12.没落令嬢、遊びに行く

 毒を飲んで数日後、エルザは馬車に乗せられ、王都の外へと連れ出された。


「……シャルフ様、もうお体はよろしいのですか?」

「問題ないと言っただろう。意外と心配性だな、君は」


 馬車の中にはシャルフとエルザ、そして例によってクローネのみ。前後には護衛がついているが、何を話そうが車輪の音がうるさくて何も聞こえないというのは都合がいい。シャルフは、馬車に乗った途端にそんなことを説明した。


「……ええええ、心配もしますよ。毒を飲んで丸1日、人のベッドで寝込んでいればね」

「嫌味を言うな。フィンは説明しなかったのか?」

「されましたけども!」


 シャルフは、回復するまでエルザの部屋で寝込んでいた。というのも、フィンに言わせれば「毒を盛られてしまった。幸いにもすぐに吐き出したため大事には至らなかったが具合が悪い。そんなエルザを心配してシャルフはエルザの部屋から一歩も出ないで看病をしている」という“第四王子妃溺愛中”をアピールするためだそうだ。ついでに回復後のシャルフに言わせれば「君は平民出の馬鹿だということになってるし、俺もぼんくらだし、下手に毒に気付いたと勘付かれるよりまんまと引っかかったということにしたほうがいい」とのこと。

 今回のお出かけもその延長だ。“狙われて心を痛めたエルザを気分転換のために遊びに連れ出した”という名目になっている。


「さすがに目の前で具合を悪くされては心配もします。フィン様といい、致死量でなければ問題ないと散々言われましても、生憎と私は毒など口に含んだことがありませんので存じ上げません」

「じゃあ覚えておいてくれ」


 この腹黒王子ッ……! 人が心配してあげているのになんという物言いだ。エルザは膝の上で拳を握りしめ、しかし殴るわけにもいかず無理矢理笑みを浮かべる。


「……ええそうですね、覚えておきます。シャルフ様が大変顔色を悪くされて寒いと凍え毛布にくるまり私のベッドで弱々しく寝込んでいらっしゃった様子は絶対に忘れません」

「弱々しく寝込んでなどいなかった」


 案の定、シャルフはむきになって否定する。先日まで知らなかったが、シャルフは存外子供っぽいところがある。丸1日同じ部屋にいれば、今まで見えなかったものも見えてくるというものだ。

 そして(庇ってもらった手前悪い気持ちもあるが)毒を飲み弱り切っていたシャルフとそれを看病していたエルザでは、エルザのほうが圧倒的に優位。エルザはわざとらしく頬に手を当てて心配そうな表情をしてみせた。


「弱々しかったですよ? 額からは滝のように汗が流れ、私の手を握りしめて一晩中放さないのですから」

「発汗は有毒なものを口にした場合の人体の生理現象であって俺が弱々しいといわれる筋合いはない。君の手も汗を拭くために布を掴もうとして間違えたんだ」

「饒舌な物言いが一層虚勢を強めてますわよ、シャルフ様」


 バチバチと馬車の間で火花が散り、クローネは1人遠い目をした。シャルフが本性を露わにするまではまだ痴話喧嘩に見えなくもなかったのに、ここまできては本当にただ仲が悪いようにしか見えない。エルザの態度は変わっていないといえばそうだが、シャルフの絶妙な台詞回しもあってお互いに売り言葉に買い言葉となってしまっている。以前のような睦言は既に跡形もない。今となってはわざとらしいとしか言いようがないとはいえ、こうも喧嘩腰の会話ばかり聞くよりはずっとマシだった。

 その後もシャルフとエルザは、目的地に着くまで仲が良いのか悪いのか分からない口喧嘩を続けていた。しかしひとたび馬車が停まれば従者に声を聞かれる。馬車を降りるときには、シャルフが「気を付けてね、私の可愛いエル」と相変わらず甘ったるい言葉を吐きながら手を差し出し、エルザも必死に笑みを貼りつけながら「ありがとうございます、シャルフ様」とうやうやしく手を差し出す。


