第37話:巨星くたばる

「旦那様、十文字屋さんの御内儀と御子息が麻疹で亡くなったそうです。」


「そうか。」


太吉の報告によると十文字屋の主人の女房と息子が亡くなったという。女房を失うだけでなく待望の跡取りを同時に失った十文字屋の主人の悲しみは尋常ではなかったとの事である。最近になって麻疹による死者が増えてきている。麻疹を治す薬がなく民間療法を試す者もいた。中には太吉と同じように大根湯で治そうとした者がいたらしいが何の効果もなくそのまま亡くなった者もいた


「太吉、お前の大根湯は効き目があったようだな。他の者も試したようだが・・・・」


「はい、ウチの爺様が作った大根湯を舐めて貰っては困ります。」


「分かっておるわ。太吉や皆には感謝しておる。」


「ははっ、有り難き幸せ。」


「おいおい、ワシはもう武士ではないぞ、ははは。」


この時期の麻疹は男女問わず、身分問わず容赦なく襲い掛かった。そして時の将軍である徳川綱吉にも麻疹の毒牙が襲ったのである


「ううう。」


「上様、しっかりなさいませ!」


成人麻疹に苦しむ綱吉に柳沢美濃守吉保はひたすら励まし看病をし続けた。御殿医が「後は我等が」と休むよう勧めたが柳沢美濃守はそれらを無視して看病を続けた


「よ、よしやす・・・・」


「上様、某が傍におります、麻疹に負けてはなりませぬぞ。」


綱吉が麻疹に罹った事は西の丸にいる徳川家宣の耳にも入った。家宣は見舞いに赴こうとしたが間部詮房と新井白石によって待ったをかけられたのである


「詮房、白石、何故止める。」


「畏れ多くも殿は将軍家御世継ぎにございます。もし殿も麻疹に罹ってしまえば取り返しがつかなくなりまする。」


「しかし・・・・」


「殿にとっては御武運に恵まれましたぞ。」


白石の「御武運」という発言に家宣はハッとした。もし綱吉が麻疹で此の世を去れば将軍の座は自分のものになる。将軍家の世嗣ぎに選ばれたが未だに将軍の座に居続ける綱吉に家宣は内心、快く思っていなかったが、綱吉が麻疹に罹り見罷れば自分が将軍になるのである


「うむ、確かに軽率な行動は控えねばならぬな。」


「それでこそ殿にございます。」


「殿、今しばらくの辛抱にございます。」


「あぁ。」


綱吉の症状は一進一退、綱吉が将軍在留中に建立した寺社仏閣にも加持祈祷を行い、病平癒を祈った。それが効いたのか綱吉は徐々に快報へと向かっていった


「吉保、笹湯を用意せい。」


「さ、笹湯、まだ早すぎます!まだ医師から床上げの儀が・・・・」


「もう治ったわい!」


「し、しかし!」


「何度も言わせるな!さぁ、笹湯の準備をせい!」


「は、ははっ!」


笹湯とは江戸時代、疱瘡(後に麻疹にも使用)が治った後に米のとぎ汁と酒を混ぜた湯に笹の葉を使って浴びる儀式である。綱吉は周囲の諫言を無視して笹湯を断行したのである。病み上がりの状態で笹湯に浸かろうとする綱吉に家宣は嘲笑した


「医者からの諫言を無視して笹湯とは・・・・上様も正気ではいられなくなったな。」


「殿、これは好機やもしれません。」


「どういう事だ、詮房?」


「医者からの諫言を無視して笹湯をお遣わしになられました。麻疹に効く薬がなく、体内に未だ麻疹が潜んでいれば間違いなく振り返しまする。」


「なるほど。」


「殿、ここが御辛抱にございまする。」


「あぁ。」


笹湯の儀を終えた綱吉は粥を食べていた。正室の鷹司信子、館林藩主時代からの側室のお伝の方、京から迎えた側室である大典侍(おおすけ)と新典侍(しんすけ)が心配そうに見ていた


「上様、笹湯は早すぎませぬか?」


「心配するな、信子。ワシは不死身じゃ。」


「ですが上様は御年64にございます。」


「お伝よ、ワシを年寄り扱いするな。」


「上様、油断はなりません。麻疹は命定めと申します。しばらく御静養に努められませ。」


「将軍の代理は大納言殿にお任せを。」


「心配致すな大典侍、新典侍。ワシが健在である限り、将軍家は安泰じゃ。」


それを聞いた信子は耳を疑った。綱吉は死ぬまで将軍に居座し続けるその執念深さと権力欲に信子は内心、呆れていた


「う、こほ、こほ。」


すると信子が咳払いをし始めた。すると綱吉が「風邪か」と尋ねると信子は「申し訳ありませぬ」と返答をした


「信子、そちは下がって休め。」


「・・・・はい。」


「お前たちも下がって良い。」


「「「はい。」」」


信子たちは頭を下げた後、スッと立ち上がりそのまま退出した。退出した後、綱吉は粥を食おうとしたが突然、目眩がした


「うっ。」


「「上様!」」


側に控えていた小姓たちが駆け寄ると綱吉は「目眩しただけだ」と立ち上がろうとした瞬間、バタッと倒れた。小姓たちは「医者を」と慌てた様子で医者を呼び出した。その後、綱吉は再び床につくようになった。綱吉は側近の柳沢美濃守を呼び出した


「御呼びにございましょうか?」


「吉保、ちこう。」


「ははっ。」


柳沢美濃守が近付くと、綱吉はある事を告げた


「吉保、ワシはもうすぐ死ぬ。」


「な、何を仰られますか!」


「自分の体の事は自分がよう知っておる。笹湯は早すぎたな、ははは・・・・」


自分自身の軽率さを自嘲する綱吉に柳沢美濃守は止められなかった自分自身の無力さにうちひしがれていた。そんな柳沢美濃守を余所に綱吉は遺言を述べた


「良いか吉保、生類憐れみの令は100年先まで続けるよう家宣に伝えよ。」


「ははっ。」


「・・・・はぁ~、こうして話すだけでも疲れてきた。」


「上様・・・・」


「ワシは死にとうない、まだやり残した事がいっぱいあると申すに・・・・徳松が・・・・お鶴が生きておれば・・・・」


側室のお伝の方との間に儲けた鶴姫と徳松の事を思い出していた。本来であれば我が子が次の将軍家の世嗣ぎ、もしくは将軍の孫(男子)で世嗣ぎになっていたのに・・・・


「無情じゃ・・・・」


宝永6年1月10日、徳川綱吉は成人麻疹により64年の生涯を閉じたのである。綱吉死去の知らせは全国に轟き、千種の耳にも入った


「そうか、犬公方が・・・・」


千種は昔を思い出していた。かつては五十嵐十郎太達敏と名乗り、赤穂藩の御塩奉行(150石)として妻子と共に順風満帆の日々を送っていたが主君である浅野内匠頭が殿中にて吉良上野介を切りつけた事により、御家は断絶したのである。その赤穂藩を潰した張本人ともいえる人物が死んだのである


「彼の世で自分が作り上げた物が壊されるのを見ているがいいさ。」


千種は空を見上げながら、そう呟くのであった

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