第5話
一歩遅れて、子供の牢破りを知った。
造作なく入り込んだのは、この家の主の失態だが、これは自分が悪いとキィは苦々しく思った。
あいつが、やりたいことを後後に引きのばす性格をしていないと承知している、キィの失態だ。
自分が牢屋内に入ると、罪人として捕らえられた者たちは全員、神妙な様子で座っていた。
戸口の前で薄暗い牢屋内を見回し、親子を装っていた父役の男が、大事そうに空の上着を抱え込んでいるのに気づいた。
閂の鍵はしっかりとかかっており、矢張りと溜息を吐いてから外に出た。
予想していたから早めに動いたのだが、その前に主の旦那たちを朝まで大人しくさせるのが先と、ここに来るのを後回しにしたのが、裏目に出た。
仕方がないのだ。
ワン兄弟は、小さくて自分よりも弱い者ならば、男女どちらでも欲の的にできる、節操なしなのだ。
所帯を持ったころは己の夫人を、チャンと再会してからはチャンを、一途と言っては聞こえがいいが、じめじめとした好意を持ち続けているワン翁とは、血がつながっているとは思えないと、キィはいつも不思議だ。
そんなワン兄弟が、罪人に混じっていた見目麗しい子に気付かぬはずはなく、案の定、捕縛成功の宴会の時に、早速毒牙に掛ける話を笑いながら話し合っているのを聞き、さっさと眠ってもらうべく、酒全部に大量の眠り薬を仕込んでいたら、ここに来るのが遅れてしまった。
「……」
先ほど見た子供の姿を思い出し、キィは苦い顔で再び溜息を吐いた。
本当に、覚えていないようだ。
自分の容姿が、肌色以外父親似であることを、そのせいで、父親の代わりに祖父たちの毒牙にかかりそうになったことを。
それとも、少し気にかけていたから、あの男との親子役だったのだろうか。
顔見知りの男と似た容姿の、岩のような美丈夫を思い出し、そう考えたがそれも呆れを呼ぶ。
あんなどきつい顔の男と並んだら、逆に目立つ。
色を揃えるより、顔立ちを揃えればよかったものを。
「ますます、ガキの頃そっくりじゃないか」
キィが初めの主となるはずだった男と会ったのは、随分昔だ。
大きな図体なのに、透き通るように白い、病弱な男だった。
まだようやく、子の域を出たばかりのその男は、後のロンの父親だった。
彼が所帯を持ち、子をなし、不幸な死を迎えるまで、付かず離れずで見守り続けていたが、姿を貰う事は叶わなかった。
それ以来、気にかかった者の生涯を見守り続けていたが、真摯に姿を受けついてほしいと願う者も、貰いたいと思える者も、今まで一人も現れていない。
ランの母親と妹も、気にかかった者の一人だ。
母親の方とは、真摯に話し合った上で見守るだけに済ませ、妹の方は適当にあしらっていたが、風の噂でその死を聞いた。
死を知ったものの、確かめる気もなかった。
その頃から兄弟たちのお守りを、親から任されるようになり、そこまで暇でもなくなったのだ。
人見知りが過ぎて、主を持つこと以前に、人間に近づく事も出来ず、成獣になることは難しいとされた、父母違いの兄と姉だ。
ひっそりと人里離れた山間のうろを住処にし、兄姉たちを走りまわせながら、日々を過ごしていた時、キィは再び、主だった男の一族の血筋と会った。
正確には、男とは血の繋がりのない弟の、血縁者だ。
狼とその女が、その子の親と名乗っているのは解せなかったが、無邪気でよく笑う愛らしい子供だった。
「……」
そんな子が何故、どういう経緯でラン達の元にいるのかも、これから吐いて貰わなければと、キィは苦い顔になったまま逃げた子供を探した。
すぐにその姿を見つけたのだが、その子供は身を隠すでもなく、離れの中庭の傍で、中の様子を伺っていた。
何故か不思議そうにチャンとキィの兄姉が騒ぐ様を見ていたのだが、キィが近づいてきたのに気づき、振り返って笑顔になった。
「お買い物だったの?」
「……脱獄したくせに、何を呑気に立ち尽くしているんだ?」
「ちょっとじっくり見て見たくて。優しい主みたいね」
気の抜ける笑顔だ。
危うく本当に気が抜けそうになり、キィは無理に険しい顔を作った。
「ランは戻っただろう? 一体、何で入り込んできた?」
「ランちゃんたちは、かろうじて、無事戻って来たわ」
かろうじて、という言葉を強めて言う子供に、男は更に顔を険しくする。
