第7話

 夜が明け、日が昇ったその日。

 何処から出てきたのか、露店の間を縫って役所の前で立ち止まり、憂いを含んだ目で立ち尽くす白髪の男装の女の姿があった。

 夜間の門番から引き継がれて出てきた役人がその姿に気付き、慌てて上官へと知らせたことで、一時は捕り物の興奮が収まった役所内が、再び騒がしくなった。

 白髪の女は暴れるでもなく、大人しく捕縛された。

 昨日とは違い憔悴しており、逃げられた怒りで睨んでいたワン家の二郎も、その様子に顔をほころばせた。

 突然暴れることを想定して控えている獣たちの前で、弟の隣に座る一郎も冷ややかに笑う。

「もう一人はどうした? 逃がしてもじきに捕まるぞ」

「それとも、命乞いに来たのか? 昨日の続きを大人しく受けるなら、考えてやらんでもないぞ」

 にやにやと続ける二郎は無視し、女は真っすぐ一郎を見上げた。

「……ガキが、捕まっているはずだ。会わせて欲しい」

「ほう、あのガキもお前んとこの、使用人か? 意外に外道だな」

「牢にでも何でも戻るから、会わせてくれ」

 割り込む声も無視し真摯に頼むと、一郎は少し考えて薄く笑った。

「いいだろう。会わせてやる。おい、あのガキを連れてこい」

 昨夜まで首の骨を付けるために休んでいた獣の一人が、呆れ顔でその命令に従い、その場を離れる。

 連れられてきたのは、父親にしがみついていた幼い童子だ。

 昨夜、酒の肴にされるはずが、主兄弟二人揃ってすぐに酔いつぶれてしまい、叶わなかったために死ぬ前の地獄を免れた童子だ。

 泣きそうに顔を歪めて、引きずられるようにして連れて来られたが、女を見つけて嬉しそうに声を上げた。

 その子に笑顔を向け、女が短く訊く。

「見つかったか?」

 童子は無言で首を振り、ゆっくりと答えた。

「駄目だったようね。仕方ないけど」

 落ち着いた、妙に太い声でのやんわりとした声が言い、獣は思わず自分が連れてきた童子を見下ろした。

 泣きそうだったはずの童子が微笑み、見上げている。

「痛いわ。そんな強く握ったら、本当の幼子は泣き叫んじゃうわよ。ほら、あなたもされたら、痛いでしょ?」

 自分を掴む手を逆の手で掴んで言ったその子のそれは、童子のものではなかった。

 色黒の、大きな男の手。

 気づいた途端に、ものすごい勢いで体を床に叩きつけられた。

「まずは、強いあなたたちを片付けましょうか? お話がしやすいように」

 見る間に大男へと戻った童子の言葉は、恐らく聞こえていなかっただろう。

 固まった主たちにかろうじて立ちふさがった獣たちは、人を食ったような笑みで、紙を引き破るかのように、同胞を引き裂く男を呆然と見つめていた。

「難儀だよな、無駄だと分かっても、雇われとしてはその命を以て守るしかない。的を守られては、片づけるしか、ないんだよなあ」

「と言うかロン、手が早すぎるわ。もう少し、怯えさせながら引き裂いてあげないと。恐怖で動かなくなった獲物程、襲い甲斐がないものはないのよ」

 聞きなれぬ声に振り向くと、そこには全く知らない男女がいた。

 捕縛されていた女の前に立つ二人は、女と同じような白髪だったが、目が違う。

「はっ、人間にも、こんなのいるんだな……」

 鳥の男がつい呟いたが、それは強がりだ。

 役所の庭に控えていた役人たちは、たった数人の男女を捕まえるべく、無造作に間を詰めて行っているが、主を守るように囲んだ獣たちは、肌で感じていた。

 こいつらは、獣の妖を確実に葬る術を、心得ている。

 同胞たちと目を交わし、主を逃がすことを考え始めたが、遅かった。

 取り囲んだ役人の後ろで、悲痛な悲鳴が上がった。

 同時に、奇声に似た叫びも近づき、そちらからも血の匂いが漂い始める。

 不味いと犬の獣が顔を強張らせる中、固い声が言った。

