第35話:復興

「今後とも御贔屓に。」


千種庄兵衛等は早速、家屋の修理のために安値で木材を売り始めた。足りなくなった場合は木々を切り倒し、それを大工と協力して修理用の木材へと加工させ家屋の建て直しをしていた。大坂に住む庶民たちも幕府からの支援が来ない事を薄々察知し、自力で復興するしか道がないと悟り今日も働くのである


「千種屋さん、材木は出来上がりやした。」


「おお、ありがとう。これは代金と塩だ。」


千種は代金と共に塩を販売していた。塩は海水を煮詰めて作り、出来上がったものを売買していたのである


「千種屋さん、御無事でしたか!」


「近松さんも、よくぞ御無事で!」


噂を聞きつけた近松門左衛門が駆け付けてくれた。友人の再会に千種は近松の無事な姿に思わず目頭が熱くなってしまった


「千種屋さん、お店は再開なさったのですか?」


「ええ、いつまでも休んでいては店を畳まざるを得ませんからな。」


「そうですか。うちは地方で地道にやっておりますわ、明日が我が身ですからな。」


近松の近況を聞いた千種はつくづくそう思えてきた。神山から例の話を聞かなければ間違いなく千種屋は廃業し一家揃って路頭に迷っていたのは必定であったのだから・・・・


「そういえば最近になって麻疹(はしか)が流行っているそうですぞ。」


「おお、それは恐ろしい。」


「失礼ながら千種屋さんは麻疹に罹った事は?」


「私と登代、奉公人たちも麻疹を患いましたな。子供たちはまだ・・・・」


「それは危険ですな。麻疹は命定めと申されますからな、くれぐれも御注意のほどを。」


「御心遣い、感謝致します。」


江戸時代での麻疹は疱瘡(ほうそう)と並ぶ感染症であり、治す薬が存在せず、特に子供が麻疹に罹れば死傷率が5割を越えるほど危険なものであった。千種も幼少の頃に麻疹に罹った事から麻疹の危険性をよく知っていたのである


「(やはり此度の天災はただ事ではないな。菊丸と千代が麻疹に罹らない事を祈るしかあるまい。)」


千種は菊丸と千代が麻疹に罹らない事を祈りつつ、大坂の町の復興に尽力する一方で江戸城では2人の男女が言い争いをしていた


「上様。何卒、天下万民のために御隠居を!」


「何度言わせるな、ワシは隠居せぬ!」


1人は徳川綱吉、もう1人は綱吉の正室である鷹司信子である。綱吉が未だに隠居しない事に業を煮やした鷹司信子は真っ向から隠居するよう詰めよったのである


「天下万民は御隠居を切に願っております。どうか晩節をお汚しなる事はお避けくださいませ!」


「この慮外者めが、誰の指図で動いておる!まさか家宣が関わっているのではあるまいな!」


「誰の指図も受けておりませぬ、妾の一存にございます!」


「信子、己までもが!」


綱吉は信子に詰めよった途端、突然目前がした


「上様、如何なさいましたか!」


「す、少し目前が・・・・」


「誰か医師を!」


一方、徳川家宣陣営はというと家宣の正室である近衛煕子が家宣に側室の1人であるお須免の方が身籠った事を知らせた


「それは誠か!」


「はい、お須免殿が身籠りました。」


「うむ、目出度い。きっと家千代の生まれ変わりじゃ。」


「おめでとうございます。」


家千代とは側室の1人であるお古牟の方が産んだ男子であったが夭逝しており、お須免が身籠った事は吉兆であると家宣は確信したのである


「うむ。早速、須免を見舞ってやらねばな。」


家宣が須免の下へ向かうのを苦々しく見ていたのは家宣のもう1人の側室であるお喜世の方である


「先を越されたようじゃな。」


煕子にチクりと図星を突かれたお喜世の表情は真っ赤になり、黙りこくった。煕子は「はぁ~」と溜め息をついた後、ある事を尋ねた


「お喜世。そなた、また賂(まいない)を受け取ったそうじゃな。」


賂と聞いたお喜世は慌てふためき、必死に否定した


「な、何の事やら・・・・」


「ほぉ~、あくまでもシラを切ると?」


「ま、賂とはあまりの仰せ、一輪の睡蓮を受け取ったまでにございます!」


「睡蓮一輪でも受け取れば立派な賂だ。殿が賂を嫌っておる事はそなたも存じておろう。」


「は、はい。」


「お喜世、そなたは仮にも次期将軍の側妻じゃ。くれぐれも粗相はあってはならぬよう申しておく。」


そう言い残し、煕子は部屋を退出した。煕子がいなくなったのを確認した喜世は「はあ~」と溜め息をついた


「まるで姑だわ、重箱の隅を突いているみたいだわ。」


公家の娘である近衛煕子、お須免の方、お古牟の方とは違い、浅草の町医者の娘であるお喜世は是が非でも世継ぎを上げ、ゆくゆくは将軍にしようと野心を燃やしていた


「(ここまで登り詰めたからには絶対に我が子を将軍にしてみせる。)」


そんなお喜世が頼りにしていたのは間部詮房である。彼女を家宣の側室に推薦したのは他ならぬ詮房であり、何としても世継ぎをあげるために奮闘していたのである。今日も二の丸にて職務に励む詮房にお喜世が接近してきた


「詮房殿!」


「これは左京の局殿。」


「詮房殿、どうかお力をお貸しくだされ。」


「某は暇ではござらん、では御免。」


力を貸すよう頼むお喜世に対して、詮房はあくまで事務的な対応に徹したがお喜世は諦めなかった


「詮房殿、私を殿の側室に推薦したそなたじゃ。そなたにとっても大事な事じゃ!」


「お喜世殿、某はあくまで口添えをしただけであって、後ろ盾になったわけではござらん。」


「では私が遅れを取っても良いと仰るので?」


「某は殿の家臣であって、お喜世の家臣ではござらん。これにて御免。」


詮房はきっぱりと返答をした後、そのまま立ち去った。お喜世はというと益々、野心の炎をメラメラと燃やしていた


「(こうなれば否が応でも世継ぎを上げてみせる!)」


その後、お喜世は徳川家宣との間に鍋松(後の徳川家継)を出産。家宣の死後、我が子が将軍になり、将軍の母として権勢を振るったが大奥の風紀を著しく乱れ、江島生島事件を起こす事になるとは本人は知る由もなかった

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