2.没落令嬢、王子に会う

 深夜、エルザはぺちゃりと机に額をつけた。ダークブラウンのくせ毛が広がり、その頭を覆い隠す。


「クローネ……本当にごめんなさい……」


 むく……と顔を上げた灰色の瞳にはうっすら涙が浮かんでいる。強気な主人のそんな姿は珍しく、クローネは苦笑した。


「そう気を落とされず。ハンナ様の悪口を言われたんでしょう、仕方がないですよ」


 働いている酒場にて、ハンナに対する暴言に耐えられず、客の頭から酒をぶっかけ、当然のことながら主人オーナーに叱られ、その場でクビを言い渡された──。帰ってくるやいなや申し訳なさそうに、しかしよどみなくそう説明したエルザを、クローネは優しく慰めることにした。

 元第一王子妃・ハンナ・クリスタルは、エルザの異母姉だ。ハンナは異母妹であるエルザを幼いころからよく可愛がってくれ、またエルザもそんなハンナを慕っていた。それをよくよく知っているクローネも、世間のの汚名にはエルザほどでないにしろ憤りを抱いていた。そのため、大事な職を失ったとはいえ「ハンナの悪口を言う酔っ払いに酒を浴びせた」というのは、よくやったと拳を掲げたいところである。


「でも、エルザ様がそんなに感情的に行動なさるなんて珍しいですね」

「……ここ半年以上、散々聞かされて腹に据えかねたのよ」


 そして何より、エルザこそ、クリスタル家に隠されてきた“魔女”だ。

 エルザは、クリスタル家から見れば妾の子だった。しかしクリスタル家の人間は皆おおらかで、エルザを妾腹とさげすむことなく、辺境伯令嬢としてふさわしい教養を与えながら可愛がって育ててくれた。

 ただ、問題はエルザがベルンシュタインの血を引いていたこと。それ自体は明るみにされなかったものの、領地の人間は幼いエルザの奇怪な言動を指して“魔女”と呼び、ある日からエルザはクリスタル家の外に出るのをやめた。それを見ていたエルザの母親は、エルザを連れて森の奥の家――いまエルザ達が住んでいる家――に移り住んだのだ。そうして、エルザ達は人目をはばかるようにひっそりと生きてきた。

 その母親もやがて亡くなったが、父親のほかにハンナもたまにこの場所を訪ねてきてくれた。来るたびに惜しげなく高価な本を与えてくれ、なにか不自由はないかと常に気にかけ、共に食事をとり、それこそ働き口としてさきほどクビになった酒場を紹介してくれた。

 そんなハンナの悪口を聞かされ続けた半年間は、はらわたが煮えくり返る思いだった。真実を知らないのをいいことに、皆が好き勝手面白い話を捏造して語り合う。死体蹴りとはこのことだ。


「まあでも……もともとあの酒場はハンナお姉様の口利きがあって働かせてもらってたところだし。幸いにもオーナーが変わって私とハンナお姉様との血縁に気が付かれることはなかっただろうけど、万が一ってことはあるしね。存外潮時だったのかもしれないわ」


 ハンナと父親以外、クリスタル家の人間との関わりは時が経つにつれ段々薄くなり、やがて途絶えていた。処刑されなかったのはそのお陰だと考えれば、ハンナと関係する場所にはいないほうがいい。

 とはいえ、このままでは生活が立ち行かない。新しい働き口を探そうにも、素性を明かさずに雇ってくれるところなどたかが知れている。エルザはテーブルに半分突っ伏したままクローネを見上げた。


「……本当にごめんなさいね、クローネ。私にもっと甲斐性があれば、いえ私なんかに付いていなければ、こんなオンボロ丸太小屋じゃなくて豪華の代名詞みたいなお屋敷で生活ができたのに……」

「あら、私がそんな風にお金に反応すると思われてるだなんて心外です」


 クローネはわざとらしく胸に手を当てて威張ってみせた。オレンジ色の三つ編みが、その仕草に合わせてポンポンと揺れる。


「幼い頃から何度も申し上げておりますでしょう。私にとってはまず第一にエルザ様なのです。たとえどんな贅沢な暮らしをちらつかされようと、私がエルザ様のお傍から離れることなど有り得ません」

