後編

第24話:千種屋

「お前様、近松様がお越しにございます。」


「分かった。」


宝永元年(1704年)、元赤穂及び三次藩士であった五十嵐十郎太達敏は【千種庄兵衛(ちくさしょうべえ)】と名を改め、大坂【現代でいう大阪市天王寺区】にて【塩】と【材木】を仕入れ販売する【千種屋(ちくさや)】を開業した。資産600両を元手に商売を始め、五十嵐は持ち前の才覚と算術と目利き、そして商人の立ち居振舞い等のおかげで巨万の富を得る事に成功し、今では押しも押されぬ程の豪商へと成長したのである。妻の登代も商人の妻として五十嵐から色々と教わり、すっかり商人の妻として板についていた。中間だった太吉は番頭として活動し妻の加代だけではなく赤穂時代からの奉公人たちも千種屋で働いていた。菊丸と千代には手習いの他に算盤を教えている。五十嵐は改めて商人として成功した事と武士に向いていなかった事を痛感したのである。因みに千種屋の千種は名前の由来は赤穂に昔からあった千種川(ちくさがわ)から取っている


「これは近松さん、ようこそお越しくださいました。」


「千種屋さん、お招きありがとうございます。」


尋ねてきたのは人形浄瑠璃及び歌舞伎役者の近松門左衛門である。近松は元は武士であったが紆余曲折があって浄瑠璃、歌舞伎の世界に入り、今では評判の役者となった。同じ武士出身【ただし五十嵐の方は元赤穂藩士だった事は秘密にしており、近松には御家断絶した後に商人になった事を説明】であった事から親しくなり、今では茶飲み友達の間柄であり、今日は近松を茶会に招待したのである


「千種屋さんもすっかり商人が板についてきましたな。」


「畏れ入ります。これも近松さんの御贔屓があってこそ・・・・」


茶会が始まった後は世間話をしつつ千種は茶を点てていると近松は寺坂吉右衛門の自首と鶴姫死去の話をし始めた


「赤穂浪士の生き残りである寺坂吉右衛門が無罪放免となったのは驚きましたな。」


「今更、処分を願っても既に終わっておりますからな。」


元禄17年2月頃に寺坂吉右衛門が大目付である仙石伯耆守に自首をし、処分を願い出たが伯耆守からは御咎めがなく無罪放免で解放したという


「赤穂贔屓な世の中でこれ以上、騒ぎを大きくしたくない御公儀の思惑がありますからな。」


「そうでしょうな、四十七士の生き残りまで罰したら益々、不満と不信感が高まりますからな。」


「そういえば、今年になって鶴姫様がお亡くなりなられた事は御存じでしたか?」


「ええ。」


「大事な一人娘を亡くされて公方様も気落ちなされたでしょうな。」


「公方様にとっては唯一の御子でございましたかな。」


「表こそ出ておりませんが赤穂浪士の祟りやないかと噂されておりますわ。」


「祟りとは・・・・公方様が聞いたらお怒りでしょうな。」


鶴姫死去に際し、一部の口さがない庶民が赤穂浪士を切腹させた事で鶴姫が赤穂浪士の祟りにあって死んだのではないかという噂が立った。実際は疱瘡(ほうそう)にかかり、薬石効なしで死去したのだが噂というのは恐ろしいものである


「ああ、そういえば亡き浅野内匠頭様の御正室であらせられた瑤泉院様が島流しにあった遺族たちの赦免運動に尽力なさっているようですな。」


「ええ、それも耳にしております。」


千種の立場からしてみれば当時は名と素性を変え、武士を辞めざるを得ない状況を作った赤穂浪士には恨みがあったが今では世間に素性を隠し、商人として大成功したため赤穂浪士に対する恨みがやわらぎ、昔の事のように思えてきたのである。まあ島流しにあった赤穂浪士の遺族には同情してはいるがどうこうできる立場ではなかった


「瑤泉院様の立場から考えれば、亡き殿様の無念を晴らした浪士の方々に恩があるのでしょうな。」


「恩もあるでしょうが罪滅ぼしもあったでしょう。」


「罪滅ぼし・・・・大名の妻も難儀ですな。」





一方、愛娘である鶴姫が亡くなった事で徳川綱吉は意気消沈していた。綱吉だけではなく祖母の桂昌院も大事な孫娘が亡くなった事ですっかりボケてしまい、鶴姫を探しに江戸城を徘徊するほど酷くなっていた