「合図を送るまでもなく、始めています。牢の番人も、既にこと切れてますので、ここに残る者だけです」

 振り返ると、幼子だった大男の傍に、さらに大きな男がいた。

 一見して、獣の血が混ざっていると分かる、険しい目つきの男だ。

 それが、童子の父親役をしていたと男だと気づいたが、今更だった。

「ま、まさか」

 一郎が、ようやく口を開いた。

 かろうじて立つ主の足下で、その弟が腰を抜かして座り込んでいる。

「牢破りをしたのかっ。貴様ら、罪人として、罪を償う気はないのかっ」

「まあっ。ちょっとは肝が据わっているのねえ。あたしたち、結構怖そうなのに。弱い相手にしか、そうやって威張れないのかと思っちゃったわ」

 勢い任せの怒鳴り声は、上品に笑いながらの揶揄いに、かき消されてしまった。

 赤黒く飛び散った血糊はそのままに、色黒の男は笑顔で答える。

「償うのは、死んでから十分させて貰うわ。今は、大事な御用があるの。あなた達の命は、ついでに頂くだけ」

「なっ。ふざけるなっ」

「裏で悪さしてる、強い賊を相手にそうやって強く出てれば、あたしたちも感心してたのに。ただの弱いいじめしてるだけのクズにいきられても、全然怖くないわあ」

 激高する一郎の前で高笑いする男に、それよりも大きな男が溜息を吐く。

「煽り過ぎないでください」

「え? でも、怯えて固まった獲物は、嫌なんでしょ?」

「逆につまらなくなるので、程々でお願いします」

「もう、我儘ね」

 顔を膨らませて拗ねる仕草をする男を、可愛らしいとは見れないのは、仲間だけではなかった。

 逆にそれを隙と見た人間が、槍で襲い掛かってしまった。

「嫌だ、怖い」

 言いながらあっさりと槍の柄を掴み、男は逆の手でその先の役人の首を掴んだ。

 助ける間も、そんな度胸もない。

 悲鳴をかみ殺す一郎の足下で、それより大きな弟が蹲り、とうとう泣き出してしまった。

 それが合図になり、役人の上官が悲鳴のように叫ぶ。

「何をしている。捕らえろっ。斬り捨てても構わんっ」

 先の光景で恐怖を植え付けられ、しかし上司の命令に本能で動いた役人たちは、嬉々とした顔で襲い掛かる賊たちに、命を刈り取られていく。

 阿鼻叫喚の光景が目の前に広がりつつある中、獣が呆然と呟いた。

「……牢にいた奴らと、他数人? それだけの人数を、何で役人が抑えきれないっ?」

「分かり切ったこと聞くなっ。こいつら、不味い」

 獣ですら、初めにあっさりと、完全に死に至らしめられてしまったのだ。

 敗北は分かり切っていた。

 奴らの動きを、止めない限りは。

「……道士は何処だ?」

 絞り出した主の問いで、獣たちはようやく思い出した。

「そういえば、何処に?」

「夜中中、牢に壁を張り続けていたと言って、今は休んで……」

「この騒ぎの中か? 吞気すぎるだろうっ」

 思わず毒づいてから、別な不安がよぎる。

「……逃げては、いないよな?」

 鳥の不安に笑った犬だが、もう一人の鳥と他の獣たちが真顔で顔を見合わせた。

「……逃げては、いないはず、だ」

 法術は使えるが、腕力の方は心もとない道士だ。

 来たくても来れないか、既に……。

 歯をかみしめた獣の後ろに庇っていた一郎に、牢にいたはずの男の手が伸びた。

 振り払おうと腕を振りかぶるより前に、守りの輪から引きずり出されてしまう。

「首はオレが貰う」

 にやりとした男の、何処から持ってきたのか、恐ろしく刃の広い剣が、日に照らされて光る。

 とっさに庇う獣の一人と、その男の前に全く別な影が割り込んだ。


 自由になった面々が暴れる中、ランは手足を縛っていた縄を解き、悠々と入って来たエンに渡された剣を手にした時には、牢を破ってきた仲間が、ワン兄弟のすぐそばまで来ていた。

