5.没落令嬢、質問される
エルザとクローネが書庫へ行くと、管理人は快く中へ入るのを許可してくれた。シャルフが話を通しておくというのは本当だったらしい。
「意外と仕事はするのね、あのぼんくら王子」
「エルザ様、ぼんくらぼんくらとおっしゃるのはやめたほうがいいですよ。本人の前でも出ます、というか出てました」
「だって噂にたがわぬぼんくらなんだもの」
書庫には誰もおらず、エルザは気兼ねなくクローネと話しながら目当ての書架を見つける。国王弑逆を企んだハンナとオットー元第一王子の処刑記録だ。
しかし、開いた中にある情報は巷の噂で流れているものに毛が生えたようなものだった。『玉座の間において謁見する際、ハンナが手引きした上でオットー元第一王子が陛下の弑逆を試みた。しかしオットー第一王子の挙動には以前から怪しいところがあったため、玉座の間には衛兵が控えており事なきを得た。』……。
「仮にも陛下を殺害しようと企んだ事件の記録がこれしかないなんてことがあるかしら?」
記録を戻しながら、エルザは別の記録を手に取り捲る。クローネも「そうですね……」と首を傾げた。
「他の事件はもう少し詳しく書いてありますよね? どこの誰が犯人で、誰のお陰で誰が助かったとか……」
「それこそ陛下の命を助けるなんて勲章ものよ? しっかりと記録に残してほしいって頼みそうなものだし……あ、これ見て。魔女狩りのときのものね」
「ひえっ」
本が襲い掛かってくるわけでもないのに、クローネはついエルザの背に隠れてしまった。
「こういうものがしれっと置いてあるあたり、シュタイン王国はすっかりアダマス教に支配されていますよね……アダマスの始祖が王族に加護を与えているので仕方がないんでしょうけど」
「あのぼんくら王子もアダマス教徒らしいしね。あーあ、完全にアウレウス教は悪者よ」
数百年近く前、アウレウス教の敬虔な信徒であったベルンシュタイン家は、聖女の加護を用いて王に弓引き、結果一族皆殺しにされた。記録には、それがあたかも事実のように記載されたうえで、ベルンシュタイン家が裏でいかに悪行の限りを尽くしていたかが書かれていた。
「神が2人もいるとお布施が半分になる、たったそれだけのくだらない話なのにね」
でも現実はそうではない。本を捲りながら、エルザは幼い頃に失くした母のことを思い出す。
アダマス教とアウレウス教それぞれの始祖は、この世界に降り立つにあたり2人の人間に加護を与えた。1人はクリークス・ディアマント、彼は人々を導く力を与えられた。もう1人はフライハイト・ベルンシュタイン、彼女は自然と生きる力を与えられた。2人はやがてそれぞれの一族を持つようになり、家同士で互いに協力し、国の繁栄に尽くしていた。
しかし、アウレウス正教会が徐々に大きくなっていくにつれ、当時アダマス正教会を統治していた主教が私腹をこやすにあたって他の宗教を排除することを企んだ。そこで主教は当時の愚かな王に「ベルンシュタイン家の加護は王族の立場を
それが、エルザが母から聞いて育った話だ。そしてアダマス教がシュタイン王国の国教である今、ベルンシュタインの血を引くことは決して誰にも明かしてはならない、と。
エルザがハンナの異母妹であることはもちろん、エルザとクローネがベルンシュタイン一族に関係していることは、誰にも知られてはいけない。特に、アダマス教の修道士達が出入りするこの宮殿では。
「それにしても、すごい本の量ね。クリスタル家もそれなりに本は集めていたけれど、さすが宮殿の書庫だわ」
ろくな情報は得られないと諦めたエルザは、改めて書庫の中を歩き回る。一体何十冊、いや何百冊の本があるのだろう。一冊作るのに優に
「契約が終わったら書庫で働かせてもらえないかしら。日がな本を捲りながらのんびり過ごすのも悪くないわ……」
そのとき書庫の扉が開き、一人の青年が入ってきた。黒に近い暗い髪を後頭部で簡単に結い、無表情の上に無愛想な片眼鏡をかけた青年――シャルフの従者であるフィン・クヴァルツだった。
「ご無沙汰しております、フィン様」
「……エルザ殿ですか」
無表情のとおり、その声も無愛想で感情がない。エルザを認めた声も、呆れたわけでもなければ驚いたわけでもなく、ただ淡々と「そこにエルザがいることを認識した」以上の意味のないものだった。
「書庫に出入りしたいと話していたとはお聞きしていましたが、よほど熱心なのですね。昨日の今日でいらっしゃるとは」