「かろうじてでも、無事は無事だろう。あの血縁は、何処で手を差し伸べればいいのか、迷うんだよ」
あの血縁とはランの、というよりもその父親の、という意だ。
ランの父親は、甲斐性があり過ぎて、その上貞操云々の話には、全く興味がない。
だが、母親の方は違った。
何やら好いた男がおり、その男の蘇りを望んでの縁結びの後、ランとその妹は生まれたらしい。
妹の方は見目も良く、好き嫌いもはっきりとしていた上に、母親に似て好いた者しか相手にしなかったが、ランの方は今一分からなかった。
「……流石に、ああいう、寝込みを襲った挙句、自分本位に動こうとするのは、嫌だったらしいから、逃げ切れそうになかったら助ける気だった。弟の方に、牢を壊されたくなかったからな」
嫌がる声を聞いて、弟のエンが牢を破らん限りの力を込めていたから、やばいなと思ってはいたが、先にランが動いたのでそれはなかった。
「? なかったの? 奥の二つの牢、おかしな壊れ方してたけど?」
「なかったことにした。二郎さまの恥ずかしい姿と共に、封印することにしたらしい」
ラン本人から経緯は聞いていたらしい子供は、意地悪な顔で首をかしげて見せるが、男はさらりと流した。
「で? 何で、わざわざ、そんな格好してまでやって来た? 今はやめろと言伝したよな?」
「あなたが、捕まっていないと確かめたと言う子が、まだ戻っていないのよ」
目を剝いた男の前で、子供は少し考えた。
「というか、戻っても、あのままというわけには、いかなさそうなのよね」
「あのままって、別に、逃げ回りすぎて迷っているだけかもしれないのに、こちらにぶつけられても困る」
「だって、逃げることになったのも、あなたの主の雇い主のせいなのよ? ここにぶつけないで、何処にぶつけるのよ」
言い方に何かが引っかかったが、男は今降りかかってきそうな難を、振り払うのが先と断じ、きっぱりと言い切ると、子供は笑顔を浮かべながらもあっさりと返した。
その通りなので、思わず詰まってしまう。
「……ここに、捕まっていないのは、確かだ。今のお前もだがあの子、男女どちらだとして見ても、ワンさま二人には関係ない。捕まっていたら今頃、完全に壊されている」
「……相変わらず、本当にただ、見守っているだけなのね」
主には忠実だが、他の者には全く目も向けない。
主がそのことで気を病んでも慰めるだけで、その心情を汲むことはしない。
それを知っているはずなのに、最近忘れていた。
ランを飼い主としている猫が、それとかけ離れた動きを見せるせいだ。
子供は大きく溜息を吐いてから、静かに訊いた。
「そんな中で、セイちゃんを逃がしてくれたことは、有り難いと思うわ。でも、逆に不思議なのよ。主でもない子に、どうして手を出したの? 本当に、顔見知りなの? あの子がいた場所は、こことは程遠いのに」
最もな問いだ。
男は頭をかいてから、ちらりと離れの中に目を向けた。
窓の奥で、主が書を書く準備をしている。
いつもよりも楽し気に見え、先程の憂いは薄れているようだ。
内心安堵しながら、キィは静かに言った。
「チャンさまと初めて会ったのは数十年前だが、再会して主従の絆を結んだのは、ごく最近だ」
そして、その初対面が、遠い地への脱出の原因だった。
冬の間は、草木の幸に殆どありつけず、川で魚を捕まえて食すくらいしか、術はなかった。
その頃には、主を持つのを諦めた二人の兄弟を養ってはいたが、こちらは山の中の獣でも事足りる。
だから養いの二人は、この頃でも元気に雪の中を駆け回っていた。
キィの方は、息も絶え絶えだ。
爪先で川を漁って取れるような魚は、腹にもたまらない。
中に入り、しばしその中で岩のように動かずに待つしか、獲物にありつくすべがなかった。
浅瀬とは言え、流れが急な山中の川に、いつもは隠す姿で入り、じっと待っていた。
身も心も凍え始めた頃、冷たい水をものともせずに、悠々と泳ぐ魚の群れが、己の四つ足の間を泳ぎ始めた。
そっと、前足に力を籠め、大きな魚が目の前のやって来たのを見計らい、顔を水の中に突っこんだ。
無我夢中で、暴れる魚をくわえて顔を上げると、そこに人がいたのだ。
釣り道具を持ったその人間は、十代初めの若い男で、小綺麗な古着を纏っていた。
