15.没落令嬢、王子を叩く
「おはよう、今日は一段と美しいね、私のエルザ」
次の日、身支度中に突然シャルフの声が聞こえ「ギャアッ」とエルザは太い悲鳴を上げた。しかし狼狽したのはエルザだけではなく、エルザの髪を結ったりドレスを着せたりしていた侍女達も「シャルフ殿下!」と、シャルフに向き直るべきか着替え途中のエルザを隠すべきかそのまま作業を続けるべきかと慌てふためく。
そんな有様に、今までのエルザであれば「着替え中に入ってくんじゃないわよ! 侍女達も困ってるでしょ!」なんて叱りつけるところだが、今はそうはいかない。
「で、殿下、ごごごきげんうるわしゅう……」
丸見えの背中を隠すべく普段着を引っ掛けながらそう口にするのが精いっぱいだ。いかんせんシャルフへの感情が変わってしまったばかりであるし、なにより。
「シャルフ殿下こそ、今日は一層美しいですねえ……」
お前が妃なのかと言いたくなるほどごく自然に、そしてうっとりと侍女のロミーが漏らす。
普段のシャルフは薄っぺらい適当な軍服を着ているが、今日は春の武闘大会に相応しく、黒にところどころ金色で刺繍をほどこされた格式高い軍服を着ており、ディアマント家の紋章も胸につけている。お陰でその美貌は普段の数倍に跳ね上がっていた。
それに加えて好きになってしまうと見え方も変わるというもの。演技と分かっていても「美しい」などと言われれば頬を染めずにはいられないし、その微笑みは睫毛一本一本まで輝いて見える。エルザの表情は知らず緩みそうになってしまう、が。
「冬の家は寒いですね、エルザ様」
「シャルフ様! えっと……今日はおはやいお目覚めですね!」
そっとクローネに囁かれ、拳を握りしめると同時に気を引き締める。腹黒王子の演技を真に受けてでれでれしている場合ではない。
「ああ、さすがに武闘大会となるとね。陛下の手前、遅刻するわけにはいかないから」
「あ、そ、それはもちろん、そうでございますわよねー……」
だが、意識したところで何事もなかったかのように振舞えるかは別。すぐにしどろもどろと鈍い反応を返すエルザに、シャルフは心配そうに眉尻を下げた。
「どうした、エル。ああそうか、陛下や他の王子達の前に出るから緊張しているんだね」
「そ、そうですわね、少々……」
「心配しなくていいよ、愛らしいエルザ」
そのまま指先に顎を掬い取られ、エルザは口から心臓が飛び出るかと思った。着替えを手伝っていたロミー達も小さく黄色い悲鳴を上げる。
「可愛い君をほんの少しでも一人にしておくわけにはいかない。武闘大会など所詮陛下のお戯れ、私には君の方が大事なのだから、早々に切り上げて隣に戻ってくるよ」
訳すと「エルザを口実に八百長も無視して負けてくる」なのだが、恋に惑ったエルザに翻訳は不可能。結果、口から出るのは「そんな、殿下ったら」程度で、しかも演技と分かっていても照れてしまう始末。
これは思ったよりダメですね、とクローネは心の中でシンプルなダメ出しをした。いくら経験も免疫もないとはいえ、これでは早晩恋心はバレる。クローネはまったく構わないが、エルザが気に病むというのであればそれは避けたい。
「エルザ様……この冬はあまりの寒さに家中の衣服を引っ張り出す羽目になりましたよね。それでもせいぜい3、4枚ですから大して暖かいはずもなく、なんなら最も頼りになるはずの外套に穴が空いていることが発覚し……」
「あ……やめて、よりによってお姉様からいただいたお気に入りの外套が虫に食われてて悲しかったのに寒さもあいまってひもじい気持ちに……」
「何の話かな?」
辛い冬の記憶を囁かれ続けて頭を抱え始めたエルザに、シャルフが半分素で眉を顰める。
