11.没落令嬢、取引をする

「……事件の情報を、探していたんです」

「どういう意味かな」

「……ハンナお姉様は、魔女じゃありません。お姉様が第一王子を惑わしたなんて有り得ない。でも事件のことは何も記録に残っていなかった。だから手がかりを探しに行ったんです」


 シャルフは何も答えなかった。馬鹿正直なこの回答が、正しいのか誤っているのか。表情からは何も読み取ることができなかった。


「それで、成果は?」

「……何も。貴方に助けられた部屋で第一王子のコレクションがあることを見たくらい」

「……そうか」


 続いてその目に映ったのが落胆か失望か、はたまた無感情か。それも分からなかった。

 いつもへらへらと締まりなく笑っている第四王子は一体どこへ消えたのか? そう思ってしまうけれど、考えてみればあの締まりのない笑みから“何か”を読み取れたことなど一度もなかったのだ。どうせ何も考えていないに違いないと高を括って見下すばかりで、何を考えているかなど考えもしなかった。

 ぼんくらなんてとんでもない。この王子はとんだ曲者くせもので、エルザは最初から虎穴に放り込まれていたらしい。

 悔しさで舌打ちしてやりたいのを堪えながら、エルザは改めてシャルフを見据えた。


「……私からも質問していいかしら。私を王子妃に選んだのはなぜ?」

「ハンナ元第一王子妃の無実を晴らすために暴れてくれると期待したからだよ」


 期待していた? エルザは眉を顰めた。しかも“暴れてくれる”……。


「どういう意味よ」

「話を整理しようか。そもそも、俺は第一王子その他を処刑したあの事件は誰かの企みだと考えている。その誰かを探し出して始末したい」


 トン、とシャルフの指先がエルザの心臓の上を押さえ、エルザの体にはゾクリと痺れが広がる。しかしシャルフは淡々と続けた。


「だが、当然俺が探っていると知られては困る。だからクリスタル家の生き残りの君を選んだ。ハンナ元第一王子妃と親しい関係であったことは容易に想像がついたからね」

「……じゃあ、婚約者は……」

「それも理由のひとつではあるよ。お陰様で先日無事に出発して王都に向かっている」


 つまり、この王子に関して改めなければならない情報は3つ。


「……ぼんくらと名高いシャルフ殿下は実は腹黒で、私が何者か知ってて、第一王子の事件の真相を探るのに利用したいってわけね」

「そのとおりだね」


 全部予想外だった。第四王子がぼんくらであることは有名だったし、婚約者が遠方から来るという理由も一応確からしかったし(現に確かだし)、エルザのもとには偶然契約王子妃という仕事が舞い込んできたのだとばかり思っていた。

 エルザは一度瞑目し、意識して息を吸い込む。シャルフの指先の圧を感じながら肺が膨らんだ。

 もう一度目を開くと、変わらぬ無表情に見下ろされていた。本当に、第四王子がこんな顔をするなんて予想外だ。


「最高ね」


 それでもこれは、嬉しい誤算というやつだ。

 シャルフは少し驚いたように何度か瞬きする。


「……なんだって?」

「最高ねって言ったのよ。貴方が腹黒で第一王子処刑を裏で手引きした人を探ってて、私がクリスタル家の人間だと知っている。動きやすくて最高よ」


 それは強がりでもなんでもない。クローネとも話していたことだ、情報を得るには味方が足りない。シャルフが味方になると思っているわけではないが、少なくとも同じ目的を持つ者が最も身近にいる。

 ただ、怖くはあった。物心ついたときからずっとぼんくらのふりをして生きてきたなんて、とんだ曲者だ。エルザがクリスタル家の人間だろうがなんだろうがどうでもいいというその発言も本当かどうか怪しい。こんな王子、背中を見せるだけで殺されてしまうかもしれない。

 それでも、呑まれるわけにはいかない。エルザはシャルフを睨みつけた。


「私はお姉様が魔女でないと知っている。お姉様が魔女で第一王子ともども陛下を惑わしたなんて、そんな風にお姉様に泥を塗ったやからを許さないわ。でも私だけじゃ能力も人脈も足りない」


 そのまま胸倉を掴んで引き寄せる。シャルフの長い睫毛がぱたりぱたりと上下した。


「目的が同じなら、お互い情報を共有したほうが得だと思わない? 一応これでも他の王子妃とは仲良くやってるし……私しか知らない情報もある。どう?」


 持っている情報量は圧倒的にシャルフのほうが上だろう。その意味でシャルフがエルザに持っている情報を教える理由はない。

 でもシャルフがここでエルザに本性を示したのは、情報収集がややどん詰まりになりつつあるからに違いない。そうでなければ黙って好きに泳がせておけばいいのだから。

 その交渉は功を奏したらしく、シャルフはそっと口角を吊り上げた。


「いいよ。俺が知っていることは教えてあげる。その代わり君の情報ももらおうか」

「契約成立ね。報酬は上乗せしてもらっても構わないわよ」

「協力者が欲しかったのは君だろう? 足下を見られないのは大事だけれど、強欲になるもんじゃないよ」


 ちぇっ、と口を尖らせながら手を離す。腹黒王子はケチだ。


「この部屋はどこぞの貴族に監視されてるんでしょ? それなら詳しい話はまた今度――」


 その腹黒王子の体が、突然ずしりと圧し掛かってきた。

 待て待て待て。エルザは一瞬パニックになった。シャルフの髪に首を、息に肩をくすぐられて恐怖半分羞恥半分の震えが走った。何が起こっている。いや何かは明確だし覚悟もしていたけれど、目的を分かち合ったいま手を出される謂れはない。


