18.没落令嬢、歴史を語る
王の間へと続く回廊の入口には衛兵が立っていた。エルザ達はそっと顔を覗かせて様子をうかがう。
「医務室とは道が違うわよね? あんなところ通ったら王の間に向かってるって言ってるようなものよ」
「そうだな、正面からは入ることができそうにない。迂回するしかなさそうだな、庭園を横切ろう」
「そんなことして見つからない?」
迷わず一度外に出ることを選択したシャルフに、エルザは警戒して辺りを見回す。しかし「木々に隠れて見えやしない」と短く返事をされただけだった。
「それより、もっと堂々としてろ。視線をあちらこちらへ飛ばすのは怪しいと言っているようなものだ」
早口の叱責に、エルザだけでなくクローネまで背筋を伸ばし視線を前に定めた。シャルフは自分の庭のように迷いなく庭を歩き、あろうことか窓を開けて館内に侵入する。日頃の所作は上品なのに、王子の行動とは思えない。
というか、同じように自分も侵入するのか……と窓枠に手をかけたまま躊躇してしまう。普段ならできなくはないが……。
「何をしてる、手を貸せ」
「え、あ、はい」
「馬鹿、肩だ」
「肩? ――きゃっ」
シャルフの手に載せた手が肩に載せなおされたかと思うと、腰を掴んでひょいと持ち上げられた。浮遊感に慌ててしがみついてしまったが、細く見えるはずの体はびくともしない。やはり、ろくに剣を扱えないというのは嘘に違いない。
ストン、と床に降ろされた後「びっくりした……」とエルザはまだ少し戸惑いながらドレスを軽く整える。ちなみにクローネは「よっこいせ」なんて豪快に足をかけて上った。
「急すぎるわよ、もう少し合図とかしてよ」
「急いでるんでね。そういう君は照れるくらいの可愛げがないのか」
「あら、何に照れろって言うの? 抱き留められるくらい慣れっこよ」
嘘である。男に触れられるのは酔っ払いに絡まれる以外なかったし、なんならほんの数分前であれば照れるどころの騒ぎではなかっただろう。
しかし初心を取り戻したいま、シャルフの言動に右往左往することなど最早ない。少し見栄も張りながら肩を竦めると、シャルフは「そうか、意外だな」と少しつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「あらシャルフ様、嫉妬ですか? 男性の嫉妬は見苦しいですわよ」
「女性の勘違いも相当だと知っておけ。……こっちに見張りはいないようだな」
シャルフに手招きされるがままエルザとクローネも回廊を進み、やがて王の間に足を踏み入れる。他の部屋より一層豪華絢爛なその空間には真紅の絨毯が敷かれ、奥に玉座が鎮座している。黄金に輝き、そしてダイヤモンドの装飾を嵌められた荘厳な玉座だ。その背後にはディアマント家の紋章入りの国旗とアダマス教の旗が掲げられている。
分かっていたとはいえ、王家とアダマス教の結びつきは旗が
「くだらないものだね、祝福があるとはいえ」
じっとそのふたつの旗を見つめるエルザを置き去りに、シャルフは立ち止まることなく玉座に向かう。
「……くだらないって、貴方もアダマス教の信徒なんだって言ってたじゃないの」
「ということになっている、と言ったんだよ。俺は王族がアダマス教を信仰するのを良しとはしていない」
しかし、玉座に触れようとはしない。それはまだ王子という身分にあるがゆえであり、シャルフなりの王位への敬意だった。
「昔、アダマス教が国教化された理由を知っているか?」
「……魔女狩りが完了した当時の話よね。王家に
「ああ。本ではそういうことになっているし、まさしく正史として語り継がれているのはそれだな。が、ベルンシュタインの血を引く君は別の話を聞いているんじゃないか?」
エルザがわずかに持たせた含みを正確に読み取ったらしい。エルザはつい、一瞬クローネと目配せしてしまった。果たして赤裸々に語ってよいものか、と。
「……そうね。だって正史だとベルンシュタイン一族は悪者だもの」
「いい考え方だ。それで、どう聞いている」
皮肉っぽいような心から褒めているような。どちらなのか判断できず、エルザは一呼吸置く代わりに溜息を吐いた。
「……当時のアダマス正教会の主教は私腹を肥やすため、つまり寄進をアダマス正教会に集中させるためにアウレウス教の排除を目論んだ。そして当時のシュタイン王国は戦争を繰り返し疲弊していたから、アダマス正教会による援助は喉から手が出るほど欲しいものだった。王家はアダマス正教会から惜しみない援助を受け、その見返りとしてアダマス教を国教化してその後ろ盾になる――そんな持ちつ持たれつの関係を実現するための犠牲となったのが、ベルンシュタイン一族」
こんなことを外で語れば、異端との誹りは免れず、まさしく串刺しからの火炙りだ。ましてや王族の前、ディアマント家の歴史的歩みを否定するような言動は最たる不敬に値する。
しかし、シャルフは「なるほどね」とちょっと小首を傾げてみせるだけだ。
「……なるほどってなによ」
「いや、当然のことながら俺達は正史しか学ばないんでね。新鮮な視点だったというだけの感想だ」
その反応に、少し胸が熱くなる。シャルフはずっとそうだ。エルザがベルンシュタインの血を引いていると知った後もベルンシュタイン一族を――魔女を虐(しいた)げようとしない。
