3.没落令嬢、仕事を貰う

 二人がテーブルにつくのを横目に、エルザはひっそりとクローネに囁く。


「……あれ、どう思う? 本物のシャルフ殿下?」

「だと思いますよ。だって見ました、エルザ様? あの金髪碧眼……」


 クローネはちらと二人組を振り向く。エルザは焼き菓子を出す準備をしながら「分かってるわよ、金髪と碧眼だけはどうにかなるものじゃないもの」と肩を竦める。

 金髪碧眼は王族の血を引く者にしか現れない特徴で、染料で誤魔化せるものではない。もちろん、逆にいえば王族の血を引いている者には現れる可能性があるので、王家の血を引く公爵家にも金髪碧眼の者はおり、金髪碧眼=現王族とは限らない。ただ、そういった者達は現王族へ敬意を払って染料で髪を染めている。その限りでは、現実には金髪碧眼=現王族だ。


「ということは本物なんでしょうけど……こんなところに来るなんて妙だし、別に気を遣う必要はなさそうね」

「なにを仰るんですか、エルザ様!」


 一国の王子を相手にするとは思えない態度に、クローネは悲鳴でも上げそうな勢いで叱りつける。この主人の長所は主人でありながら威張り散らさないところだが、ただ単に身分や地位といった概念に疎いだけともいえる。


「シャルフ・ディアマント殿下ですよ!? いくらぼんくらの噂があったって、第四王子殿下は第四王子殿下。お願いというのが何か検討もつきませんが、第四王子からのお願いとなれば謝礼は弾まれるに違いありません! いいえ、弾まれずともガッポリ搾り取れるはずです! 殿下の機嫌を損ねず上手く話を運ぶべきですよ!」

「あなたさっき、お金に反応するような浅ましい者になってはおしまいですって言ってたじゃないの」


 まさしく、金の匂いにがめつく反応したとしか思えないのだが? エルザはクローネに白い目を向けたが「それはそれ、これはこれです」と知らん顔だ。

 ちらと、エルザは自称・第四王子を振り返った。何も警戒していなさそうな、のんびりとした顔つきで紅茶を飲んでいる。こんなどこの誰が住んでいるともわからない小屋を訪ねてきた挙句出された紅茶を毒見もさせずに飲むなんて、噂以上のぼんくらだ。従者達はさぞかし苦労しているに違いない。

 そのぼんくら第四王子のお願いごととは一体何なのか……。テーブルについたエルザは、改めてじろじろとシャルフの顔を眺めた。高貴な人間は顔も高貴なのか、その金髪碧眼によく似合う整った顔をしている。その柳眉といい、鼻梁といい、これが平民だとしたら身分に似合わぬほど凛々しい顔つきだ。しかし(エルザにとっては残念でもなんでもなく至極どうでもいいが)、それに不釣り合いなほどに、へらっとした笑みに締まりがない。笑わないほうがいいんじゃないですかと助言してあげたくなるほど、凛々しい顔つきににつかわない愛想笑いだった。


「すみませんね、自分で言うのもなんですが、急に第四王子なんて名乗るものが来てびっくりさせてしまいましたよね」


 本当に自分で言うなという話だ。そう口にしたかったが、背後に控えるクローネからは「丁寧に対応してください」と圧をかけられている気がしたので言葉を呑み込んだ。


「いえ、とんでもございません」


 で、一体何の用ですか? ──そう尋ねたかったが、やはり背後に控えるクローネからは無言の圧を感じる。突然やってきた王子から用件を聞きだしたいのは仕方がないが、話を急かして下に見られるより相手が本題を口にするのを待ちましょう──と。

 じっと待っていると、シャルフは「今回来たのは仕事の依頼のためでして」と意外にもすぐに用件を切り出した。しかも仕事の依頼、ついさきほど働き口を失ったエルザには渡りに船で、つい身を乗り出す。


