第二話 白昼夢
トンネルを抜けると、そこは雪国だった。
国語の授業で習った一文、川端康成の『雪国』だっけ。
その光景を彷彿とさせる風景が目の前に広がった。
鳥取と岡山を結ぶ米子自動車道にある摺鉢山トンネル。
長い長い闇を走る高速バス。
まるで今の自分の心の中のようだ。
信じていた人に裏切られた悲しみ。
騙されたことに対する怒り。
これ以上ない人間の負の感情が渦巻いている。
こんな気持ちを抱えたまま、僕はあと一年あの学校で過ごさなくてはならないのか。
元カノと会った時どんな顔をしていいのか。
きっと会うたびにクリスマスイブの夜のことを思い出す。
親友と思っていた男と抱き合い、快感に溺れあえぐ声を出すあの姿を。
そして、アイツを目の前にしたらぶん殴ってしまいそうだ。
中学から一緒で、何でも話せる心許せる友達だと思ってたのに。
モヤモヤした気持ちでウトウトと目を閉じていると、
急に眩しい光を感じた。
トンネルの先は、驚くほど真っ白な雪景色、白銀の世界だった。
わぁ…
一瞬、言葉を失った。
一番前の座席ということもあり、目の前のフロントガラスいっぱいに映る白い雪。
雪の壁の間をバスは走っていく。
昨日までは大雪だったらしいが、今日は雪がやみ太陽が出ている。
光に照らされ反射した雪がこんなに眩しいなんて。
落ちこんでいた僕の心の闇を溶かすような、神聖な光。
鳥取の名峰、大山(だいせん)
別名伯耆富士(ほうきふじ)と呼ばれる美しい山。
鳥取県のエリアに入り大山が見えると、ふるさとに帰ってきた気持ちになり、ほっとする。
冬の冠雪した山は尚更きれいだ。
小学校に入る前まで、僕は鳥取に住んでいた。
当時は会社勤めだったお父さんの転勤で引っ越したが、それまではお母さんの実家近くに家族で暮らしていた。
両親共働きだったので僕は母方の祖父母宅に日々預けられ、自然に囲まれて自由に過ごしていた。
疑うことを知らないのんびりした性格はその頃に育まれたのだろうか。
僕はきっと、都会向きの性格じゃない。
「おかえり、よく来たね」
母から連絡を受けたおばあちゃんが、江府インターのバス停までむかえに来てくれた。
車を運転してるのはおじいちゃん。無口でおとなしく明るいおばあちゃんとは対照的だが、ふたりとも優しい人だ。
「寒かったろ、今年は随分雪降っちょうけんね。帰って温いもん食べぇや」
昨晩遅く、急に明日からおばあちゃん家行ってくる、と言い出した僕を家族誰もが止めたりはしなかった。
様子がおかしい事を察して(うちの女系家族は妙に察しがいい)黙って許可してくれた。
「きっとアレよ、彼女に振られたんじゃない?イブに本命がいたとか。あの子優しいだけが取り柄の子だから、今どきの女の子からしたら物足りなかったんじゃない?」
ズキッ
お姉ちゃん…カン鋭い…。
「まぁぼんやりしてる子だから忘れ物も多いけど、頼まれたことはきちんとする子だからチキン買い忘れるって相当よね」
チクッ
お母さん…よっぽどチキン食べたかったんだね、ごめん。今度バケツサイズで買ってくるよ。
お風呂上がり台所横の廊下を通り抜けようとして、食器の後片付けをしながら話す母と姉の僕に対する講釈を立ち聞きすることとなる。
「でも心配よね。我が弟ながら優しすぎて、心がきれい過ぎて純粋で。これから先も恋愛だけじゃなく人間関係とかうまくやっていけるのかしら」
「そうね…まぁいろんな荒波に揉まれることになりそうだけども、最終的にそれはあの子自身で乗り越えなくてはならないことだから。私達家族にできることは、あの子が辛い時に支えて見守ることかしら。あの子田舎が好きだから、おばあちゃん家で冬休み中気持ちリセットできるといいわね」
ジーン…
僕の前では決して言わない本音、つい泣きそうになる。ありがとう、不甲斐ない僕をそんなふうに温かく見守ってくれて。
「さぁ着いたよ」
雪道なのでゆっくりと時間をかけ、30分程でおばあちゃん家に到着。
根雨(ねう)という、山深い地域にある古い大きな一軒家。まるで時間が停まったような、純日本的な家屋。敷地にはなんと蔵まである。
「なつかしい…全然変わってないね」
「そうねぇ、優樹もじっくり帰るのは10年ぶりくらいだが」
「小学生の時は盆か正月にはちょいちょい来とったけど、中学入ってからは部活とか勉強いそがしくなって全く来とらんかったもんね」
「お父さんも脱サラしてお店始めて、繁盛してるみたいだがね。よかったが」
「おかげさまで。長年の夢を家族総出で応援して、今やフランチャイズチェーン店まで持つ定食屋だもんね」
この冬は特に雪が多いらしい。交通が止まらなかったのが幸いだ。こんな山の中、バスや列車も止まるほどの降雪なら自家用車も一般道は通れまい。
広い庭は手入れされた松の木も雪帽子を被り、どこに何があるかもわからない。
「かまくら作れそうだね」
「こんだけ降りゃ作れるよ、後でやってみ。さぁさぁ、長旅疲れたろ。昼ご飯にしようか」
ちらほら降っていた雪はやみ、雲間から姿をのぞかせた頭上の太陽はキラキラと白銀の世界を照らしてきた。
一瞬、眩しくて何も見えなくなる。
あのトンネルの出口のように、あたり一面白く光り、現実世界であって現実でないような。
夢を見ているような錯覚に陥る。
子どもの頃も同じような光景をここで見た気がする。
おかえり…
クスクス…どこからか笑い声が聞こえた気がした。
鈴の音のような、軽やかで高い子どものような声。
きっと近所の子が遊んでいる声が、雪の壁で反響してるのだろう。
僕は深く気に留めず、暖かい家の中へ入っていった。
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