「ちょっと貴方、退き――……殿下?」


 その体を叩き落とそうと肩を掴んだとき、その呼吸が妙に荒いことに気が付いた。


「……エルザ様、殿下の様子、おかしくありませんか?」


 2人を静観していたクローネも近寄ってきて顔を覗き込む。

 重石のような体を抱き起そうとして顔に触れると、妙にひんやりとしていた。そのくせ首の後ろにはじんわり汗が滲んでいる。ソファに座らせると、さっきまでは逆光で見えなかっただけで顔からは血の気が引いていた。


「ちょっ……と、シャルフ様、大丈夫ですか!? すぐ医者を呼びますから!」

「フィンを」


 長い睫毛は降りたまま、柳眉が眉間に皺を作り、口だけが微かに動く。


「呼んでくれ。アイツだけでいい」

「フィン様……、の部屋ってどこですか!」


 目に見えてぐったりとしたシャルフからなんとか部屋を聞き出しフィンを訪ねると「こんな時間に何の用ですか」とあからさまに迷惑そうな顔をされた。シャルフが呼んでいるからと無理矢理引っ張って連れて戻ると、シャルフはソファに寝転んだまま、部屋に入った途端に聞こえるほど荒い呼吸を繰り返していた。


「……何をお食べになりましたか?」

「何……夕食の内容のこと?」

「一緒に摂ったのですね。それだけ分かれば充分です。すぐ戻ります」


 困惑するエルザをよそにフィンはいなくなる。シャルフは額に汗をかいていた。

 どうしよう。何が起こったのだろう。でも“夕食を一緒に摂った”ことが分かればいいということは……。


「毒、よね、多分……」

「そうですね、おそらくそれで間違いないと思います」


 クローネも頷く。

 夕食に毒が入っていた。でもシャルフが食べたのはエルザの器のものだ。それに7歳になる頃には毒見も必要なくなったなんて冗談を口にしていたくらい、この王子は周到に身の危険を避けてきた。


「……狙われたのは私?」

「……ということですよね。そしてシャルフ殿下はそれに気付いて……」


 寝起きだから豚肉は食べたくない――そんなことを言ってエルザを庇ったのか。

 ぎゅ、とシャルフの袖の裾を握りしめる。意識があったらしく、シャルフの目が少し開いた。


「っ貴方ねえ、毒入りって分かってなんで――」

「分からなかった。用心して取り替えただけだ」


 一息に言い切り、もう一度目を閉じる。ぐっと唇を噛み、その隙間から息を吐き出す。


「……フィンは」

「呼びましたが出て行かれました。すぐに戻ると仰っていましたが……」

「アイツが薬を持っているから心配しなくていい」


 心配なんてしてません――と口に出そうとして、それがただの憎まれ口だと気付いて言葉が出なかった。

 心配。心配だ、ぼんくらのふりしたこの腹黒王子のことが。だって自分の代わりに毒を含んだのだから。人として当然、そんなの心配するに決まっている――。

 ぺたりと手のひらを額に載せると、もう一度シャルフの目が開く。怪訝ささえも感じさせない、気力のない開き方だった。


「……大丈夫、ですか?」

「……少し寒いな」

「すぐに毛布をお持ちします」


 エルザは素早く立ち上がり、ベッドに載せていたブランケットをシャルフにかける。ただそれだけでは大して気分が良くならないのか、シャルフは浅い息を吐くだけだった。

 何の毒なのか、即効性なのか遅行性なのか――致死量なのか。考えた瞬間、ゾッと背筋に寒気が走った。


「失礼、戻りました」


 エルザまで顔を青くしてしまいながら見守っていると、フィンが静かに戻ってきた。あまり慌てた様子はなく、いつもの無愛想な顔つきのままシャルフに胃の中身を吐かせて薬と水を飲ませる、そんな冷静な処置をした。


「……あの」

「ご心配なく、もともと致死量は飲んでいないはずです。そうですよね、殿下」

「そうだな」


 シャルフは、水で濡れた口元を乱暴に袖で拭う。


「こんなときに君を狙う理由は娘を第四王子妃にしたいからだろう。とはいえ表立って殺害すると母上のグラナト侯爵家がどう出るか分からない。単なる脅しだよ、これは」

「そ……れは、ただの推測じゃないですか。もし致死量だったら……」

「そうだったとしても、手に入る毒の種類なんてたかが知れてるよ」

「だったら私にそのまま食べさせればよかったじゃないですか!」


 思わず叫んでしまうと、再びソファに寝転びなおしたシャルフが目だけでエルザを見た。


「……万が一ってこともある。女性の君のほうが致死量は少ないだろうしね。大体、もう一度条件に合う妃を探すのは面倒なんだ」


 はあ、と息を吐き出し直しながら、シャルフは姿勢を変える。


「あとはフィンと話してくれ。俺は少し休むから」


 そのままゆっくり眉間から力を抜いていく。エルザは続く言葉を呑みこみ、仕方なく毛布をかけるだけにした。

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