虎と見まごう大きさの獣と目が合い、男は当然ながら驚いている。
キィの口から、暴れていた魚が零れ落ちた。
追う心の余裕はない。
そのまま無言で踵を返し、ぽかんとして立ち尽くす男を残し、その場から逃げ出した。
「……山狩りの心配があったから、兄弟をせかしてこの地を離れ、辿り着いた先で死にかかった」
逃げることに必死になり過ぎて、乾いていない体のまま兄弟たちをせかしたのが、悪かった。
完全に、風邪にかかったのだ。
いや、風邪程度ならば、死にかかるはずはない。
空腹が一番の命取りだったのだと、当時もよく分かっていた。
悔いるばかりの生涯だったが、こういうものだろうと達観しながらも、その事を受け入れていたのだが、目を覚ましてしまった。
「……」
「……未熟な獣の頑丈さを、なめてたな」
「自分で認めないの。空しくならない?」
真顔で言う男に、子供が呆れている。
「起きただけではなく、うまそうな匂いでふらふらと外に出るほどだから、本当に感心する」
しぶといなと、自分でも呆れている。
だが、この動きがもう一つの出会いを生んだ。
春先の、人里離れた山の中の川の岩場で、小さな子供が火を熾して、取った魚を焼いていたのだ。
「……ちょっと待って。まさかそれがセイちゃん? あの子、うちに来たの八歳の時よ? 狼と別れたのは五歳頃だって……」
「ああ、その位だったな」
「何で、魚を釣って、火を熾して焼くまでできるのよっ」
「いや、それは違う」
思わず叫びになった子供をなだめながら、キィは間違いを正す。
「釣ったんじゃない。手づかみで捕まえたんだ」
「それも、おかしいでしょうがっ」
鋭く言い返した子供は、もう一つの疑いも突き付ける。
「あなた、また何年か眠り込んでいたのねっ?」
「何年かじゃない。何十年か……」
「それは、いいからっ。あなたは一体……」
「ああ、皆まで言うな。分かっている。そのせいでカスミのクソガキに見つけられて、お前にも心労をかけた。それも悪かったとは思っている」
本当に?
疑いのまなざしを向ける子供から目をそらし、キィはまた主の方へと目を向けた。
紙と硯を机に出して、何故か自分の対面に向けて、それを置き換えている。
何かの呪いか?
少し不思議に思いながらも、話を続けた。
「姿を偽る力も残っていなかったオレが近づくのを見ても、あの子は驚かなかった」
それどころか、ふらふらと近づく獣に気付き、首をかしげて生の魚を差し出したのだ。
「生の方が、いいんだろ?」
見ると、その子供の傍らで、自分の兄弟が大人しく小さくなって、一心不乱に魚を食らっていた。
眠っている間に、狩りを覚えて生き抜いた兄弟たちは、心なしか逞しくなっている。
気が抜けたままのキィは、無言のまま子供に頭を下げ、生の魚を口で受け取り、有り難く頂いた。
そうして人心地ついてから、ようやく気付いた。
その子が、初めの主の血の繋がらぬ弟の子供であることに。
「……何で、あの子が狼の子供として、あの夫婦の元にいたのかは知らないが、あの騒動があるまでは、幸せに暮らしていたから、人の姿でも仲良くなって、それとなく様子を見ていたんだ。束の間、だったが」
隠していたつもりだったが、大きな獣と自分が、同一の生き物だと分かってしまったんだろうなと、キィは苦笑してしまった。
獣の時は、言葉を交わしていなかったのだが、何故か言いたいことを読まれていたから、その辺りにも見知った男の血が出ていた。
「……うちのランちゃんの猫が、文句を言っておけと言ってるんだけど、何のことか分かる? 何でもあなたが、爪の出し方を教えたせいで、危うくあの子の目がくりぬかれるところだったんだって」
「何の事だ? そんなもの、教えてないぞ」
首をかしげて答えたが、思い出を手繰るとそう言えば、と思い当たることもあった。
「兄弟全員が、木で爪とぎしているところを、興味津々で見つめていたな、そう言えば」
肉球を押せば、爪が出るかもと呟いているのも、耳にしたことがあった。
「だがそれが、目をくりぬく話になるのは、分からんな。どういう経緯だ?」
「さあ。この件が収まったら、訊いてみるわ」
つい話の腰を折った子供はそう答え、すぐに話を戻すべく先を促した。
