第9話

 小さな島国で、ランが逝った。

 先に知らされた祖父の死と立て続けで、未だに心が追い付いていない様子のセイだが、はたから見ている分には、いつもと同じだ。

 そして、ワン爺とチャン爺が世を去ったと知らされたのは、一度海を渡り、戦が終わったところを見計らって、大陸に舞い戻った時、だった。

 知らせたのはキィで、完全に成獣となった猫の獣は、丁寧にそれをセイに告げた。

 姿を貰う時にもひと悶着あったが、それは貰う貰わないの悶着であって、兄弟と小競り合いをしたわけではないと、キィは苦い顔で言った。

 側近たちを先に行かせ、セイはオキと二人、老人たちの墓を参った。

 大きな一つの土饅頭の上に、白い鷹がぽつんと、こちらに背を向けてたたずんでいる。

「……ワンさまの方が、先に逝ってしまったんだ。それ以後、あいつは殆どあそこにいる」

 その横に、それより小さな土饅頭が、大きい方に寄り添うようにあった。

 キィやエンに、この地のお供え物を聞いて用意したセイは、その二つの土饅頭にお供え物を捧げ、死者を悼んだ。

「……」

 戦が終わり、数年たった。

 その分、幼かったセイは、成長していた。

「幾つになった?」

「そろそろ、十六だ」

 十八まで、賊の頭の座を守ることになっていると言っていたから、あと二年だ。

「群れを抜けたら、どうするんだ?」

「それはまだ先だ」

 美しく成長したセイは、顔を上げながらキィの問いに答えた。

「ジャックを、婆さんの元に戻さないと」

「?」

「……看取ってくれた奴が、火葬してくれていた。火が強すぎて、骨まで燃え尽きてはいたが、灰だけでも、ないよりはましだろう」

 少ない若者の言葉に、オキが静かに付け加える。

 ランの姿を取った黒猫は、主より男らしい体つきでそこにいた。

 それは、チャンの姿を貰った自分にも言える。

 本来、あんなことにならなければ、体を鍛えて武術を極め、武官へとなり上がっていたはずだ。

 大きな土饅頭の中に眠る、ワン夫妻のために、ワン家に尽くして骨を埋めるつもりだったはずなのに、何もかもを諦めざるを得なかった。

 歩けなくなってから往生するまで、生きている間にはできなかったことは、余りにも多い。

 それを一つずつ、願う順からかなえていくつもりではあるが、その前に、こちらのやりたいことを済ませようと、キィはここにいた。

「それが終わったら、先に行ったロンたちの元に、戻ることになっている」

 オキのそんな短い言葉に頷き、慎重に尋ねる。

「その爺さんが死んだ今、この子の事を気にかける奴は、何人いるんだ?」

 振り返ったセイは、首を傾げているが、その意図することを察したオキは、すぐに答えた。

「ロンとエン、一応、オレも頭数に入れてくれていい。だが……」

 はっきりと答えた後、最後の言葉が濁った。

「……何処まで、信じてもいいのか、はっきりとは分からない。女どもも、目をかけてはいるが、届かない所もあるからな」

「? 心配しなくても、約束は守る。十八の年を過ぎるまでは、逃げないよ」

「そっちじゃない」

 まだ、信じてもらえないのかと、眉を寄せたセイに、オキはバッサリと答えた。

「お前には分からない方の、心配だ」

「?」

 真顔の言い分に、キィは苦笑した。

 本当に分からないと知るからの笑いだったが、若者はそれを見て更に、顔を顰めてしまった。

「分からないって、何のことだよ?」

「もっと大人になってから、ロンに訊け」

 それを押し付けられても、あのクロスケも困るだろうにと、キィは思わず笑みを濃くする。

 和やかなままでいるわけにはいかず、すぐに咳払いし、黄金色の猫の獣はチャンの姿のまま、立ち上がったセイの前に膝をついた。

「手を、見せていただけますか?」

 急に、丁寧な言葉でそう頼む猫を見下ろし、若者は首を傾げつつも、右手を差し出す。

 その手をそっと両手で捧げ持ち、じっくりと見つめる。

「……?」

 目を丸くするセイと、静かに見守るオキの前で、キィは静かに言った。

