第25話:過去との遭遇
「千種屋、よう参ったな。」
「神山様、お久しゅうございます。」
五十嵐十郎太改め、千種庄兵衛は大坂町奉行与力【蔵米80石】である神山三郎道次(こうやまさぶろうみちつぐ)(40歳)の屋敷に訪れていた。当然の事ながら元は武士(元赤穂浪士である事は秘密)である事は見抜かれたが鼻薬を嗅がせた事で今では持ちつ持たれつの関係を築いている
「御家断絶したのを機に商人になると聞いて心配していたが商売の方も上手くやっているようだな。」
「はい、順調に進んでおります。これも神山様のご尽力のおかげにございます。」
「そうかそうか。」
「神山様、些少ではありますがお納めくだされ。」
すると千種は神山に山吹色の菓子を献上した。千種屋が繁盛したのは神山の後ろ盾もあり、関係を密にしようと定期的に付け届けをしているのである。神山としても蔵米だけでは生活ができないため商人たちからの付け届けで生活しており、商人たちの要望を聞き便宜を図っていた
「いつもすまんな。」
「いいえ。」
千種が大坂で商人として生きていく上で大坂の町の治安を担っている与力を味方につける必要があった。町奉行の代官は出世すると同時にコロコロと変わるが与力と同心は世襲制で出世する事なく町の行政を担っており、事実上の町の支配者と言っても過言ではないのである
「(大坂の商人もそうだが町奉行の与力を敵に回してもよい事はないからな。)」
「それでワシの屋敷に来たという事は何か便宜を図ってほしいのか?」
「いいえ、今日はほんの挨拶代わりに参った次第にございます。」
「そうかそうか、まあ何か困った事があったら言ってくれ。」
「ははっ、畏れ入りまする。」
千種は神山の屋敷を去った後、真っ直ぐ千種屋に帰ろうとした瞬間、ぐいっと裾を引っ張られた。千種は引っ張られた方向へ視線を向けるとそこには小汚いなりをした物乞いの姿があった。千種は「またか」と溜め息をつきつつ金を渡す事にした
「ど、どうか、お、お恵みを・・・・」
「はあ~、仕方がない、ほれ。」
千種が金子を地面に投げると物乞いはそそくさと拾い上げた。それを見た千種はそのまま去ろうとした瞬間、物乞いと目があった
「あっ!」
物乞いは千種を見た瞬間、ギョッとした。千種は何だと不審に思っていると物乞いは「い、五十嵐十郎太」と答えた。それを聞いた千種は全身に鳥肌が立ったが何とか平静を装った
「誰の事を言っているんですか(何故、ワシの前の名を知っている!)」
「五十嵐十郎太・・・・俺だ、小野谷重蔵(おのやじゅうぞう)だ。」
小野谷重蔵の名を聞いた千種は物乞いの顔をよく見たら、かつて赤穂藩士だった頃に共に仕事をした小野谷重蔵吉道(おのやじゅうぞうよしみち)【元赤穂藩士、年齢38歳、石高100石、御山奉行】の面影があった。千種はなるべき悟られずに別人だと言い張った
「何度も言うが人違いですぞ。手前は赤穂の生まれではないし行った事すらない。」
「いいや、その顔はまさしく五十嵐十郎太だ!」
「だから人違いですってば!」
「ま、待て!」
そういうと重蔵は千種の着物の袖を掴んだ。物乞いとは思えないほどの力の強さに千種は危険だと本能が伝わった。重蔵は聞いてもいないのにベラベラと話し始めた
「俺は赤穂を離れた後、親戚の家を頼って仕官したが今やこの有り様だ。それに比べてお前はこんな立派な着物を着ている、何故だ!」
「だ、誰かお助けを!」
「ん、どうした?」
「あ、千種屋ではないか。」
そこへ神山配下の同心が駆け付けた。これは好機と見た千種は助けを求めた
「ああ、御役人様、お助けを!この物乞いが手前を赤穂の浪士と因縁をつけて、金を強請ろうとしております!」
「何!」
「離さんか!」
同心たちは重蔵を力尽くで引き離した。同心たちは重蔵を十手で徹底的に痛めつけた後、縄で縛りつけようとしたが重蔵はなおも抵抗を続けた
「離せ、離せ!」
「喧しい!」
「神妙にせい!」
すると重蔵の拳が同心の顔に当たった。同心は突然、殴られた事に怒り、十手を力強く振り下ろした
「無礼者、こうしてくれる!」
「ぐぎゃ!」
同心が十手を重蔵を叩き付けた。十手の当たった箇所から血しぶきが舞い、重蔵はそのまま倒れ、気絶したのである。血しぶきが舞ったのを間近で見た千種はゾッとしたのはいうまでもなかった
「御役人様、ありがとうございます。これはほんの御礼にございます。」
千種が同心2人の袖の下に小判を入れると同心は何食わぬ顔で千種を心配し始めた
「千種屋、災難だったな。」
「それにしてもそちを赤穂浪士と決めつけるとはな。」
「はい、どうやらその物乞いは手前がとある赤穂の浪士と顔が似ていたようで・・・・勿論、この御方の事は存じませぬし赤穂の生まれではございませぬ、天地神明にかけて!」
「うむ。だとしたら、こいつは討ち入りしなかった卑怯者というわけか。」
「ここまで落ちぶれるとは・・・・」