 興奮した仲間が、ワン兄を引きずり出して剣を振りかざし、その首めがけて振り落とす寸前、仲間の手が落ちた。

「……」

 女が目を細める先で、剣についた血を払っているのは、武骨な老人だった。

「ほう」

 エンと共にやってきたジャックが、思わず感嘆の声を漏らす前で、狼狽えて下がる仲間の胴を一気に払う老人の体は、剣の勢いを見事に流し、しっかりと立ってた。

「バカ者どもが。腰を抜かす間があるなら、逃げるか抗え。わが家を滅ぼすだけでは飽き足らず、臆病者と言う名を遺す気か」

「言っても無駄でしょう。本当に、あなたは育て方を間違えた」

 うわ。

 ランは思わず、空を仰いだ。

 斬り捨てられた仲間の手から、剣を拾い上げた男は、気楽にそれを回して見せている。

 ロンも溜息を吐いて、男に声をかける。

「……そういう決断をしちゃったの? 考え直してはくれないかしら?」

「昨夜から、無茶ぶりが過ぎる」

 小首をかしげるロンから目をそらしながら、男キィは言い切った。

「お前の言う頼みは、聞き届けられなかった。なら、生き残らせるには、これしかないだろう」

「うわ。何で、よりによって、お前と斬り結ばないといけないんだよ」

 嘆きながらも、ランの口元には笑みが浮かんでいた。

「オレ、お袋の剣技なんか、見たことないんだぞ?」

「そりゃあ、お前が物心ついたころには、剣は持っていなかったからな、あの女」

「と言うか、その言葉遣い、やめてくれない? 本当にやりづらいから」

「我儘が、過ぎるぞ」

「全くだ」

 ランとロンの文句に答えるキィに頷き、ワン翁が言った。

「敵に頼むことでは、ないだろうに」

 そして、まだ座り込んでいる兄弟に声をかけた。

「道を開く。離れまで走れ。お前たち、この子らを頼むぞ」

「しかしっ」

 本来の役目を思い出し、獣の一人が難色を示す。

「お二人では、余りにも……」

「二人ではない」

 答えた老人に、ランが止める間もなく、仲間の一人が飛びかかった。

 が、すぐに文字通り後ろに飛んで、地面に転がる。

 その仲間を目で追って、エンが目を見張った。

 既にこと切れた仲間の額の真ん中に、矢が刺さっている。

「チャンも入れると、三人だな」

「……っ」

 その声で、思わず離れの方へと目を向けるが、開け放った小窓が見えるだけで、人までは見えない。

 それを確かめたロンが、つい呆れた声を出す。

「……キィちゃん」

「あの人、足はあんなだが、腕は鍛えてるし、狩りにも出ている。鹿に気付かれずに遠くから、息の根を止める一矢を放てる人だ」

 うわ。

 また空を仰いでしまったランは、盛大に嘆いた。

「お前、その、何かに精通した人を主にするの、本当にやめろ。また技だけ吸収して終わる気だろっ?」

「そんなことは、させないとも」

 答えたのは、何故かワン翁だ。

「チャンはな、足さえ戻れば、何処にでも行って、何にでもなれる男だ。その夢をかなえられる術を、みすみす逃す気はない」

「はいはい、それは、ここを乗り切ってから、お話ししましょう」

 その間に仲間たちは役人たちを次々と葬っており、時々ワンの息子たちに襲い掛かる仲間は、二人を庇うワン翁とキィ、時々獣たちに葬られている。

 そして、ワン翁とキィを狙う仲間も、チャンの矢に射抜かれてしまい、役人も減っているが、仲間の方も着々と数を減らしていた。

 不味いなと、ランとエンが少し困って顔を見合わせる向こう側で、ロンが首を傾げて呟いた。

「……これは、誤算ね」

「ええ。ここまで減らせるとは。嬉しい誤算ですね」

 色白の強面が、無表情でそれに頷く。

 そう、不味いのは仲間が減ることではない。

 むしろ、ここで集まった仲間の多さが不満だった面々は、後の戦の前に減らせて、有り難いと思っていた。

 不味いのは、諸悪のワン家の二人を、見逃すかも知れないと言うことだった。

「……とりあえず、追うか」

「はい」

 ランに短く答えたエンは、うまく仲間の間を縫って動き、姉を誘導する。