「あなたを主とすることを、お許しいただきたい」

「……っ」

 目を剝いた若者が口を開く前に、オキが動いた。

 セイの口を無情にもふさぎ、軽い儀式めいた動きは終わってしまう。

 姿を貰う主は、双方の気持ちが大事だが、その後の主の返事は、いらないとされている。

 だが、術を無意識に消す若者に、完全に嫌がれてしまっては、おしまいだった。

「……オキ」

「ああ。オレは、お前が眠っている間に済ませたから、気にしても遅いぞ」

 睨む若者に、黒猫はけろりとして白状した。

「それに比べれば、オレはまだ正直だろう?」

 本当は、口に出すまでもない上に、主となる人間に了承されなくても、構わないのが、自分たちだ。

 それをわざわざ、口に出して誓うのだから、我ながら正直者だ。

 本気で言うキィを唖然として見つめ、セイはあることに気付いた。

 さっき、キィの兄弟と道士だった獣が、ちんまりとした体で自分の足にすり寄って来たのを思い出したのだ。

 単に挨拶変わりだと、そう思っていたのだが……。

「うちの兄姉は兎も角、あいつはそのつもりだろうな」

「矢張りそうだったか。二匹までは聞くが、三匹は珍しいな。一匹は未熟な成獣とは言え、同じ一人の主を持つと言うのは」

「語り草になるな」

 和やかに言い合う二人を睨む若者を、いつの間にかこちらに体を向けた白い鷹が、目を細めて見下ろしている。

 それを一瞥してから、キィが言った。

「何も、四六時中守るわけじゃない。お前が、命の危機に瀕したと感じた時に、駆けつけるだけだ」

 そんなぼんやりとした感覚のせいで、成獣たちの多くは、主を何度も失っているのだが、嘆くこともない。

 この辺りは、野生の猫の本来の気まぐれさが、残っているのだ。

 まれに情が熱すぎて、一人の主に固執し、僅かな危機でも手を貸すものも出たと、聞いたことはあるが、そこまで心配するほど、この若者は弱くない。

「……本当は、命の危機より、別な物の心配をしたいんだが、そちらの方は、嫌と感じていないんだろうからな、どうしようもない」 

 だからこれは、これからまた増えるだろう、賊の手下たちを制するためのもの、だ。

 若者の姿形で、侮られることがないように、侮られることで起こるであろう、身の危機を回避するためにだ。

 誰も傍にいなくても、危ういと分かればすぐに、敵の喉に食いつくモノがいると、分からせておきたかった。

「それなら、振りだけでも良かったんじゃあ?」

 静かに言い訳したキィに、セイは苦い顔だ。

 その言い分に首を振り、黄金色の猫は答えた。

「そんな半端はできない。それに、オレは爺さんの料理を、正確に作れるぞ」

 目を見張った若者の傍で、オキが顔を顰めた。

 それは、ずるいだろう。

 そんな顔の黒い猫を無視し、キィは言う。

「ランの弟の料理に飽きたら、オレを呼べ。それまでは、その手に付ける紛い物を、もう少し緩やかに動かせるよう、修行してくる」

 これが、一番初めに取り掛かる事、だ。

 細かい動きができる紛い物を、大量に素早く作れるようになる。

 それは、手に限った話ではない。

 この地の女は、そんなものに頼ろうとは思わないだろうが、そんな考えの者だけではない。

 他の国には、歩きたくとも歩けなくなった者や、手を使いたくとも使えない者も、多くいるだろう。

 罪人であれば、助ける謂れはないが、セイのような事情の者になら、慈悲を与えても罰は当たらないだろう。

 幸いなことに、知り合いの今の主が、様々な道具を作る玄人だ。

 まずはそこに、弟子入りするつもりだった。

 弟子を取るような人ではないが、事情を話せばきっと、興味を持ってくれるはずだ。

 セイ本人を、一度その人に会わせる方が、手っ取り早いのだが、その辺りの事は、まずロンに相談してみた方が、よさそうだ。

「という事で、ロンとの合流場所は、何処だ?」

 セイが老人の弔いをしている間に、話を通してくるつもりでそう尋ねると、オキがあっさりとその場所を告げ、二人とはそこで別れた。

