第二十六話 雷鳴

人生にはなぜ、時に耐え難い衝撃的な出来事が起こるのだろう。

それはまるで夏の夕立ちの雷のように、突然激しく、平穏な日常を打ち砕く。


7月の祝日、海の日。

今日はエミちゃんも僕も仕事が休みなので、朝から家でゆっくり過ごしていた。

昼食にはしめさばサンドと野菜たっぷりミネストローネを作ってくれて、まるでオシャレなカフェにいるような優雅な気分だった。


「わっ、雨降りそう。洗濯物入れとこうか」

昼過ぎ、にわかに黒い雲が立ち込め、辺りは一瞬にして真っ暗に。


ピカッ


「キャッ!?」


遠くで雷が鳴り、ゴロゴロとくすぶっている。


「やだー、雷怖い…」


僕も一緒に洗濯物をしまっていると、目の前で稲妻が光った。


ガラガラガラ


ドッカーーーン!


「キャーーー!!」

「どこかで落ちたかな??」


夏の嵐、雨雲の動きも早い。

空気を切り裂くような強烈な波動音、思わず耳をふさぐ。


ベランダの窓を閉め、鍵をかけリビングに戻ると、エミちゃんのスマホが鳴っていた。

「ヘルパーさんからだ。もしもし………えっ!?」

緊急の要件なんだろうか。電話はすぐに終わったが、エミちゃんの様子がおかしい。

「どうしたの…何かあった?」

「お母さんが…」

「えっ?」

「ヘルパーさんが来た時に、お風呂で溺れてたって…」

「そんな!?」

「中央病院に緊急搬送されたから、すぐ来てほしいって…」

それだけいうと、エミちゃんはショックのあまり放心状態で、へなへなとその場に座りこんだ。

「行こう!今すぐっ。タクシー呼ぶから!」

僕はアプリでタクシーをマンション前に呼び、呆然とするエミちゃんを抱え乗り込んだ。


まさかまさかまさか

先月ごあいさつしたばかりのエミちゃんのお母さんがなぜ…


精神疾患を患っていたこともあり、

嫌な予感がする。


まさか自分で自分の命を…?


いや、そんなわけない。

ただひとりの家族、大事なひとり娘を置いてそんなはずは…。



病院に着き救急の受付に尋ねると、治療室に案内された。

そこには…変わり果てた姿のエミちゃんのお母さんがいた。



うそだろ?