 その様子を見てロンも隣の大男に一瞥し、頷くのに返してから動いた。

「……ワン様」

「ああ。ここを頼めるか?」

「ええ。無理はなさらぬよう」

 ジュラがそんな二人に剣を向け、にやりと笑った。

「お相手願いたい、そこのご老体に」

「楽しい申し出だが、血筋を助けるのが、先だ」

 笑い返した老人に剣を向けるが、それはキィの剣で遮られてしまう。

 その間に踵を返した老人は、逃げた息子たちを追って走り出した。

「……少し、驕りが過ぎませんか? 死んだ者たちと同じに見られても、こちらは心外なんですが」

 童子に化けたロンを庇っていた男が、強面の顔で目を細めた。

 狼の獣を父の持つ男だ。

 小刀を両手に、話しかける間もがむしゃらに襲ってくる役人を切り刻む手は止めない、中々に細かい動きをする大男だ。

 老人の背を見送ったキィは、固いその声にやんわりと答える。

「お前さんも、そこの若いのたちも、人の事は言えないだろう? 足止めできないと、本気で思っているか?」

「ほう。恐ろしいほどの虚勢じゃのう。ならば、お相手願おうか。儂らの技も、楽しんでもらおうじゃないか」

 皴皴の大きな老人が笑い、すっと片手を上げる。

 一太刀されて絶命した仲間が、一人また一人とふらふら立ち上がった。

「いつもは、獲物を使うんじゃが、役人どもへの恨みが、全員たまっておるんじゃろうのう。形が残っているもんが、一つもなかったわい」

「これからも、残らなそうね。なんだか、御免なさいね」

 自分の前に立ちふさがる死体を見上げて、しみじみと言うジャックに、ジュリが申し訳なさそうに言ったが、老人は豪快に笑った。

「お前さんが謝ることはないわい。子には、たらふく食わせることより、先にしなければならん事なぞ、ないわい」

「……他にも、色々と、後回しにしちゃいけない事も、あると思うが。まあ、今のあんたはなあ……」

 妹と老人の会話に苦笑してから、ジュラが敵の獣に目を向けると、キィは全く別なことに気を張っているようだった。

「ロンやランより年上ってのが、いろいろ気になるが、まあ、敵なら手加減いらないよな」

「あのご老体については、場合によってと言伝られていましたが、あなたや他の獣たちについては、全く触れられていないので、生死は考えなくてもいいでしょう」

「命乞いするなら、今の内だぞ?」

 二人の男の言葉を聞き流した獣が、顔を上げた。

「よし、無事この場は抜けた。じゃあ、やるか」

「っ、お前、敵の前で、あの爺さん気にしてたのかっ? 呑気だな」

 目の前の獣の呑気さに呆れたジュラの後ろから、細い声が言った。

「安心した。主たちはこんなところで、生涯を終えることには、ならないかもしれないんだな? そうでなくとも、ここで命を以って足止めできるなら、思い残すことはないが」

 振り返った一同の前に、もう一人の獣がいた。

 先程までいた獣達とは違い、細身で薄い色合いの女が、ジュラが振り返った先で、動く死体を勢いよく張り飛ばした。

「弱いな」

 簡単に吹っ飛んで転がるのを見つつ感想を述べる女を、ジュラは唖然として見る。

「鷹?」

 珍しいが、さっき逃げた中にもいたのは、覚えている。

 驚いたのはその色だ。

 自分たちと同じ色合いの、彫りの濃い顔立ちの女だ。

 妹と見比べたジュラは、思わず言った。

「彫りが違うと、こんなに違うんだな」

「ちょっと兄さん、何処の彫りを見比べてるの?」

 やんわりとした妹の言葉と共に、頭の上に重みが伝わる。

「い、いや。何処でもいいだろっ」

「良くないわ。悪かったとは思ってるの。ただ一人の妹の体が、男とあまり変わらないから」

「なら、こいつをどけてくれよっ」

 小鬼数匹に頭を掻きむしられ、ジュラが悲鳴を上げ、首を傾げながらそれを見た鳥の獣は、宥める様な声を出す。

「私のは、胸じゃない。人間の女の体の凸凹を、まだうまく作れないんだ。仕方ないんで、たらふく食べて胸袋を膨らませてきた。それに、この国では、お前さんみたいなほっそりの体つきで、足が小さい方がもてる」

