第4話

セイと落ち合う隠れ家の前で、鳴り子が仕掛けられていると気づいた時には、遅かった。

 身構える間もなく、体中を衝撃が襲い、一気に意識が飛んだ。

 目を覚ました時には、何処にいるのか分からず、ただぼうっとして横たわっていたのだが、近くで焦ったエンの声が、自分を呼んだ。

「ランっ、目を覚ましてくださいっ」

 近くと言っても、何かに阻まれているのか、壁の向こうから呼ばれているかのように、声は遠い。

 体がずっしりと重く、妙に熱いのが煩わしいと感じ、ようやく目を開いたその前に、見知らぬ男がいた。

 いや、今思い出せば、先に会った顔だ。

 だが、その時は思い出す間もなかった。

 気絶していたランの体を抱きすくめ、荒い息で事に及ぼうとしていることに気付いて、そんなことに思いを向ける間がなかったのだ。

「ひ、い……」

 自分は、どちらかというと男寄りの女だ。

 なのに、この事態についつい、女のような悲鳴が口から洩れてしまった。

「や、やめ……」

 全身が、鳥になる。

 そんな言い方をしたのは、誰だっただろうか。

 まさにそんな事態が、ランの身に起こっていた。

 そんな女の姿に気をよくし、上にのしかかる男は更に体をまさぐって来たが、そこまでだった。

 ランの忍耐が、切れた。

「やめろと、言ってんだろうがっっ」

 腹の底から声を張り上げ、同時に手足を突き上げた。

 唐突の動きに驚く間を与えず、少し身を離した男を、全力で殺しにかかる。

 顔かたちを変える勢いで拳をたたき込み、舌打ちした。

 今日は守り刀すら持っていないから、素手でやるしかない。

「こんな汚らしい男、これ以上生で触りたくないな。エン、何処かに、槍ないか?」

「……多分、何処かにあると思いますが、いいんですか? 破って捜しても?」

「ん?」

 矢張り、壁越しのものに聞こえるその声に振り返ると、ランは牢の中にいた。

 その向かいの牢の格子の隙間から、エンが戸惑った顔でこちらを見ていた。

 そんな弟の様子を見て、再び今の一撃で気絶した男を見下ろす。

 ワンと言う、昨日のあの男だ。

 気持ち悪いの一言しか、思い浮かばなかった。

 乱れた衣服を素早く正しながら震える姉に、エンは呼びかけた。

「ラン、大丈夫ですか? 嫌なことは、されていませんかっ?」

「エン……すまない」

「?」

 唐突に、謝罪の言葉が出た。

 さらに戸惑うエンに、その場に座り込んだ姉は本音を告げた。

「男女だろうが男同士女同士だろうが、やる事やったら気持ちよくなるんだから、気にすることないと、そう思って、お前があの爺の手に落ちるのを、笑って見ていた」

「……え。そうだったんですか」

 僅かに顔を顰めた弟に、姉はどこまでも神妙な気持ちになっていた。

「すまない。とんだ間違いだった。これは、気持ち悪い以外の、何者でもない。好きでもない奴に、こんな無体をされたら、耐えられない。本当に、悪いことをした」

「無体、されてしまったんですかっっ」

 エンが言いざまに握りしめた木でできた太い格子が、音を立てて握りつぶされた。

 その隙間から飛び出て、向かいの牢のカギを壊すと、弟は姉の傍に駆け寄った。

 ランは、柄にもなく震えていたが、それは怒りからだ。

 顔を歪ませる弟を、いつになく真剣に見据える。

「これからは、お前が、あんな無体をされるのは、許さない。オレが、必ず守るから。あの爺がまた迫ってきたら、すぐに言え。根元から切り取って、猫の獣に食わせてやる」

 真顔で言い切った姉に、弟も真顔で返した。