「ドレスが足りないのか? 適当に見繕うよう手配しよ――」
「そういう話をしてんじゃないのよ!」
カッと目を見開いたエルザは咄嗟に叫び――それはそれとして普段と違い事情を知らぬ侍女もいるのにやり過ぎたと気付く。
「――足りないとか足りるとかではないのです、気持ちさえあればいいのですから! 殿下からいただいたこのドレス一枚があるだけで私は大変幸せです!」
パンパンと叩いてみせたドレスは、一見ただ青いだけのドレスに見えるが、王族御用達の職人がエルザのために作った一点ものであるうえ、控えめながら宝石があしらわれている。価格でいえば、今までエルザが着ていたドレス何百枚分に相当するか計算もできないほどの高級品だ。
「そうかな。そうやって君はいつも遠慮してしまうから心配だよ」
肩を竦めたシャルフは、そのままソファに座り込む。しかし依然としてエルザは普段着で辛うじて背中を隠している有様だ。
「……殿下、よろしければ一度出て行っていただけませんか? 私、見てのとおり着替えの途中ですので」
「私が君の肌を見て何の問題が?」
「恥じらいというものがございます」
「そういえばそうだね、君は月明かりすら恥ずかしがるから」
ロミー達は思いがけず聞いてしまった夫婦の夜に頬を染めるが、エルザは手近な燭台を掴んでぶん投げたくなった。なんであんな歩く変態(しかも嘘吐き)のような王子を好きになってしまったのか、自分でも不思議だ。
しかしお陰で目が覚めた。「分かっていらっしゃるならせめてそっぽを向いておいてください」とあしらい、ロミー達に続きをさせる。シャルフは仕方なさそうに座り方を変えた。
ロミー達が部屋を出て行った後、エルザからシャルフに歩み寄り「準備できたわ、行けるわよ」と声をかける。振り返られても、もうさきほどのように頬を染めることはしない。
「ああ、じゃあ行くか」
と言いつつ、シャルフは腰を上げる気配はない。それどころかこのまま部屋でサボりそうな雰囲気だ。
「……貴方、本当に八百長も無視して負けるつもり? ていうか、ぼんくらが演技なら剣が扱えないのも演技なんじゃないの?」
この王子、実はかなりの実力があるのでは? じろじろと懐疑的な目を向けていると「まあ、それなりだな」とらしくない謙遜した返事が返ってきた。
「あら、じゃあ武闘大会は八百長がないと本当に勝ち抜けないってわけ」
「そこまでは言ってない。しかし、武闘大会は
「なんで第五王子なの?」
王子なら他にもいるのに、とエルザは首を傾げたが「アイツはプライドが高いし、中途半端に剣を扱えるから」とよく分からない返事がきた。
「アルノルトの妃を覚えているか?」
「アレクシア・アメティストでしょ」
「そう。かねてからアダマス教に莫大な寄進をし、特にここ数年で宮殿での地位もしっかり一族で固めてきているアメティスト伯爵家の長女だ」
「有力貴族なんだってことはなんとなく分かるわ、王子妃の中で誰よりも態度が大きかったもの」
来たばかりのときに招かれたお茶会のことを思い出す。自分の婚姻相手であるアルノルト第五王子が最も有力な王候補だと言われ誇らしげにしていた。順序的にはシュヴァッヘ第二王子が最も王位に近いはずだが、その体調を心配することはなく、妃であるヴィルヘルミナを気遣う様子も微塵もなかった。
「だから今最も王位に近いと言われているのはアルノルトなんだ。次期国王を立てるのは自然なことだろう?」
「ああ、なるほどね。そういえば、貴方は王位に興味がないの?」
王族の務めだとは何度か口にしているのを聞いたことがあるけれど、そもそもこの状況においてシャルフは自分をどんな立ち位置に置きたいのか?