「真面目に答えなくても、いいです」

 銀髪の男が溜息を吐き、呆れ顔のキィに短く謝る。

「こんな時に、申し訳ないです。いつもこうなので、気にせずにいていただければ」

「……オレを呑気だと、どの口が言った?」

「楽しんでやらにゃあ、損じゃろ。お前さんも、なかなか出来るのう」

 そんな会話の間にも、生きた者は減りつつある。

 役人側も、盗賊側もだ。

 ただ斬るだけでは、再び老人によって動かされてしまうので、頭をしっかりと壊すように賊に手をかけた。

 賊たちの方は、役人を跡形もなく消すようにして、命を刈り取って行く。

 そして残ったのは、賊数名と獣二匹。

「……邪魔は消えたから、お相手願おうか?」

 妹とじゃれ合っていた男が、己の剣を構えつつ、キィに声をかけた。

 その剣は、血糊もなく綺麗なままだ。

 それを持つ男も周りの賊も血まみれなだけに、その綺麗さが異様に目立つ。

「……」

「キィ」

 鷹の獣、バァイが近くに落ちていた血糊の少ない剣を拾い、猫の獣の方に投げてよこした。

「生かすにしても殺すにしても、それではもう出来ないだろう」

 持っていた獲物を捨て、難なく受け取りながら、キィは鷹の獣に声をかける。

「主が心配だ。そろそろ向かってくれ」

「一人で戻っても、お助けできない。それに、向かった賊の考え次第では、もう手遅れだ」

「それでも、頼む。見届けてきて欲しい」

 振り払うように答える女に、猫の獣は静かに続けた。

「子供代わりのお前が、見届けなくてどうする?」

 一瞬、何かに耐える様に顔を歪ませ、すぐに踵を返した女を、賊たちは一瞥しただけで追わなかった。

 向こうに向かった者たちの邪魔にはならない、というより、もう間に合わないだろうと言う気持ちからだ。

「邪魔するなよ」

「はいはい」

 踵を返した途端、白い鷹になって飛び立った女を背にしたキィと、ジュラは真っ向から向き合う。

 全然知らない構えだ。

 ジュラの方も自身のやりやすい形を作り出し、剣を扱っているが、矢張り知らない流派と競うのは、胸が弾む。

 だから、これから競り合いを始めると言う時に、オキの声が響いた時、思わず盛大に叫んでしまった。

「終わった。引くぞ」

「わあああっっ。早いっ、早すぎるだろっ。何で、そんなに簡単に見つかるんだよっ。今まで見つからなかったなら、もう少し隠れてろよっっ」

 泣きそうな叫びに、無感情な声が答えた。

「すまない、間が悪かったかな? 昨日から何も食べていなくて、もう辛抱が切れたんだ」

 叫び続けるジュラの体を、ジャックが思いっきり突き飛ばした。

「セイっっ。ああ、可哀そうに。早く帰って、ご飯にしような」

 見事に吹っ飛んだ男には見向きもせず、老人はロンに連れられてやってきた子供を抱きしめていた。


 離れへといざなう事は、うまくいったようだ。

 弓を構え、離れの窓から賊を射抜いていたチャンは、ワン家の一郎二郎が、こちらへと逃げてくるのを見て、少しだけ気を抜いた。

 獣たちに支えながら、二人ともふらふらと走っているが、怪我はないようだ。

 後はもうしばらく、足止めとして矢を射るだけでいい。

 静かにそう決め、チャンは掌に乗せられた矢を弦にかけて構える。

 追ってくる男女の足元に矢を射り、足止めた隙に獣たちが主二人を離れへと押し込んだ。

「怪我は?」

 短く問うと、獣の一人が答えた。

「主たちは無傷ですが、狼が……」

 犬がひきつる顔をそのままに告げ、先の情景を思い出した獣たちが、震え上がっている。

 守る者がこれでは、ここを死守するのは無理だ。

 すぐにそう断じたチャンは、静かに頷いて言った。

「裏の門から、表通りへ向かって逃げなさい。流石に、人が行きかう場で、手にかけられることは、ないだろう」

「あなたは?」

「私は、残って足止める。代わりに、その二人を頼む」

 キィの兄弟二人が、目を見開いて激しく首を振り、チャンに縋りつく。

「お前たちが残っていたら、思い切り動けない。頼むから、言うとおりにしなさい」

 困って宥める男と、縋る二人を見つめている獣が、なんとも言えない顔で目を交わしている中、一郎が苦々しくはきすてた。

「お前や親父が、余りに役に立たないから、こんな目に合っているんだ。足止めは、当たり前の事だろうに、何を偉そうに」

「……ああ、そう言う事でいいから、早く……」

「言われなくても、さっさとこんなところ、捨ててやる」

 吐き捨てた声はまだ震えているが、立ち上がって弟を立たせて促したところを見ると、こちらへの怒りで少し元気は戻ったようだ。

 少しだけ安堵したチャンだが、裏口へと向かおうとした面々に立ちふさがった者を見て、表情を改めた。

「駄目です。裏も、見張りがいる」

 いつからいたのか、道士が険しい顔でそう告げた。

「お前っ。何処にいたんだ?」

「お前らこそ、何ですぐに知らせないんだ? 先ほど起きたら、血の匂いはむせ返るようだわ、澱んだ風が漂っているわで、何事かと思ったぞ。もう何もかも手遅れだ。逃がす算段をしようと裏を伺ったが、それすら出来そうもない」