「ふーん……。それでどう、正史に真向から反する説は」
照れ隠しついでにちょっと喧嘩を売ってみたつもりだったが「別に、新鮮で興味深い以上の感想はない」という返答があるだけだった。
「怒らないの? 当時の王――ドゥムハイト王を馬鹿にしているに等しいけれど」
「現にあれはディアマント家の恥ともいうべき馬鹿王だ。外交は下手だし、軍役や課税をめぐって当時の領主からは反発を招いた。挙句、度重なる戦争にことごとく負けシュタイン王国の領土を失ったんだからな。……そう考えると、アダマス正教会からの援助ほしさに国教化したというのは筋が通るな」
「へえー……王家から見ればいわば身内の恥なのに、そんなことも正史として語り継がれるのね」
「いや、これはクヴァルツ師――フィンの父親から習ったことだ。クヴァルツ家は独立に歴史を記録している一族なんだよ。あの一族が表舞台に立つか立たないかで“正史”が180度変わるといっても過言じゃない」
「そんなに……?」
「今の話をフィンにしてやるといい、アイツは喜んで聞く」
クヴァルツ家は名門貴族だが、そこまでだとは知らなかった。それはさておき、やはりシャルフが家庭教師から逃げ回っていた話も嘘らしい。家庭教師はフィンの父親、そしてフィンの様子からしてシャルフがぼんくらでないことは知っている。フィンとその父親も共犯者となって「シャルフ殿下はちっとも真面目に勉強しません」ということにしていたに違いない。
「まあ、今はそんなことはどうでもいいんだ。誰か来る前に確認してしまおう」
シャルフが玉座の前に屈みこみ、エルザとクローネはその後ろに駆け寄る。一見、絨毯にも玉座にも何の違和感もない。
「その魔術の痕跡とやらは? どうやって見るんだ、呪文でも唱えるのか」
「そんなことしないわ。どうやってと言われても説明は難しいけれど、眼鏡をかけるようなものだと言えばいいのかしら。ちょっと見方を変えてみるだけよ」
床に触れながら、
「……見えるのか?」
「ライトブルー……いえもっと薄いかしら。紫陽花のような色ね」
「紫陽花か……」
「っ……」
声が近づいたことに気付いて顔を上げると、シャルフの顔が思ったよりも近くにあった。どうやら視線の高さをエルザと合わせようとしたらしい。思わず隣に半歩動いてしまいながら「そう、そうね、青いほうの紫陽花よ」と続ける。
「……不思議なものだな、俺にはさっぱり見えないが」
はて、と首を傾げるシャルフが間抜けで笑ってしまった。ぼんくら演技をやめて以来、少し惚けた表情を見るのは珍しい。
「なんだ」
「別に。見えないのに信じるなんて変なのと思っただけよ」
「何言ってるんだ、俺には見えないから君を連れてきたのに。その俺が信じないなんて言い出すはずないだろう」
「それはそうだけど」
考えてみれば、この王子は口が悪いだけで性格が悪いわけではないのだ。むしろ、ベルンシュタイン一族にさえ偏見を抱いていない。さっきの歴史の話がそうだ、
魔女と忌み嫌われなかっただけで恋に落ちるなんて単純ね――クローネにはそう零したが、存外自分は見る目があるかもしれない。
「……それで、そう、色はこの紫陽花のようなものだけね。貴方の予想通り、陛下に黒魔術をかけた人物とそれを“解除”した人物は同じよ」
「ということは、あとはビアンカ第二王子妃に目撃した修道士について確認すれば済むな。この色を持つ修道士を特定することは?」
「魔術を使わせれば可能ですが、裏を返せば使わせなければ不可能です」
「……なるほどね。そろそろぼんくら演技をやめる必要が出てきたかもしれないな」
どういう意味か? エルザが首を傾げたとき――。
「――かし、困ったもんだね、――の心配性にも」
部屋の外で足音と話し声が聞こえ始めた。エルザが顔を上げるより素早くシャルフが振り返る。
「そうかな、俺は分からなくはないというか、むしろさすがだと思ったね。確かに式典中は宮殿内の警備が甘くなる、忍び込むなら今のうちだ」
「そう言われてみればそうか。しかし王の間に盗まれて困るものがあるか?」
「ここか」
「ちょっ……」
衛兵が王の間に迫ってくる、それに気づいたシャルフは素早く、まるで小麦の束を肩に担ぐがごとく軽々とエルザを担ぎあげた。
「どこに逃げるつもりなの!? それより隠れたほうが……」
「そんなことをして見つかったときに言い逃れようがないだろう。音は東からだったな」
衛兵達が歩いてくるのとは反対側の扉を勢いよく開け放つ。当然、バンッという音が回廊にまで響き渡った。
「いま音がしなかったか?」
「盗賊か?」
「ちょっとそんな大きい音――!」
「静かに」
それはこっちの台詞だなんて反論する間もなくシャルフがエルザを隣の部屋に放り込み、その間に衛兵達が駆け足になる声が聞こえた。その衛兵達が王の間に飛び込んだのと、エルザの背中がさらに別の扉に押し付けられたのがほとんど同時、そんな早業で。
「誰――」
衛兵達の視線が向けられたときは、エルザはシャルフとの口づけの真っ最中だった。
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