シャルフは珍しく一度口を閉じた。
「……ないとは言わない。が、当然に自分がなるものだとも思っていない」
「含みのある言い方をするのね。王子はみんな迷わず王になりたいのだと思っていたわ」
「……俺は第四王子だからな。オットー兄上が亡くなる最近まで、王位というものに現実味を感じたことがなかったというのもある」
言いたいことが判然としない、シャルフらしくないぼやけた返事だった。本当に珍しい、とエルザはじろじろその横顔を見つめてしまった。
「……まあ、いい。庭に向かおう、そろそろ皆揃っているだろうし」
「……そうね」
「ああ、陛下の様子を忘れずに確認してくれ。君のほうが分かるだろうから」
上手く誤魔化されたのは分かっていたが、頼られると悪い気はしない。しかも幼い頃に忌み嫌われひた隠しにしてきたことだ、エルザは単純にも「まあね、それはもちろん」と得意満面になってしまった。
そうして武闘大会へ向かう道中、シャルフとエルザはアルノルト第五王子とアレクシアにばったり出くわしてしまった。
エルザがアルノルトを間近で見るのは初めてだった。金髪は自信ありげに少し長く、目は細い。顔は角ばっていて、鼻も含めて岩を切り出したような輪郭だ。体つきはがっしりとしていて、王子というよりは勇猛な将というほうが似合っている。シャルフと同じ軍服を着ていても、シャルフが着ていると式典用にしか見えないのに、アルノルトが着ているといかにも軍隊の制服だ。
金髪碧眼はシャルフと同じだが、シャルフのような美貌の主ではない。というか、金髪碧眼が辛うじて残っている共通点だと言っても過言ではなかった。
「おや、こんにちは、シャルフ兄上」
声も低く、だみ声だ。
「久しぶりだね、アルノルト。グラオ地方ではかなり活躍したそうじゃないか」
「よしてください、兄上。そうは言ってもまだまだ
言葉でこそ謙遜しているものの、その口は自慢げに吊り上がっている。
「そういうシャルフ兄上こそ、ローザ地方の盗賊討伐には兄上も参加されていたとか」
そして褒めているふりをして実は褒めていない。実際、シャルフに言わせれば軍を率いても後方にいるだけでろくに剣も振るわないとのことだから、“参加していた”で間違いはない。
とはいえ、その目つきといい、アルノルト第五王子がシャルフを見下しているのは丸わかりだ。エルザはいささか不愉快な気持ちでアルノルト第五王子を睨みたくなったが、当のシャルフは「ああ、いつものことながら有能な将がいてくれるというのは心強いね」と相変わらずのんびり受け答えをするだけだ。
「そううかうかしていてよろしいのですか、シャルフ兄上。オットー兄上が亡くなったいま、我々4人の誰が国王となっても不思議ではない。少しでも数多く功績を立て、王に相応しい者となるべく研鑽に励むべきです。それだけではありません――」
ちら、とアルノルトがエルザを見る。表情は変わらなかったが、それだけで何を思ったかはバレバレだった。
「地方を立派に治める領主や官僚への人脈も作っておくべきです。いざ即位したところで重鎮の老人どもの言いなりというわけにはいきませんからね。ご存知ですか兄上、アメティスト家には大層美しい姫君がいらっしゃると」
アルノルト第五王子の言いたいことは単純明快で、要は「意味の分からん平民のエルザを妃にするのではなく貴族の娘にしておけ、例えば自分の妻・アメティスト家にはまだいい女がいるぞ」というわけだ。
馬鹿にされるのは分かりきっていたことだが、そうはいっても侍女達は何も言わないし、面と向かってここまで言われたのは初めてだ。
「女性の趣味は色々あるでしょうが、王族たる者、まずはよき妻を選んで、愛人を作るのはそれからでいいのでは?」
愛人どこか契約妃ですけどネ。エルザは微笑みを絶やさないまま心の中で答える。偽物の妃の身で何を言われようが正直ピンとこない。
「そう兄の心配をしてくれずとも大丈夫だよ、アルノルト」
とはいえシャルフの実の婚約者もド平民だしな――なんてすっかり他人事を決め込んでいたエルザだったが、不意に力強く肩を抱き寄せられ思考が止まった。
「エルザは優しく穏やかで、私にはもったいないくらいの良い妻だ。彼女を迎え入れてからというもの、私のいる瑠璃の宮殿には既に春の花が咲いたようだし、毎日政務に出掛ける間が惜しくて仕方がない」
よくもまあそこまで口から出まかせを……。庇われたエルザの側が呆れてしまうほどだ。しかし例によって恋に惑っている今は以下略。なんならほんのり頬を染めてしまった――のも束の間。
「そのうえ、見ての通り美しくもあるからね。君が羨むのは理解するよ」
頬に唇を寄せられ、パァンッと再び平手打ちが炸裂した。
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