「ええ、まあ、退屈なもので。フィン様はどうしてこちらへ?」
「私はただの趣味です。お気になさらず」
むしろ気にしてくれるなと言わんばかりに、フィンは書架から一冊の本を手に取るとそのまま窓辺の椅子に座り読書を始めた。エルザがじっと見つめていると「なにか御用ですか?」と顔も上げずに訊ねてくる。
「……フィン様は官僚屈指の才人と名高いですよね? なぜぼ……シャルフ殿下の側近をしているのですか?」
「仮にも王子妃の立場にあるのですから殿下に対する物言いにはお気をつけください、エルザ殿」
フィンは、当人らとクローネ以外にエルザが契約妃であることを知る唯一の人物。誰が聞いているかも分からないところで軽率にシャルフを罵倒するなという忠告は至極真っ当だ。
「王命であった以外に理由はありませんよ」
「どうしてそんな王命が? フィン様は屈指の才人ですが、シャルフ殿下は特別に有力な候補だったわけでもありません。陛下はシャルフ殿下に目をかけていらっしゃるということですか?」
「どうでしょうね。陛下の御心は存じ上げませんが、私が殿下と幼馴染であるからではないでしょうか」
エルザもクローネも目を丸くした。幼馴染?
本から顔を上げたフィンは、片眼鏡をくいと持ち上げながら相変わらず感情の見えない双眸でエルザを見つめる。
「ご存知ではなかったのですか? ここ最近殿下の周囲を嗅ぎ回っていたようですが」
「かっ……ぎまわっていたなんて、人聞きの悪い。ちょっと……不思議なところがあるので、知りたいなあと」
「殿下の家庭教師は私の父でした。通常、家庭教師といえば一人に対して一人つくものですが、同い年の子と切磋琢磨するほうがよいという父の方針で殿下は私と同じ机上についていたのです。陛下はその点を考慮して私を殿下の側近としたのでしょう」
訊いてもないことを説明してくれるのは親切なのか、はたまた必要以上に話しかけるなという意味なのか。再び本に視線を戻したフィンは「他に、訊きたいことは?」と喋りながら頁を捲る。エルザと喋りながら読み進めるとは、官僚屈指の才人というのは本当らしい。
「……殿下はなぜ私を妃にしたのですか?」
「それは私も存じ上げません。ただし、あの日殿下があの酒場に出かけており、大男に酒杯をぶちまける貴女を見ていたのは事実です」
「殿下があのような酒場に出入りすることはよくあることなのですか?」
「酒場に限らずよくあります。ご心配せずとも、殿下は女性は買いませんよ」
「そんな心配はしておりません」
慣れているのはムカつくけれど、あの殿下がどこの誰と何をしようがどうでもいい。ケッと吐き捨てると「そう嫉妬を前面に出すものではございませんよ」と冷ややかに注意されてしまった。思わず「嫉妬じゃありません!」と反論してしまいそうになったけれど、すぐにその真意に気付いてぐっと押し黙る。きっとそれは「誰が聞いているか分からないのだから仲睦まじい夫婦を演じてはどうか」という忠告の裏返しだ。もしかすると、フィンはエルザを試すために書架にやってきたのかもしれない。
ふむ、とエルザは顎に手を当てる。確かに書庫に人はいないとはいえ、壁に耳あり障子に目あり。色々と訊きたいことはあるが、相手は才人と名高いフィンだし、こんなところでエルザが契約妃であることを匂わせるようなことは言わないだろう。さきほどの、シャルフがエルザを初めて見たのがどこか、それが精一杯口にできることに違いない。
「……今日は、殿下はどちらに?」
「さあ。殿下は私にさえ行き先を告げませんからね。むしろ告げてほしいものですが」
「護衛とか要らないんですか?」
「宮殿内に不審人物が出入りしているとすれば護衛をつけるべきは殿下ではなく陛下ですし、そうでなくとも王子の顔を知っているのは重鎮くらいです。意外と宮殿内での護衛は要らないものですよ」
「なるほど確かに……」
どおりで悠々と遊び歩き、時間を問わず私の部屋にやってくるわけだ。エルザは納得して頷く。ろくな祝福もないのに大丈夫なのかと思っていたけれど。
「でも殿下って結構好き勝手に外出もされてますよね?」
「あれも似たような話です。第四王子が夜な夜な一人で遊び歩いているなど誰も想像しておりませんから」
「そういえばそうでしたね」
衛兵には商家のボンボンと思われているなんて話があった。フィンにも辟易した様子はないし、きっと本当に何の心配もないのだろう。