「仕事ですか? どこでしょう? 大体のことは何でもやります、意外と力仕事もどんとこいです。しかしなぜ私に……」

「私はたまに城下の酒場に出入りするんですが、先刻、君が客に酒をかけたのを見ていまして」


 ヒクッ……とエルザの頬が引きつる。

 まさか、見られていたとは。動揺のあまり表情を取り繕うことができず、慌てて扇で顔半分を隠す羽目になった。


「それは……大変お恥ずかしい……」

「もともとあの酒場で誰かを探そうと思っていたのですが、自分の倍はあろうかという男に酒をかける度胸、のみならず皮肉を口にする聡明さ、これは丁度いいと思いまして」


 ……これは褒めてるのか? エルザはまだ動揺したまま胡乱な目を向けてしまいそうになった。しかしシャルフはニコニコと愛想よく微笑んでいるままなので、きっとぼんくらなりに誉め言葉を選んだつもりなのだろう。

 ただ、気になるのは「あの酒場で人を選ぶつもりでいた」という点だ。エルザが働いていたあの酒場は、品で言えば中の下だ。右を向いても左を向いても怪しい者ばかりとは言わないが、それなりにワケアリの者も存在する。エルザがまさしくそれだ。貴族が出入りするような酒場では雇ってもらえない平民の娘や、姓を明かすことのできない娘が働いている。つまり、「あの酒場で人を選ぶ」ということは、そういう怪しい娘を探している、ということに違いない。


「身代わりを探しているんです」

「……身代わり?」


 予想外の言葉に、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になってしまった。しかしシャルフは笑みを崩さない。


「春にアンムート宮殿で式典があるのはご存知ですよね? 王族は妃を連れて式典に列席しなければならないのですが、生憎と私はまだ婚姻しておらず、婚約者がいるに過ぎません。ただ彼女は少し離れたところからやってくることになってまして」


 シャルフの説明はこうだった。シャルフの婚約者、つまり将来の第四王子妃が式典のためにやってくることになっている。しかし、現時点で三番目の王位継承権を持つ第四王子妃という座は、どこの貴族も喉から手が出るほど欲しいもの。そのため、遠路はるばるの移動中は恰好の的となってしまう。

 だったら、第四王子妃は既に宮殿内にいることにしてしまえばいい。そうすれば狙われるのは“宮殿にいる第四王子妃”だけであって、移動中の“本物の第四王子妃”が危険に晒されることはない。

 それを聞かされたエルザはじっと考え込んだ。要は、その春の式典までの間、第四王子妃のふりをしていればいいだけの簡単なお仕事だ。


「……一点気になるのですが」

「なんでしょう」

「……なぜ、素性も知らない私を?」


 一体どこの誰と婚約しているのかは分からないが、いくらぼんくらとはいえ、第四王子だ。その婚約者の身分は相当なもので、よって相応に上品な令嬢であるはずだ。その令嬢の身代わりが、ろくに礼儀作法も身につけていない平民では困るはず。

 なぜあの酒場での人選だったのか──当初から払拭されることのないその疑念に対し、シャルフはにっこりと笑みを作ってみせた。


「だって、公爵や侯爵のご令嬢が身代わりに毒殺でもされましたら、体裁が悪いでしょう。どこの誰とも分からないから、身代わりにできるんじゃあないですか」


 エルザは、表情を隠すために扇を広げていた自分を褒めた。人を人とも思わぬ返答、これ以上頬がひきつるのを我慢できるはずもない。ぼんくらである上にろくに他人を思いやれないとは、噂以上にとんでもないクソ王子らしい。


「私がお頼みしたい仕事の内容は以上です。受けていただけますか?」


 コホンと、扇の後ろでエルザは咳払いをした。このぼんくら第四王子の身代わり契約妃、しかも命の危険アリ。

 王子の契約妃をしていればいいなんて、酒場で働いてたまに酒をぶっかけられるよりよっぽどいいし、そもそも今のエルザは仕事が欲しい。このまま仕事が見つからなければ、どこの狒々ひひとも雄牛とも分からぬ男に体でも売らなければならなかったかもしれない。契約妃としてどこまで何をさせられるか分かったものではないが、少なくともぼんくら王子は──じろじろとエルザはシャルフの顔を不躾に見つめる──間違いなく、今まで出会った男の中で一番顔が良い。