「お鶴はどこじゃ、お鶴はどこじゃ。」


「母上、お鶴は死にました。」


「お鶴はどこじゃ、お鶴はどこじゃ。」


この状況を見た柳沢美濃守吉保は世継ぎ候補である甲府宰相綱豊【後の徳川家宣】に接近した


「鶴姫様亡き後、甲府宰相様こそ次期将軍に相応しゅうございます。」


美辞麗句を並べる柳沢美濃守に綱豊は決して乗ることなく淡々と対応した


「それは上様の御意向か?」


「それはまだ分かりませぬが何れはそうなりまする。」


「畏れながら桂昌院様は殿のお世継ぎに殊の外、反対されておられましたが・・・・」


側に控えていた間部詮房は桂昌院は綱豊の世継ぎになる事には反対している事を知っていた。理由としては綱豊の祖母である順性院【お夏の方】とは極めて不仲だった事から綱豊擁立に不満を隠さなかったのは公然の秘密と化していた


「鶴姫様亡き後、上様の御実子は誰1人おらず、桂昌院様が御反対されても無駄かと存じます。」


「美濃守。」


「ははっ。」


「ワシは上様の御意向に従うまでの事だ。そなたがとやかく言うものではない。」


「ははっ。」


手応えがない事に柳沢美濃守は肩透かしをされた気分で屋敷を去ると綱豊と詮房は密談をし始めた


「ふっ、蝙蝠のような男だ。」


「左様でございますな、紀州の次は甲州、油断も好きもございません。」


「詮房。」


「ははっ。」


「ワシは誠に将軍になれるであろうか?」


「畏れながら時の流れは殿に味方してございます。鶴姫様がお亡くなりになられた事で形勢は甲州に傾きました。いくら上様、桂昌院様と言えども流れに逆らう事はできませぬ。」


「ワシとしては生類憐れみの令が改めるのであれば誰が将軍になろうが構わぬ。だが今となっては将軍になれるのはワシしかおらぬ。尾州【尾張徳川家】も紀州【紀伊徳川家】も一枚岩ではなくなったからな。」


この頃の尾張徳川家は当主である徳川吉通の母である本寿院が強権を振るっており本寿院に従う一派と譜代の家臣たちとの間で争いが絶えず、一枚岩ではなかった。紀伊徳川家でも鶴姫を妻に迎えていた徳川綱教も鶴姫が亡くなった後で世継ぎ候補から外され、更に体調を崩してしまう事も度々あり、甲府宰相綱豊に対抗できる者が1人もいなかったのである。因みに水戸藩は前藩主である徳川光國が甲府宰相綱豊を世継ぎに推しており、現当主である徳川綱條は将軍家争いから一歩引いて成り行きを見守っていたのである


「殿、ここからが正念場にございます。」


「うむ。」


一方、徳川綱吉は決断を迫られていた。鶴姫が亡くなった事で世継ぎを決めなければならなくなったのである。そこで林大学頭信篤に意見を求めた


「大学頭、次の世継ぎは誰が相応しいと思う?」


「畏れながら某は学者にてお世継についてはお話しする事は・・・・」


「構わぬ、そちの思う事を申せ。」


「ははっ。畏れながら衆目の一致するところ、甲府宰相綱豊公をおいて他にこれなく。」


「甲州・・・・か。」


綱豊の名が出た途端に綱吉は苦虫を噛み潰したような顔をした。母である桂昌院が綱豊擁立に猛反対していたのは公然の秘密であり、もし綱豊を世継にすれば烈火の如く怒る事は分かっていた


「尾張と紀州はどうだ?」


「さて・・・・」


「畏れながら上様、尾張も紀州も落ち目にございます。」


そこへ柳沢美濃守が尾張と紀州擁立に反対した。尾張は家中が真っ二つに別れ、紀州では鶴姫の夫である綱教は病勝ちになっており、対抗馬としては役不足であった


「やはり甲州・・・・か。」


「上様、ここが潮時かと。」


柳沢美濃守の止めの一言で綱吉は綱豊を擁立する事に決めたのである。この事を母である桂昌院に伝えたが桂昌院はすっかり痴呆が進んでおり、ひたすら孫娘である鶴姫を探しに徘徊する日々が続いたのであった

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