「落ち着いてください。ジャックが孫の前でまで、そう言う気になるのなら、オレも容赦しません。迫った途端に根元からむしり取って、生で本人に食わせます」

 姉弟の覚悟が決まり、頷き合っていると、何処からか深い溜息が聞こえた。

 身構える二人が辺りを見回すが、気絶している男以外、人一人見当たらない。

「……その人が、人払いはしていたから、誰もいない。今、見張りは眠らせた」

 声だけがそう告げ、続けた。

「何で、昨夜の内にあの子と逃げなかったんだ? ここには、道士の姿を得た、成獣の猫が仕えているから、早々に逃げて欲しくて、木の上に置いておいたのに」

 その言葉に、もしやと牢の外に目を凝らすと、そこに小さな猫を見つけた。

 いや、この辺りの猫にしては大きい、赤みがかった黄金色の毛並みの猫だ。

「……キィ? お前、生きてたのかっ」

「残念ながら」

 勢いよく格子に飛びついたランと裏腹に、猫は短く答えた。

 そして短く言う。

「早く、出て行ってくれ。ここからも、この地からも。オレの主は、ここに住まっていると言えば、少しは察してくれるよな?」

 一線置いた様子に言葉を詰まらせたランに、猫は言い切った。

「誰かの手にかかった主を食らうのは、ご免なんだ」

「……あの子は、逃げたのか?」

 そう確かめるランと、初めて見るオキ以外の猫の獣に驚くエンの前で、キィと呼ばれた猫は答える。

「置いてきた木とその山にも、お前たちが捕まったところにも、ついでにこの邸内にもいないのを、さっき確かめてきた。どこに逃げたのかは知らないが、捕まってはいない」

「分かった。お前の主は、高齢か? なら、折り返してきたときには、もうお前とはかかわりないよな?」

「ああ。主が仕える旦那も高齢なんだ。戦が本格的になる前には、往生してくれると思う」

 言い切った猫をしみじみと見たランは、気の抜けた笑みを浮かべた。

「やっと、お前も成獣になれるのか。長かったな」

「……」

「……」

 無言で見返すキィを見つめ、暫く黙った女は、気を取り直して倒した男を一瞥し、弟に声をかけた。

「逃げるぞ。まずは、隠れ家に役人が張り付いていることを、知らせておかないと」

「は、はい」

 すぐに牢を出た二人を目で追いながら、猫が前足を上げた。

「向こうの裏門から出れば、お前が昨日騒がせた露店が並ぶ通りだ。早くいけ」

「ああ、達者でな」

 姉弟はこうして無事、戻ってこれたのだった。


「……」

 だが、喜ぶ間はなかった。

 戻った先で会えると思っていた子供はおらず、リュウ家の面々も、そこに集い始めていた者たちも、ラン達と一緒だと思っていたと言い、更に混乱してしまった。

 気安い間柄だった獣の騙されたことの衝撃で、ランは震えていた。

 エンも、姉が信じているならと疑いもしなかった自分自身を責めて、悔いている。

 捕まって逃げてくるまでの経緯を黙って聞いていたロンも、机の上に置かれた巻物を見下ろしたまま、未だ無言だった。

 今の話で、恐ろしい覚悟や話も混じっていたのだが、その話の中の人物ですら、それに言及する暇がない。

「……どこに、行ってしまったんじゃろう」

 ぽつりと、ジャックが呟いた。

 腕まくりして作った料理も、今はむなしい。

「あの子本人が、黙ってどこかに行くはずがない。だから、連れ去られたと見た方がいいんだろうが……」

 考え考え言葉を紡ぐのは、マリアの隣に立つ東洋系の男だ。

 目立つ顔立ちでも容姿でもないのに、妙に目を引く男で、マリアの実の父親でもある。

 十代の娘の父にしては年を重ねたその男は、白くなった頭をかきながら小さく唸った。

