招いた。エルザの知っている歴史が下手に他者に聞かれては困るものだと分かっていたに違いない。


「……いつから知っていたんですか?」

「クヴァルツ家はアウレウス教を信仰しているのです」


 予想外の事実に、エルザもクローネも息を呑む。カップを3つ用意して戻ってきたフィンは軽く腕を上げてみせ、これまた3本の腕輪がジャラッと音を立てた。


「外からは見えませんが、金環の内側に琥珀石が埋まっています」


 じっと、エルザもクローネもその金環を見つめた。一見ただの装飾品だ、が……。


「……本当に、アウレウス教を信仰していらっしゃるんですね」

「ええ」


 どこか唖然としたように呟いたクローネに、フィンはこともなげに顔を上げて頷く。


「といっても、信仰というよりは感謝に近いですね。それを広い意味で“信仰”というのかもしれませんが」

「感謝ってなにをですか?」

「ごく最近――私の曾祖父の代ですが、クヴァルツ家は断絶の危機に瀕しました。それを救ってくれたのがベルンシュタインの魔女であった、と聞いて育っています」

「……魔女に救われた……?」


 エルザもクローネも揃って眉を顰めたが、フィンは頷きながらも「話すと長いのでこれは後日にしましょう」とカップを手に持つ。


「もちろん、今のシュタイン王国ではアウレウス教は異端、クヴァルツ家がアウレウス教を信仰しているのは極秘事項ですがね。ですから、私は他のアダマス教の信徒よりはアウレウス教について知っているつもりですが、これを東国では釈迦に説法と言うそうですね」


 フィンは笑ったが、エルザにもクローネにもそのツボが分からなかった。


「話は戻りますが、私は最初から違和感を覚えていました。だから書庫でも貴女に訊ねましたね、あんな森の奥で人目をはばかるように暮らしていた理由を」

「……そういうことでしたか」

「とはいえ確信はなく、納得したのは殿下から話を聞いてからです。貴女の身の回りの世話にと殿下がつけた侍女のレディ・ロミーを覚えていますか?」


 覚えているもなにも、何かにつけて世話をしてくれる侍女の筆頭だ。


「ええ。今朝はいませんでしたけど……」

「殿下の指示で彼女は捕縛しました。王子妃毒殺未遂の容疑です」

「え?」


 ぱちくり、とエルザもクローネも間抜けに瞬いた。しかしフィンは相変わらず眉一つ動かさない。


「……ロミーが?」

「貴女の食事に毒を盛られていたことがありましたね。一応、貴女の食事は殿下の指示で私が作っています」

「え!?」

「フィン様が作ってるんですか!?」


 いやいやその人選はないだろう! 2人は今度は揃ってあんぐりと口を開けることになったが、フィンは淡々と「そんなに美味しかったですか?」なんて言ってのける。本気なのか冗談なのか分からなかった。


「お……いしかった、ですけど……いやでも、それフィン様の仕事じゃないですよね……?」

「そのとおりです」

「……いやそのとおりじゃなくて」

「お陰でくだらない雑務をしないで済みますし、料理は嫌いではないので構いませんが。今している話は、私が作っている結果、毒を混入するとすれば食事が運ばれるとき以外にないということです」


 フィンいわく、フィンは自分とエルザの食事を調理場を借りて作り、どちらがどちらのものであるか、あえて指示を出さずに置いておく。そしてロミーが取った後に残ったほうを自分のものとして運ぶ。


「レディ・ロミーが愚かなことこの上ないのはさておき、一応私が作っていることは内密にしてあります。そうであれば、一品ごとに作り手が違う可能性、調味料に毒物が混入されている可能性が出てくるからです。レディ・ロミーは軽率にも容疑者が自分一人に絞られるとは考えなかったのでしょう」