 振り返ることなく立ち去る二人の背を見送るキィの両肩に、ずっしりとした重みが乗ってくる。

「……二人して、乗っかるな。オレは、止まり木じゃない」

 右に暗い色の鷹、左に白い鷹が止まり、同じように二人の背を見送っている。

「というよりバァイ、お前、ようやく降りる気になったのか」

 その気になったのなら、もう少し早く降りてきてほしかった。

 そんな気分の猫の獣に、白い鷹は短く言った。

「挨拶するまでの、気分ではなかった。それよりもキィ」

 高めの声が、少しだけ控えめに自分を呼ぶ。

「何だ?」

「あの子は、元々、ああなのか?」

 両肩の鷹をそれぞれ一瞥し、猫が答える。

「ああ、というのがどれを指すのかは知らないが、ああいう感じだ」

 もう少し、笑う子ではあったが。

 それが少し、残念だったキィが苦笑しながら言うと、両肩の鷹は揃って首を傾げた。

「……何だか、他の男とは、違うな」

「うーん。どちらかというと、年頃の娘に、ああいう事はあるよね」

「ああ」

「? 何のことだ?」

 眉を寄せるキィの傍に、場を読んで離れていた獣たちが、集まって来た。

 そのうちの一人に、弟の方の鷹が問いかける。

「あんた、あの人と初めて会った時、娘だと言ってたよな?」

「ああ。なりは男みたいだが。男の匂いは、古着のものだろう? 我々みたいな鼻の利く奴を、近づかせないためだと思っていたんだが。それに、あれは、男ではありえない音だろう」

「音?」

 道士だった猫が、小さな体で狼の獣を見上げた。

 白黒の柄で、黒い部分には白い縞のある、良く見る猫だったが、キィと同じく猫にしては骨付きがいい。

 そんな猫が見上げた狼は、人の姿で道士を見下ろして不思議そうにしていた。

「耳は、そんなに良くないのか、あんたらは?」

「生憎、危険な音位しか、気にしたことがない」

「匂いと音も、結構楽しいんだぞ、人間は」

 傍に立つ犬の獣も、何故か可哀そうな者を見るような目で、二匹の猫を見つめた。

 木登りできない奴らに、言われたくないと顔を顰める道士と、首を傾げるキィを見比べ、バァイが言う。

「……あのオキと言う猫も、気づいていないのかもな。いつからああなのかは知らないが」

 それに答えたのは、犬の肩に乗っている烏だ。

「少なくとも、前に会った時は、周りの奴らと変わりなかったぞ。体つきからして、そう昔からではないはずだが……あれを、人間の娘と同じと考えていいものかどうか……」

「猫は気づいていなくとも、もう一人の獣は、気づいているだろう。あの狼の混血、鼻と耳は利いていそうだ。身近に知らせているのなら、ああやって二人きりで出歩かせはしないだろうから、胸の内にとどめているんだろうな」

 したり顔で言う狼を、キィの姉が前足ではたく。

 控えめにしていた体を戻しての攻撃で、狼の体は大きくよろめいた。

 そうして話が途切れたところに、蚊帳の外に置かれていたキィが、控えめに恫喝する。

「何の話をしているのか、噛み砕いて話してくれ。全く話が見えない」

 主に関することなのなら、拷問も辞さない覚悟が、ただ立っているだけの獣から伺える。

 ワン爺とチャン爺から遅れること数か月で、立て続けにワンの倅二人が世を去った。

 こことは違う、ワン家の先祖代々の墓に弔い、獣たちはようやく、旅立つことになったのだが、このままでは、あの世に送り出されそうだ。

 主持ちの成獣の猫、恐ろしかったんだな。

 正直、道士の時には、少しだけ舐めていた獣たちは、取り繕うようにキィの問いに答えた。

 代わる代わる話す内容は、世にも奇妙な話なのだが、聞いた猫たちの方は驚かなかった。

「まあ、そう言う事も、あるか」

「あ、あるのかっ?」

 話を聞いている間に、道士の姿に戻った猫が、キィと頷き合うのを見て、鷹が目を剝いた。

 耳元で叫ばれ、顔を顰めつつも黄金色の猫は頷く。

「どうも、生まれた経緯も、おかしい子だったようだから、そう言う事もあるだろう。だが、お前さんたちが言う事が正しいのなら、そちらも気に掛けないとな。教えてくれて、感謝する」