 道士の言葉に、獣たちの顔が更に青くなる。

 一郎は再び吐き捨てた。

「役立たず共め。身を挺して逃がす器もないのかっ」

「……」

 そんな主を見て、道士は諦めの溜息を吐く。

「……焦り過ぎて、とんだ外れを引いたもんだ。お互い、な」

 見ると、同じように溜息を吐く獣たちが、遠い目を外へと向けていた。

「まあ、選んだのは自分なんだから、最期まで、お守りしよう」

 道士は前へ進み出て、チャンへと一礼した。

「変なものに取りつかれる位、従順に仕えたつもりだったが。まあ主の元が悪いと、こうなるわな」

「不思議だな。お前さん、主の姿を取って、優秀な主を陰で支える、猫の獣だろう? そういう見極めに、失敗することがあるのか?」

 いきなり砕けた言葉遣いになった道士に目を見開きつつ、チャンが不思議だった事を尋ねると、猫の獣も目を見開いた。

「よく知ってるなあ。そういう事も、この国では勉学に入っているのですか?」

「いやいや。私の傍にも、同じ猫がいるんだ」

「……そうか。つまりオレは、色々焦り過ぎて、そこから失敗してるのか」

 老人の答えに天井を仰ぎ、道士は溜息を吐いた。

 おもむろに、錫杖を床につき、術を唱える。

「通りで、この体の主の力が、思い通りに使えないわけだ。半端な成獣だったのかあ。今更気づいても、もう遅いかあ」

 投槍気味に術を唱えた後、盛大にぼやく。

 突然の動きに目を瞬く面々に構わず、道士は背後の主たちと獣たちに短く言った。

「出来るだけ、息も潜ませて、動かずにいてください。悲鳴も、禁物です。私の術は、それだけでも解けてしまいます」

 そして、隣のチャンに申し訳なさそうに言った。

「……今までの無礼のついでに、囮をお願いできますか? 今の私とあなたは、主の姿で見えるはずです」

「……ああ、成程。我々をなぶり殺させて、引いたところで逃がす算段か」

 頷いた男は、獣が申し訳なさそうに眉を寄せているのを見て、明るく笑って見せた。

「仕方ない。私の願いより、ワンさまの家の存続の方が、私の中でも重い。キィには悪いことをした。散々、あの子に縋って頼んでいたのに、こんな最期を迎えることになるんだからな」

