第58話 不倫疑惑
その後の僕は、どこか全て上の空のまま。ウルリカのお子さんとお孫さんはそのまま工房に居ついて、三人できゃっきゃと研究している。
「すごいですわ、濃縮付与だなんて♪」
「ちょっと待って。これ全部集めたの?マジで?」
次女のリアさんにお孫さんのオーダさん。お二人とも学者肌だ。それもそのはず。
「オレク・オブロフスキーですって?!」
そう。人間の魔道学の祖といえば、この人って感じの
「
ウルリカが里を出た
でもだからって、ご主人がいるのに、仮婚約だなんて。
「そっ、そそっ…不倫ッ?!」
「じゃから!ほんに人間は頭が固いのう」
ウルリカはため息をついている。
「あらぁ♪種族を超えたラブ、
「じっちゃんも「良かったね」っつってたよ」
クララックで暮らす手前、僕らがずっと仮婚約のままだと都合が悪い。周りからは既に、「いつ結婚するの」って目で見られてるし、いつまでも仮のままだと、また別の縁談を持って来られそうだ。僕もウルリカも、クララックから移住しても構わないし、仮の結婚という形を結んでもいい。別に僕だって、ウルリカの他に気になる女の子がいるわけでもないし。しかしとりあえず、いずれにしろ里に一度顔を出さなければならないね、という話になった。
「これだけの研究、内密にするにしても、部分的に開示するにしても、里の知恵を借りたほうがいいですわ」
「じゃろうのう」
「なあ婆ちゃん。アレクシんとこの実家にも、顔を出さなくていいの?」
ああ、そっちもか。何だか全く実感が湧かないまま、周りだけが動いて行く感じだ。
「まあいずれにせよ、このブーツがあれば一っ飛びじゃ。お主らも一狩りして、作ってみればええじゃろ」
ウルリカの提案で、彼女らはしばらくクララックに留まり、秋津Maxを作ることにしたようだ。そして、エルフの里へ赴くのは、次の冬と決まった。
———秋にはもう3年目を迎えてしまうが、僕は彼女らにそれを告げられなかった。
彼女らはクララックでの生活を満喫していた。
「見てくださいアレクシ♪こちらのシャツ、防刃耐火耐氷の防汚不壊ですわよ♪」
リアがとんでもない衣類を量産している。彼女は裁縫が得意だが、人間の裁縫とは訳が違って、魔力糸にエンチャントを施してから織り上げて作る、衣類状の防具のことだ。普通ならケンカし合う属性や付与効果同士も、特殊な技法で聖句を織り交ぜることで、見事に調和させてしまう。
「こっち。牙と牙を合成して、追尾付けた」
オーダは、素材の持つ効能と聖句との関係を究める専門家だ。僕みたいに、ただ同じもの同士をくっつけてパワーアップするんじゃなくて、組み合わせで化学反応を起こすタイプの。組み合わせについては、ウルリカが何百年も蓄積してきたノウハウがあるんだけど、それらがどの聖句と同じ機能を発揮するかをまとめ上げ、魔道具と同じことを
更に、僕が作った魔道具に彼女の付与を組み合わせると、実質新しいスキルが出来てしまう。今回彼女が作ったのは、ホーミング機能付きの爆炎だ。これで、使用者の
彼女らと一緒に錬金術を楽しむことで、ウルリカも僕もとても刺激を受けている。一年前、初めて彼女に出会って、夢中で付与を試していた時みたいだ。ああ、楽しいな。こんな時間が、ずっと続けばいいのに。
ある日、ウルリカから久しぶりに、二人で狩りに出掛けないかと相談を受けた。後の二人も一緒にと思ったけど、二人は「おデート楽しんでいらして♪」と僕らを送り出した。ウルリカの目的地は、砂漠。僕は依然、この国の王都を中心に情報収集を行なっていて、あまり国外に出たことはない。ほんの一つ山脈を超えて、西側の隣国には砂漠があった。ハイモさん、こんなところを超えて行商に来てたんだ。僕の知る世界は、まだまだ狭い。
「これじゃ。満月の夜、砂漠にしか咲かぬ花。
砂漠の薔薇は、僕の知っている鉱物とも植物とも違った。月光が結晶した、希少な魔力鉱石。上空から見ると、キラキラとした鉱石が砂漠のあちこちで輝いて、まるで地上も星空のようだ。僕らはひときわ大きな輝きを目指して着陸した。ここは魔素が豊富な場所のようだ。薔薇という名前なのに、ハスの花のような大きな結晶を、そっと手で掬い上げる。
そこでウルリカは、僕にハッピーバースデーを歌った。去年の誕生日は、子爵邸で会食を設け、みんなと一緒にお祝いしてくれたんだけど。
「今年はこれから、忙しくなりそうじゃしな」
いつものように、ちょっとイタズラっぽい笑顔を向けた後、「さ、何をボサッとしておる!採集じゃ!」と砂の上を駆けて行ってしまった。
翌日、リアとオーダには、肘でつっ突かれて冷やかされた。だけど僕らが大量の砂漠の薔薇を持ち帰ったため、「本当に採集に行って来たんですの?!」と呆れられた。それから彼女らは、採集した鉱石で我先にと研究を始めた。僕はそれを見ながら、いつもの通り旅支度をして、工房を飛び立った。
ごめんよ、ウルリカ。もうすぐ9月が終わってしまう。僕のインベントリには、宝石質の魔石が眠ったまま。
「気を付けてな」
彼女の言葉を反芻しながら、僕はひたすら飛んだ。行く当てもなく、ただ世界の果てを目指して。
どのくらい飛んだろうか。眼下に街の明かりを見下ろしながら、下弦の月が海に反射して、もう一つの月みたいだな、なんて思ってたんだ。しかしその光が急に膨張し、世界を飲み込むように輝いたかと思うと———
王国歴358年、10月1日火曜日。世界はまた、巻き戻った。
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