 これから合流するロンが、そのことに気付いているか否かで、気に掛け方も変わってくるだろう。

 兄弟を促し、鷹たちが方から飛び立つのを見上げ、獣たちに別れの挨拶を告げた。

「縁があれば、また会えるだろう。元気でな」

「ああ、あんたも。達者でな」

 道士の方は、お呼びがかかるまでは、道士としての力を高められるよう、精進すると言っていたから、同じようにここで別れることになったのだが……。

「何で、お前がついてくる?」

 人間の姿になった兄弟たちと歩きだし、暫くしてそれに気づいたキィは、姉の肩に乗る白い鷹に嫌そうな問いを向けた。

「……今更、人と離れて暮らすのは、私には無理だ」

「今から行くのは、あの賊共の群れの中だぞ」

「弟の方は、山に戻ると言っていた、心配ない」

 あくまでも、後味が良くないからワン兄弟の世話をしていたのであって、バァイの弟は好きで人里に残っていたのではない。

 賊の元に行くと言えば、いくら大好きな姉が一緒でも、付いて行こうとはしないだろうと思ったが、本当に別れたらしい。

「……いいのか?」

「勿論だ。死にかけの私を、巣から突き落としたのを忘れているのが腹立たしいが、憎めなくて困っていたんだ」

 追い払えずにいた弟が、自分から離れてくれたのだ。

 寂しい気持ちも少しはあるが、安堵した気持ちの方が強い。

 山に帰れば、すぐに所帯を持って、種を繫栄に持ち込めるだろう。

 ワンたちのおかげで、バァイも健康に育ち、所帯を持つことも出来るだろうが、もうそれはできそうにない。

 人間に、馴染み過ぎてしまったから。

「……ついてくるなら、歩いてくれ。姿が大きいのを、気にすることはない」

 寧ろ、大きい方が襲われにくい。

 そう言われても躊躇っている様子のバァイに、黄金色の猫は軽く続けた。

「女には見えないから、心配な……」

「お前は、そんなに軽率だったか?」

 一飛びでキィの頭に飛び移った鷹が、両足の爪に力を籠めた。

「一言多いだろう」

「つ、爪っ。刺さるっ」

「年頃の娘に対して、女に見えないとは、酷い言い草だぞ」

「年頃っ? 誰がだっ」

 ワン爺が他界して以来、久しぶりに見る二人の絡みだった。

 兄弟二人が無言で顔を合わせ、そのまま再び歩き始める。

 獣同士とは言え、種があまりにも違う二人だが、前から主が見ていない間に、喧嘩で慣れ合う仲にはなっていた。

 チャン爺の姿を貰う前に、キィに肉を食うのを強要したり、励ましたりしていたのもこの白鷹で、兄弟の中でも親しみが持てる獣だ。

 時々、道草を食いながらになる旅は、兄弟だけのものよりも、楽しくなりそうだった。


 本当に、キィがロンの方に話を通し、何故かその武器づくりの玄人との対面の場が整っていると知ったのは、兄貴分と共に祖父を弔い、戻って来た時だ。

「……中々、やるな」

 オキが悔しげに呟いているのを聞き流しながら、エンはその話を伝えた男が、不安そうにしているのを珍しく見つめていた。

「ロン? その人、気難しい人なんですか?」

 多少の気難しさなら、セイの相手ではないと思うのだが、それを知っているはずのロンが、不安げにしているのは、相当だろうと思う。

 躊躇いがちな男の問いに、色黒の男は困った顔のまま首を振った。

「そうじゃないけど……この人からセイちゃんに会わせちゃって、いいのか迷っているのよね」

「? 他に会わせたい人が、いるのか?」

 セイの首を傾げた問いかけで、ロンの考えの深い所まで気づいたエンは、穏やかに笑った。

「いないでしょ? 今から会う人は、この子の手を作るのに役立つから会うんです。何の役にも立たない人と、会わせることはないです」

「でも、血縁としては……」

「大体、その人が何処にいるのか、あなたは知っているんですか?」

 穏やかな笑顔での遮りに、ロンが珍しく詰まる。

 苦しげに溜息を吐き、答えた。

「そうね。居場所が分からない人の事は、考えないことにしましょう」

 顔合わせする本人を置き去りに、男二人は頷き合った。

 人付き合いをしない偏屈な、職人らしい気質のその人と会うには、人を選ばなければならない。

 合流した地にいる者の内、三人を付き添いにつれ、セイはその人と会った。

 その出会いが、後に様々な事を知るきっかけとなり、様々な諍いを治める鍵になるとは、この時誰も思っていなかったのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

語り継がれるお話7 赤川ココ @akagawakoko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