「クローネ……!」


 ひしっとエルザがクローネの両手を両手で握りしめれば、クローネはあたかも姉のように、エルザのダークブラウンの髪を優しく撫でる。


「エルザ様、世の中、お金が必要だということは私も重々承知しております。ですが、お金で動くような浅ましい者となってはおしまいです。私はエルザ様と共にいることができれば幸せなんですから、どうか私に変なお気遣いを見せることだけはしないでくださいね」


 エルザが激しく首を縦に振りながらお礼を口にしようとしたとき──コンコンと玄関扉が叩かれ、二人はハッと体を強張らせた。

 二人を訪ねてくる者に心当たりはなかった。第一、ここは辺境も辺境の森の中で、見る人によってはただの小屋、用があるはずがない。せいぜい有り得るとすれば道に迷って一晩宿を貸してくれと頼まれるくらい。

 しかし、ハンナが処刑されたのはこの夏、ほんの半年ほど前のこと。それなのに二人のもとに迷い人が来るということがあるだろうか、否。

 ただ、明かりのせいでエルザ達の存在は誤魔化しようがない。時間が経てば経つほど後ろめたい素性がありますと言っているようなものだ。

 エルザはそっとクローネに目配せし、クローネが静かに頷いたのを確認してからランタン片手にそっと扉を開けた。


「どちら様でしょう?」


 そこには、いかにも怪しいですと言わんばかりの黒いマントを着、フードを目深く被った二人組がいた。エルザとクローネはすぐにその瞳に警戒心を滲ませた、が、それを態度で示すより先に「申し訳ない、怪しいものではないんですが」と一人がぱらりとフードを取った。

 途端、家の明かりもあって、その容貌が照らされる。それを見ていたエルザは目を見開き、思わず口も開いた。


「……王族の方が、何の用ですか?」


 二十歳手前に見えるその青年は、王族の特徴たる金髪碧眼の持ち主だった。彼がフードを取ったのは、名乗るより見せるが早いと判断したからだろう。

 だが、王族がこんなところに何を? クリスタル家の生き残りを抹殺したいのだとしても、そんなことは兵にやらせれば話は済む。王家の血を引く男がこんなところにわざわざ来る必要はなかった。

 訝しむエルザ達の前で、青年は優しい笑みを浮かべた。優しいといっても、エルザにはそれはどこか締まりのない笑みに見えた。


「初めまして。シャルフ・ベンヤミン・ディアマントです」


 クローネは息を呑んだ。シャルフ・ベンヤミン・ディアマント──ディアマントは正真正銘、現王族しか名乗ることのできない姓であるし、何より……。


「……シャルフ、殿下……?」


 第四王子の名前だ。さすがのエルザも顎が外れそうなほど口を開けて唖然としてしまった。

 しかし、問題のシャルフは緩い笑みを崩さないまま「ええ、知っていただいているなんて光栄です」と飄々ひょうひょうのたまう。馬鹿にしているのかこの王子、とエルザは心の中で言ってやった。どこに第四王子の名前を知らない国民がいるというのだ。


「ちょっとお願いしたいことがあるんですが、入れていただけませんか? 悪いお話ではありませんから」


 王族にしてはずいぶんのんびりしているというか、腰が低いというか……。エルザはついじろじろとシャルフを頭のてっぺんから爪先まで眺めまわしてしまった(といってもマントでろくに服装も分からないのだが)。彼が本当に第四王子なのか、あまりにも突飛な訪問すぎて疑わしいものの、王族をかたるなど五本の指には入る不敬。人目のないところとはいえそんな度胸のあることをする人間がいるとは思えない。

 何より、第四王子については非常に有名な話がある……。エルザはつい先ほどの酒場での男の声を思い出した──「ココがてんで駄目」。

 そう、第四王子は、王子として必要な資質を全て兼ね備えている、が、致命的に頭が悪いともっぱらの噂だった。

 エルザの目の前にいる自称・王子はへらっと締まりのない笑みを浮かべているし、自分の知名度を認識していないのは愚鈍ぐどんとしか言いようがないし、しかも第四王子なんてご身分なのに連れている従者はただ一人だけと危機感もへったくれもない。王子というものが一体何なのか微塵みじんも理解していないとしか思えないその言動は、ある意味噂の“ぼんくら第四王子”のとおりだった。


「……お話だけであれば」


 そしてそんな相手なら不敬と叩き斬られることもあるまい。エルザはそう即断し、対応に困っているクローネに構わず、ただの客人を招き入れるような態度でシャルフとその従者らしき男が家に入るのを許可した。

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