「……あの子が捕まって、火刑に処されるところを、銀髪のあれが助けるところまでは、見届けた。兄が黒い猫だから、とばっちりを恐れてすぐ、あの土地からも逃げたんで、その後は全く分からない」
再び逃げて落ち着いた先が、ここだった。
数十年越しに舞い戻ってしまった。
先に会った子供が、既に六十超えた老人となっているのを知り、あれから優に五十年経っていたと気づいた。
生き生きとしていた子供が、生気のかけらも感じられない老人へと成長していたのには驚いたが、その容姿にも驚いた。
「……あれじゃあ、満足に歩けもしないでしょう。酷なことをしたわね。ここの主人の仕業?」
「先々代、らしい」
この国の女は、足が小さいのが好まれる。
だから、いいところに嫁に行くためと諭し、まだ年端もいかない女児の足指を縛り付け、それ以上大きくしないように固めてしまう施行が、ある程度の余裕がある家庭では、大昔からなされていた。
女が美を求める上で、この方法しかないと思い込むのは、国によっての事なので文句をつけるつもりはない。
だが、本来の大きさではない足で動くには人を頼るしかなく、また早く動けるわけではないから、有事の時は命とりだ。
子供は、この国の者ではないから分からないが、この国の女はある程度の覚悟はしているのかもしれないとも思う。
これはこの国だけではないのだが、男に比べて女の方は軽んじられているからだ。
だが、覚悟してなどはいなかっただろう離れの老人を思うと、今まで目も耳もふさいできたこの風習に、物申したくなってくる。
「オレがあの人に見つかった頃、あの人の家が離散したらしい」
チャン家の大黒柱が、殺人の罪で捕まり、そのまま刑に処された。
ひっそりと母親とその地を離れたが、母が何処かの後妻にと望まれ、すぐに厄介者となってしまった。
子供は一人この地に連れ戻され、この邸の主に差し出された。
「その時に、あの足の施行を、施されたらしい」
施されたと言うより単に、足の肉と指を削いで、小さくしただけだ。
「両足、全ての指と、踵の肉も大きく落とされてる」
子供とは言え、成長期真っ只中だったチャンは、元々武官を目指して道場と勉強に励む若者だった。
抗ったようだったが、多数の大人に押さえつけられて成すすべもなく、この施行を受けることとなった。
それ以降逃げることも、尊厳を守ることも出来ず、キィと再会したころにはすっかり何もかもを諦めていた。
ワン家の先々代に見初められて妾もどきに姿を変えられ、散々な目に遭っていたが、最近ようやく、離れへと追いやられたところだ。
逃げとして始めた写生と本の複写が、今でも一番気休めになっているようで、時々自分たち兄弟の食糧のために、それらを売りに出す。
「……後は、静かに療養しながら往生してくれればと思っている」
それを邪魔されたくない。
「これ以上の修羅など、あの人にはいらない」
「でも、このままじゃあ、さっきみたいに時々は気を病むことがあるでしょう? ならば、ワン家はなくなった方が、良くない?」
「おい」
真剣に言った男の言葉に首を傾げて、子供がそう言うので、ついつい剣を帯びた声を返してしまった。
「なくなること自体が、憂いの元だ」
「そうかしら? 正しくは、この家の連中が巻き起こす数々の不徳が、あの御仁の憂いをもたらすんじゃないの? なら、ない方がいいじゃない」
気を張り詰めた男に、子供は笑いながら言い切った。
「それにここまでされて、何もせずここを去るのは、正直ごめんだわ」
「ロン」
「だけど、あなたの主さんは、助けてもいいと思ってるのよ」
含みを持たせた言葉を乗せ、子供の姿をしたロンは笑って見せた。
「勿論、このまま何もせず助ける、ってわけじゃないけど」
「……」
「セイちゃんは、ここにいるわ」
きっぱりと言い切った。
キィが目を剝く。
「そんなはずがない。念のために、ラン達を送り出してからも、くまなく探してみたが、いなかった」
「そう。探しでくれたのはありがたいけど、嘘は言っていないわ。確かにここにいる。でも、連れ帰る法が見つからなくて、困っているのよ」
「? 何を言っているんだ?」
「だからね、どうすればあたしたちの元に戻ってこれるのか、試してみたいのよ。その一つをあなたに頼みたいわ」
謎かけのような言い分だった。