 エルザとフィンの食事に差はなく、違いが生じるのはロミーが運び始めたとき。つまり、ロミーが毒を入れたのでなければフィンも毒を盛られていたはずだ。


「……それで、ロミーを」

「実際、あれ以後まったく毒が盛られなかったのは疑問ではありませんでしたか?」

「……まあ、シャルフ様が毒見をしてましたけど……」

「レディ・ロミーの前で毒見をしたでしょう、殿下は」


 ……そのとおりだ。クローネも「確かに、運ばれてきた瞬間に何かと理由をつけて最初に口に含んでいらっしゃいました」と頷く。


「あれは毒を入れたのがレディ・ロミーであったので、牽制の意味でした。次に毒を入れれば食べるのは殿下である、と」

「……ロミーは私だけを殺したかったということですか?」

「殺意まであったかは分かりません。死んでも構わないという意味の殺意はなくはなかったでしょうが、これも別の話です」


 本筋から外れた些末さまつな話に興味はないと言わんばかりに、フィンはすぐに論点を戻す。


「レディ・ロミーの目的は貴女を害することであって、殿下を害することではありません。もっといえば、誤って殿下を害してしまっては本末転倒でした」

「……まさしく、私が身代わり契約妃をやらされている理由で、ですか?」

「そのとおりです」


 3番目の王位継承権を持つシャルフの妃の座は誰もがこぞって欲しがるものだから――確かにシャルフはそう説明した。


「……私以外の王子妃も同じように狙われているんですか?」

「狙われていないわけではないでしょうが、最も狙われるのは貴女ですね」

「なぜですか?」


 しかし、王位継承権でいえばシュヴァッヘ第二王子とオリヴァー第三王子がいる。“こんなところが玉に瑕”と言われるのは皆同じ。そんな中で、なぜシャルフの王子妃が最も危ないのか。


「確かにシャルフ様は頭の切れる方ですから、他の王子と違って問題がありません。でもぼんくら王子ってことになってるじゃないですか。あのぼんくらを見てもなお嫁がせたいんですか?」

「逆ですよ、ぼんくら王など都合がいいことこの上ないでしょう。娘を嫁がせた後は自らが義父として助言してさしあげればいいのですから。そもそも、殿下の王位継承権の問題は他の王子とは異なるのです」


 はて……とエルザとクローネは首を傾げた。何が異なるのだろう。


「……シュヴァッヘ第二王子は体が弱い。オリヴァー第三王子は金髪碧眼ではない。シャルフ様はぼんくら。アルノルト第五王子は継承順位が遠すぎる……」

「分かりませんか? 王子本人ではなく、王子と婚姻する妃の家について考えると分かります」


 ぱらりと落ちてきた藍色の前髪を邪魔そうに耳にかけ、フィンは続ける。


「殿下以外の王子に係る問題は、いかんともしがたいものなのです。シュヴァッヘ第二王子に関してはとっとと世継ぎを産ませそれを次の王とすれば済みますが、病状が悪く陛下の譲位までご存命か怪しい。万が一生き永らえたとして、世継ぎを作る体力まであるか、作ったとしてそれが男児か。金髪碧眼を受け継いでいないオリヴァー第三王子は論外、アルノルト第五王子には継承順位が最後――これは血筋を重んじる王族における致命的なケチ・・です」


 エルザはぱちぱちと瞬きした。言われてみればまったくその通りなのだが、目から鱗だった。


「シュヴァッヘ第二王子は二十歳まで生きられないと専らの噂、放っておいても数年以内に亡くなるでしょう。オリヴァー第三王子も同じこと、早晩公爵家に下げられます。その後に、殿下を推せばいい。下手に自ら前に立とうとするアルノルト第五王子よりもぼんくらのほうがよっぽど扱いやすい。継承順位という血筋と伝統を重んじているという建前もできますしね」


 つまり事実上、シャルフが次の王に内定しているようなもの。

 どうやら、エルザが引き受けた仕事は予想以上に危険なものだったらしい。

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