17.没落令嬢、目を覚ます
いつから話を聞いていたのか、真向から庇った口上を聞かれているとちょっぴり気まずい。なんなら「せっかくぼんくら演技が浸透しているのに余計なことをするな」とさえ言われかねない。そう危惧したエルザは顔をひきつらせたが、アレクシアに関していえば、まさしくぼんくら演技が浸透しているお陰で顔色一つ変えなかった。
「あら、シャルフ殿下。さきほどは残念でしたね、確かお相手は軍曹でしたかしら」
「そうですね、レディ・アレクシア。私では到底敵わぬ相手ですが、いくらなんでも諦めるのが早すぎると少し説教を食らったところです」
いやはや情けない、そう聞こえそう様子で頬を掻いてみせるシャルフに、エルザは状況も忘れて妙なものでも見る目を向けてしまった。異母弟の妃に馬鹿にされていたというのに、よくこんな態度をとれるものだ。
「あらまあ。でも、レディ・エルザによれば殿下は武芸を苦手としていらっしゃるとのこと。苦手としながら軍曹の剣を防ぐなんて、さすがですわ」
「実戦ではありませんからね、軍曹も万が一王子に傷をつけてはならないと手加減をしてくださる」
「そうなのですね。私としたことが、そんなご配慮があるとは存じ上げませんでしたわ」
シャルフの卑下であることを否定しろ……。本人を前にしてなお小馬鹿にした態度を変えないアレクシアに、エルザの中で苛立ちが募る。しかしシャルフは相変わらず全く意にも介さず「それより、ビアンカ殿」とビアンカに向き直る。
「先日は私のエルザを茶会に招いてくれたと聞いています、慣れない宮殿で心細いところをありがとうございました」
「とーんでもございません、シャルフ殿下。私も友人が少ないもので、気さくなエルザ様に仲良くしていただけて嬉しいですよ」
「そう言っていただけると私も安心です。愛する妻が楽しく過ごしているのを見るのが私の幸せですから」
ゾゾゾとエルザの背筋が震えた。今朝はすっかり恋は盲目状態だったが、アレクシアを前に臨戦態勢になったせいで妙に頭が冴えてしまった。お陰でその溢れ出る愛の言葉が、契約開始当初と同じくらい気持ち悪い。
「“愛する妻”だなんて、シャルフ殿下の爪の垢を煎じてオリヴァー様に飲んでいただきたいわ! いいわねエルザ、容姿を褒めるのでなく愛を口に出してくださる男性なんてなかなかいないわよ。幸せ者ね!」
「そ……そう、ね……?」
ない愛を口にするのはただの嘘なのだから、ただシャルフが嘘吐きという話である。エルザは一生懸命微笑みながらも顔をひきつらせてしまった。
「さて、エルザ。申し訳ないのだけれど、医務室に連れて行ってくれないだろうか。さきほど軍曹の剣を受けたときに少し手首を痛めたようでね」
「あ、あー……そういう、ことでしたら、早く言っていただければ。すぐに向かいましょう」
「お大事に、シャルフ殿下。じゃあねエルザ、またお茶をしましょう」
「……お大事に、殿下」
ビアンカは変わらぬ明るい顔のまま、アレクシアは洋扇の向こう側からじとりと目を細めたまま、シャルフに頭を下げる。
にこやかなシャルフに連れられその場を去って回廊を歩きながら、エルザはおそるおそる「……貴方いつから聞いてたの?」と訊ねた。その横顔は淡々と「レディ・アレクシアが私は逃げ回るのが得意だったと言っていたあたりだな」と答える。どうやら口論はほとんど初めから聞かれていたらしい。
しかし、シャルフはそれ以上は話さない。エルザがむきになって反論していたことなどどうでもいいのだろう、それはそれで安心するような、眼中にないと言われているようで残念なような。エルザはこっそり溜息を吐いた。
「それで、八百長も無視して負けることにしたのね。医務室なんていうのも口実なんでしょ、何か用事でもできたの?」
「この間の話を忘れたのか? それより王の様子はどうだった」
「ああ、間違いなく黒魔術はかけられていたわよ」
この間の話ってなんだっけ。首を傾げつつ、王の様子を思い出す。
「高度かどうかは知らないけれど、少なくとも私の座っているところから見て一目瞭然だったわ。でもビアンカは気が付かなかったから、他の人は気付いてないのかしらね」
「オリヴァー兄上は魔術耐性が低いからね。シュヴァッヘ兄上はそこそこあるはずだが、相変わらず床に臥せっているそうだ」
「そういえば今日もいらっしゃらなかったわね」
もともと体が弱いのに武闘大会など出れるはずもなかろうと思っていたが、式典の日まで宮殿に籠りきりとは。看病するヴィルヘルミナも大変だろう。
「アルノルト殿下は? 魔術耐性がないの?」
「ないはずはないよ、王族だから。ただ、あれは脳まで筋肉に支配されているのかと思うほど魔術に疎くてね。違和感を覚えてもそれが何なのかまでは分からないんだろう」
なるほど、そういうこともあるのか。頷くエルザの後ろで、クローネも「確かに、少し繊細さに欠けていそうな方でしたようね」なんて悪口を言っている。
「……それで、今どこへ向かっているの?」
「君に依頼した件だよ。さっきの反応といい、もう忘れたのか?」
シャルフから依頼されたことといえば今回の王の様子を見るということだが、わざわざ式典を抜け出すとは何か。はて、とエルザが首を傾げると、クローネが「ほらエルザ様、この間散策の帰り道に馬車の中でお話になったことです」と助け船を出す。
「……あ、王の間ね」
「そうだ。ちょうどいい具合に
武闘大会の間は、最低限の衛兵を残して宮殿内の人がいなくなる。さらに言えば、皆宮殿前で行われている式典に夢中。つまり、式典中は王の間に忍び込むにはもってこいであるし、医務室と王の間が近いのもいい口実になる。
そんな話をした記憶は確かにあるが、いかんせんあのときは降って湧いた恋に思考を奪われそれどころではなかった。むしろ薄っすらとでも覚えていた自分を褒めてあげたい。
「まあ、式典にいた陛下自体が幻だったなどと言われた暁には揃って首を刎ねられて終わりだろうが。そういうわけではないんだろう?」
「そうね、あれは生きている人間だったから。その点は問題ないはずよ」
クローネも見たのだから間違いない。しかし、万が一、百万が一あれが幻術だった場合、王の間に忍び込んだシャルフとエルザは揃って首を刎ねられて終わり……本当にそうなのだろうか?