 しかし生憎あいにく、エルザはメンクイではなかった。なんなら、噂に聞くぼんくらっぷりとついさきほどの最低な発言でシャルフの評価は地に落ちていた。その上で仕事の内容を考えると、魅力的などとはとても言い難かった。


「ああ、すみません、一番大事なことを言い忘れていました。契約期間は春までの二月ふたつき、報酬は金貨三百枚でいかがでしょう」


 だが、しかし。


「お受けいたします」


 毅然とした態度で即答したエルザに、背後のクローネは息を呑む。その裏腹に、シャルフは妙な笑い方をした。


「では、もう少し詳しいお話をしましょうか」


 まるでそう答えることが分かっていたかのような、あたかもエルザを頷かせることが計画通りであるかのような、そんな深みのある笑みだった。




「……エルザ様、本当にあのお話をお受けになるんですか?」


 次の日の朝、クローネは神妙な面持ちで尋ねた。エルザ本人は、こんなところにもう用はないと言わんばかりにちゃっちゃと荷造りを進める。


「受けるわよ。春まで王子妃をやるだけで金貨三百枚。しかも報酬とは別に最上級の衣食住保証。こんなわりのいい住み込み仕事、他にないわよ」


 なんなら、第四王子は二月後に別の仕事先を斡旋あっせんすることも快諾してくれた。なおぼんくら王子が追加条件を出せるほど機転が利くはずはずはなく、なぜか背後の従者がそう提案し、第四王子は「というのはいかがでしょう」と便乗して頷いただけだった。エルザの中で、第四王子のぼんくら度が上がった。


「宮殿内とまではいかないでしょうけど、少なくとも春以降も仕事を手に入れたも同然。この冬を越す頃には干物になってるんじゃないかと思ってたところにとんだ割のいい仕事が舞い込んできたものだわ。一石三鳥どころか四鳥も五鳥も狙えるわよ」

「……その代わり、エルザ様は命を狙われる危険があるんですよ。分かっていらっしゃいますか?」


 その声からは深刻な顔つきが伝わってくるようで、エルザは荷造りをしながら振り向いた。しかし、予想に反し、クローネは悲痛な顔をしていた。


「……どうしたの、そんな顔をして」

「こんな顔もします。……金貨三百枚なんて到底稼ぎようがない破格の報酬ですけれど、エルザ様の命がそう評価されているのと同じことなんですよ?」


 そんなことはクローネに言われずとも分かっていた。金貨三百枚なんて、平民なら一生目にすることのない大金だが、王族貴族とくればそう惜しくない金。それこそ、こうして身代わりとなる者に報酬として与えられるくらいには。


「でも、平民が子供を売ったって金貨三百枚はもらえないわ。銀貨五枚だってもらえるか怪しい。私の命が金貨三百枚なんて、ずいぶん良い値をつけてくれたって感謝しないと」

「……そうは言いましても」

「それに、クローネ。私は金貨に飛びついたわけじゃないのよ」


 パタン、とたった一つの荷物カバンを閉じ、エルザは怪しく目を光らせた。


「ハンナお姉様が弑逆しいぎゃくを企むわけがない。それでもって、第一王子は誰がどう見たって筆頭の王位継承者だった。邪魔な第一王子を排除したかったがために濡れ衣を着せたに決まってる。この契約はお姉様の汚名をそそぐ千載一遇のチャンスなのよ」


 本来、エルザがハンナのためにできることは、それこそ酔っ払いに酒をぶっかけて嫌味を言うことくらいだ。それがどうだろう、第四王子妃となれば、宮殿内を自由に歩き回ることができる。ハンナの事件の裏を探るのに申し分ない身分だ。


「建前は第四王子妃として立派に身代わりを務めてみせるけど、ぼんくら殿下だもの、きっと私が何をしても気にも留めないはず」


 琥珀の首飾りを巾着に入れ、キュッと紐を結ぶ。これで荷物は最後だ。


「第四王子妃をやってる間に、お姉様の無実の証拠を探してみせるわ」


 その日、エルザは第四王子妃として盛大に迎えられた。

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