戸惑った男は、それでも言いたいことを言い切る。
「何を言っているのかは知らんが、兎に角、もう一度探せばいいのか?」
「鼠一匹逃がさないつもりで、真剣に探しなさいね。……明朝まで、待ってあげる」
それまでは、矛先がこちらに向くのは止められないが、動かぬようにとどめておくと、ロンは約束した。
「もし、セイちゃんが無事、あたしたちの元に戻れたら、あなたの主が往生するまで、平穏に暮らせる場所を貸してあげるわ。辺鄙な場所だけど、戦も気にしなくていいし、あなたたちと一緒ならば、どうとでもなるでしょ?」
見つけられたら、という望みが叶った時の報酬を口にし、それから子供は小さく笑った。
逆に見つからなければ、主もろともワン家は滅びる。
「……」
どちらにしても、ワン家の今後は滅びの一途だと暗に言われていたが、キィは全く気にならなかった。
小さく笑い、答えた。
「お前オレが、大人しく言う事を聞くと、本気で思っているか?」
「いいえ。だから、逃げられないことも、教えてあげるわ。既に、ランちゃんとも繋ぎは取ってる。あたしたちは、昼間に動く群れだから、日が暮れる今は押し入ることはないけど、見張りはいるわよ。夜目が利き、匂いを辿れるのは、牢の中にいる子だけじゃないし、追跡に長けた異形も、別にいるわ。これから主様と逃げても、果たして逃げ切れるかしら?」
勿論、逃げ切れず捕まった時は即、命を絶たれる。
キィは、苦い顔で舌打ちをした。
「……分かった。探せばいいんだな?」
「それだけじゃないわ。ちゃんと見つけて、あたしたちの前に連れて来て、明朝までに。それ以上は、待てない。お昼までにここを終わらせたいから」
怒鳴りたい気持ちを押し殺して答えた男に、子供はやんわりと返した。
意地の悪い言い分に、思わず子供を睨む。
が、子供の方は、微笑んで見返しただけだ。
殴りかかっても仕方がないような言い分だが、男は拳を握っているだけだった。
その理由を知る子供は、微笑んだまま止めを刺した。
「早くしないと、日なんかすぐに明けるわよ。往生させたいんでしょ、今度こそ?」
頭に血が上って、返事すらまともにできない。
だから黙ったまま、踵を返した。
日が傾き、そろそろ完全に落ちる。
急かしはしたが、本当にすぐに動き始めた男に、ロンは困ったように首を傾げた。
「……これは、期待できないわね」
溜息を吐いてから、離れの中で机に向かうチャンを伺う。
向かい合っている面に置かれた紙に、いつの間にか文字が書かれていて、老人が目を輝かせて喜んでいた。
「……」
「……どうするんだ。あれじゃあ、なすすべが思い当たらん」
同じようにこっそりと、その様子を伺い見、途方に暮れた声を出したのは、先程まで傍で息をひそめていた黒猫だった。
離れの中で、頭と尾に柄を持つ猫と身を寄せ、毛を逆立てている黒猫より毛の長い黒猫は、自分と同じ獣がここまで集っていることにも、戸惑っている様子だったが、それより強い戸惑いの元は、別にあった。
「キィちゃんでは、無理そうね。あたしやあなたでも無理。一体、どうしてああなったのやら」
「こんなこと、起こるものなのか? 聞いたことがない」
「あたしもよ。でも、色々と試してみるしか、手はないじゃない。ランちゃんの所に戻って、明朝まで、その手の文献を漁ってみるよう、頼んできて。明日、日が昇ったら、落ち合いましょうって」
返事の代わりに大きく頷いて去った猫の獣を見送り、子供は再び離れの中を覗き込んだ。
やれることはやった。
後は、期待は薄いがキィの動きと、ランの文献漁りで何かが分かることを、祈るしかない。
「これが駄目なら、本当に行き当たりばったりで試すしかないのよね」
一番手っ取り早い方法もあるが、それも明日までお預けだ。
つまり、本当に自分がやるべきことは、牢に戻って休むくらいしかない。
どうやら、それをするに当たっての、面倒な邪魔はキィが除けてくれたようだから、今夜は久しぶりに集まった仲間たちと、ゆっくりのんびり話して過ごそう。
酒があればいいのだが、なんせ場所が場所だ。
今迄の話を肴に、盛り上がるだけで我慢しようと思うのだった。
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