「しかし、うむ。ランが女みたく嫌がる様か……ぜひっ」

 見たかった、そう言いかけた父を、容赦なくマリアは黙らせた。

「兎に角っ、その役所を含めた心当たりを、調べるしかないよねっ」

 心境としては、こんな時に何で己の欲に呑まれているんだと言いたいが、娘はありったけの文句を動きに変え、父親の鳩尾に肘を沈めた。

 声もなく蹲った男の傍で、一部始終を見ていたジュラが、苦笑して頷く。

「一応、そこら中探してはいるんだが、そろそろ、役所の中にも探りを入れるか」

「でも、どうやって? 私たちの子たちじゃあ、件の道士の目を掻い潜れないかもしれないわ」

「オキちゃんに、行かせるわ」

 ジュリの不安に、ロンが短く答えた。

 まだ、巻物の中の絵を見下ろしたままだ。

「……この猫が、道士の正体を成獣の猫の獣だと言ったのならば、間違いないでしょう。だったら、オキちゃんなら、その目を掻い潜れるわ」

「キィが、嘘をついているってことは、考えられないのか?」

 低いランの声の問いに、ロンは小さく笑った。

「そんな、すぐにばれる嘘はつかないわ。でもそうね、折角だから、あたしが直に会って訊いてみようかしら」

 そんな二人の様子に首を傾げ、痛めた肘をさすりながら、マリアが尋ねた。

「その絵と、ラン達が会った猫、同じなの?」

「ええ。お魚しか食べられないから、そこを見つけられたのね。そんな隙を見せるほど、それまで我慢していたんでしょうし、相変わらずよね」

 そんな懐かしむ様子にジュリも首を傾げ、気になっていた事を尋ねる。

「ロンが、嫌がらない獣は、珍しいわ。もしかして、あなたと仲がいいの?」

「……」

「……ちょっと訳ありなんだ。いつまでたっても、成獣になれずにいる、でもそれを気にせずに放浪している、変わった猫の獣だ」

 自分の思いに浸っているロンの代わりに、ランが短く答えると、今度はその足元に座るオキが首を傾げた。

「主を持っても、姿を取らないという事か?」

「ああ」

 少し考えるそぶりをした黒猫が、机に飛び乗った。

 ロンが見つめる、巻物の中の絵を見下ろす。

「……セイが見ていた絵だよな? 買ったのか?」

「ああ。気にするのは珍しいと思ってな。絵面も珍しいだろ?」

 答えたエンは、昨日の事を思い出して、天井を仰いだ。

「あれ、そう言えば、あの子も一目で、その獣が猫だと、言い切ってました。もしかして、知り合いだったんでしょうか」

「という事はつまり、この猫が教えたのか。猫の爪が、肉球を押せば出てくると? 余計なことをっ」

「? 何のことだ?」

 思い出した子供の様子を口にすると、何故か憮然としたオキが吐き捨て、ランが苦笑してしまった。

 そういう場合ではないのだが、一つだけ心配は消えた気がした。

「……セイとキィが知り合いならば、あいつはあの子に、悪いようにはしないだろう。だから、木のてっぺんにおいて、役人の目から逃れさせて、それ以降会っていないと言う言葉は、信じてみてもいい」

「木のてっぺんというのが、一番曲者なんですが」

「お前にとってはな」

 自力で降りていたようだから、少なくともエンほど、慄かなかったのだろう。

「不思議なのは、その後ね。どこに消えて、今どうしているのか」

「神隠し、かしら? それだと、今後何処に姿を見せるか、分からないわ」

 神隠しにあったのならば、自分たちにはお手上げだ。

 あくまでも、本当にそうならば。

「……件の道士。怪しいわね。キィちゃんも世間知はすごいけど、上には上がいるものだわ。もしかしたら、知らぬ間にセイちゃんを捕まえて、何処かに隠しているかもしれない」