先月話したばっかりなのに。


恵三子をよろしく頼みますと、


あんなに一生懸命僕に伝えてくれたじゃないか。



「お母さん…」


エミちゃんはじっと母親の顔を見つめ、

手を握った。

青白く、冷たくなった手。

昨日の夜はまだ温かったんだろうか。


エミちゃんはお母さんの髪を、やさしく撫でていた。

言葉はなかったが、心の中で何か話しかけているのだろうか。



その姿を見ているのが辛かった。



お医者さんの話によると、体内からいつも飲んでいる精神安定剤の成分とともに、アルコールが検出されたという。

服薬後にお酒を飲み、ふらついた状態でお風呂場へ行き、倒れて大量の水が肺に入り、溺れてしまったという悲しい事故だろう、という話だった。


「めったにお酒なんて飲まない人なのに…」

お酒の力を借りようとするなんて、よほど寝付けなかったのだろうか。

眠れぬ夜、何を想い過ごしていたのか。

今となっては誰にもわからない。



僕は有休をとって、しばらくエミちゃんに付き添うことにした。

こんな時に、ひとりにしたくなかった。

翌日が仏滅だったため、急だがすぐ荼毘に付すことになった。

慌ただしく、通夜の準備をする。

つきあいのある親類や、親しい友人もいないらしい。

病院のすすめる家族葬を取り扱う業者に連絡し、運ばれた遺体は簡素な祭壇の前に安置された。


通夜にはお世話になったヘルパーさんや、民生委員の方なども駆けつけてくれた。

僕はエミちゃんの婚約者ですと伝えると、皆ほっとした様子だった。

そういう人がいるなら安心だ、と。


喪服に身を包むエミちゃんは、すごく大人びてみえる。

今どんな想いでいるんだろう。

彼女は、涙を流さなかった。

母親の死に目に立ち会ってから、一度も。


こらえているのか

それとも

気が張って泣けないのか


「少し休まないと身体がもたないよ。僕に寄っかかって」

祭壇の前、並べられたパイプ椅子に並んで座り、僕は彼女を抱き寄せた。


「優樹くん…」

「? なあに」

「わたしが、座敷わらしだった時とその前、ミエという女の子だった時の前世の記憶があることは、知ってるよね?」

「うん、そうだね…」

わらしちゃんは、自分は元々人間だったとか、そんなことも話していた。

「…それだけじゃないの。わたし、ミエより前に人間だったことも、おぼえてるの」

「!? そうなの?」


コクッ


彼女は静かにうなづいた。

「ミエという名で生きていた頃、村に残っていた伝承を聞いたの。ひどい飢饉で、口減らしのため幼子を川に沈めて殺したりもしてたという…。わたしはその時代にも生きてた記憶があった。物心つき、人並みに考え言葉も発する頃。冷たい川の水に沈められ、短い生涯を終えた。あれは、今日みたいに激しい雷が響く日だった。その時わたしを殺したのは実の母親で、その人の生まれ変わりが、今のお母さん」

「えっ!?」


………


あまりにスケールの大きい話に、僕は何の言葉を返すこともできなかった。

「ごめんね、急にこんなこと言われてもびっくりするよね」

「いや、そんなことは…」

話を聞いて、僕はハッとした。

エミちゃんのお母さんが教えてくれた、娘を殺してしまう夢の話。

あれは前世の記憶だったのか??


「わたしが座敷わらしから人間に生まれ変わる時、これから産まれようとしている魂に入る時ね。あれも誰でもよかったわけじゃなくて、子どもの魂は皆、どの魂カプセルに入るかちゃんと選んで生まれてくるんですって。それはこれから出会う親との前世での関わりや、今世でのカルマ解消のためにセレクトしてるんだって。導きの天使様がいてそう教えてくれた」

「ほー…」

なんだかすごい世界だ。

「前世でわたしを殺したお母さんは、今世でわたしに殺される番なんだけど、さすがに現代ではそう簡単に殺人とかありえないから、わたしがお母さんを捨てればこのカルマは解消されると思ってた。なのにまさか!? こんなことになるなんて…!こんな最期を迎えさせるくらいなら、目を離さないで側にいたほうがよかった…!」


ワァーァァァ…


関を切ったように、顔を覆うとエミちゃんは泣き出した。

そうか、前世の記憶があるっていうのも、辛いものたんだね。

しかもエミちゃんは、ひとつ前の前世だけでなく、それよりも前の辛い記憶もあったなんて。


前世で自分を殺した母親のもとに再び子どもとして産まれることを選んだことに、一体どんな意味があるんだろう。


「川で殺された時も、結核で早逝した時も、もっともっと生きたいって思った。だから人間じゃなく、寿命のない座敷わらしという子どもの妖怪に生まれ変わったのかもしれない。もちろん、優樹くんのご先祖様様たちが大事に供養し祀ってくれたおかげでもあるんだけど…。だけどね、座敷わらしになってから気づいたことは、愛する人達が老いて死んでいくのを子どものままひとりで見送り続けるのが悲しかった。そして、大人になれないことも悲しかった。だから、今がわたし一番幸せかもしれない。一歩一歩大人に近づいてるし、大切な人を見送るのも、ひとりじゃないから。愛する優樹くんが、側で支えてくれるから。ちゃんと見送れる」


大粒の涙を浮かべながら、僕を見上げてくれるエミちゃん。

大丈夫だよ、僕はここにいるよ。


「お母さん…無意識下に眠っていた罪の意識から開放され、生まれ変わって幸せになってほしいね」

「…うん」


前世でわが子を殺めてしまった母。

その子の魂をもった子が再び手元にやってきた現代。

それはきっと、前世では見られなかった愛する娘の成長する姿を、その目にやきつけるためだと思うよ。

そして飢饉や飢えもなく、家族で幸せに暮らした時間は、きっと来世に受け継がれるはずだ。





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