魔女と呼ばれた没落令嬢が曲者王子の身代わり契約妃となりまして。

花麓 宵

1.没落令嬢、無職になる

 庶民御用達の酒場で働き、森の中で暮らすエルザ・クリスタル。彼女は、クリスタル辺境伯の末娘だ。

 クリスタル家といえば知らない者はいない伝統ある名門貴族――であったものの、この夏のある事件以降、没落貴族として名を馳せることとなった。

 第一王子妃ハンナ・クリスタルによる国王弑逆しいぎゃく未遂。クリスタル家は侯爵の地位を剥奪されたのみならず、ハンナ・クリスタルはもちろん、その一族全員が処刑された。

 十年弱森の中で暮らしていたエルザは、幸運にも処刑を免れた。とはいえクリスタル家の生き残りと知られれば処刑は必至、その素性を隠しながら薄汚い酒場で小汚く働き、その日暮らしを続けていた。……のだが。




「おはよう。今日も美しいね、私の可愛いエルザ」


 透き通るような黄金色の髪に湖のような碧眼を持つ第四王子は、今日も優しく囁きながらエルザの手を取った。


「こんなに美しい君に毎日会うことができるなんて、私は本当に幸せ者だね」


 その手の先のエルザは、極上の香を焚き、これまた極上の絹で作られた真っ青なドレスに身を包み、彼女のダークブラウンの髪によく映える金の飾りで髪を結っていた。


「ありがとうございます、シャルフ殿下。私も毎日殿下にお会いできて幸甚の至りですわ」


 春の日差しのように微笑んで返せば、2人を見ていた侍女が目の保養とばかりに溜息を吐く。


「では、シャルフ殿下、エルザ第四王子妃様、私は失礼いたしますので、おふたりでごゆるりとお過ごしください」


 うやうやしく頭を下げて侍女が出て行き、2人は微笑みながらそれを見送って――扉が閉まった瞬間にエルザは素早く手を引っこ抜いた。シャルフは突然握る先のなくなった手をぼんやりと見つめる。


「そう嫌がらなくともいいじゃないか」

「嫌がるに決まってるでしょ、毎日毎日飽きもせずに歯の浮くような挨拶を並べ立ててベタベタ触って! 大体おはようじゃなくてこんにちはよ、太陽を見てみなさいよ! たまには朝に起きなさいよ!」