「ところでエルザ殿、私も貴女にお尋ねしてよろしいですか?」
「あ、はい、どうぞ」
「貴女はずいぶんと深い森の奥に住んでいらっしゃいましたが、いつからあんなところに?」
エルザはその顔から表情を消し、クローネは顔を強張らせた。フィンは本から視線を上げないし、それどころか頁を捲るが、エルザの素性に思考を巡らせていることくらい犬でもわかる。
「あそこは……、私の母の生家の近くでした。もとはクリスタル領内で奉公に出ていましたが、夏の事件を機に働く先を失いまして」
半分本当だった。エルザとクローネが住んでいた家がエルザの亡き母の家だったのは間違いないし、クリスタル家が処罰されるまでクリスタル領内にあるクリスタル家にいたのも事実。
素性を聞かれたときにどう誤魔化すか、事実の中にそっと嘘を紛れ込ませよう。宮殿に来る前に2人で話し合っておいたことだ。
「だからといって、あんな森の中に? 夜は獣も出るでしょう」
「意外と平気ですよ、獣は火を怖がりますし」
「そういう話はしておりません。まるで人目を避けるような暮らし方でしたねと言っているのです」
エルザはぐっと押し黙る。あのぼんくら王子は気にもしなかったが、普通の人間なら怪しまないはずはない。ましてや相手がフィンとなれば。
尋問じみたこの空気の中で、どう切り抜けるか――。
「まあ、私には関係のないことですのでどうでもいいですが」
「え、あ、え?」
てっきりこのまま詰問されるとばかり思っていたエルザは間抜けな声を出してしまう。しかしフィンはやはり視線を上げないままだった――いや考えてみれば、フィンが本を読み始めてからエルザを見たのはただの一度だけだった。
「あの殿下のすることです、私は黙って見守らせていただきます。私の仕事と読書の邪魔をせずにいてくれればそれで構いませんので、大人しくしていらしてください」
本当に興味がないのだろう。フィンはそのまま口を閉じてしまい、エルザはついクローネと顔を見合わせたくなってしまった。
「……では、私はこれで」
「ええ」
書庫を出た後、庭まで出てから「あのフィンという方、ちょっと変わっていらっしゃいましたね」とクローネが首を傾げた。
「なにが?」
「だって、シャルフ殿下の幼馴染でいまは側近ですよ。怪しい女を妃にするって言い始めたのに、自分の邪魔をせずにいてくれればそれでいいとか」
「やめてよ私のことを怪しいなんて言うの。そうなんだけど。……まあ、クローネの言うことは正しいわよね。もう少し心配してもいいものだと思うけれど」
終始エルザに毛ほどの興味もなさそうだった目を思い出す。ただ、彼が官僚内屈指の才人であることは間違いないのだ。
「私達には理解できないだけで、何か分かっているのかしら」
「例えば何ですか?」
「……例えば、私達がお姉様の事件の真相を知りたいだけだと分かっているから危害はないと判断している、とか」
「安心するような怖いようなお話ですね。でも私、フィン様は変だと申しましたけど、少し気に入りましたわ」
「顔が?」
「ええ、とても綺麗なお顔ですもの。そんじょそこらのご令嬢より綺麗ではありませんか」
クローネがきれいなものを好きなのは知っていたが、シャルフといいフィンといい、人の顔もそれに含まれるのか。エルザがちょっと呆れていると「それに、あの方はきっと悪い方ではございません」とどこか自信たっぷりにふんぞり返ってみせる。
「……どうして?」
「エルザ様、ご覧になりませんでした? フィン様がお読みになっていた本のことです。医学の書でした、人を助けようとする方に悪い方はいらっしゃいませんよ」
分かるような分からないような。エルザはちょっと反応に困ってしまった。確かにフィンが読んでいた本の題名には気付かなかったが、医学書だとして才人の知的好奇心を満たすためのただの趣味なのではないだろうか。クローネはどうにも他人の善性を信じすぎる。
「……まあ、そうね」
「そうですよ。シャルフ殿下もちょっとあれなだけで優しい方ですし。一時はどうなることかと思いましたが、安心しました」
「ちょっとどころかだいぶあれだけどね」
楽観的なクローネを軽くあしらいながら、エルザはそのまま敷地内の散策に出掛けた。
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