第26話:進物

「うむ、まさに進物に相応しい。」


「畏れ入ります。」


千種が用意したのは大陸渡来の青緑色の水差しである。これを手に入れるのに幾分かの大金を投じた甲斐もあって神山も御満悦である


「大陸渡来の水差しともなれば、かなりの値がついたであろう。」


「はい、大陸渡来の品を手に入れるのに苦労を致しました。」


「さもあらん。」


因みに進物を献上する相手は甲府宰相綱豊改め徳川家宣公である。この度、将軍家の後継者となり、後に徳川家宣と名を改めるのである。大坂城代としては更なる出世のために懇意したいという思惑もあるのだと千種は悟ったのである


「千種屋、御苦労であった。」


「ありがとうございます。」


「色々とすまんな。京で商談もあったのであろう。」


商談とは進藤刑部大輔との会談であり、表向きは京の豪商との商談で通している


「いいえ、些か余裕がございましたのでご懸念には及びません。」


「そうか、それならば良かった。」


千種は神山と別れた後、千種屋に帰るとそこに近松門左衛門がいた


「これは近松さん。」


「千種屋さん。今、お帰りで?」


「えぇ、立ち話も何ですからどうぞ中へ・・・・」


「はい、では御言葉に甘えて・・・・」


千種と近松は千種屋に入り、先に近松を客間へ案内させ千種は着替えを済ませた後、客間へ向かった


「御待たせ致しました。」


「いいえ、こちらこそ突然、御尋ねして申し訳ない。何やら準備をなされている御様子でしたが?」


「あぁ、京へ商談に参るのです。」


「京にございますか。千種屋さんの名は京にも届いたようですな。」


「えぇ、手前といたしましてはありがたい限りにございます。」


雑談はここまでにして近松が千種屋に訪れた目的は新たな人形浄瑠璃を作るための支援である。近松は大石内蔵助率いる赤穂技士を題材に人形浄瑠璃【碁盤太平記(ごばんたいへいき)】を作成するのだという。千種はこの時期に赤穂浪士の劇を行う事は自殺行為に等しいものだと感じた


「碁盤太平記ですか。」


「えぇ、赤穂義士の生き様を世に広めようと思っております。」


「ですが近松さん、そのようなものを作れば御公儀が黙っておりませぬぞ。」


「勿論、公方様の御存命中は行うつもりはございません、御安心を。」


「して手前に支援してほしいと?」


「是非ともお願い致したく。」


「・・・・今すぐとはいきませんが御約束致します。」


「おぉ、流石は千種屋さん。」


「商人は利益も大事ですが何より信頼がなくてはなりませんからな。」


「抜け目ありませんな。」


千種としては赤穂浪士に対して、さほど恨みは無かったため友人である近松の要望を受け入れる事にした。世間は赤穂贔屓が多いため、芝居を行えば間違いなく流行るのは間違いない。それに伴い莫大な利益に繋がる。千種としては利益を重視する方向で話は決まったのである


「そうと決まれば早速、作品作りに取り掛からねば!」


「あまり無茶はなされますな。」


「分かっておりますとも。」


近松が千種屋に出た後、千種は「はぁ~」と溜め息をついた。そこへ登代が御茶を持ってきて客間へやって来た


「お前様、お役目御苦労に存じます。」


「あぁ、神山様といい、近松さんといい次から次へと舞い込んで来るわ。」


登代から渡された飲みやすい温めの御茶をグッと飲み込んだ。するとそこへ菊丸と千代が習字で自分の書いた和紙を持ってきた


「「父上。」」


「おぉ、菊丸、千代。」


「名前が書けました。」


「書けました。」


「おぉ、そうか。よう出来ておるぞ、菊丸、千代!」


「「はい♪」」


「登代、この子達の将来が楽しみだ。」


「親馬鹿ですわね♪」


千種は共にどん底を味わい、今に至る家族の大切さを嚙み締めつつ精一杯、生きようと心に決めたのであった








「吉保。最近、西の丸が賑やかだな。」


「は、はあ~。」


徳川綱吉はつまらなそうに側近の柳沢美濃守吉保に愚痴をこぼした。西の丸では綱吉の後継者となった徳川家宣に続々と進物が届き始めた。綱吉の失政に不満を抱くと共に家宣の期待の表れが徐々に増していったのである


「ワシは仏と儒教の教えを下に天下泰平の世を実現するために身を粉にして励んだにも関わらず、下々の者はワシへの不平と不満ばかり並べる。赤穂の浪士の処分についても何度の高札を出したにも関わらず引き抜いて河に流す始末だ。それを取り締まる役人の中にも見て見ぬふりをする不届き者が現れる始末・・・・」


「上様、下々の者の心を秋の空の如く変わりまする。いずれ上様の御心も分かる時は来ましょう。」


「吉保、追従を申すな。下々の者は皆、ワシの隠居を心待ちにしておる。次代の世が待ち望んで居る!」


「は、はあ~。」


「・・・・忌々しや、家宣。」


一方、西の丸では家宣の下に続々と進物が運ばれていた。間部詮房は運ばれる進物の差配をする一方で綱豊は新井白石の下で政治談議を受けていた


「白石、ワシが将軍になって取り組むべき事は何だ?」


「畏れながら申し上げます。まず取り組むべきは生類憐みの令にございます。赤子の間引きや病人の救助なら、ともかく蚊を殺しただけで死罪になるのは流石に行き過ぎかと・・・」


「白石よ、誰が聞いているか分からぬ。表立って言う事ではない。」


「これは失礼を致しました。」


「まず取り組むべきは賄賂の横行だ。現にワシの事に進物が続々と運ばれておる。それぞれ思惑あってワシに接近する者ばかりだ。」


「御意にございます。時の権力者と側近におもねるのは世の常、ですが公方様の御側に侍りながらも殿にもおもねる不届き者は数知れず・・・・」


「美濃(柳沢吉保)の事か。」


「御意。」


柳沢美濃守吉保、徳川綱吉の側近中の側近であるこの男は次期将軍候補である紀州藩主を徳川綱教(鶴姫の夫)に接近しつつも次期将軍候補である家宣にもご機嫌伺う、傍から見たら変節漢ぶりに家宣は警戒心を強めていた


「美濃は蝙蝠のような男だ。あれの前ではどんな犬も容易く従いそうだ。」


「殿、それ以上は・・・・」


「そうであったな、ははは。」


「殿。」


そこへ間部詮房が現れた。詮房の手に持っているのは金と銀がふんだんに使われた盆栽である


「詮房、それは?」


「はっ、美濃守様からの御進物にございます。」


「噂をすれば何とやらだ。」


「左様にございますな。」


家宣は嘲笑を浮かべ、白石は嫌悪感を滲ませた。詮房は「如何なさいますか」と尋ねると家宣は淡々と述べた


「功績のあった家臣にでも送ってやれ。」


「畏まりました。」


「白石。」


「ははっ。」


「ワシが将軍になった暁は綱紀粛正に取り組まねばな。」


「ははっ。」


「(そのためにも犬公方には逸早く隠居して貰わねばな。)」


家宣は益々、将軍就任への野心をメラメラと燃やすのであった


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