14.没落令嬢、分を弁える
「……そういえば東の国では恋と鯉が同じ発音だそうよ。何がどうしてそんな紛らわしい言語体系になっているのかしら、不思議よね」
「何を言い出すんですかエルザ様」
すっとぼけて明後日の方向に話を持って行こうとするエルザに、クローネは打って変わって呆れた目を向けた。
「私がお話したいのは、エルザ様がシャルフ殿下にこ――」
「小難しい話をしってるわよね、あの元ぼんくら! アシエ王国の水資源が貧しいのは知っていたけれど、シュタイン王国の山と川がどうのこうのなんて初めて知ったわ!」
「……エルザ様」
「クリスタル家を出てからろくに本を読んでなかったものね。記録がないのはともかくとして少しは書庫に足を運ぶべきかしら? あ、でも読み書きができるのは隠したほうがいいと言われてしまったわね」
「……エルザ様」
「あっじゃあペンなんて置いておかないほうがいいかしら? あの元ぼんくらと他の王子のことを書き留めた羊皮紙も処分しておかないと、っていうか元ぼんくらに関しては大体演技だし、何の情報も掴めてないに等しいし」
遂にクローネは冷ややかな目を向けた。それを受けたエルザはさすがに誤魔化せないと悟り一度黙り――わっと顔を両手で覆う。
「やめてよ恋とか! いい年にもなって! 恥ずかしい!」
「まだ十七歳じゃありませんか、エルザ様」
「もう十七歳よ! 巷では一児二児もうけててもおかしくない年だっていうのに恋とか! 恥ずかしくてやってられないわ!」
本当にやっていられないかのようにエルザはソファにうつ伏せに寝転がり、ばたばたと足を暴れさせる。
いかんせん、エルザは森の奥で暮らしてきたのだ。恋をするしない以前に他人と関わったことがほとんどない。もちろん仕事場に人はいたが、ワケアリだらけの酒場でお互いに顔見知り以上になることはなかった(むしろ顔を覚えられたくなかったまである)。森の奥で暮らし始める前も、魔女呼ばわりされて引き籠っていた期間があるせいでろくに他人と話していない。エルザの恋愛経験は幼少期でストップしていた。
「でも好きになってしまったものは仕方がないじゃありませんか」
「好きなんかじゃないわよあんな腹黒!」
「その顔でそれは無理がありますよ、エルザ様」
ガバッとソファから上げられたエルザの顔は真っ赤だった。
「どうしてお認めにならないんですか?」
「……認めるって」
「いいじゃないですかエルザ様。エルザ様は憎まれ口をたたいてるけど実はシャルフ殿下に恋をしているんだな!と温かい目で見守らせていただきますから」
「それのなにがいいのよ。……ああもう」
ずるずるとソファの上で丸まりながら、エルザは力なく手足を垂れさせる。
「……我ながら単純すぎよね」
「どうしてですか? あんなに綺麗なお顔に毎日愛を囁かれて好きにならないほうがおかしいんですから安心してください」
「そんなことで好きになるわけないでしょ、何言ってるの」
最早好きになったことを否定する気力も湧かなかった。エルザの頭には、エルザが魔女だと頷いた後のシャルフの顔が浮かぶ。
『クリスタル家で魔女と呼ばれていたのは君。で?』
だからなんだ、というかそんなことは察しがついていた、もったいぶらずにお前ができることを言ってみろ――そう言わんばかりの不遜な顔つきで、エルザの目をまっすぐ見て言ってのけた。
エルザを魔女だと認識してなおあんな風に見てくれたのは、家族を除けばシャルフだけだ。その家族だって、エルザが本当に魔女なのかどうなのか知らない者もいた。それなのにシャルフは、例えば火を吹けるのかと身を乗り出しただけだった。
『かなり貴重な情報だし、君が魔術の痕跡とやらを見ることができるのは想定外だった。礼を言うよ、エルザ』
それどころか、魔術の痕跡を見ることができるのは想定外で礼を言うとまで……。
頭の中で何度も何度もシャルフの顔を反芻する自分に嫌気がさし、エルザは深い溜息を吐いた。
「……最悪よ」
本当に最悪だ。思わず声にも出してしまった。
「どうしてですか? 別にいいじゃないですか、恋なんてすばらしいものを何度したって!」
「なにを急に詩人みたいなことを言い出すのよ。忘れないでクローネ、私は契約妃。あと一月もすればここからは出て行く、身代わりの妃よ。それが好きになっちゃいましたなんて言ってどうするの。あの殿下には本物の婚約者がいるのよ、しかも外遊中に一目惚れしたね!」
これが政略結婚ならまだしも、あの王子が自ら好きになった女性だというのだ。エルザの入り込む隙などない。そして一体どんな女性なのかと気にしてしまう自分がもうイヤだ。
「でも……アダマス教のもとでは特に妻の数は制限されていないじゃありませんか。エルザ様が王子妃になれないと決まったわけではありません」