 あの猫が嘘をついていると思うより、そちらの方があり得る。

「もしそうなら、申し訳ないけど、すぐにこの地を去るのは、無理ね。それ相応の罰を、与えないと」

 連れ去られて、何をされているか分からない弟分を思い、いつもの冷静さを戻せない姉弟に代わり、ロンが言った。

「隠れ家に罠を張られている事を、逆手に取りましょ。下準備も出来て、丁度いいわ」

 かつてこの群れを作り上げ、まとめ上げていた初代頭の、鶴の一声だ。

 誰も否はなかった。


 穏やかな昼下がりは、すぐに終わりを告げた。

 家事に走り回っていた男が、ようやく傍に戻って来たのを見計らい、男の兄弟たちと戯れていた主が言ったのだ。

「一時静かになったが、また捕まったようだな」

「へ?」

「隠れ家を張っていた役人が、大勢捕まえて戻ってきたようだ」

 言い方が曖昧なのは、主が長く外に一人で出ることができない体だからだ。

 周りの変化を敏感に感じ取り、細身の主は邸や己の旦那の今の処遇を察していた。

「隠れ家って、昨日から見張っているあそこ、ですか?」

「ああ。捕まった者たちは全員、狩りの途中迷い込んだんだと言い張っているようだが、あの連中の事だ、聞き流しているようだな」

 どうやら、先程逃がした姉弟の事が、逆に意固地にさせているらしいと、主は苦笑した。

「そこまで多いのならばいつかのように、私もその者たちの前に引き出されて、見繕わされるだろう。その時はまた頼むぞ、キィ」

「それは、構いませんが……?」

 狩人がそこまで多かったかと、キィと呼ばれた男は首を傾げた。

 あの山は、人が入れない所が多く、様々なものが奇異な動きをする。

 異形も時々駆け回っているから、狩人も山菜取りもほとんど奥までは入ってこない。

 もしや、話を伝え聞いた他の地の者たちが、物見高く訪れているのかとも思うが、昨日の今日で話が遠くまで伝わるとも思えない。

 先に会った姉弟が、まだ群れを引かせ切っていない、というのもありえるが……。

 まあ、その場合は、諦めて貰うか。

 キィは残った家事をこなしながら、少し身を竦めた。

 今の主は現在、六十。

 十代の頃に家族が離散し、この邸に来た。

 当時から正直者の上に情が熱かったため、役所での罪人の処遇に心を痛めていたが、隠居した主人の子供たちのやりようには、痛めるを通り越して、達観しているように見える。

 その理由は、自分たち兄弟にもあるようなのだが、心を痛めて病まれるのも困るので、元気なのならどうでもいい。

 昔からの勘の鋭さを買われ、今でも悪人の見極めに駆り出される以外は、穏やかな日々を過ごしている。

「チャン。旦那様がお呼びだ。早急に参れ」

 そうこうしているうちに、ワン家に仕える道士が離れのここに顔を出し、そう声をかけた。

 チャンという姓を持つ主は、静かに頭を下げてから腰を浮かす。

 すかさず、キィと兄の二人で肩を貸し、寄り添いながら立ち上がった。

「……重くなっていないか? 最近、食べ過ぎているような気がするのだ」

「まだ、軽いくらいですよ」

 軽口を言い合いながら道士の後に続き、ワン家の今の主人の元へと向かった。

 途中、主が前を歩く道士の背を見やりながら、呟く。

「……恨みを多く買っているな。取り憑かれてないか?」

「さあ、そうだとしても、本望でしょう。認められて、重宝されるのですから」

「……そう、か?」

 己をないがしろにする道士すらも気遣う主に呆れつつ、キィが軽く答えると、チャンは小さく頷きつつも首を傾げた。

「まあ、そうなのかも、な?」

 道士の背を見つめていた主は、目を丸くしている。

 何かが取り憑いているらしい。

 何かは知らないが、自分やあの道士が見えないのは、珍しい。

「気づかれぬように憑いて、取り殺す気でしょうかね。意外にあいつ、強い道士じゃないようだ」

 折角、獣たちにとって厄介な姿を貰えたのに、そこまででもないのなら、自分で精進すればいいものをと小さく笑うキィを、チャンは不思議そうに見、すぐに前を見て歩き出した。