役人の会話を聞いた千種は複雑であった。同じ討ち入りに参加しなかっただけで不忠者の烙印を押される重蔵は物乞いまで落ちぶれ、自分は豪商として返り咲いた事で人間はこうも違うのかと嫌でも感じたのである
「それじゃあ、我等はこれでおさらばする。」
「気を付けて帰れよ。」
「ありがとうございます。」
千種は同心2人に頭を下げた後、その場を去った。千種は何事もなかったように千種屋へ帰ると登代が1つの文箱を持って現れた
「お帰りなさいませ、お前様。」
「ん、その文箱は?」
「はい、京の進藤家より届きました。」
「進藤家だと?」
「進藤家といえば大石様の親戚筋の・・・・」
「部屋に向かうぞ。」
進藤家といえば大石内蔵助の親戚筋の家である。千種は登代から文箱を受け取った後、登代と共に私室に入り文箱を開けて書状の宛先を見ると進藤刑部大輔長之の名が書かれていた
「進藤刑部大輔様からだ?」
「一体、何の用でございましょうか?」
「取り敢えず見てみよう。」
書状を広げると○月○日に京へ来るよう知らせのみが書かれていた。おまけに通行手形まで用意していた
「通行手形まで用意しておる。」
「進藤様は何と?」
「京に来るよう知らせてきた。」
「京へ?」
「あぁ、具体的な日時まで記載しておる。」
進藤刑部大輔長之は五摂家筆頭近衛家に仕える青侍で近衛家諸太夫を勤めた。大石内蔵助とは遠戚の間柄(母は大石良勝の娘)である。用件も伝えずに京に来いという進藤の思惑に登代は訝しんだ
「それでお前様はどうなさるおつもりにございますか?」
「行くしかあるまい。」
「ですがお前様が赤穂の浪士である事は・・・・」
「勿論、話すつもりはない。」
千種の立場からすれば自分の正体を語るつもりはない
「(俺はもう五十嵐十郎太達敏ではない。千種庄兵衛だ、折角、手に入れた幸せを三度も潰されてたまるか!)」
「お前様?」
「登代、京へ行く準備をしてくれ。」
「承知しました。」
千種たちは京へ向かう準備を進めていく途中で大坂町奉行与力の神山が突然、千種屋に訪れた
「これは神山様。」
「突然、すまんな。」
「いいえ。」
「少し話がある。」
「承知しました。」
千種は神山と共に神山の行きつけの小料理屋に入った。小料理屋【八丁】の女将が千種と神山を恭しく出迎えた
「神山様、千種様、ようこそお越しになられました。」
「うむ、いつもの部屋を使う。用があるまでは誰1人部屋に入れるなよ。」
「承知しました。」
「参るぞ、千種屋。」
「はい。」
小料理屋【八丁】とは大坂でも数少ない魚料理が食べられる場所である。大坂でも生類憐れみの令が制定されているが江戸と違い比較的、緩くお忍びで大坂城の重役や町奉行の役人も訪れる事は珍しくないのである。2人は部屋に案内され、入室すると女将は酒の入った徳利を用意した後、「ごゆっくり」と部屋を退出した
「では一献。」
「はい、神山様。」
千種は神山の盃に酒を注いだ後、神山がグッと飲み込んだ。神山から「そちも飲め」と盃を渡すと千種は盃を受け取った。神山から酒を注がれた後、千種はグッと酒を飲んだ後、用件を伝えた
「千種屋、赤穂の物乞いに絡まれたそうだな。」
「あぁ、同心の方々から聞きましたか。」
小野谷重蔵を捕らえた同心から聞いたのだろうと思い、自身が正体を悟られずに話す事にした
「誠に迷惑にございました。最初は恵んでくれと裾を捕まれたので金を渡しましたが突然、手前が五十嵐十郎太なる者と決め付け、更に金を要求してきたので大変困っておりました。」
「五十嵐十郎太・・・・そちと顔が似ていたのかのう?」
「他人の空似でございましょう。手前は赤穂の生まれではございません、ましてや討ち入りしなかった赤穂の侍と決め付けるのは良い心地ではありませんでした。」
「それは災難だったな。それと・・・・あの物乞いは死んだぞ。」
「死んだ?」
「あぁ、拷問を受けている最中にポックリとな。」
それを聞いた千種は内心、ホッとした。これ以上、生きていられたら色々と面倒になると思っていたので死んで良かったと心底、思った。それとは別にわざわざ神山がその事を言いに小料理屋に招いたわけではないと悟り、本題に入る事にした
「畏れながら、そのような事を尋ねにわざわざお越しになられたのですか?」
「そんな些細な事に関わるほどワシは暇ではない。用件というのは進物の事だ。」
「進物というとどなた様に献上すると?」
「千種屋、ちこう。」
神山が手招きすると千種が近付いた。すると小声でとある人物の名を言うと千種は驚愕した
「そ、それは誠で。」
「あぁ、御城代様直々の命じゃ。」
果たして進物を送る相手は誰なのか・・・・
【架空の人物】
・神山三郎重次「大坂町奉行与力」
・小野谷重蔵吉道「元赤穂藩士、山奉行(100石)」
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