少し考え込んでしまっていると、シャルフが「なんだ、なにか引っかかることが?」と振り向く。
「……いえ。貴方のことだから、どうせ言い逃れする方法はいくらでも考えているんじゃないかと思っただけよ」
「俺のことが分かってきたな。君を魔女だと言って切り捨てるよ」
しれっと言ってのけたその横顔には何の変化もなかったが、なぜかエルザには、それが嘘だと分かってしまった。
エルザを魔女だと告発し魔術をかけられたふりでもすれば、間違いなくその場では助かるだろう。そしてそうしてしまえば、シャルフなら手八丁口八丁で身の潔白を伝えることは
でも、シャルフはきっとそんなことはしない。そう考えながら、さっき嘘だと直感した根拠がひとつ思い浮かぶ。
エルザの食事に毒が盛られた日、シャルフは“念のため”エルザの器を自分のものと取り替えた。いくら条件に合う契約妃を探しなおすのが面倒だとはいえ、自分自身が死んでしまっては元も子もないのに――。
「どうした? 怒らないのか?」
試すように笑みながら見下ろされ、エルザは肩を竦めて返した。
「別に、それで構わないわ」
「構わない? アダマス教が支配するこの国――特にこの宮殿で“魔女”だと告発されてみろ、斬首で済めばいい最期だが」
「そんなの、お姉様の最期を知っていれば分かりきっていたことだし」
他の遺体と異なり、ハンナの遺体は首を切られた後に燃やされ
ああ、そうか、それが過去に“魔女”と呼ばれたベルンシュタインの血の末路なのか。町でその話を聞いたとき、エルザはそう悟った。
「大体、貴方が私を魔女だと確信する前から私は自分が“魔女”と呼ばれる存在だと知っていたのよ。自分の死に方が森の中で土に
異端と指をさされたアウレウス教、その加護を受けたベルンシュタイン一族は根絶やしにされるほかない。現にハンナが魔女だと考えられていたかどうかは別として、この時代で発見した“魔女”にはそう対処すると宣言されたも同義だった。
どうせ森の中で死ぬだけの人生だった、そこにハンナの汚名を雪ぐという目的ができた。死ぬことは問題ではない、死ぬ前にその目的を達することができるかどうかだけが問題だ。
ああ、そうだ、そうだった。エルザは思い出す。そうだ、もともと自分はあの森の中で死ぬだけの人生だったのだ。クリスタル家を出て母も亡くなった後、たまに会いにきてくれるハンナと話すのが楽しみでクローネと2人過ごしてきた。でもそのハンナも王子妃になってそう簡単に顔を見せることはできなくなって、あとは淡々と過ぎる日々を過ごすだけだった。
そして、そのハンナが処刑された。後の半年間は事件のことだけ考えて生きていて、そんなところに棚から牡丹餅よろしく契約妃の話が転がり込んできた。これを天啓と言わずになんというのか。だからこの機を逃すまいとこの話に飛びつき、第四王子妃になったのだ。
だったら、この王子が自分を“魔女”と忌み嫌わないことなど、どうでもいい。決意を新たにしたエルザは、すう、と息を吸い込む。
「死ぬ覚悟もないのに敵地に乗り込むほどぼんくらじゃないのよ、私は」
力強く言い放ち、シャルフを見上げる。碧い目が少し細くなった。
「……なるほどね。少し見くびってたよ」
「じゃ、今すぐその評価を改めてちょうだい。ついでに、私を売って報酬を踏み倒した挙句事件の真相は分かりませんでしたなんてことになったら許さないわ。魔女の名に懸けて呪うわよ」
もちろん、そんなことできるわけもないのだが。挑むように睨み付ければ、シャルフはどこか面白そうに笑った。
「心配せずとも、下手は打たない」
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