 その顔は少し、戸惑いの色がある。

「? 私は加齢で、目が少し悪くなったかもしれない。見極めもうまくできないやも知れないから、頼むぞ」

「は、はあ……?」

 自信なさげに告げられ、急にどうしたのかと首を傾げた時、前の道士が立ち止った。

 矢張り、牢の前の庭だった。

 砂利の敷き詰められた地面に、数人の罪人が平伏している。

 その前に、細身の男がいた。

 ワン家の長子だ。

 次子は、牢内で気絶しているのが見つかって、また部屋で寝込んでいると聞いていた。

 道士が率いる獣たちも、首の骨を折る酷い怪我で、一晩寝込んだと聞いた。

 逆にそんな体たらくだったからこそ、一人でも多くあの隠れ家に関する者たちは、誰であれ捕まえたいと思っているのだろう。

 縄をかけられた罪人には、童子も含まれていた。

「……」

 眉を寄せたチャンに構わず、ワンは冷ややかな目を罪人たちに向け、声をかけた。

「面を上げよ」

 おずおずと頭を上げた者たちを見て、キィは思わず声を出しそうになった。

「え……」

 チャンも目をこすって見直しており、戸惑っているのは分かったが、それを宥める間がなかった。

 ワンは、そんな様子の老人を冷ややかな目のままで見下ろし、無言で促してくる。

 顔を歪ませ、言いにくそうにチャンは答えた。

「……全員、盗賊の一味で、間違いありません」

「なっ……」

 道士がつい声を上げたが、ワンは小さく笑っただけだった。

「そうか。お前も、落ちたな」

 あざ笑われても、チャンは歯を食いしばり、顔を伏せるしかできない。

 いつもならば、罪人となった者を、無罪ならば助けようと縋るのだが、今日はそれもない。

 諦観してしまったからだと、ワンは考えているようだが、違う。

 ……本当の、本物だ。

 だから正直者のチャンは、苦しみながらも正直に答えるしかなかったのだ。

 あっさりと正体を知られた方は、驚きながらも暴れる様子はなく、全員が牢の方へと引っ立てていかれてしまった。

 それも異様なのだが、それも今では広まってしまった噂のせいで、助からないと諦めたせいだと思い、ワンはご満悦だ。

 ……絶対に、違う。

 キィは一人、頭を抱え込みたくなっていたが、まずはこの場から主を引き離すことにした。

「……あんた、血も涙もないのだな。あんな小さな子が混じっていたのに、慈悲の一つもかけられぬのか?」

 吐き捨てるような言葉を主の耳元で囁いた道士から、キィは無言でその身を引き離した。

 どの口が、という思いが強い。

 捕まえる罠を張っていたのはこの道士で、幼子が捕まったと知った時に、逃がすこともできたはずなのだ。

 それをせずにここまで引っ立ててきた上に、今までワンがチャンの見立てを正しく受けてこなかったのを知っている癖に、本当の事を言ったら言ったで、責めるとはどういう了見なのか。

 暗い気持ちのまま離れに戻ったチャンは、怒りを抑えるため無言になったキィに呼び掛けた。

「……あんな小さな子まで、盗みや殺しに関わらなければならぬほど、この地は落ちてしまったのだろうか。私の、見間違いではなかったのだろうか?」

 下男として働く男は、大きく首を振った。

「見間違いではありません。寧ろ、あの子が一番、あの中では曲者です」

「え」

「大人の癖に、ガキに化けて来やがりました」

「ん? 怒ってるのか? キィ?」

 目を見開くチャンの両端に、下男の兄弟二人がしがみ付く。

 二人の兄と姉が、いたずらや危ない事をしでかした時の、不穏な感じだ。

 道士への怒りから、別な誰かに怒りの矛先が向いたようだ。

「二人とも、主を暫く頼むぞ」

「? 出かけるのか? 気を付けてな」

 怒りの表情のまま踵を返すキィに戸惑いつつ、チャンは両脇に人の形の獣を張り付けたまま、その背を送り出した。


 見張りがいるから、大っぴらにはできないが、それぞれ牢に押し込まれた面々は、無言で近くにいた者と拳を合わせて、にやりと笑いあった。

「やったな」

「ああ、あのご老体、中々な目を持ってる。今のロンを悪人と断じるとは。流石だ」

 向かいの牢で腰を落ち着けた男が、そんな言葉に深く頷いた。

「いくらオレの傍にいるとはいえ、逆にそれがいい目に見えることが多いと言うのに、あのご老体は、全く動じなかった。あんな方がいたと言うのに、無罪の者ばかりが罪人として捕まって、その後世に出てこないと言うのは、おかしいですね」

「おかしかないわよ。要は、嫌がらせで見極めに引き出しているだけ、なんでしょ」

 今はかなり幼い声の、聞きなれた言葉遣いが答えた。

 二人は親子の山菜取りとして捕まったのだが、どちらかというと狩人とその可愛い子供、という風体だ。

 色白の大きな男は、見ようによっては美丈夫なのだが、目つきが鋭いために見惚れられるより先に、怯えられることの方が多い。

 そんな男の子供として寄り添っているのは、似たような色合いの愛らしい男児だった。

 濃い銀髪の男とは違い、癖の強い黒髪の男児は、一緒に捕まった面々が複雑そうな顔をするのに構わず、大きく伸びをした。

「さてと、この辺りの事を、調べて来ましょうか。今夜中に何かあるとは思えないけど、何かありそうならば、早急に他の子たちも呼ぶ手はずをしなくちゃね」

「その前に、セイがここにいるのかも、確かめないと。ここにいるのならば、早く助けて……」

 傍の男の弁に、牢や越しの者たちも頷くが、子供はやんわりと微笑んだ。

「そちらは、もう分かったわ」

「え?」

「でも、一筋縄ではいかなさそうだし、先に、こちらを収めてしまいましょ。そうじゃないと、さっきまで心配していたのが、馬鹿みたいに思えて、気が抜けそうなのよ」

「? ?」

 意味不明な言い分に、困惑する面々に笑いかけ、子供は牢の外の閂に手を伸ばした。

 隠し持っていた簪の先で器用に鍵を外すと静かに外に出て、元のように鍵を閉める。

「暫く、よろしくね」

「はい」

 子供が外に出るまでに、男は自分の上着を脱いで丸め、眠った子供を抱え込んでいるように見えるように、用意していた。

 頷く男に頷き返し、子供は足取り軽く牢屋の外へと歩き出した。

 見張りの目をうまくかいくぐり、まずは離れへと向かうことにした。


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