「……シャルフ様の二重人格は尊敬に値しますわね」

「生まれてこの方ぼんくらとしか呼ばれたことがないからね、光栄だよ」

「皮肉ですよ、ぼんくら王子様」


 それでもって馬車と従者達から離れるとすぐこれだ。クローネは喜劇でも見せられている気分だった。


「それで、こんなところに連れ出して何をするんですか?」

「最初に話したとおり、内緒話だ。部屋だと誰が聞いているか分からないからな」


 空気がおいしいから、なんて適当な理由をつけ、シャルフはエルザを連れ山の中へ入る。なぜ馬を連れて行かないのかと思ったら、道が狭くて馬だと不便なのだろう。もともと森の中に住んでいたから気にはならないものの、本当の王子妃だったらこんな散歩は到底耐えられないだろう。

 ただ、実際空気はおいしい。エルザが深く呼吸する後ろで、クローネもうきうきと明るい雰囲気で周囲を見回している。王都にいてはクローネも息が詰まるだろうし、その意味ではシャルフに感謝だ。


「いい森林浴ね。久しぶりに気持ちがいいわ」

「ですね、エルザ様」

「まあ、我が国は自然に恵まれているからな。特に高低差のある急流の小川が多いのはありがたい」

「どうして? 水の事故が多くて国は大変そうだけど」


 かくいうエルザも思わぬ急流に足を攫われて溺れかけたことがある。クローネのお陰で事なきを得たが、ああいった経験をすると川は怖い。下手をすれば海よりも。


「危険なのはそうだが、そのぶん水の流れがいいんだ。アシエ王国では水を手に入れるのが困難だという話を知らないか」

「言われてみれば……。確かアシエ王国って水が飲めないのよね」


 クリスタル家で引きこもって本を読み漁っていた頃に学んだことだ。シュタイン王国に住んでいると信じられないが、アシエ王国では水を飲まない。清潔な水を手に入れるのが困難だという理由で、水の代わりにワインを飲むらしい。


「なんだ、それは知ってるのか」

「昔本で読んだのよ」

「本が読めたのか」

「馬鹿にしないでよ、これでも元クリスタル辺境伯家の末娘よ」

「そういえばそうだったな。読み書きはできないふりをしておいたほうがいい、素性を疑われるから」


 そういえば、エルザはシャルフが字を書く様子を見たことがない。王子が字を書く機会なんて署名くらいしかないとはいえ、エルザが思っていた以上にぼんくら演技は徹底していたらしい。


「アシエ王国と我が国の大きな違いは山と川だ。アシエ王国は平野が広がるばかりだからな、汚水が流れず、水資源に貧しいんだ」

「本当に貴方って意外と博識なのね」

「自国の特色を知っておくのは王族の務めだよ」

「その務めから逃げてぼんくらのふりしてた口で何言ってんのよ」


 歩き進めるにつれて、ドドドドドと滝の音が聞こえ始めた。音のする方向を見ながら、シャルフが「あっちに滝がある。見晴らしがよくて人が潜む場所が少ないし、なによりうるさくて耳をそばだてても無意味だ」とエルザを誘導した。シャルフが迷いなく歩いたその先には少し流れのはやい川があり、川底が見えるほど透き通った水が、みずみずしい音を立てながら下流へと進んでいる。さらにその向こう側に大きな滝が見えた。


「わ……きれいな水ね」

「そのまま飲料水にもなる。この季節なら足を浸けても気持ちがいいだろう」

「エルザ様、浸かりましょ!」

「でもいざってときに逃げられないんじゃ……」

「ご所望とあらば担ごう」

「優しく抱き上げてくださいね、殿下」


 ちょうどいい岩に腰かけ、エルザは疲れた足を川に浸した。ひんやりと冷えた水が気持ちがいい。クローネも隣で「はわー」と喜色をあらわにする。


「さて、従者達が呼びにきても面倒だからさっさと話しておこうか」


 シャルフはブーツも脱がず、エルザ達のすぐ近くの岩に腰を下ろす。いざというときは担いでやろうというのだ、気を抜くつもりはないのだろう。ぼんくらの演技をしたままだったらどうするつもりだったのだろうか、水が苦手なんだとでも嘯いていたのかもしれない。