 物言えぬ猫の獣二人が、鳴きそうな顔で縋ろうとするのを、犬の獣が必死に抑えているのを見て、道士は力なく肩を落とした。

「本当に、申し訳ない」

 短く謝って、床に蹲る猫の獣の後ろに目を向けたチャンは、そこにいる童子を見止め、目を見開いた。

 声をかけようとする前に、賊が離れへと押し入ってくる。

「いた。ここについただけで助かると、本気で思っていたのか?」

 白髪の女は、冷ややかに道士を見下ろした後、離れの中を見回す。

 そこに、悲鳴交じりの声で、道士が懇願した。

「た、助けてくれ。金目の物なら、いくらでも持っていけばいいっ。命だけは……」

「今更命乞いって。大体、金目当ての押し入りじゃないんだから、その乞い方をされても」

 泣くふりをしているチャンの横を通り過ぎ、男の方が奥の方へと向かっていく。

 ランもそちらを見つつ、懇願して蹲る道士に、やんわりと言った。

「少しだけ、見直した。主を守るつもりで前に出ているんだろうが、主たちが腰抜かしてちゃあ、意味ないな」

 騙せていない。

 青ざめて顔を上げた道士の耳に、鋭い悲鳴が届いた。

 振り返った先で、主たちの傍まで歩み寄った男が、あっさりと二郎の肩を掴み、その手に力を込めたのを見た。

 そのまま潰しかねない力に、更に悲鳴を上げた二郎の肩から、男の手が不意に離れた。

 這う這うの体でそこから逃れ、震える大男を追う事もせず、男は己の手を見つめる。

「?」

「エン? どうし……」

 そんな不思議な動きをする男に気付き、道士から顔を上げた女が声をかけようとして、目を見開いた。

「……」

「……ここに、いるのか? 何で、本当に見えないんだ?」

 何もないところへと目を向ける男女だが、呆然と呟いた男の腕を全力で抱え込んでいる童子の姿が、チャンにははっきりと見えていた。

「……掴めたのか。矢張り、鬼ではないようだ」

 思わず頷くチャンに驚きつつ、道士は目を細めてそちらを見る。

 見えてはいないが、何かがいるのは分かっているらしい猫の獣は、唸るように尋ねる。

「恨まれて憑りつかれたわけでは、なかったと?」

「これはあれだ、お前さんについて行けば、おのずと知った顔に会えると、そうふんだんだろう」

 チャンの言葉に、道士が気の抜けた笑いを立てた。

「つまり、私の思惑も、そこの見えない者に消されてしまったのか」

「とは言え、何で姿を見せないままなんだろう? 爺さん二人にしか見えないまま、生涯を過ごすのも、不便だろうに」

 憤る気力すら起きない様子の道士と、仲良くそんなことを話していると、もう一人の賊が追い付いた。

「見つかった? あら、そこにいるわよね? ランちゃんたちと落ち合えたのに、そのまま? どうしましょ」

 驚き戸惑っている姉弟を見つつも、色黒の男は明るい顔で首を傾げた。

「ここの奴らを惨殺したら、その衝撃で見えるようになるかと思ったんだけどな……」

 女が困ったように天井を仰ぐ。

 弟の方は捕まえられた腕を見下ろしつつ、焦りを滲ませていた。

 一族を逃す隙が出来ていたが、チャンは考えこんでいた。

 突然攻撃を止めた盗賊に戸惑い、逃げると言う考えに及ばない獣たちに、道士も合図を送るよりも先に、つい言ってしまった。

「……初歩から、試してみてはどうだろう?」

「? 初歩?」

「ええ。術をかけるときの、初歩です」

 床に座ったままのチャンと、土下座に近い体勢の道士は、ひっそりと話す。

「かける相手の名前を呼ぶのです。相手の馴染みのある名前で、返事がありさえすれば、術師側の勝ちです。まあ、その名を呼ぶことで、うまく術を投げられる術者であればの話ですが」

