第36話:麻疹

「ち、父上。」


「は、母上。」


「菊丸、千代、しっかりせよ!」


「母はここにいますよ!」


千種屋にて恐るべき事態が発生した。千種庄兵衛と登代の子供である菊丸と千代が麻疹に罹ってしまったのである。麻疹に罹った経緯はというと突然の出来事であった。菊丸と千代が部屋の中で倒れたのである。加代が倒れている2人を見つけた後、2人の額を触ると物凄い熱を発し、医者を呼び診察させた結果、麻疹である事が発覚したのである。菊丸と千代は高熱を出し、くしゃみ、咳、鼻水、発疹等の症状を表したのである


「旦那様、出来ました。」


太吉が持ってきたのは大根おろしと生姜おろしと溜まり(醤油)とお湯を混ぜて作った大根湯である。太吉が祖父から聞いた風邪を治療するための民間療法であった


「太吉、本当に聞くのか?」


「風邪には聞くって爺様が申しておりました。麻疹に聞くかどうかは分かりませんが、一か八か飲ませてみましょう。」


「うむ、試してみる他はない、登代。」


「はい!」


大根湯を人肌くらいに覚ました後、レンゲを使い、菊丸と千代に口に入れた。2人は大根湯を少しずつ口に含んだ


「「うぅ。」」


「菊丸、千代、負けるでないぞ。」


それからというもの菊丸と千代の症状は一進一退の状態が続いた。毎日、大根湯を飲ませているが果たして効いているのかどうかは分からずにいた。千種は我が子の無事を祈りつつ復興にも尽力していた。そんな夜の事、登代が突然、水垢離を始めたのである。加代が井戸から水を引き上げ、水を桶に入れた後、登代は迷わずに被り続けた。バシャと音がして千種が何事かと様子を見ると登代が水垢離をしているのを見かけ、待ったをかけた


「登代、何をしているんだ!そんな事をしたら風邪を引くぞ!」


「お前様、子供たちは生死の境を彷徨っているのです。風邪くらいどうという事はありませぬ!」


「しかし・・・・」


「旦那様、奥方様も私も神仏におすがりするしかありませぬ。どうかお見逃しのほどを。」


登代と加代は菊丸と千代を助けるべく神仏に祈り続けるしかないと千種の制止を無視して水垢離を続けようとしたが千種が待ったをかけた


「待て、ワシがやる。」


「お、お前様。」


「登代、子供たちの側にいてやってくれ。」


「は、はい!」


「加代、水を。」


「は、はい!」


千種は登代の代わりに水垢離を開始した。千種自身は神仏を信じなかったが、今回ばかりはそうもいっていられず、神仏に祈るしかなかった


「(神仏よ、もし本当にいるなら、どうか子供たちを助けてくれ!)」


千種は毎夜、水垢離を続けた。最早、自分の命を磨り減らしてでも子供たちを救いたいと気持ちだけが千種を動かしていたのである。千種だけではなく登代、太吉、加代も四天王寺にて、お百度参りを行った。全員が一丸となって菊丸と千代の病平癒を祈り続けたのである


「ち、父上。」


「母上。」


「菊丸、千代、麻疹に負けるでないぞ。」


「父も母も皆もいますよ。」


麻疹を発祥してから10日が罹った頃から、次第に快報へ向かっていった。千種たちはここからだと引き締めて看病と祈願を続けてから14日後に菊丸と千代は無事に生き延びたのである


「父上。」


「母上。」


「「菊丸、千代!」」


「良かった、良かったのう!」


「神仏が私たちの祈りを聞き入れてくださったのですよ!」


「「「「「おめでとうございます!」」」」」


菊丸と千代が麻疹に勝った事を千種たちは心の底から喜んだ。そんな千種たちとは別に菊丸と千代は「お腹、すいた」と呟いた


「おぉ、そうか。おい、誰か粥を!」


「は、はい!」


加代が2人分の粥を持ってくると菊丸と千代は食欲が復活したのか、はふはふしながら粥を食べていた。登代は「ゆっくりお食べ」と2人を諭した。その後、医者を呼び診察した結果、麻疹は完治しており麻疹の後遺症といったものが見受けられなかったため千種たちはホッとした。千種は菊丸と千代を連れて、四天王寺にお参りをし子供たちの病平癒を聞き届けてくれた救世観音像に感謝を述べた


「観音様、息子と娘の麻疹を治していただき、ありがとうございます。菊丸、千代、お前たちも御礼を言いなさい。」


「「ありがとうございました!」」


因みに千種屋は四天王寺の檀家になっている。理由は徳川幕府が定めた寺請制度【全ての人々がいずれかの寺院の「檀家」となることを強制させられ、寺院から「寺請証文」という身分証を受け取らなければならない制度】によって強制的に四天王寺の檀家となったのが現状である


「おや、千種屋さん。」


「これは住職様。」


そこへ現れたのは四天王寺の住職を勤める豊稔(ほうねん)という初老の僧侶であった。千種たちを見掛け挨拶をすると千種たちも挨拶を返すと豊稔が麻疹の事を聞いてきた


「先程、麻疹と聞きましたが?」


「はい、菊丸と千代が麻疹に罹りましたが無事に完治した事を観音菩薩様に感謝を述べに参りました。」


「おお、それはそれは、よくぞ御無事で。きっと観音菩薩様が千種屋さんの信心に答えたのでしょうな。」


信心と聞くと千種は作り笑いを浮かべた。神仏を信じなかった自分がまさか神仏に縋るとは思っていなかったのである。今にして思えば皮肉としかいいようがない。そう思いつつも千種は「それだと宜しいのですが」とはぐらかしたように答えた


「大坂もようやく活気を取り戻しつつあります。御仏は天災に負けずに懸命に働く御方に必ずや報います。」


「まぁ、これ以上、天災が起きない事を祈るしかありませんが・・・・」


「こればかりは天の御導き次第ですな。」


豊稔の言う通り、天災は天によって決まる事、自分達はそれを受け入れ、前へ進むしかない。千種たちは豊稔と別れをした後、真っ直ぐ千種屋へ帰る道中、早桶(はやおけ)を運ぶ集団を見掛けた


「父上、あれは何?」


「あぁ、誰かの葬儀であろうな。」


「浜屋さんのところの御孫さんの葬儀ですな。」


声のした方へ振り向くと、そこには近松門左衛門がいた


「これは近松さん。」


「「こんにちは。」」


「はい、こんにちは。」


「近松さん。先程、浜屋さんの御孫さんと聞きましたが?」


「はい、浜屋さんのところの御孫さんが麻疹に罹り、そのまま亡くなったそうですな。」


麻疹で亡くなったと聞いた千種はぞっとした。確か浜屋の孫は菊丸とそれほど歳が変わらなかったのである。もし一歩、間違えれば菊丸も千代も早桶に入れていた可能性があったのだ。そう思うと自分達は助かったのだと言わざるを得なかった。近松は菊丸と千代が麻疹に罹った事を知っており、ある忠告をした


「千種屋さんは天の御加護があります。くれぐれも天を恐れる事を忘れてはなりませぬぞ。」


「近松さん・・・・御忠告、感謝します。」


「お邪魔を致しましたな、それではまた。」


「えぇ、また。」


近松と別れた後、千種は葬儀の一団を見送った後、子供たちを連れて千種屋へ帰るのであった







【架空の人物】

豊稔「四天王寺の住職」


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