「そこまで言うなら今晩は一緒に寝ようか。君の声で起きる朝なら悪くない」

「冗ッ談じゃないわよ叩きだすわよ!」


 髪を一房すくいあげる王子の手を払いのけ、まるで汚らわしいものにでも触られたかのように、エルザは自分の手を庇う。

 しかしシャルフはどこ吹く風で、それどころかおっとりと微笑んで。


「恥ずかしがりやな君も可愛いね、私のエル」

「それ以上言うとはったおすわよこの歩く変態!」


 一族郎党処刑された辺境伯家の生き残り令嬢は、その甘ったるい言動に誰もが振り向かずにはいられないほど、第四王子に寵愛を注がれている。





 事の発端は、数日前に遡る。

 エルザは、その日も小汚い酒場で働いていた。その耳に「俺は第五王子だな」と酔っ払いの会話が飛び込んできて顔を向ける。

 この夏、第一王子はその王子妃と共に弑逆を企み、正妃や正妃一族ともども処刑された。では次の王には誰が即位するのだろうか、というのがここ半年の民衆の話のタネである。


「馬鹿め、次は第二王子に決まってるだろ。なんたって生まれたのが二番目だ」

「お前こそ馬鹿じゃないか、そう生まれた順でなんでも決まりゃしねーんだよ」


 そのネタの中で交換される情報は決まりきっている。

 第二王子は生まれた順は良いものの、母が元娼婦。王族の象徴たる金髪碧眼も持っていないため、官僚にも民衆にも支持されない。

 第三王子は血筋は悪くないが、致命的に病弱。ほとんど病床に臥せり、ろくにペンも持てず、二十歳まで生きられるか怪しい。


「第四王子は、母親はグラナト侯爵家の娘だし、金髪碧眼の美貌の持ち主で、体も悪くない。しかしココ・・がてんで駄目らしい」


 言いながら、酔っ払いはこめかみをとんとんと人差し指で叩いた。


「残るは第五王子、この母親はミヌーレ王国の元第三王女で、まあシュタイン王国内の一族の出とはいわんが、後ろ盾としては十分だ。それでもって体も強く、頭もいい」

「そんなら第五王子で決まりってことか」

「だから、それで基本の生まれた順ってヤツだ。本当なら第一から第四までが死なないと王になれないヤツを王にしちゃ座りが悪い。陛下はそれを案じてるわけさ」


 第二王子から第五王子までは、それぞれ出自だの中身だの順番だの、どれもこれも微妙にすねに傷がある。それがないのは第一王子だけで、誰もが「第一王子がそのまま即位する」と信じて疑わなかった。

 その第一王子が消えたことで、揃いも揃って一長一短の第二王子から第五王子に、棚から牡丹餅的に、玉座を手に入れる機会が平等に回ってきた。

 ただ、そのくらい堅かった・・・・第一王子が、なぜ弑逆を企てたのか。


「俺が聞いたところによると、ハンナが怪しいな。あれは魔女だ。しかもベルンシュタインの血が混ざったな」


 したり顔の推理を「有り得ないだろ」と友人が笑い飛ばす。


「あの一族は魔女狩りで殲滅された。そうだろ?」


 ベルンシュタイン家とは、シュタイン王国の昔話に出てくる家の名だ。そしてその通称は“魔女を生む一族”。ベルンシュタイン家の血を引く女性には神の“加護”が与えられていたから。

 昔々、ベルシュタイン一族は王に戦争を仕掛け、その座を、ひいては王国そのものを奪い取ろうとした。ベルンシュタイン一族は “加護”により人智を越えた魔術を扱ったため、その使い手たちは“魔女”と呼ばれた。その“魔女”達を相手に、王国は民を率いて奮闘した。多大な犠牲を払った末、王国はなんとか勝利をおさめ、同時にベルンシュタイン家の魔女を狩り尽くすことに成功した──そう言われている。


「いやいや、クリスタル家にはな、外に出されない“魔女”がいるって噂があったんだよ。で、第一王子がハンナを見初めたのはどこだと思う? ――森の中だよ、ぎりぎりクリスタル家の領土内のな。第一王子がたまたま、オンボロ別荘にいるハンナを見初めたんだ」


 ハンナ・クリスタルはクリスタル家の長女だった。しかし辺境伯の長女が侍女も連れずに森の中にいるとはどういうことか? これはつまり、ハンナは魔女であったにも関わらず第一王子が見初めたため、これ幸いとその素性を隠して嫁がせた。そうに違いない、と酔っ払いは黄色い歯を見せつけるように笑った。


「クリスタル家なんて、所詮は落ちた名門。しかも娘に“魔女”がいて、その“魔女”を第一王子妃にするとは。まったく恥知らずもいいとこだ」


 ガハハ、と酔っ払い特有の大きな笑い声が下品な口ぶりで酒場内に広がる。弑逆を企んだ元王子と元王子妃、そしてその元王子妃は魔女──これが平民の酒の肴以外の何になろう。そんな心理が透けるような雰囲気だった。

 その雰囲気は、バシャッという弾ける水音と共にかき消された。

 ひたりひたりと、酔っぱらった男達の髪を酒が滴り落ちる。

 何が起こっているのか分からず目を白黒させる男達の間に、エルザは立っていた。その両手には逆さになった酒盃がある。


「ごめんなさいね」


 エルザは笑みを浮かべたまま、ひっくり返した酒盃をひょいと持ち直した。突然頭から酒をかけられた男達は今なお呆然としている。


「お話を聞いているとあまりに性根が腐っているようですので、洗い流してさしあげようかと思いまして。ご気分はいかがですか?」


 その二分後、エルザは仕事を失った。

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