「成程。だが、あの子本人の方が、お前さんより術に長けていそうだな」

 首を傾げて童子の方を伺うと、男から離れた童子は、片方の手にもう片方の拳を打ち付け、成程と頷いている。

 そして、周りの大人たちを見回した。

「……あの、その子の、名前は?」

 そう言えば、誰もまだ、この子に呼び掛けていない。

 こんな所謂初歩の方法で、あっさり解けるのかとも思っているが、童子が無言で期待にあふれる顔をしていては、試してやるしかない。

「? 名前は、訊いてないのか?」

「ええ。覚えているか分からなかったので」

 鬼なのか別なものなのか分からなかった昨夜は、余計な刺激を与えぬ方がいいと、名を尋ねることはしなかったのだ。

「……そうか」

 チャンの言い分に頷き、女は弟の方へと目を向けた。

 優しい顔立ちの男は困惑したまま、何とか童子の場所を手探りで探り当てようと、奮闘している。

 もう一人の男を振り返り、その男も無言で頷くのを見て、女は静かに呼びかけた。

「セイ。そろそろ、帰ろう」

「本当に?」

「ああ」

 突然、男の横に童子が現れ、一郎が目を剝いて壁に張り付いた。

 獣たちもどよめく中、女は平然と頷くと、取り乱しているワン家の面々を見回した。

「ここの奴らを片付けたら、すぐに帰ろう」

 しまった。

 道士が、そんな顔をした。

 ついつい、敵の話に流されて、手助けしてしまった。

 チャンも我に返って、構えようとしたが、遅かった。

 ワン家の兄弟の傍にいた男が、傍にいた童子の体を軽く持ち上げ、戸口の前の男へと放り投げる。

 その時には女も、剣を抜いて動いていた。

 悲鳴と血の匂いが離れ中を染め、跪いたままの道士にまで女の刃が届いた。

「っ」

 間合いを取ろうとするチャンに向かって、恐怖で固まった男女が放り投げられる。

「この二人は、この人を世話するのに、生かしておいた方がいいんですよね?」

 穏やかな男の声に、女は血を払いながら頷いた。

「キィの兄弟らしいから、余計な恨みを買わないためにも、生かしておこう」

 抗う間も、逃げる間すらもない。

 あっさりと肩に担がれたチャンは、離れに残る惨状をどうすることも出来ぬまま、賊に捕らわれていた。

「……」

 先に外に出た男の背に背負われた童子が、離れの中を伺い見て、小さく溜息を吐く。

 思うところはあるようだが、自分が姿を隠してしまったせいだと、文句が言えないようだ。

 チャンの方も、余りに急な終わりに頭がついて行かず、担がれたままだったが、遠くからの怒声を耳にし、我に返った。

「チャンっ」

 その声に目を見開いた女が笑みを浮かべ、両小脇に抱えていた男女を地べたに落とす。

 弟とチャンの前に立ちふさがり、再び剣を構えた。

「……どこに連れて行く?」

「血の繋がりのない男より、倅たちを心配しろよ。手遅れだけどな」

 無骨な老人は険しい顔を更に険しくし、ゆっくりと剣を構えた。

「手加減は、しない」

 女は短く言い、それに返事をせずにワンが動く。

 暴れるチャンを担いだまま、女の弟は小さく笑った。

「残念ですね。若さが足りないばかりに、勝負にならない」

 言い終える前に、女の剣が老人の体を引き裂いた。

 何処からか、悲鳴が聞こえる。

 いや、悲鳴を上げているのは、チャン自身だった。

 迷わず帰路に就く男の肩の上で、血塗れで地べたに倒れるワンの姿を見つけ、年甲斐もなく泣きわめいていた。


 ワン家も役所も、その後どうなったのかは、詳しく知らない。

 まあ、折り返した時に風の噂にでも聞くことができるだろうと、ランは気楽に思っている。

 恨みつらみを聞く前に、チャンとキィとその兄弟は、戦禍に巻き込まれぬ場所へと送った。

 約束を守る謂れはないんだがなと、ランは苦笑いしていた。

「お前を見つけたらという約束だったのに、どうも早々と諦めたようだし。本当は、あいつの拘りなんか無視してもよかったんだ。でも、あの爺さんが、姿を現す手助けをしてくれたのは確かだし、ちと、遣り過ぎたもんなあ」

 遠い目をして言うランは、少し悔いていた。

 ワンを本気で、斬り捨ててしまったことを。

 チャンの気が触れてしまったことも、悔やむ理由だった。

 姿が見えない時には止めたが、結局ワン家の殲滅を見ていただけのセイも、深く悔やんでいるようだった。

「……ここの場所を、ちゃんと聞いておけばよかった。そうすれば、すぐに戻れたのに」

 そう、隠れ家が危ないと分かった時、この地に馴染んだ民家へと向かおうとはしていたが、その場所を知らなかったため仕方なく、知った顔を捕まえるだろう道士に、張り付いていたのだ。

「あ、そうか」

 襲撃の後戻ったのは、リュウ家だ。

 隠れ家とは違い、様々な話を集めるために、その地に根を下ろした家の一つだ。

 他者に疑われぬよう、リュウ家の場所は殆どの者が知らない。

 丁度、リュウ家を知る者しかあの場にいなかったから、連れて来れなかったセイが、この場所を知らないことを失念していた。

「地図を書いて、渡しておくわけにもいかなかったからな。まあ、大事にしたのはオレたちなんだから、お前は気にするな」

 そういうランは、リュウ家に戻ってから始まった打ち上げで、ほろ酔い気分となっていた。

 気楽に笑いながらセイの頭をたたき、ジャック手作りの餅をその口に押し込んだ。

 生き残った仲間たちが騒ぐ中には、ロンとジュラはいない。

 もう一人の仲間ゼツと共に、チャンを落ち着き先へと送って行ったのだ。

「……まあオレも、頭に血が上り過ぎだったとは思ってる」

 素直に餅にかぶりつく童子を見つめつつ、ランはしんみりと言った。

「あの道士とあのクズは、弄り殺すつもりだったのに、あっさりとやってしまった」

 これは、エンも同じように不思議がっていた。

 許す気がなかったワン家の二郎を、エンはあっさりと手にかけてしまったのだ。

 二人とも、まずは完全に息の根を止めてから、土に返すことを心掛けてはいるが、あの二人だけは弄ると決めていた。

 なのに、あの時は全くそんなことを考えずに、いつも通りにやってしまったのだった。

 セイが、帰りたそうだったからだとは思うが、ランは自分の動きがしっくりとこなかった。

「それに、ワン家の爺さんは、生かしておくつもりだったんだけどなあ。やってしまったなあ」

「え?」

 呟いた嘆きを、セイが拾った。

 驚いて顔を上げる子供に、ランは眉を寄せて釈明する。

「爺さんだから生かしておきたかったとか、そういうことじゃないぞ。単に、あの二人の息子を、野放しにしていたくらいの軽い罪じゃあ、死なすほどじゃないだろ? 後の始末を任せれば、充分の罰になる」

「ああ、そう言う事か。そうか。そういう事も、あるのか」

 頷きつつも再び餅に手を伸ばしたセイは、神妙な顔になっていた。

「……それは、悪いことをしたな」

「? 何か、悪さでもしたのか?」

「……」

 呟きの意味が分からず訊き返したが、セイは餅を口に入れてしまった。

「おいひい。あんも、たへたら?」

「ああ。食べる。食べるが、お前、何か、隠してないか?」

 口をもごもごと動かしながら、子供は首を振る。

 そのまま食べ続けるセイを、ランは眉を寄せたまま見下ろしていたが、その時出払っていた三人が、無事チャンを人里離れた隠れ家に、送り届けてきたと言う知らせと共に、戻って来たのだった。

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