第34話:将軍の天罰

宝永5年(1708年)になっても宝永地震と富士山の大噴火による影響は続いていた


「お前様、食事ができました。」


「ああ。」


千種庄兵衛等は宝永地震の後、千種屋にて外に漏れないように食料を節約し、外で魚を釣る等の慎ましい生活を送っていた。千種たち昼夜問わず警戒にあたり、未だ治まらぬ余震に怯えながら日々を過ごしていた


「父上、また地震。」


「ああ、まだ揺れてるな。」


「母上!」


「大丈夫ですよ。」


今でも続く大小の余震に菊丸と千代はすっかり怯えており、太吉や加代等の奉公人たちもいつになったら大坂の町は復興するのかと不安な日々を送っており、千種屋は開店休業状態であった


「旦那様、いつになったら大坂の町が復興するのでしょうか?」


「心配するな。大坂は天下の台所、御公儀が放置するわけがない。大坂から運ばれる物資が江戸に届かねば江戸も困るからな。」


「だといいのですが。」


一方、江戸はというと富士山の噴火で発生した火山灰が農作物に影響を与え、発育不良に陥っていた。更に火山灰は道路を塞ぎ、用水路にも影響を与え、江戸の人々の生活にも圧迫したのである。人々はこれらの天災を【将軍の天罰】と陰口を叩いていた。地震と津波と噴火による天災と自身を憎む世間の声に綱吉は頭を抱えていた


「吉保。」


「ははっ。」


「世間はワシを憎んでいるようじゃ。」


「何を仰いますか、そのような事は・・・・」


「隠さずとも良い。此度の天災は【将軍の天罰】だと陰口を叩かれておる。幕閣の中にもワシの失政に不満を抱くものも少なからずおる。」


「上様・・・・」


「だからといってワシは隠居せぬぞ。もし隠居すれば此度の天災を引き起こしたのはワシのせいになるからな。」


綱吉は頑として将軍の座を手放さそうとしなかった。宝永地震と宝永大噴火は自分のせいで起こった事を必死に否定した。そんな綱吉に柳沢美濃守は内心、呆れていた


「(上様は自身の都合の悪い事は認めたがらないからな。かといって直言をすればワシの立場も無くなってしまう。やはり貨幣の鋳造しかないな。)」


柳沢美濃守はある策を巡らしていた。それは貨幣の鋳造である。勘定奉行に任命された荻原近江守重秀に命じて貨幣の鋳造を行った。小判の金の含有率を下げ安物の金属を溶かして混ぜ、元禄小判を作り出目を稼ぐ策に出たのである。これによって500万両の増収を上げたが質の悪い悪弊が江戸市中に出回った事で貨幣価値が下落し物価が高騰したのはいうまでもなかった。これらの対応に激怒したのは徳川家宣の側近である新井白石である


「何と浅はかな策を弄したものだ。改鋳した小判の中に質の悪いものがある。それらが江戸市中に出回る事を理解しておらぬのか!」


「落ち着け、白石。御公儀とて藁にも縋る思いで貨幣の鋳造に乗り出したのだ。此度の天災は我等が思っているものよりも遥かに甚大な被害なのだ。」


「それは承知してございますが・・・・くっ、忌々しい!」


西の丸にて荻原近江守の行った失策に怒る新井白石を宥める徳川家宣は白石同様、出目を稼ぐ柳沢美濃守と荻原近江守の愚策に呆れていた。更に悪い事は続いた。宝永5年3月8日に京にて大規模な火災【宝永大火】が発生した。この火災は禁裏御所を含め、14000棟以上の家屋が焼失したのである。朝廷内にも将軍綱吉の失政は伝わっており、身分を問わずこぞって【将軍の天罰】だと囁かれていたのである


「右府(徳川綱吉)は未だに将軍の座にしがみついているようだな、左府(近衛家熙)よ。」


「左様にあらっしゃいます。」


時の帝である東山天皇は仮の御所にて左大臣である近衛家熙から庶民たちの徳川綱吉への不平と不満がある事を奉答した。朝廷内でも徳川家宣の将軍就任を切に願っており、未だに将軍の座にしがみつく綱吉を快く思っていなかった


「御上、徳川右府は大納言(徳川家宣)を世継ぎと定めましたが一向にその動きがありませぬ。この事で下々の者は此度の天災は【将軍の天罰】と右府への恨みが満ち溢れておりまする。」


「うむ、由々しき事だ。」


「御上、ここは一層の事、御上直々に御隠居を勧められて如何にございましょう。」


「左府よ、右府は果たして受け入れるかどうか分らぬぞ。」


「御上、万民のためと強くお勧めあそばせば徳川右府も従いまする。」


「・・・・左府よ。」


「ははっ。」


「もし、朕が勅許を出したとして徳川右府は大納言を誅するかもしれぬ。」


「御上、それは杞憂かと・・・・」


「左府よ、ここは様子見といこう。」


「・・・・ははっ。」








「生きていたか、千種屋。」


「神山様、よくぞ御無事で・・・・」


千種は偶然、道端で神山三郎重次と再会した。互いに無事を喜びつつ、千種は現段階での復興の状況を尋ねたが神山は渋い顔をした


「千種屋、御公儀はてんやわんやの状況だ。」


「と申されますと?」


「此度の大地震の他に富士山の噴火、京への火災があって復興が進んでおらぬ。」


「そ、それは誠で!」


「ああ。」


神山曰く、此度の地震の他に富士山の噴火、京での大火事によって復興が遅れていた。更に大名に金を借りる状態になるほど資金繰りに悪化しており、復興の兆しが見えない状態であった。千種はまさかそれほどの大事になっているとは知らず、愕然とするほどの衝撃を受けていた


「で、では大坂の町は・・・・」


「こればかりは自助努力するしかないな。」


神山は幕府をあてにせず、自力で復興するしかないと宣言され千種は先の見えぬ不安に襲われた


「千種屋、そなたは確か塩の他に材木の商いをしているそうだな。復興するにも家屋の修繕が肝心だ。その時はそなたの腕の見せ所だぞ。」


「・・・・神山様。」


「ワシが言いたいのはそれだけだ、それじゃあな。」


そう言うと神山は去っていった。神山の忠告で千種の心中に一寸だが希望が芽生え始めた。壊れた家屋の木材を安値で売りさばくという方法で乗り切る事にしたのである


「このまま待っていても駄目だ。ワシ自身が動かねばならぬ!」


そう決心した千種は早速、千種屋に戻り、壊れた家屋を修理するための材木を安値で売る事を提案したのである


「では千種屋は再開するという事ですか?」


「ああ、いつまでも休業するわけにはいかん。少しでも儲けを出さなければならん。」


「それで材木を売ると仰るので?」


「ああ、蔵にある材木だけではなく近くにある木を切り倒して家屋の修理に充てるんだ。そうしなければ折角の食料も無駄に消費してしまう。」


千種の発言に登代や子供たちや奉公人たちも納得せざるを得なかった。このまま無駄に時を過ごしても食料が無くなってしまうと否が応でも悟ったのである


「分かりました、お前様に従います。」


「旦那様、我等も従います。」


「「菊丸(千代)も!」」


「「「「「旦那様に従います!」」」」」


「うむ。皆、よくぞ申した。千種屋はこれより再開致す!」


「「「「「はい!」」」」」


千種屋はようやく再開し復興に向けて尽力するのであった

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