「まず、君は第一王子妃についてどこまで知っている? 魔女じゃないとはどういうことだ?」


 単刀直入にきた……。足先をぴしゃぴしゃと水に浸して遊んでゆるんでいた気持ちが一気に引き締まった。


「……事件のことを教えてくれるのが先じゃない? 私は第一王子妃が第一王子を誘惑したというか……ハンナお姉様が王妃になりたいと欲をかいた結果、第一王子が陛下を弑逆しようとしたとしか知らないんだけど」

「民衆に流れている噂と大差ないね。つまり客観情報としてはハンナ第一王子妃が首謀者だと知らされているということか」


 客観とその裏の主観を素早く整理され、エルザは思わず唇を噛んだ。ぼんくらが演技だと分かってなお、当初のあののらりくらりとした態度からは想像もつかない頭の回転には驚かざるを得ない。


「こちらの情報を先に提示するつもりはなかったんだけれどね、隠し事をして進めてもらちがあかない。まずは俺が知っている事件の話をしよう」


 膝の上で手を組み、エルザを見る目もそうだ。金髪の隙間からエルザを見据える碧い目は、まるですべてを見透かすようで目を逸らしたくなる。


「俺がオットー兄上は無罪だと知っているのは、弑逆未遂は兄上には不可能だからだ」

「……あのって」


 まるで操り人形のように――怯えたビアンカの表情ごと台詞を思い出す。


「陛下が操り人形のようになっていたこと?」

「……なんで知ってる?」

「ビアンカ第二王子妃から聞いたのよ。あと――」

「君が知っている話は後で聞こう。ありがたいけど、話が前後すると面倒くさいからね」


 どうやらエルザから情報をもらうことに感謝はしているらしい。腹黒クソ王子と心の中で罵っていたけれど、そういう誠意を見せられるとちょっとやりにくい。エルザはもぞもぞと居住まいを正した。


「君が聞いたとおり、あの日の陛下はまさしく操り人形のようだった。目は虚ろでどこを見ているとも分からない、手足の筋肉もろくに動かせなくなったかのように玉座に乗せられていた。あれは明らかに死体ではないし、毒や薬を盛ったものでもない」

「ということは、貴方もそのとき王の間にいたの?」

「ああ。は知らないが、あの日あの時、陛下に謁見したのはオットー兄上とハンナ第一王子妃だけではなく、俺もだよ」

「連中って?」

「オットー兄上の処分を決定した連中だね」


 シャルフいわく、事件の日、第一王子とシャルフは共に軍務関係の報告をしに王の間へ向かっていたらしい。ハンナがその場にいたのは、道すがらたまたま出会ったという偶然のものだった。

 王の間に入ってすぐ、シャルフと第一王子が王の異変に気付いた。第一王子が王に呼びかけている間に、シャルフは王の間を離れて主治医を呼びに行った。しかしその途中、庭園を挟んで反対側の窓から王の間を見て戦慄せんりつすると共に立ち止まった――誰かが第一王子に刃を向けている様子が見えたから。

 だから、シャルフは主治医を呼びに行くのをやめた。シャルフがあの状態の王を目撃したと知られなくて悪いことはなかったから。


「案の定、その日のうちに兄上と第一王子妃が捕縛されたというしらせがあったよ。その後は噂で聞いているとおり、瞬く間に正妃と正妃一族、その他諸々の関係者が捕縛され、やがて処刑されたわけだ」

