第28話:嘆願

桂昌院が亡くなった事は京にもたらされた。進藤はこれ幸いと大石孫四郎を呼び出した


「孫四郎、これは天運かもしれぬぞ。」


「桂昌院様がお亡くなりになられた事にございますか?」


「そうだ、厳有院様の27回忌法要、桂昌院様の一周忌法要と合わせて大赦令を出すよう進言するのだ。そうすれば親思いの大樹公とて断れん。」


「なるほど。」


「この事を支援者に伝えよ。」


「ははっ。」


進藤からの知らせは千種庄兵衛の下にも届いた。書状を受け取った千種は早速、書状を広げ内容を拝読、隣で心配そうに見ていた登代は意を決して尋ねてみた


「進藤様からは何と?」


「登代、ちこう。」


千種が登代を手招きし近付かせると小声で書状の内容を聞かせると登代は目を見開いて千種の顔を凝視した


「そ、それは誠で・・・・」


「あぁ、くれぐれも誰にも話すなよ。」


「承知しました。」


千種はそう言うと書状を手焙り用の火鉢に入れた。書状はみるみるうちに燃えていき、灰となった。千種はここが正念場と見定めたのである


「(近衛家の御用商人となったからには必ずや成し遂げねばならぬ。折角、掴んだ豪商の地位をここで捨てるわけにはいかぬ。)」


千種の決意に満ちた眼差しに登代は危ない橋を渡る夫に不安を感じつつも実家と縁を切り、夫と子供たちと一緒に生きると決めた以上、夫を信じるしかなかったのである






「千種屋、よう参った。」


「ははっ、本日はお招き頂き、ありがとう存じます。」


本日は大坂城代であり越前野岡藩主である土岐伊予守頼殷の招きに応じて大坂の土岐邸にて茶会が行われる事となった。土佐伊予守と対面するのに、それなりの金を使ったが千種としては赤穂浪士の遺族の赦免運動に協力して貰う為には大坂城代である土岐伊予守の味方につける必要があったのである。


「(土岐伊予守は赤穂贔屓だと聞いている。必ずや成し遂げてみせるぞ。)」


茶会が始まってからは静かに時が流れていき、千種庄兵衛が点てた茶を土佐伊代守は一服した後、ようやく本題に入ったのである


「赤穂の遺族の赦免運動に参加しておるそうだな。」


「左様にございます。」


「近衛家の御用商人になった暁か?」


「それもございますが、手前としても何の罪もない赤穂の遺族を1日でも早く赦免できる事を願っております。」


「なるほど。」


「何卒、遺族の赦免にお力添えをいただきとうございます。勿論、それなりの謝礼は致します。」


「まぁ~、そう急かすな。」


「これは御無礼を。」


「まぁ、ワシとて赤穂の遺族を思う気持ちはあるが物事には順序というものがある。公儀には公儀の対面というものがある。」


「存じております。」


「して何か妙案はあるのか?」


土岐伊予守は値踏みするように千種を見ていた。千種は予め計画していた事を話した


「畏れながら・・・・大赦令は如何にございましょうか?」


「・・・・大赦令か。」


大赦令と聞いた土岐伊予守は考える素振りを見せ始めた。千種は脈ありと見て静かに待っていると土岐伊予守は「来年あたりか」と呟いた。勿論、千種はそれを逃さなかった。来年は厳有院【徳川家綱】の27回忌法要であり、桂昌院の1周忌法要も行われるのである


「如何にございましょうか?」


「悪くはない。」


「是非とも伊予守様から上様へ御進言致したくお願い申し上げます。」


「うむ、相分かった。」


「忝のうございます。」


土岐伊予守から約定を取り付けた千種は土岐邸を離れた後、真っ直ぐ千種屋に戻ろうとしたら、そこに神山三郎道次が待ち構えていた


「これは神山様。」


「千種屋、随分と面白き事をしておるようだな。」


「はて、何の事でしょうか?」


「ここでは何だ。場所を移そう。」


千種は神山と共に神山行き付けの小料理屋【八丁】に入った。女将はいつものように部屋へ案内した。いつもの部屋に入り、酒の入った徳利を置き女将は部屋を退出した千種と神山の2人だけとなった


「まずは一献。」


「では。」


互いに酒を酌み交わした後、神山は用件を伝えた


「千種屋、赤穂浪士の遺族の赦免に参加しておるようだな。」


「その事でございますか。」


「それで御城代様の御屋敷に招かれたというわけか。」


「よくご存知で。」


「蛇の道は蛇という奴だ。」


どこまで知っているのかは分からないが神山に千種は率直に尋ねてみた


「神山様、手前が赦免願いに参加したとしてどうされるおつもりで?」


「別にどうこうするつもりはないがいうなれば忠告だな。」


「承ります。」


神山は盃を置いた後、真っ直ぐ千種の方を向いた


「千種屋、赦免願いに参加するのは構わんが程々にしておけ。最近では御公儀では赤穂浪士に対する世評に頭を痛めておる。」


「その事は存じておりまする。」


「幸い御城代様は赤穂贔屓な御方だ。大抵の事は目を瞑るだろうが何事においても限度がある。くれぐれもそこの所は肝に銘じておけ。」


「神山様の御配慮、忝のうございます。深く胸に留めておきます。」


「分かれば良い・・・・注げ。」


「ははっ。」


千種は神山と軽く酒を酌み交わした後、千種屋に戻るのであった。一方、江戸城では徳川綱吉は徳川家宣の側近である間部詮房を招き、茶会を催した。茶を点てている柳沢美濃守吉保を他所に綱吉は家宣について詮房に尋ねた


「詮房よ。」


「ははっ。」


「最近、世間では家宣の人気が高いようだな。」


「滅相ございません。上様の御人徳を前にすれば物の数に入りませぬ。」


「ふっ、人徳か・・・・民は余が隠居するのを首を長くして待っておるわ。」


自嘲するような薄笑いを浮かべる綱吉に柳沢美濃守は「慎め」と注意した。詮房は「出過ぎた事を申しました」と謝罪すると綱吉は「よい」と返事をした


「言っておくがワシはまだ隠居はせんぞ。家宣には未だ世継ぎとなる男子が誕生しておらぬからな。」


世継ぎという理由で隠居を長引かせる綱吉に詮房は「承知しました」と返答するしかなかった。綱吉は意地でも家宣に将軍職を明け渡すつもりはなく、長生きをしてでも将軍を続けようとする綱吉に長年付き合っていた柳沢美濃守は内心、呆れていた


「(一度、へそを曲げたら梃でも動かぬからな・・・・胃が痛くなってきた。)」


柳沢美濃守は胃痛に苦しみつつも点てた茶を綱吉の下へ運んだ。綱吉は茶碗を手に取り一服した後、詮房の番となった。詮房は茶を一服し「結構なお点前」と挨拶を終えた後、茶会が終了した


「(上様は意地でも大納言様に将軍職を明け渡さぬ構えのようだ。ここが思案のしどころだな。)」


詮房は意地でも将軍職を明け渡さない綱吉にどう対処するかひたすら思案に暮れるんであった




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