ぐっとエルザは唇を噛んだ。そのとおり、アダマス教は一夫多妻制だし、なんならアダマスの加護を受けている王族に関してはその血を絶やさぬよう多妻・多子を奨励している。当人の中で一番が誰かはたまた全員同列かは別として、現陛下しかり、一夫一妻の王なんて歴史上稀どころではないはずだ。
が、そういう問題ではない。クローネは何も分かっていない。
「……これはあくまで一般論よ。一般論だけど。一般論として。夫に別の妻がいて嬉しい女はいないわ」
「ははあ、なるほど……恋とは難しいものですね……」
至言であるかのように真剣に頷いてみせるクローネに、エルザはもう何も言わなかった。
「……だからこの話はなかったことにするわ」
「……つまりどういうことでしょう?」
「……ちょっと私の調子が悪かったら小突いてくれない?」
「……はあ」
クローネは帰り道のエルザを振り返る。確かに、今までは打てば響くような皮肉と嫌味で応戦していたにもかかわらず、帰るときにはしおらしく「それでいいんじゃないの」「そうね」「私もそう思うわ」などとにかく唯々諾々と従うような相槌しか打っていなかった。たまにシャルフが眉を顰めれば我に返り、わざとらしいほどに刺々しい口調になってみる、そんな有様だった。そうしてやっと悪態をついてみせる横顔はまさしく、隣家の女の子に恋をしてしまった悪ガキ状態であった。
「そうなりますと、エルザ様がシャルフ殿下に可愛げのないことを言うたびにちょっと肩を小突きましょうか」
「逆よ、逆。可愛げのないことを言わなくなったら小突いてちょうだい」
「んー、でも、そんなにひた隠しにしなくてもいいと思うんですよ」
エルザとは裏腹に明るい顔で悩んでみせながら、クローネは人差し指を顎にあてる。
「あのご様子からして、シャルフ殿下ってエルザ様のことを以前からご存知だったのではないですか? ハンナ様からお聞きになっていたとか……クリスタル家のことを調べるうちにエルザ様の存在も知ったとか」
「有り得なくはないわね。ぼんくらの真逆で隙がないもの、あの王子」
でもだから何なのか? 首を傾げると「だから、そんなエルザ様を契約妃に選んだということは何か意味があるのではと言いたいのです!」とクローネは力強く拳を握りしめる。
「ハンナ様の身内を妃にするなんて、下手をすれば寝首をかいてくれと言っているようなもの。その危険を冒しながらエルザ様を妃にするなんて、これはもうなにか下心があったとしか思えません!」
「楽観的通り越して半分妄想よ、それ。……意味があるとしたら、ハンナお姉様と私の仲の良さまで知ってて、私が上手く協力してくれることを見越していたんじゃないかしら。最初は泳がせて様子を見るつもりだったのかもしれないわね」
「そんな後ろ向きにならなくとも……」
「後ろ向きなんかじゃないわ、あの腹黒王子の性格に鑑みて出した結論よ。……いいわよ別に、あっさり落ちた恋なんてあっさり忘れるわ」
最早隠そうともせず、その無駄な感情を振り払うようにエルザは髪を払ってみせる。
「もともと、私の目的はハンナお姉様の汚名を晴らすことだもの。恋だのなんだのしてる余裕はないわ、シャルフ様に協力してさっさと例の修道士を見つけ出しましょう」
「……エルザ様」
「で、報酬の金貨三百枚――あ、上乗せされるんだっけ。ともかくそれを貰って悠々自適に暮らしましょう。なんならクリスタル家を再興してもいいけど、さすがに“魔女”じゃ無理ね。別にいいわ、あの森でクローネと2人で過ごす生活も嫌いじゃなかったし」
下手に期待して傷つくまいとしているのが丸わかりな強がりに、クローネはちょっとだけ眉尻を下げる。エルザのいうとおり、自分はあの森で2人で過ごすので構わない。しかしエルザはそれでいいのだろうか。母親が亡くなって、たまにやってきていたハンナも王子妃となって来なくなりやがて亡くなり、今やエルザは本当にひとりぼっちなのに。
でも、エルザがそう言うならクローネが無責任に蒸し返すことはできないのだ。クローネはキュッと身を引き締める。
「ではエルザ様、私は金貨の使い道を考えておきますね。まずは冬の寒さをどうにかすべく家を建て直しましょう」
「そうね。新しい仕事も斡旋してもらえるし、必死に貯金してないで投資に回しましょ。考えたらちょっとだけ楽しいわね。さっきは小突いてって言ったけど、私の顔が緩んでたら横から『金貨三百枚』って囁いてくれるのでもいいわ」
「私が知る限り最も邪悪な呪文に聞こえますよ、エルザ様」
「じゃあ『冬は寒いですね』とかにしとく?
そう気を取り直したエルザだった、が。
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