「……つまり、貴方は第一王子を見捨てたの?」

「見捨てたよ」


 冷ややかに、まるで躊躇いもなくシャルフは答えた。


「あれは明らかに魔術だった。一応主治医を呼びに行くつもりではいたけれど、医学で対処できないことは明白な魔術。それを見た兄上達を捕縛したということは、陛下にその魔術をかけた連中がいる。そしてそれを知られたくないから兄上達の口を封じた」


 それは、ビアンカの話を聞いたときから察していたことではあった。第一王子とハンナは、誰かの企みをその目で見てしまったから口封じに処刑されたのだと。


「第一王子である兄上の主張を黙殺したどころか口封じに一族郎党皆殺しにする連中だ、俺一人がしゃしゃり出てどうなった? 現に兄上も――第一王子妃も俺の存在を吐かなかった。俺の役目は兄上と仲良く死ぬことではなく、兄上の死後に魔術をかけた連中を見つけ出すことだよ」


 なにか間違っているか、と投げかけられたような気がして、エルザはぐっと唇を噛んだ。確かにシャルフの言っていることは何も間違っていない。でも、エルザに同じことができただろうか。王の間に残してきたハンナを振り返ったとき、その首元に剣をつきつけられ、やがて処刑されることが予感できたとして。自分が出て行っても無意味だと割り切って、連れて行かれるハンナを黙って見ておくことが。

 この王子は、頭がいいのだ。感情に左右されず、その瞬間に成果を見据えた最適解を導きそれを採る。それができる、冷たく頭の良い人間だ。


「俺が兄上を無実だと知っている理由は至極単純明快だろう? 俺が他に知っていることは、魔術を扱う連中がアダマス正教会にいて、正教会の連中と第三妃・第五妃が懇意なこと。陛下が依然として魔術にかかっているように見えることかな」

「え? 陛下はもう元気になったんじゃ……」

「ビアンカ第二王子妃から聞いたのか?」

「え? ええ……操り人形状態だったけれど、修道士がその魔術をって……」


 シャルフは頬杖で口元を隠しながら少し考え込んだが、すぐに「彼女は魔術耐性がないんだろう」としれっと言ってのけた。実際、ビアンカの家の話を聞けばそのとおりだとは思われる。魔術耐性は幼い頃から魔術に触れてきたか否かで決まるもので、庶民にはないことが多い。


「現に俺も直接話さなければ違和感には気付かなかった。そのくらいには高度な魔術だよ」

「……もしかして、私のお披露目が春の式典までないのもそのせい?」

「ああ、そうだよ」


 よく思い出したね、そう言いたげにシャルフは眉を吊り上げた。


「そういえば、君は未だに陛下の顔もまともに見たことがないだろうね。あれは裏で動いてる連中の計らいだろうよ、下手に人の目に触れさせるわけにはいかないというね」

「……だから呼び出されたときも驚いてたってわけね」


 宮殿に来て間もない頃、シャルフが王に呼び出されて首を傾げていたことがあった。操り人形の王が自分に一体何の用事かと思ったのだろう。


「そうだね。実際、あれは魔術の効きを試したんだと思う。魔術耐性はさすがに誤魔化しようがないからね、『体調が悪いんですか』くらいは口にしたが」

「……そうだったの」

「で、ここからは俺が訊く番だ」


 シャルフの視線を受け、クローネが半分だけエルザの後ろに隠れた。気持ちは分かる、ぼんくら姿を見ていた期間のほうが長いので、自信満々な喋り方は詰問されているようで怖いのだ。


「先に話してあげたんだ、何でも答えるのが筋だよね?」


 その笑みも、まるで脅迫だ。


「君は第一王子妃を“魔女”でないと言い張る。しかし現に陛下には魔術がかけられていたし、クリスタル家には“魔女”がいたという噂がある」


 ああ、ほら、この王子は全て知っているのだ。

 足をすすぐ心地の良い水が、いつの間にか痛いほどに冷たくなっていた。


「君が、その“魔女”か?」

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